雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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おまけと順序がズレましたがヨン様篇終幕です
細々した伏線回収回と、あと色々。

大作ヨン様篇もこれにておしまい。
長い事、応援本当にありがとうございました!

そして来年より三が日中に新章を開始します。
そちらもどうぞお楽しみに!



エピローグ

 

 

 

 

 

 

 

 

「────判決を言い渡ァす!」

 

 

 尸魂界(ソウルソサエティ)の中心、瀞霊廷。

 

 あらゆる霊なる者を司る死神の司法的頂点にして最高意思決定機関『中央四十六室』。先の乱より再建された中央地下議事堂にてこの日、乱の首謀者の罪を問う裁判が開かれていた。

 

 元五番隊隊長・藍染惣右介。

 尸魂界反逆、禁忌の魂魄実験、そして最たるは四十六室虐殺。有史以来の大罪を犯した巨悪に下される刑もまた、勇気ある前例として永遠に三界の歴史に刻まれる判決だった。

 

「この者を地下監獄最下層・第八監獄『無間』にて二万年の投獄刑に処す!!」

 

『おぉ…!』

 

 傍聴席の歓声に、悲願成就の笑みを深める四十の賢者と六の裁判官。その上位一席に座る小さな人影──阿万門(あまかど)ナユラは、無言で罪人を睨んでいた。

 

「…藍染惣右介」

 

 四大貴族綱彌代(つなやしろ)家初代当主の傍系に当たり、大霊書回廊の筆頭司書を代々務める上級貴族"阿万門家"。長女のナユラが幼くして賢者の一席に就く羽目になった原因こそが、目の前で被告人とは思えぬ傲岸不遜な態度を貫く男だった。

 

 

「────ああ、済まない」

 

 

 判決が下った時、どこか遠くを眺めるように目を細めていた藍染惣右介が口を開いた。

 

「少々面白い事になっていたのでね、雑音と聞き逃してしまったようだ」

 

「貴様…!」

 

 暗にお前等など眼中にないと述べる男に場が色めき立つ。その燻る火種へ、大罪人は気だるげに油を注いだ。

 

「して、忘憂の団欒は終わりかい?」

 

『……ッ!!』

 

 一瞬の沈黙の後、議事堂内は怒り狂った貴族達の唾吐猿叫で溢れかえる。賢者の名に到底相応しくないそれらを一身に受ける渦中の男は、常の冷笑を浮かべる手間も惜しみ、まるで駄作の劇でも見ているような冷めた声で呟いた。

 

「…成程。役者未満の囃子(はやし)風情がこの私に"判決"か」

 

 

 ────些か、滑稽に映るな。

 

 

 一瞬で頭に血が上る。ナユラは「父上の墓前で詫びろ!」と感情任せに立ち上がり、されど周囲の大人たちの比較にならない大罵詈雑言に思わず怯んで憤りを吐き出す事は叶わなかった。

 

「黙れ大逆人めがッ!!」

 

「おのれ、不死であるからと図に乗りおって!」

 

「何をしている! さっさと眼と口にも拘束をかけろッ!!」

 

「反省の余地なし!! 刑を二万五千年に──」

 

「────!」

 

「──」

 

 

 

 裁判が終わり、議事堂を後にしたナユラは精一杯の大股歩きで周囲に不機嫌を主張する。

 

 新四十六室に就任して早一月、幼い身に阿万門家当主の責務は背負うにあまりに重かった。

 亡き父はナユラに優しかったが、決して良い貴族ではなかった。抱いていた尊敬も引継ぎ時に見つけた数多くの汚職で粉々。憧れの四十六室もくだらない目先の保身を堅持するための茶番と知った今、大人の汚い世界に引き摺り込まれた哀れな童女は、政全てに対する嫌悪感で常にイライラしていた。

 

「──心を乱してはなりませぬ、司書長」

 

 ふと背後より聞き慣れた声が掛かり、ナユラは慌てて振り向く。相手は新四十六室就任の折に随分と世話になった中年の賢者だった。

 

「! おじさ──か、管ノ木(かんのぎ)殿…」

 

「ふふ、久しゅうございますな。愚息が瑠璃千代(るりちよ)嬢と共に心配しておりました故、お顔を拝見せねばとお引止めした次第」

 

