この橋渡る者無きこと長し   作:塵紙驀地

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平安の残滓

閻魔とその付きの死神は、霊のたまり場から抜け出して、幻想郷と名のつく花園を歩いていた。通常なら有り得ない量の花に、小町でさえ少したじろいでいた。

 

「見なさい小町、花が綺麗ですね?」

 

 閻魔の表情は暗かった。少なくとも花畑を見る表情ではない。まるでデスクにたまった書類の山を見るかのような表情だった。

 

「閻魔を増やせば映姫様も花を綺麗に思えるだろうに、なぜしないのですか? 映姫様は死んでいいお方ではないですよね。働きすぎで死ぬなど、閻魔界末代までの恥となりましょうよ」

 

 上司の皮肉にいい返しが浮かばなかった小町は、こうなった『原因』をなじることにした。花が咲き乱れる原因は幻想郷の周期によるものだが、映姫がずっとはたらいている『原因』とは、閻魔の不足そのものだった。

 

「……らしくない。それを決めるのは私ではありませんから。私がするのは死者の色を決めることのみです」

 

 映姫はふと梅の木のそばで立ち止まり、梅の花のがくをつまんだ。鮮やかな色をした梅の花はたちまち灰色になって崩れ落ちてしまった。それを見て、映姫はまた一つため息をついて、小町の方へと振りかえった。

 

「そういえば、今は映姫様、なのですね?」

 

「呼び方ですか? 仕事中じゃないので……」

 映姫は小町の言葉に返事をしなかったし、小町もそれを気にとめることもなかった。そんな必要すらないのだ。

 うららかな日差しを受けて、ようやっと二人は地底へと続く大穴まで歩いてやってきた。本人らにとっても当然なことに、幻想郷の住民の一人すら出会わなかった。しかし、予想外にも、大穴のすぐそばで第一住民を発見した。

 

「幻想郷には四季があるべきですわね。花ばかりでは、私が霞んでしまう。ねえ? あなたも誰かに足を引っ張られてばかり」

 

 縦穴の周りには、高さ1mほどの木製の柵が並んでいた。その前で佇んでいた少女は、ゆっくりと薄桃色の日傘を閉じて、二人の方へ振りかえった。紫がたまたまこんな所にいるかというと、そんな訳がない。二人も分かっていた。

 

「これは八雲紫。いつも通り私を避けていればよいでしょう? それとも心を入れ替えて説教でもされにきましたか」

 

「説教したいのは私の方よ。仕事を持ち帰るなど無能のやることでしょう。仕事が好きな少女など、地底にしか居ない。貴方と仲良くなれそうな、ね?」

 

 映姫と小町は互いに顔を見合わせて、何も話さなかった。紫の返答は幾分かずれていたが、いつもよりずいぶんと丁寧な返答だったので、二人には本意が伝わっていた。休みに来たのに仕事をしようとするな、私に説教などしようと思うなと、言外に伝えていたのだ。返事がないと踏んだ紫は、改めて二人に正対した。紫の服の裾に縫い付けられた白いレースがひらひらと風を受けて揺れている。

 

「地底に何用ですか。急用でないのならお引き取りくださいな」

 

「なぜ」

 

「……彼の地は地上とは違い危険でありますから」

 

 そもそも地底の入り口に閻魔がいること自体がおかしいのだ。死神に頼んで直接地底に行けばよろしい。そうすれば、紫は閻魔が地底に向かったことなど『知らなくて』すむ。

 死神がいるのだから、不法侵入すれば良いのに。なぜ私を関わらせようとするのか。一生関わろうとしないでくれ。自分から二人に関わりにいった紫の目は雄弁だった。さとりに用があるわけでもないのに、何故今更正面から突破しようとする? 先ほどの言葉と彼女の目はそう物語っていた。紫の聞き方は明らかにとげだらけで、彼女らがここにいることを拒んでいるようだった。

 

「私が地底を散歩するのに、貴方の許可など必要ありません。今は……オフですから」

 

「ごもっとも。それゆえこれはただの提案ですわ」

 

 急用でないなら来るな、ですらもただの建前にすぎない。そもそも紫には閻魔の行動を制限する権限など一つも無い。紫はただ己の直感に従って、面倒事を未然に回避しようとしているだけだった。

 

「あっちゃー! ごめんなさい四季様! この散歩には裏があります!」

 

 突然、小町がおどけながら口を開いた。何かに派手に驚いたそぶりをみせ、左手で自分の頭をコツンと叩いた。てへぺろ、という死語なら一言で伝わるか。さして興味なさそうに、紫だけが小町に視線を向けた。

 

「貴方様の休息がもちろん主目的なんですけど、実はあたいが地底に忘れ物をしてしまってさ。それが仕事に必要なものだったもんで、拾いにきたのです」

 

