「……これまた……、相当な有名人が……。既に死んでいて、他の閻魔が裁いていたものだと」
「ええ。年長者には気を遣わないといけないので」
「私よりも年上ですか。どうして今さら……」
映姫は紙に目を通していったが、だんだんと顔が渋くなっていった。
「小町。これは見なかったことに」
「うそん……あいや、ご冗談を」
「まあまあ本気です」
この案件は扱いが面倒なのだ。死神らは、魂がただ浮いていれば捕まえ、『なぜか』怨霊になっていれば現場の判断で見て見ぬふりをする。
今回はどうだ。取るべきは、橋姫の魂。千年前に橋姫の肉体は入水して死んでいる。死んだに違いなかった。我を失った貴人の思念が、記憶が、怨嗟が、嫉心が、神の一握りの慈悲が、たった一つの鬼神を生んだ。緑眼金髪のあいつは生きている。いや、死ぬべき者の魂が生きて動いている。そこにいるのがさも当然のように、生きたふりをしている。
「いやあ……映姫様ともあろう御方がまさか、お疲れですか?」
「……なるほど?」
いけしゃあしゃあと述べる小町のあくどさに、映姫はようやく気付いた。意図もわかっていたつもりだった。
――こいつ、私のことを何も考えてないな!?
確かに小町は自分の利を優先していたように思えた。が、多少は映姫のことを考えた発言をしていたと思っていた。
「私利私欲のために、閻魔を?」
「……えへ、はい」
「死神風情が、……私が言うのも何ですけど、この閻魔を!?」
「そう……ですね?」
「疲れているとわかりながら引っぱり出して!?」
「でっ、でも、気分転換には……」
「っはぁー……。私が決められるとはいえ……ああ、……だからですか」
閻魔は完全な黒を白にはできないし、しない。ただ、白っぽいものや黒っぽいものを白とも黒とも言える自由がある。鏡を見てその人の人生を知り、判断を下す。弁明など不要だ。無駄なのだから。……無駄だけど、本人の口から聞きたくないか? 死神は閻魔をたぶらかそうとしている。
「橋姫の人生譚を貴方も直で聞きたいと。そういうわけですね?」
「はい!」
「度し難い」
「何を仰います。私は手つかずの仕事を上司に隠すことなく伝えたまでであって」
それは、いつかはしないといけない仕事だった。そこにちょっと死神も噛ませていただこうというだけの話で。
実のところ、映姫も橋姫の生い立ちを知りたい。おとぎ話の登場人物に話を伺える機会などそう巡ってこないのだから。
「……小町の、専門ではないでしょう?」
小町は単なる水先案内人であり、仙人を殺す実働部隊ではない。わざわざ出向いて始末するのは別の死神のやることだ。
「私は四季様のお付きですから」
ただし、四季映姫の部下の中で、一、二を争う実力者であり、そのため、四季映姫の下に置かれている。……四季映姫の許可さえあれば、他の部門に対して越権行為をしても問題はほぼ生まれない。今まで少したりともしなかっただけで。
「それに、死した者の魂を運ぶのは私の役目でしょう」
橋姫は、殺すまでもなく死んでいる(と解釈が可能)だから、橋姫の魂を運ぶのは船頭の仕事かもしれない。
「ならば死んでいません」
前述した通り、映姫の直属でもある彼女は映姫の許可なしに動いてはいけないことに建前上なっている。
「言い訳はよくありませんよ映姫様」
「どの口が言うのよ」
叩かれ待ちをする小町を無視して先へ進もうとした映姫の耳に、おぞましい罪人の声が聞こえた。
「後悔するぞ」
それは、先程気絶したキスメの声だった。死神が持っていた桶から起き上がり、目をかっ開いて映姫を睨み付けた。閻魔に仕事をさせたくない者も居るのだ。
「あ、そ」
「パルスィに何をす――」
「ああそうだ! かわいそうだし地上に返してあげよう」
小町の姿が一瞬消え、再び現れた時には桶と桶の妖怪は消えていた。
独裁国において行政が一市民の都合など気にする必要も無い。歴史はスタジオで作られるし、気に入らない歴史があれば焚書だって可能だ。文屋にとってオイシイ歴史なら、取られる前に食べてしまえばいい。小町は邪魔者を地上のどこかに投棄してしまった。釣瓶落としが98季にやらかしたため地底に封印されて以来、久々にそいつが久々に地上で観測されたとしても、それは二人のあずかり知らぬ所である。
二人は妖精を蹴散らしながら降下していた。しかし、地面まであと数十メートルといったところで、行き足は止められた。というのも、縦穴に築かれた町の入り口に、疑惑の目をした集団が待ち構えていたから。
「大層なお出迎えですよ、映姫様。どうもよそ者は嫌われているようで」
「小町のせいですね。どこから?」
「分かりませんけど、どこからか漏れ伝わっていたのかもしれません」
「そう。橋姫は慕われているみたいですね、もう白でいいのではないですか?」
「もはや覆水は盆に返りません。映姫様、進むしかないのです」
閻魔は珍しくも、規律を曲げて逃げようとした。死神もまた珍しくも、御高説を垂れた。
「――侵入者、だなんて言われたから来てみたら、地上からの客だなんて珍しいではないの。どなたかしらね?」
「是非曲直庁に所属する、ザナドゥのヤマ。とでも表せましょうか。四季映姫と申します」
「おや、噂の」
「是非曲直庁最高裁判長四季映姫・ヤマザナドゥ付与力兼死神部船頭課課長小野塚小町にござい」
「そのような役職を与えた覚えはありませんが」