「瑠璃のやつが…」

 

 同年代の友である霞大路(かすみおおじ)家の令嬢。男の嫡男は友の婚約者であり、そのつながりで色々と甘えさせて貰った恩がある彼にナユラは恐縮する。

 そんな管ノ木が本題に入ったのは十分程の談笑の後、緊張も解れた頃だった。

 

「時に司書長。私は午後の会議への出席は控えさせて貰いますが、貴女は如何か?」

 

「…さて、妙な事になっていると聞いておりますが」

 

 やはりその話かと眉を顰めるナユラ。

 

 彼女の言う"妙な事"とは先日通達があったもう一つの裁判の中止である。藍染惣右介と密接に関わっていた()()()()()()の尋問が、突然取り止めとなった異例の一件だ。

 

 不愉快そうなナユラを見た管ノ木は苦笑し、直後真剣な顔で彼女へ忠告した。

 

「司書長。老婆心ですがこの件に関わる事はお控えなされたほうがよろしいかと」

 

「なれど──」

 

「司書長」

 

 管ノ木の無言の注意に童女は押し黙る。

 

「…ナユラ嬢、貴女は上級貴族"阿万門家"の当主となられたのです。あらゆる言動に責任が宿る。あの会議に出席するとは即ち、決定に異議を唱えるのと同義に御座いますぞ」

 

「……」

 

「私も兄を藍染一派に奪われた身ゆえ、思う所は多う御座います。されど"君命"に背く貴族は貴族ではない。ナユラ嬢もゆめゆめお忘れ無き様」

 

 最後にこちらを慰めるような、痛みを分かち合う悲しい笑みを浮かべ、男は一礼の後に去って行った。

 

 童女はその背をバツが悪そうに見送る。

 管ノ木の想いは些か筋違いだ。彼のように家族の死を悲しむ日々はとうの昔に過ぎている。ナユラはただ喪失感の僅かな残滓と、藍染への正当な怒り、そして何より理想と現実の巨大な差異に気が立っているだけだ。

 

 全ての死神の模範となる賢者。

 青臭い子供の夢と言えばそれまでだが、聡いナユラは管ノ木と同じく、此度の反逆騒動が自分達四十六室の不甲斐ない現状が招いた下々の革命である事に漠然と気付いていた。

 この話はただ"藍染の凶行"だけで終わらせてはならない。筆頭司書でありながら自分達貴族の権威権力の大義正当性を一切知らないナユラは、第二第三の藍染が生まれぬよう、この機に世界の秩序の奥底に触れる決意を固めた。

 

「…爺、綱彌代本家に使いを出せ」

 

「ご当主様…?」

 

「ただの協力要請よ。あの情報通共の事だ、どうせ既に動いておろう」

 

 迎えに来た家臣に指示を飛ばし、童女は牛車に腰を下ろして考える。

 

 藍染惣右介は言っていた。"面白いことが起きた"、と。

 何故知り得たのかはさておき、その台詞の意味にナユラが思い至った事柄は一つだけ。

 

 神妙に「関わるな」と注意してくれた管ノ木とは袖を分かつ事になるが、阿万門家の当主がこの一件の真相を放置する事の方が問題だった。

 

「私は大霊書回廊を預かる者として此度の特例の背景を知らねばならん」

 

 そう、君命には背かない。ただ前例として経緯を調べるだけ。

 

「一体なぜ…」

 

 

 

 ──"王属特務"が、雛森桃(ひなもりもも)を庇うのかをな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瀞霊廷、護廷十三隊一番隊隊舎。

 

 隊舎門へと続く廻廊を大股で進みながら、隊首羽織の少年──日番谷冬獅郎は胸中の暗い感情を霊圧ごと辺りに撒き散らしていた。

 

「…隊長、他隊の隊士達を威圧しないでください」

 

 耳に届く副官の声で何とか気を落ち着かせたが、それでも憤懣は溜まったまま。理由は先程の隊首会にあった。

 

 

 先日、護廷隊の隊長八名が破面(アランカル)軍の残党を支配下に置くべく虚圏(ウェコムンド)へ追撃した。これ以上の虚勢力の無秩序は三界の魂魄バランスに深刻な影響を齎すと、総隊長自ら率いた隊長部隊。

