雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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おまたせ
コメ欄で描写や表現の意図を気付かれるのって嬉しいような、伏せOSRカードが暴かれて悔しいような、そんな幸せな気持ちになりましたまる
みんないっぱいちゅき♡

チャド篇のチャド篇所以の回です

 


全部…決意さんが居たからじゃないか…!

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わからない

 

 

 

 

 

僕は誰だ

 

 

 

月島秀九郎(つきしましゅうくろう)    

僕の名前だ     

 

 

だけど、なら一体… 

 

 

この不安は一体なんだ

 

 

     わからない

 

 

月島秀九郎…?

 

 

……ちがう  

 

 

いや、違わない

 

 

わからない     

 

     僕には何も

 

 

 

何も────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ゲホッ…ゴホッ…!」

 

 

 鼻孔を逆流する強烈な刺激臭が脳みそを叩き起こす。自我も朧気な状態で、月島秀九郎は半ば錯乱しながら周囲を見渡した。

 

 雪緒(ゆきお)完現術(フルブリング)の世界。汚液がぶち撒けられた地面。掌から伝わる冷たい土の感触。近くに倒れ伏す瀕死の茶渡泰虎(さどやすとら)

 

 そして、他者の過去という無価値な世界を永遠に渡り歩く月島の、唯一の道標。遠くから感じる恩人の男の霊圧を認めた彼は、漸く自らの居場所を認識した。

 

(ぎん)(じょう)…?」

 

 そうだ。確か僕は彼の自殺行為を止める事に失敗して、黒崎一護一派と戦闘になり、この空間内でそこの泰虎(やすとら)に過去を挟み直した。そしてその時に何かに気付いて、誰かの【本】を探し、そして、そして…

 

 

「──ッ、お…ゔげぇえぇ…っ」

 

 

 突然、強烈な不快感が胃を襲った。堪らず吐き出した水分ばかりの吐瀉物に何度も(えず)く。

 

「ハァ…ハァ……くそっ」

 

 鎮まらない。心臓の動悸が、体の震えが、荒い息が。まるで魂そのものが抉り取られたかのような、戦慄する程の喪失感が胸の奥に住み着いている。

 

 何だ、僕の身に一体何が起きたんだ。だが思い出そうとすればするほど心が悲鳴を上げ、狂気が理性を蝕んでいく。

 

 銀城? XCUTION? 月島秀九郎?

 

 これは誰だ? この記憶は何だ? 本当に全部、この僕の本当の過去なのか?

 

 わからない。わカらナイ。ナニモ───

 

 

「うっ…」

 

 

 不意に、彼の髄に激痛が走った。

 この感覚には覚えがある。体中の神経細胞に直接焼き付き、故に蘇った魄の記憶。

 

 それは銀城が黒崎一護と接触する直前、月島が井上織姫の過去の世界で動いていた時の事。決して触れてはならない、ある"悪夢"を垣間見てしまった代償そのものだった。

 

「……う、ぁ…」

 

 混濁した記憶に苛まれようと、二度目の体験となれば錯覚を疑う由もない。本能的な恐怖が月島の理性を併呑する。

 

 たとえ何も思い出せなくても、自分自身すら信じられなくても、あの"悪夢"が刻み込んだ心の傷だけは。

 そのたった一つの事実だけは、揺るぎない本物だった。

 

 

「…お願いだ……銀城…! もう…もうやめてくれ…ッ」

 

 

 何度も、何度も、魘される赤子のように。月島は、己の心が「僕の全て」だと訴える一人の男へ懇願する。とうの昔に手遅れになった、彼が無視し続けた忠告を。

 

 「銀城空吾」のためではない。まだ間に合うんだ、と。そう「銀城空吾」に縋らないと自分が狂ってしまいそうだったからだ。

 

 頼む。無意味だろうと、そんなありもしない蜘蛛の糸に手を伸ばし続けていないと、僕はもう…

 

「銀じょ──」

 

 