「小町の割に殊勝な心がけですね」

「まあ、さすがは大閻魔の一番弟子ですわね」

 

 映姫はあきれ顔で、一方紫は慇懃無礼に、それぞれが小町を口先だけで褒め、また間が空いた。紫も、映姫も、小町の言うことが真とは思っていない。ただ、小町の言葉で、うわべっつらの正当性がでっち上げられた。

 

「……では改めて。そうだとしても、私はあなた方が地底に行くことをおすすめしません」

 

 三人とも、おおよそ相手が本当に言いたいことを理解している。しかも、お互いに話したくない相手と話している。それならば、この会話にけりがつくのも早い。

 

「いいではないですか、凡百の罪人が私になせることなど一つもありません。裁きは常に一方向に行われます。……ですが貴方の立場が故の憂慮も理解できます。久しぶりの地に心許ないのも事実」

 

 閻魔の方便だ。映姫は何も心配などしていない。

 

「ええ。用心することをおすすめします。……気休めですが、お守り、いかが? 木偶の欠片が入っていますわ」

 

 紫は袖の下から二人分のお守りを取り出した。どこにでもありそうな、やや薄緑の勾玉と、そこに結びつけられているのはこれまたどこの神社にもありそうなお守り。

 賢者らしくない直接的な物言いに、映姫がその訳を探ろうとする。どうせお守りには盗聴器か何かが入っている。そこはいいのだが、紫がこれを仕込む意味が無いように思えた。いや、紫は二人が何をするか確認したいのだろう。その意図はわかってはいるのだが、二人にはそうする意味がわからないのだ。

「貴方が直に手助けもできないのに? このお守りが何の役に立つと言うのです」

 

 そう、けりはすぐにつくはずなのだ。……お互いに相手を牽制しようとする、そのひねくれた感性がなければ。

 地底との条約のせいで、紫は建前上地底に入れないことになっている。その条件下で、紫が二人の邪魔をすることなどできそうにない。つまりお守りを通して私達の邪魔などするな。盗聴しようが座標を拾おうが紫は取れるアクションがないはずだ。と言外に伝えている。手立てがないと紫に思わせなければならないとこちらが思っていることを相手に伝えなければならない。少なくとも映姫はそう思っている。

 

「……さあねえ、地獄行きを回避できるかも」

 

「お、そりゃいいや」

 

「あら」

 

 先ほどまで黙って二人の会話を聞いていた死神が、閻魔が口を開こうとしたその直前に、不敬にも口を挟んだ。映姫はきろりと目を横にながし、またもとより何も語るつもりがなかったかのように口をつぐんだ。

 

「そんな素晴らしいものを売り払えば、庶民からずいぶんと高い金を取れそうなのに。ひょっとしてあたいらはただで貰えるのかな?」

 

「ええ」

 

「2個しかないなら無理に渡さなくてもいいよ? あんたの分は残しておいた方がいい」

 かつてヨーロッパには免罪符というものが存在していた。お金を払えばこれまでの罪を免れることができる御札との触れ込みで売られたこの札は、どうも教会に富を生んだが、それとともに聖職者への不満を生み出した。免罪符の販売は、宗教革命の一端とも言われている。

 ……さて、閻魔と死神に免罪符もどきを渡す似非聖職者はどのような裁きを受けるのだろう。聖職者が免罪符を必要とするとき、まさか聖職者の分の免罪符がないなどお笑い種にしかならない。

「ご忠告どうも、幻想郷の主たる私の心配は必要ありませんわ」

 ――どうせあなた方も幻想郷の上にいるのに。

 

 紫が死ねば、幻想郷は崩壊する。幻想郷が崩壊すれば、閻魔も死神も、皆全て朝ぼらけの露となる。閻魔も、神も、その中には紫を裁く者など居ないのだ。

 裁きは一方的に行われる。全くもってその通り。

 

「……なら大丈夫か。映姫様、これ、貰いましょう。只なら貰って損はない」 

 

「小町が言うのなら」

 

 小町は紫に手を差し出し、紫はそこにお守りを置いた。その瞬間、紫はスキマの中へと消え失せてしまった。

 

「これは……。なんとまあ、私は八雲紫に相当嫌われてますね」

 

「まあいいんじゃないでしょうか。閻魔様と賢者様、お互いにそうしたほうが身のためです」

 

 小町は一旦鎌を草むらの中に置いて、大きく振りかぶり、そのお守りを大穴へと投げ込んだ。深く、暗く、しかしながら僅かにほの明るい縦穴に、二つのお守りは音もなく消えていく。

 遠投に成功したからかやや満足げな小町は、振り返って閻魔に笑いかける。

「行きましょう。我々が元いた町へと」

 