ヤマメには、来訪者である二人が、あたかも会話中に目を合わせてくれない相手のように思えた。自己紹介をされているはずなのに、そうは思えない。
「つまるところ閻魔様一行かね? 説法はご勘弁だよ。……ああ、私はヤマメ。ここの町を取り仕切らせてもらってる」
「その認識で構いません。……今日は休暇ですので、少しばかり観光にと」
「おお? 地底は誰も拒まないよ。好きにしたらいい」
ぶっきらぼうに言い切ったヤマメは、後方に陣取る土蜘蛛達に目配せした。おずおずと、槍やクワ、タケノコを持った連中が各々の住処へとはけていく。
「……それではこれで」
「待った待った」
そそくさとその場を抜けようとした二人は、ヤマメに行く道を封じられた。ヤマメはにやりと不敵な笑みを浮かべ、堂々と仁王立ちする。
「地底には名所が多いとは言うが……今は祭りもない。荒くれ者にはちょいとつまらないと思わないかい? 閻魔には分からないかしら?」
「分かりませんよ」
閻魔と土蜘蛛の住む場所は全くもって違う。それゆえ、ヤマメの望む答えは返ってこない。ヤマメの左眉がぴくりと跳ね、次いで二の矢が放たれる。
「へぇ? 真面目だね。それじゃ損ばかりじゃないか」
「いいえ。死後の世界は広いのですよ。分かりませんか?」
閻魔は彼女の言葉を的外れと言いたいのか、懐に構えた悔悟棒を左手にはたりと倒した。
「あらあら、それじゃあ私達は罪を重ねるために生まれてきたみたいじゃないか」
「まさか。あなたが考えることではありませんよ」
映姫としては閻魔として助言をしたつもりだが、あまりにもコミュニケーション能力に欠如している物言いがどのような結果をもたらすかなど想像に難くない。ヤマメの右手がぎゅっと閉じられ、殺す気がみられない殺意が鈍く閻魔に向けられる。
「……よしわかった! 通さん! かかってきな!」
ヤマメの手招きに閻魔はふいと顔をそらした。
「失敗しました。後はよろしくお願いします」
部下に用件を伝えた彼女は体を滑らせて猛毒のシャワーを躱し、代わって閻魔の衛兵が土蜘蛛の前に立ちはだかる。
「悪いね、うちの上司が」
小町は銭を1つ、指でピンと弾いて、土蜘蛛に飛ばした。
「いやいや、長生きしたいと改めて思ったよ。閻魔の説法とは良いものだね」
土蜘蛛は糸でその銭を絡め取り、塵を捨てるようにそこに放った。赤と青の弾幕が、返事として返される。小町は右へ左へふわふわと弾幕を躱し、隙をみて的確に弾を撃ち返す。小町の弾幕はヤマメの糸によって止められるか、はたまたぬるりと躱されるかして、1つとして当たることはなかった。強者の間で行われる闘いとしては、あまりにも間延びであった。
このやりとりがいくつか交わされた後、はたりと弾幕が止んだ。口を開いたのは同時だった。
「「気乗りしないならいいよ?」」
今度は動きすらも止まった。ふぅ、と吐いた息はどちらのものだったのか。
「投銭『宵越しの銭』」
「罠符『キャプチャーウェブ』」
ヤマメを中心に、小町を絡め取ろうと弾幕が開いては閉じ、やがて暗い闇に腐って落ちていく。小町に向かってくるその全ての網は、彼女によって容易く切り分けられ、1つとして捕らえることはなかった。錆びた銭がばらばらと闇の中へ消え、ときおり壁面にぶつかって、大粒の雨音をなす。下では、物珍しさに住民がその銭を拾い集めていた。
ヤマメが後で数枚勇儀にやろうか、と考えていたその時だった。ヤマメの目に光るものが見えた。
反射的に弾を撃ち込もうとした。
その瞬間には、それは目の前にあった。
それは、小町の鎌だった。
「あーっ! 負けだ負け!」
殺意が見えない鎌の先には、銭がふよふよと浮いていた。どう体を捻ろうが、ヤマメに当たっていたに違いない。
「……まあ、勝ちは勝ちかな」
ヤマメの目と鼻の先にあった鎌はすぐさま遠ざかり、隠れていた小町の渋い顔が出てきた。ヤマメの表情とそっくりだった。
「苦い顔になるのは分かるけどさ、閻魔は悪者じゃないよ」
「それは分かっているんだけどねぇ」
「説法なんて忘れた方が良い」
「……善処するよ。気が向けば蜘蛛の糸でも垂らしておくれ」
「あんたには必要ないかな」
そう言い残して小町は映姫の元へ飛び去った。ヤマメは彼女がその場から去った後も、少しばかり何かを考え込んでいた。
「私の説法は忘れた方がいいと」
「違うんですよ映姫様聞いてください。……そう、彼女は己の信念を持っておりました」
「絶妙に非難しにくい言い訳を作らないでよ。いつもみたいにしょうもない言い訳を作ってちょうだい」
所変わって地底に足を踏み入れた二人は、土蜘蛛らの町を踏み越え、静かな洞窟をふわふわと浮かびながら進んでいた。土蜘蛛らはヤマメがやられたのを見て、姿を隠した。言葉も分からないような有象無象がときおり音も無く這い出るが、それは二人の敵ではない。
小町がその有象無象を切り伏せたので、会話に奇妙な間が空いた。
「嘘なんて、そんな。その通りでしたから」
「あんなものを信念と言わないでください」
「確かにそうですけど……お、橋だ」
「全く……」
露骨な話題の逸らし方に、映姫は肩をすくめたが、わざわざ話題を戻すことはしなかった。
橋は完璧に補修されていた。欄干は朱色に染まり、板材は色まで揃えてあった。橋向こうは大都市の炎が煌々と輝き、煙と蒸気がその光を散らしていた。