 だがその結果、護廷隊は想定を遥かに凌駕する悪夢を見る。

 

『破面共が完全復活していただと!?』

 

『…ああ。どうやら崩玉の力で予め彼等を蘇生させる用意があったようだ』

 

 作戦不参加だった冬獅郎にとっては全てが寝耳に水。奴等が生きているなら慕っていた雛森をまた奪いに来るのではと焦る少年だったが、事態はそんな次元の話を優に超えていた。

 

 

 ──雛森桃の崩玉が自我を持ち、破面達を統率している。

 

 

 それは涅マユリの上げた仮説。何やら特殊な製造方法で生み出されたらしいあいつの崩玉は、人と同等以上の意志を、欲を、理性を持ち、藍染の後釜に収まっている可能性が高い。更には三界のどれにも属さない極めて稀有な【叫谷(きょうごく)】を拠点としており、剰えあの零番隊と何らかの協定を結ぶ程の重要な勢力へと成り上がっていた。

 

 そしてその協定の一つであると思われるのが、霊王宮より下った雛森桃の無罪判決。

 

『調べたが破面共が死にすぎたせいで随分尸魂界と現世の界間距離が狭まっていたヨ。連中を蘇生させる事は零番隊も推奨している筈だ。どちらの提案なのかは知らんがネ』

 

 恐らく例の崩玉が【叫谷】へ移住したのは破面達を虚圏(ウェコムンド)から引き離し、零番隊への半永久的な交渉材料とするため。あれほど大量の大虚(メノス)の霊圧が虚圏から消えれば三界の魂魄バランスは大きく揺らぐ。

 小娘(ひなもり)一人の去就を弄るだけで魂魄均衡を維持できるのなら、価値観が神目線な零番隊は二つ返事で了承するだろう。裏切られたなら相手を殺し、破面達を虚圏へ連れ戻す手間をかければ良いだけなのだから。

 また逆説的に例の【叫谷勢力】も零番隊を相手に度の過ぎた要求を呑ませるのは難しい。

 

『まァ雛森桃の減刑は奴等の挨拶みたいなものだろうネ。零番隊から何かしらの譲歩を引き出し、世界の一勢力と認めさせた。その事実が外交上大事なのだヨ』

 

 故に下部組織たる護廷十三隊が叫谷勢力へ攻勢をかける事は越権行為となり、連中は尸魂界との戦争を終わらせるという目的を遂げた。そう涅マユリは推理していた。

 

 

『…よかろう。零番隊に確認を取った後、我等護廷十三隊はこの件より手を引く事とする』

 

 

 総隊長が決断し、会議は終わった。

 

 だが、誰もが胸の内に憤りを溜め込んでいる。

 結果としてみれば裏切り者は捕らえ、護廷の勝利。殺してはならなかった敵も復活し、こちらの被害も死者無し。新たな敵指導者も三界の秩序に協力的な存在となった。

 それでもあんな凱旋を見せられた後では、自分達こそが勝者なのだと誰も断言できなかった。

 

 そんな彼等の感情は当然冬獅郎も気付いている。彼もまた不満を抱く者の一人。自分ではなく零番隊が雛森を裏で庇護しているらしき話も勿論、自我を持つ崩玉の事など、彼女を取り巻く環境が極めてきな臭くなっている。

 

 周囲の心無い者達はそのやり場のない憤りを雛森にぶつけるだろう。それは面子を潰された貴族共だけではなく、護廷十三隊も同じだ。

 敵と通じているのではないか。一度裏切った者に忠誠心は期待出来るのか。雛森を調べれば敵の情報が手に入るのではないか。誰もが考える事だ。

 

 そして何より。

 孤独なあいつを守れるのは自分だけなのだと、微かな優越感を抱いてしまう子供な己自身が、冬獅郎は心底憎くて堪らなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 瀞霊廷、護廷十三隊四番隊隊舎。

 

 広大な敷地の端に、特別治療棟と呼ばれる離棟が佇んでいる。疫病や精神汚染、または政治的な理由など、通常の負傷者とは扱いが異なる患者のために設けられた施設だ。

 五番隊と十番隊による物々しい警備が敷かれた離棟の門前では、四十六室の使者等と護廷隊隊士達の激しい口論が日夜繰り広げられていた。

 

