六十年。人にとっての大半であり、妖怪にとってのつかの間である。そして、干支が一周する程度の年月である。
「――ですので、地底に行かねばなりません。四季様もぜひ」
「小町は私のことなど気にせず罪人を運んできなさい! その話は後! 黒! 貴方の評価は運んだ霊の数ですよ! 黒! 白! 白! ……なんです!? 私の裁判に過ちなどありません! 先ほど言ったように貴方は白! 詳しい沙汰は追って伝えるので早く行きなさい!」
「……四季様?」
是非曲直庁、まさしくそこは地獄そのものであった。死神達が摘んだ『花』の選別に閻魔はてんてこ舞いだった。不幸にも閻魔には能力があり、権力もあった。悪いなことに、その閻魔には責任感があり、さらに最悪なことに、真面目で勤勉だった。その結果、閻魔は最速で仕事を片付ける方法を思いついてしまう。
本人だけが、この判決が正当であると判断できる即断即決裁判を開催したのだ。ここ幻想郷において彼女の判決は全て『正しくなる』。被告人は尽く疑問を浮かべながら判決に従い、その判決は実際正しかった。それを部下である小町は後方訳知り顔で眺め、ときおり上司が働きすぎないようにちょっかいをかけようとしていたが、どうもそれは上手くいきそうになかった。あまりにも裁判が速すぎた。わんこそばの蓋を閉められない小町は、したためにしたためてきた、千年前の罪人の話すら聞き入れて貰えなさそうだった。
「ええー……。仕事のしすぎはお体に障りますよ」
「安心してください小町、今更の話です。……白!」
これでも、お互いに相手を思いやっているつもりである。
小町にしてみれば、この閻魔が過労状態なのは見なくても分かる事実である。よって、小町は、先ほどの策以外にも、四季映姫の一時的な過労を抑えるために、自身が霊を運ばないようにして、一度に是非曲直庁に来る霊の総量を減らす策を実行している。手抜きのためのなんとも良い言い訳である。
この大きな部屋にみっちりと並ぶ霊の数や、部屋の入り口から切れ目無く部屋に入ってくる霊を見れば、仕事にたいして億劫になるのは当然のことではあるが。
「それに、仕事の総量は変わりません」
四季映姫からすれば、ここにいる小町はさぼりであり、その魂胆も透けている。この死神は、四季映姫の様子を気遣ってはいるので腰巾着ポイントは高いが、自身の仕事をないがしろにして出世の道を自ら拒んでいるので態度点が挽回不能なほど低い。小さな閻魔は、彼女になんとかはたらいてもらい、よりよい待遇にしてあげたいと思う程度には小町のことを気にかけていた。そのためには、無理にでもここから引きはがして仕事をさせるべきだった。この多忙時に邪魔をしてくる小町を無理矢理引き剥がさないあたりが、彼女の甘いところ。
「四季様……。そうはいいますがね、私は、霊入りのつつじの蜜を吸った人間の魂が――はい定時ぃ! 四季様の連続勤務時間が16時間となりました! さぁ、帰った帰った!!!」
半ば諦めかけていた小町だったが、丁度時計の長針が真上を指したのを見て、にわかに大声を出した。
「あっ!? こら!」
その一声で、列をなしていた霊達は部屋の壁からすり抜けて、どこかへと霧散しまった。閻魔の裁きを待つ霊は、もう居ない。……ただし、見えなくなっただけでそこら中に居て、また閻魔の裁きが始まるのを待っている。そもそも、彼らには行くあてがない。
「小町! ……勝手なことを。地上の時間の流れと、ここのそれは全く異なるものでしょう」
「そうは言いますがね、上が働きすぎる部門では下が休めないのです。現に死神は疲労によって効率が下がりつつあります。彼らにはやや長い休息が必要です」
尻すぼみな四季映姫の叱りは、彼女の疲労をよく表していた。小町から、思いのほかまともな反論がきたこともその一因だった。それもそのはず、口が上手い奴に時間を与えれば、それ相応の理由をひっさげてきてしまう。
四季映姫の妙策? である、24時間連続ではたらくことでこの混雑を解消しよう作戦は失敗に終わった。二人にとって幸運なことに、小町の方が声が大きい。集中――ホリックともいう――が途切れてしまった四季映姫は目を閉じ、一つため息をついて、思索を巡らせようとした。しかし、あまりにも同じことの繰り返しをしてきたので、考え事の一つも思いつかなかった。
もとより話していた者は二人しかいなかったが、話す者が二人になったこの部屋は静けさを取り戻していた。
「……ええ、小町もたまにはまともなことを言いますね。休憩に入りましょう」
幽霊の代わりに沈黙が場に敷き詰められていたが、生者は黙っているままではいられない。四季映姫にはやることが沢山ある。まずこの死神をとっちめて、次に休息を取って業務をいち早く再開することだ。
「四季様に今一番必要なことです。二番目は、私のような部下」