「……これ、お守りを投げ捨ててはいけません。妖怪はまだしも人にぶつかれば何が起こるか分からない。しっかり破棄なさい」

 また映姫に冷たくされた小町だったが、何も気にしていないように見えた。映姫に自身の判断を咎められなかったことも、その一因かもしれない。

 

「映姫様」

 

 未だににまにましている小町が、今度は映姫の方に手を差し出した。その大きな手に、薄く白い手が乗せられ、二人はその場から瞬く間に消えていった。

 

 パッと目を開いた映姫は、そこが縦穴の中で、自身はゆっくりと降下中であると気がついた。上を見れば、まだ明るい点が小さく見える。

 

「どこです? ここ。久しぶりなもので」

 

「一割です」

 

「そうですか」

 

 地底の入り口までまだ九割ある。木偶同然の妖精が出迎えに上がってくれたが、鎌の錆にもならずお休みになってしまった。その後も断続的に妖精がやってくるも、それ以外にはかわり映えもしない空間を二人はゆっくりと降下していく。

 

「小町。聞いてください。私は目の前の罪人が誰かなど知りません。名前も、出自も、その者が死んで初めて知るのです」

 

「急にどうしました」

 

「黙って聞きなさい」

 

「……はい」

 小町は横にいる映姫の目から僅かばかりの時間視線を逸らし、ようやく返事をした。

「私が思うに……貴方は私の説教よりも聞きたい話がある」

 

「映姫様の話はありがたいので、実用性の――」

「簡潔に」

 

「はい」

 

「……でしょうね」

 

 映姫は得心がいったように黙ってしまった。次の言葉をかけられると思っていた小町にはそれが意外でしかなかった。が、すぐに小町は当然のことだと思い直す。

 答え合わせは次の瞬間。

「上です」

 

 映姫の一言と同時に、小町が鎌を大きく振り上げた。大きな金属音が響き、誰かの(まさかり)がはじけ飛んで、映姫の背中の僅か後ろを掠めて穴の底に落ちていく。次いで木に刃物が刺さる太い音がなり、誰かのくぐもった呻き声が聞こえた。

 

「おやまあ、隣の方をどなたと心得る」

 

 桶に刺さった鎌の先をぐっと手前に引いて、小町は桶の中をのぞき込んだ。白装束に緑の髪――

「おっと」

 そこまで確認した所で、弾が一つ飛んできた。小町は顔を逸らして避け、桶の直上にこれでもかと弾を並べ立てた。

 

「閻魔に謝りな」

 

「…………嘘でしょ。ごめんな――ぐわぁ!」

 桶の少女は死神のシャワーを浴びて、およそ少女が出してはいけない声を立てた。まあ、野良妖怪が上位の死神を相手取った時、最初の不意打ちに失敗すれば、この結果以外は有り得ないといっても過言ではないだろう。

 

 二人は襲撃など無かったことにして、また降下を始めた。ただ一つの例外を除いて。

 

 ――ブオン

「……小町」

 

 ――ブオンブオン

「えっと、聞こえません」

 

 ――ブオンブオンブオン

「嘘を言ってはなりません。聞こえているでしょう」

 

 ――ブオンブオンブオンブオン

「……すみません」

 

 桶の中には気絶した釣瓶落としがいる。にわかに健康意識を芽生えさせた小町が、なぜか肩の運動を始めたので、映姫は注意せざるを得なくなった。

 

「止めてあげなさい」

 

 ようやく桶の風切り音が止まり、桶の中の極悪非道人はようやく普通の眠りにつくことを許された。

 

「……先程の話を続けます」

 

「はい」

 

「誰が死ぬのですか? 貴方には地底で私に会わせたい人が居る。そうでしょう?」

 

 映姫は分かっていた。小町の婉曲的な地底への誘いも、その意図も。ただ、相手が誰だか知らないだけで。

「忘れ物を取りに来ただけですよ、映姫様。ついでに積もる話はありますが。終わったら、地底でゆっくり過ごしましょう。……過ごせるかは知りませんが、ね」

 

「そうですか。見せなさい」

 何を見せるのか分かっている小町は、静かに懐から一枚の紙を取り出した。片手が塞がっていたので、小町は書類を口に近づけ、書類を丸めていた紐を歯で引き裂いた。

 

「これを」

 

 映姫が受け取った紙は、明らかに年季を感じるものだった。かつてさとりの前で小町が読んだこともあるその紙には、とある有名人の名と概要が書かれていた。少しばかり道を誤り、復讐のために『鬼』となった、そんな罪人の名が。

 

 

 

「……千年前に死に損った宇治の橋姫の魂を、本日付で貰い受けたく存じます」

 

 

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