 

「……松本、少し黙らせてこい。うるさくて仕事が出来ねえ」

 

 その窓外の光景を背に、病室の机で書類に筆を走らせる冬獅郎は、隣のソファーでごろごろしていた副官を部屋から叩き出した。

 

「えぇ~? お貴族サマの御機嫌取りとか副隊長が当たる仕事じゃないですよぉ」

 

「嫌ならお前がこの溜まった隊士人事の書類を──」

 

「行ってきま~すっ!」

 

 あせあせと書類の山から逃げ出す松本乱菊を見送り、冬獅郎はやれやれと溜息を吐く。

 時折塞ぎ込むものの、彼女の顔はどこか晴々としている。恐らく昔馴染みの市丸ギンとの蟠りを多少なりとも解せたのか。真相は別だと察しているが、副官本人から「逃亡する瀕死の市丸と流魂街で交戦し相討った」と報告された以上見て見ぬフリをしてやるのが人情である。

 

 もっとも苦笑しているのは松本もお互い様だろう。総隊長命令に割り込んでまで五番隊との合同警備任務を勝ち取ったのは、完全に冬獅郎の私情に由るものだ。

 その私情の向く先にいる病室の主人の下へ、一人残された少年は歩み寄る。

 

 

「雛森…」

 

 

 寝台に横たわっているのは、可憐な眠り姫。冬獅郎が命を賭して取り戻した大切な幼馴染──雛森桃だ。

 

 あの地獄の日々が終わり、そろそろ一週間が経とうとしている。

 四番隊隊長・卯ノ花烈直々の治療で雛森の傷は一つ残らず完治した。それでも彼女が目を覚まさないのは精神的な消耗、心の傷が大きいからだと卯ノ花は言う。

 

 あの時、死の縁にて雛森が零した本音を思い起こし、少年は沈鬱な気持ちでその白い手を握った。

 

 

 ──こうなると思ってた。

 

 

 彼女が正気を取り戻した時、冬獅郎に助けを求めた時、そこにどれほど必死で強い想いがあったのか。その想いがまたしても裏切られ、縋った救いそのものに胸を突き刺された時、あいつはどんな気持ちだったのか。

 

「…ッ」

 

 ズチャ…と。少年の手に彼女を突き刺してしまった時の、あのおぞましい感触が想起される。一生忘れる事のない、最悪の悪夢。

 

 どれ程謝罪を重ねようと決して許される事ではない。だけどきっと、こいつは…雛森桃はそれさえも許してしまうのだろう。

 

 全てを諦めたような虚ろな目で、それでも自分を抱き締める無力な冬獅郎へ必死に笑顔を向け、「ごめんね、大好きだよ」と、少女は言った。

 幼子を安心させるように"恨んでないよ"と、"辛くないよ"と、青褪める少年の心を少しでも軽くしようと、最後に少しでも良い思い出になるようにと、少女は微笑んだ。

 もしかしたら、それは彼女の年上としての細やかな意地だったのかもしれない。残される弟分に姉の悲運を背負わせて堪るものか。なんて、このアホ桃なら考えそうなことではないか。

 

「馬鹿野郎…」

 

 少女の手を固く握り、冬獅郎は呟く。罵倒にしては随分と湿った、か細い声。

 

「あんな笑顔で…心が軽くなるワケ……良い思い出になるワケねえだろ…」

 

 不味い、ダメだ。ずっと蓋を閉じて抑え込んでいた想いが、見つけた小さな罅割れから外へ出ようと殺到していく。

 

「何が…"ごめんね"だ……! 何が…"お前は生きろ"だ…ッ」

 

 溢れ出した感情が止まらない。

 

「何が…! なにが……」

 

 よせ、止めろ。冬獅郎は勝手に開く口を必死に閉じようとする。

 だと言うのに。

 

「なにが……"大好きだよ"…だ……」

 

 止まらない。止まってくれない。

 

 …そんな言葉、あんな時に聞きたくなかった。あんな血だらけで、命の火が消える寸前の、最期の言葉のような形でなんて。

 

 "大好き"、なんて。

 そんなのずっと。

 

 ずっと前から…

 