「減らず口を、小町にはあとで説教です」
「私のためですね、よく心得ております」
「なんと、調子の良いことを。小町は、どうしてこうも罪を重ねるのでしょう。閻魔の部下がこうでは、私の立つ瀬がありません」
ひさびさにゆっくりと他人と話をした四季映姫は、そういえば自分は生きているのだと思いだした。少なくとも、粘土のように転がる死体ではない。墨で汚れた左手の、手のひらについた二本の筋、悔悟棒を振るい続けたためについた跡を見つめなおしただけで、部屋の中をスキップしたい気持ちに覆われた。明らかに疲れ気味な頭でも、この姿は見せられないと判断できたため、実行に移されることはなかった。そのかわりに四季映姫は、やおら椅子から立ち上がり、左手で天井から下がる紐を揺らした。紐に結びつけられた鈴が鳴り、三秒経つ前に、鬼らが部屋に飛び込んでくる。
『ヒトガタ科鬼属真鬼』などと名乗る鬼もどきではない、『本物の鬼』すなわち、罪人に罰を与える閻魔直属の部下が、三十六畳ほどの広さの部屋に散り、窓、床、照明等を掃除し始めた。
「ここへ」
「はっ!」
指示飛び交う喧騒の中でさえ閻魔の小さな一言を聞き漏らさず、角が一つある鬼が閻魔の前に飛んできた。
「お茶を二つ」
「玉露にございますか」
「……ええ」
「かしこまりました」
鬼はすぐに部屋から罷り出ていった。四季映姫はまた椅子に座りなおし、体を深く背もたれに預けた。小町はそれを見て、彼女の上司がなぜこうも格好よく、様になるのかをぼやっと考えていたが、その夢心地は急に冷や水を被せられることになる。
「ところで小町……玉露って何かしら」
人里の茶屋に詳しい貴方なら知っていますよね? と言いたげな顔の閻魔が、首を少し回して、生やさしい目を死神に向ける。
「えっ!? あっ、あー……、お教えしますね」
小町からすれば、お茶にも様々な種類があることなど至極当然のことである。しかし、この主からすればどうだろうか。確かに四季映姫は博学である。ただ、それは全知を意味しない。知らないことは知らないのだ。四季映姫よりも小町のほうが詳しい話題は多々存在する。ただし、四季映姫は能があり、知識を隠して無知な人のふりができる。本人の性格から、そのようなことはめったにしないが。
では、この場合はどうだろうか。玉露を知っていて、小町に圧をかけているのか。それとも、玉露を知らず、純粋に小町に聞いているのか。……知らないものの、小町を詰める一手となるとわかっていて聞いているのか。
先ほど小町は驚いてしまったので、知らぬふりなどできない。小町には可能性を信じて、話すしか選択肢が残っていなかった。
「どこで知ったのかも含めて」
「ひえ……」
その可能性も望み薄である。審判の時だ。
……なぜか茶屋に詳しい小町は、玉露や煎茶の違いや、どこで知ったのかについても含め、すべて説明させられることとなった。冷や汗をかきながら説明させられている小町の目には、鷹揚に頷く閻魔の姿が見えた。小町は、大閻魔の仕草から、可能性はほとんど無いものの、もしかしたら蜘蛛の糸が垂れているのかと錯覚したが、そんなことはない。
「……それで、小町、貴方を地獄に下働きに出す話でしたか」
「ご冗談を」
大大閻魔から飛び出た一言は小町にとって信じがたいことだった。小町にとって大問題だった。即座に冗談にしようとするこの死神も同じく大問題だが。
「冗談ではなくて――」
「待ってください!?」
洒落にならないと慌てる死神に生温かい目をやりつつ、四季映姫は話を続ける。
「そう、貴方は少し幼稚すぎる。心配なので、私も地底についていきましょう」
「ですからあたいが下働きに出る――」
「馬鹿言ってないで行きますよ、小町。地獄と地底は別の場所ではないですか。今から行くのは地底ですよ。……もしかして仕事が進まないことが気になってますか? 安心してください。こんなこともあろうかと代役がいます。代わりの閻魔が36時間ははたらいてくれることでしょう」
――しかし彼に仕事を任せてしまったのは私の及ばざる点。追って私が48時間連続ではたらき、確実に借りを返すこととしましょう。
「……あっ! ん? いや、……ええ、どこまでもお供しますよ!!!」
頭が回る方と自負する小町も、あまりの仕打ちを受けると勘違いすれば、少し反応が鈍るのも致し方ないだろう。状況の変化に気がついたのは、四季映姫が部屋を出る数秒前だった。
慌てて四季映姫を追おうとする小町を顧みず、付きの者に外に出ると言づてた四季映姫は、死神の能力を忘れたふりをして、ゆっくりと行くべきところまでいこうと決めた。旅は、目的地だけに意味があるのではない。たとえ旅人が野垂れ死んだとしても、その目的に意味があるのかもしれない。
四季映姫。この世で最も厳正かつえこひいきな閻魔の名前である。