 

 

 

 

「──俺の台詞だ、馬鹿野郎…ッ」

 

 

 

 

 

 擦れる悲鳴のようなその言葉が、二人きりの病室に溶けていく。まるで世界に新たな色を加えるかのように。

 

「何も…知らねえクセに…! 俺の気持ちなんて、全然…これっぽっちも見てくれねえクセに…ッ」

 

 一度口にしてからはもう止められなかった。

 視界がじわりと滲み、握り締める雛森の手が微かに軋む。

 

「アホ桃のクセに…年上だからってカッコつけてんじゃねえよ…! 俺のことガキ扱いしてんじゃねえよ…!」

 

 見つめる少女が水面のようにゆらゆらと揺れる。

 

「俺だって…! 俺だって……」

 

 嫌と言うほど思い知らされた。何度助けようと手を伸ばしてもダメだった。取り戻せたのだって、黒崎一護に尻を叩かれてやっとだった。

 どんなに背伸びしようと、護ろうとしても、自分はいつまでもこいつの頼りない弟分。藍染の言うように、所詮は雛森に"庇護される子供"だったのだ。

 

 …だけど。

 

 

「こっち…見ろよ…」

 

 だけど、今だけは。

 

「寝てちゃ…言えねえだろ…」

 

 無防備なお前に寄り添い、誰よりも近くで護る今だけは。

 

「…俺にも…お前に…ッ」

 

 

 

───〝大 好 き〟 だ っ て

 

          言 わ せ て く れ よ

 

 

 

 お前を、ただの女として護る、一人の男なんだ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 室内に虚ろな沈黙が戻る。

 

 積年の淀みを吐き出し、力なく項垂れる冬獅郎。あまりに惨めな、自分の情けなさを棚に上げた告白に羞恥と自己嫌悪が沸き上がる。

 

 ホント、あの冬の月夜から何一つ成長していない。眠る女が相手でもこんなみっともない言葉しか送れないのかと臆病な己に溜息を吐き、涙を拭った少年は最後にもう一度この朴念仁のアホ面を睨んでやろうと顔を上げた。

 

 

 

「───ふぇ…?」  

 

 

 

 そう。

 丁度目の前にある、茹で上がったタコと豆鉄砲喰らったハトを掛け合わせたようなこいつのマヌケ顔を…

 

「…………え?」

 

 待て、何かおかしい。

 そう気付いた冬獅郎は霞む眼を再度拭い…

 

 

「────ぁ…」

 

 

 ばっちりと、寝台から見上げるまんまるとした琥珀色の──雛森桃の潤んだ瞳と視線が交差した。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 一瞬、世界から音が消え。

 次に、世界から時が消え。

 最後に、全てを悟った冬獅郎は、顔面がぶわっと七色に乱回転した。

 

「ひっ! ひなっ! もっ! ひな、な、なななな!!?!?」

 

「えっ、あ、あぇっ…? あ、あたし…なんで、いき…て…? って、し、シロちゃ、すっすき…って……えっ?」

 

 病室の静寂を粉々に破壊する大混乱。

 無様な告白を聞かれた羞恥と失態、目覚めの歓喜と、無数の感情で飽和する冬獅郎。黄泉より戻った奇跡に困惑中、更に突然弟分の熱烈な恋心を聞かされた雛森。

 叫声響く空間で二人の狼狽は頂点へ。あわあわ「シロちゃんは子供なのに」だの「好きってどういう」だの「自分は死んだはず」と呟く少女を相手に、トチ狂った少年は全部なかった事にしようと彼女が隠れる布団を剥がし掴みかかってしまった。

 

「────雛森ィ!!」

 

「ッきゃあっ!?」

 

「ま、幻ッ! 全部幻だ! 幻だ幻!! 忘れろ雛森!」

 

「えっ! やっ、ちょ、シロちゃ、ち、ちか──」

 

「てめえは起きたばっかでヘンな幻を…っておい聞いてんのか!?」

 

「やっ!? だ、だめ、ちか、き、キスっ…き────」

 

 寝台に押し付けられ真っ赤な少女が突如キュゥ…と鼠のような悲鳴を零し、強張る体の力が抜ける。

 

 

「──ッは? お、おい雛森? 雛森!? 雛森ィィィィ!!」

 

 

 華奢な両肩を掴み前後に揺するも反応なし。頭から煙を上げながら目を回している彼女を見て流石に乱暴にし過ぎたと慌てる冬獅郎。

 

「す、すまん…そ、そうだ四番隊! まっ、待ってろ雛森、いま人を呼んでくっからな!」

 

 立て続けの失態に居たたまれず、動揺しきった少年は待機医へ連絡するのも忘れ、とりあえず互いに落ち着くまで専門家の卯ノ花に丸投げしようと逃亡を決意した。

 

 

 病室を瞬歩で逃げ出し、冬獅郎はふらつく頭で四番隊隊首室へ向かう。

 

「……」

 

 無言で進む少年。歩を重ねる度その顔から混乱は薄れ、最後に残ったのは、純粋な歓喜の紅潮だった。

 

 脳裏をあいつの顔が巡っていく。昔と同じ馬鹿っぽく、だけど昔とは違う、羞恥に戸惑う赤い顔。霊術院であいつを虚から護った時よりずっと意識し続けてきた冬獅郎に、彼女が自分に向ける感情の差異を見逃すはずがない。

 

「……~~~~ッッ!」

 

 表情が崩れる。吊り上がる口角が戻らない。

 

 ああ、ホントに。

 俺はなんて、なんて長い遠回りをしてきたのだろう。

 

「アホ桃のクセに、手間かけさせやがって…っ」

 

 抑えきれない高揚感が全身から零れ出す。羽の様にふわふわする体に戸惑いながら、少年は足取り軽く隊舎の縁側を跳ねる。晴々とした晩秋の蒼天も、吹き抜ける冷たい木枯らしも、全てが美しく心地いい。

 

 取り戻した。

 目を覚ましてくれた。

 俺の気持ちを意識してくれた。

 

 ようやく始まるんだ。ずっとずっと欲しかった、あいつが隣にいる日常が。

 

 

「覚悟しろよ、雛森…っ!」

 

 

 あいつを悲しませる問題は未だ山積み。例の崩玉が率いる【叫谷勢力】。零番隊との密約。裏切り者の疑惑。どれも一筋縄ではいかない難題だ。

 

 それでも、冬獅郎は逃げない。

 もっともっと強くなって、漢として大きくなって、護れるようになって、どんどんあいつに意識させて。

 

 いつか必ず、その心と笑顔を手に入れてやるんだ。

 

 

 

 その決意を胸に、恋する少年──日番谷冬獅郎は悲願を新たに拳を天へ突きあげるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニ チ ャ ァ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《──以上がお前の任務となる》

 

 

 現世は空座町。

 

 茜色に色付く空の下、空座第一高等学校の校門脇に小柄な少女が立っていた。誰もが振り返る整った顔立ちの彼女は、されど不自然なまでに人の注目の外にいる。

 

 少女の正体は死神。あらゆる霊なる者を司る魂魄種の一人である彼女──朽木ルキアは、ある任務のため本来の期間を過ぎてもこの町に滞在していた。

 

「ですが……ですがそれでは一護の気持ちが…っ」

 

《わかっている、朽木。だがこれは総隊長命令でもあるんだ。あの人は一護君に、元の人間の生活に戻ってもらう事が一番の幸せだと信じている》

 

「……っ」

 

 感情を押し殺すような上司の声に何も言い返せず、ルキアは切れた通信端末をコートの懐へしまい込む。任務の対象、霊界の英雄である黒崎一護との付き合いでこの現世風の装いにも馴染んだが、恐らくこの仕事が終われば二度と着る事は無くなるだろう。

 些細な切っ掛けで思い出した来たる別れの時を、少女は深く、深く惜しんでいた。

 

 

「───何してんだ、ルキア?」

 

 

 桜色のマフラーに顔を沈めていると、ふと男の声に名を呼ばれた。散々待たされた相棒へジト目を向け、女死神は一言棘を指す。

 

「…遅いぞ一護、もう放課後ではないか」

 

「サボってた授業の補習だよ。てめえこそ何でまだ現世に居んだよ? なんか知んねえけどゴタゴタしてるんだろ、尸魂界(ソウルソサエティ)

 

 呑気な声色で痛い所を突くな。ルキアは一瞬言葉に詰まるも即座に「休暇だ、莫迦者」と取り繕う。何故死神が現世で休みを過ごしているのか不思議そうに首を捻る鈍感な一護に、これは井上の奴も苦労しそうだと友人の恋路を思い二度目の溜息。

 

「…貴様、また無茶をしたらしいな」

 

 気を取り直し少女は本題に入る。

 

「無茶? って何だよ?」

 

「ッ、(ホロウ)退治だ! あれ程止めておけと言ったのに、全く…!」

 

 思わず声を荒げてしまうのも許されよう。この眼つきの悪い人間の青年は先週、世界の命運を分ける神話も同然の大決戦を戦い抜き、ルキアら秩序の勢力に勝利を齎した大英雄である。だが戦いの代償は大きく、力を使い果たした彼の霊力は今や二人が出会った当初の平隊士未満にまで衰えていた。

 そしてその僅かな残滓さえ、もう長くは…

 

「しゃーねえだろ、俺が一番あの虚に近かったんだから」

 

「そんな事…!」

 

「あーもう、ウダウダうっせえなぁ」

 

「"うっせえ"っ!?」

 

 人の負い目や心配になんと無神経な。小一時間でも説教できると地団駄を踏むルキア。

 だがそんな彼女の不満は、町を眺める青年の爽やか笑顔に掻き消された。

 

「…前に言っただろ。何のために戦うのかってよ」

 

「…ッ」

 

 一護の言葉が少女の胸を締め付ける。かつて虚に襲われ一蓮托生となった彼に力を分け与えてから、二人の関係は始まった。死神と人間、守護者と庇護者。ルキアはそうあるべき定めを、彼の運命を大きく捻じ曲げてしまった。

 

 どうやっても償いきれぬ。そう己の非を悔やむ女死神へ、一護は責めるではなく──感謝した。

 母を護れず無力を悔やんだ自分に、家族を、友達を、仲間を護る力をくれた事。そして黒崎一護は、彼女にこう言った。

 

 

 ──山ほどの人を守りたいんだ。

 

 

 あの最初の頃のぬるま湯のような日々から、それこそ人生が二転三転してもおかしくない激闘が幾つもあったはずなのに。この底抜けのお人好しは、まだあの青臭い夢を胸に戦っていたと言うのか。

 その揺るぎない覚悟と信念にルキアは圧倒される。

 

 それが、彼女らしからぬ隙となったのか。

 

『…!』

 

 突然鳴り響いた通信端末に、ハッと遅れて我に返る女死神。だがその間に、庇護されるべき人間の一護は立ち上がっていた。

 人を喰らう悪霊──(ホロウ)が町に現れたのだ。

 

「この霊圧…近い!」

 

「ッ、な…ま、待て一護!」

 

 咄嗟に右手の代行証を胸に当て、体から死神の霊体を弾き出す青年。魂なき彼の肉体にのしかかられた少女は足が止まる。

 

「一護…」

 

 瞬歩(しゅんぽ)も使えぬ衰えた身で我武者羅に走る相棒の後ろ姿を、ルキアはただただ見送る事しか出来なかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 戦っている。

 一護が、名付きですらないただの虚と。

 

 斬り付ける傷も浅く、一度攻撃を受ければ蹴鞠のように飛んでいく。這い蹲りながら手放した斬魄刀の下へ行き、ふらつく体で何度も何度も敵へ立ち向かう。

 かつての彼であれば霊圧を少し高めるだけで消し飛ばせる程度の雑魚を、相手にして。

 

 そんな彼の、見るに堪えない無様な姿を、ルキアは目頭に湧き上がる熱を堪えて最後まで見守った。

 

 見ろ、世界よ。貴様を護った英雄の、真の姿を。

 何度折れようと、力を失おうと、そこに己の握る剣があるのなら、黒崎一護は立ち上がる。その心のなんと気高い事か。その背中のなんと勇ましい事か。

 

『オォォォォォ──』

 

「ぐあっ…!? く…そっ」

 

 振るう敵の尻尾に体が反応出来ず、手痛い一撃を受けてしまう青年。ルキアは今にも飛び出さんとする己の体を必死に抑え、彼の勝利を祈り続ける。

 

 惨めと罵る者あれば名乗るがいい。

 哀れと蔑む者あれば名乗るがいい。

 

 そんな痴れ者を私は絶対に許さない。地の果てまで追い掛けて斬り殺してやる。彼の誇りを穢す者を、この朽木ルキアは、断じて。

 

「だアアアアアアアアアッッ!!」

 

「…!」

 

 敵の蹴撃を紙一重で躱した一護が、その股下を潜り背後を取る。

 そして飛び上がった彼が虚の後頭部を一太刀でカチ割った時、ルキアは涙が滲む程の誇らしさで胸が一杯になった。

 

 …全く、馬鹿なクセしてそんな事は覚えているのだな。

 

 敵を倒した一護が地面に大の字で倒れ込む。彼に気付かれないよう目元を拭い、少女は英雄の下へ駆け寄った。

 

「…遅えぞルキア。もう俺一人で倒しちまったよ」

 

「五月蠅い。わざわざ貴様の抜けた肉体を運んでやった心優しい私にその口の利き方はなんだ」

 

「おう、サンキューな」

 

 清々しい顔で笑う一護。張り裂けそうな胸の痛みを無視し、ルキアも努めて笑顔で彼の傷を癒す。

 五秒とせずに回道で回復しきった、青年のなけなしの霊圧。その意味を言葉にするのは最早無粋だろう。

 

 全てを悟った少女は、膝の上で安らかな寝息を立てる相棒の顔を、夜が更けるまでいつまでも見つめ続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「────そうか…」

 

 

 …そろそろなんじゃないかって、思ってた。

 

 

 翌朝。

 激しい発作の後に自室のベッドで目が覚めた人間の青年──黒崎一護は、昨日のルキアを筆頭に、茶渡泰虎、井上織姫、石田雨竜の四人より、真実を告げられた。

 

「外に出ていいか?」

 

 憐憫の顔で悲しみを分かち合ってくれる仲間達の気持ちが重く、一護は頭を掻きながらベッドを立つ。

 

 しがない街角クリニック、黒崎医院。平凡なサンダルで町に出た彼は、徐に辺りを見渡した。

 

 …霊の気配を、感じない。物心つく前からずっと身近にあった、幽霊の気配が。

 そして。

 

「一護…」

 

 隣で佇むルキアの気配も、少しずつ薄れて行っている。

 

 

 

 …本当に、俺の力は消えるんだな。

 

 

 

 気付けば家前の小道に、ルキアと二人きりになっていた。井上達が気を利かせてくれたのか、どこか最初の出会いを思い出させるような光景だ。

 

 

「お別れだ、一護」

 

「そう、みてえだな」

 

 

 彼女の顔は、澄んだ笑顔。俺の顔は…自分ではわからない。

 

「────フッ」

 

 不意にルキアが笑った。

 

「何だ、そう寂しそうな顔をするな」

 

「え?」

 

「貴様に私が見えなくなっても、私からは貴様が見えているのだぞー?」

 

「ハ、なんだそりゃ? 全然嬉しくねーよ」

 

「ほー?」

 

「あと、寂しそうな顔もしてねー」

 

 何かを紛らわすような茶化し合い。言い合う二人は自然と向き合い、言葉の切れ目で共に俯く。

 

「……」

 

「……」

 

 ふと、気付けば少女の袴の裾が塵のように消え始めていた。

 時間が、来たのだ。

 

「…ッ、みんなに…」

 

 目の前の大きな、大きな別れから目を逸らそうと、青年は咄嗟に言葉を探す。

 

「皆に、よろしく伝えといてくれ」

 

「……ああ」

 

 少女の体は、もう胸元までしか見えない。

 

 …そして。

 

 

 

──────ッあ…

 

 

 

 万感の想いの籠った、彼女の吐息が耳を擽り…

 

 

「────じゃあな、ルキア…」

 

 

黒崎一護の英雄譚は、   

    静かに幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 

───あ り が と う…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

制作・著作

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ⒽⒷⓀ

 

 

 

 




 

二次小説書いててこのシーンに気合入れないとか鰤ファンじゃねえんだよなぁ…(満足

それとナイスコメ貰ったので即採用…!



良いお年を…

 

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