 だがその時。譫言を繰り返す月島はハッと気付いた。

 

 見下ろす地面に伸びる黒。それはしゃがみ込む自分を包む、大きな人影。

 

「な…ッ」

 

 咄嗟に振り向き見上げた頭上。光を遮るソレを目にした月島は思わず息を呑んだ。

 

 

「お、まえ…」

 

 

 筋骨隆々と聳える巨体。夜闇に染まる浅黒い肌。強い意志を宿した瞳。

 

 二度に亘り過去を書き換え、確実に戦意を奪ったはずの()()──茶渡泰虎(さどやすとら)がそこに居た。

 

 

 

 

 

*†*

 

 

 

 

 

 …痛い。頭が割れるようだ。

 

 誰につけられたかも思い出せない傷が全身を軋ませる。満身創痍の体で立ち上がった茶渡は、地面に膝を突く月島秀九郎へ目を向けた。

 

 

「…ど、うしたんだい、泰虎。まだ安静にしてないと駄目じゃないか」

 

 見下ろす先には優し気に語り掛けてくる()()()()。だが隠せぬ顔色は蒼白で、いつもの穏やかな眼差しは憔悴に暗く淀んでいる。

 

 彼らしくない事だ。確かに戦友の一護が突然暴れ出し、井上や石田、果てには浦原さん達までもがあいつに同調した。胸を痛めるのも無理はない。

 

 

 …だけど、様子がおかしいのは俺も同じだ。

 

 

「……月島さん」

 

 その名を呼ぶ自分の声は、茶渡自身も驚くほど平坦だった。

 

「…なんだい、泰虎。君も状況はわかっているだろう? 僕は急いで銀城…と一護の戦いを止めないといけないんだ」

 

「……」

 

「大丈夫。全部僕に任せて、君はちゃんと休んでいなさい」

 

 しかし普段であればどんな心の機微すら見抜く月島がそれに気付いた様子はない。一護達の事か、何か別の心配で手一杯なのか。そんな兄貴分の無関心な態度が、茶渡の抱く一つの想いを膨らませる。

 

「…嫌だ」

 

「何だって?」

 

 剥がれ落ちる月島の微笑の仮面。中から現れたのは見た事もない無機質な表情。

 だが傷だらけの茶渡は、大恩人の豹変様に怯える事無く真正面から彼を見つめ返した。

 

 

「あんたを、行かせない」

 

 

 弱弱しい呟きに決意が宿る。すると目の前の"家族"は、反抗的な茶渡の態度に凶刃で返答した。

 

「…おかしいな、君には念入りに()()()つもりだったんだけど」

 

「──ッッ!?」

 

「全く、勘弁してくれよ。僕は銀城を止めないといけないんだ」

 

 直後、肩から胸をカッと熱が走る。激痛に崩れ落ちた茶渡は、己の身に起きた事を理解するのに長い葛藤の間を必要とした。

 

「やっ…ぱり……そう、だった…のか…」

 

「馬鹿な奴。大人しく僕の言う事を聞いてりゃ見逃してやったのに」

 

 聞いた事のない、背筋が凍るような冷たい声。身内への情など欠片もない明確な敵へ向けた言葉。

 それを槍の様に心へ突き立てられ、胸元に咲く真っ赤な血花を眺める茶渡は、先刻に一護が口にしていた"月島秀九郎"の本性を否が応にも認めざるを得なかった。

 

 

 月島さんに斬られた。

 ずっと大事にしてもらった兄貴分だった。だが祖父(アブウェロ)と俺の命を救ってくれた思い出も、絆の証に貰ったペンダントも、仲間達と共に戦ってくれたのも。

 

 全部、偽りの記憶だったのだ。

 

 

「……そう、か…」

 

 倒れ込んだ地面に血だまりが広がる。胸元の痛みは肉体のものか、精神か。茶渡の頬を伝う一筋の涙を、月島は鼻で嗤った。

 

「そう、偽物さ。君との仲も、君と黒崎一護の仲も、僕にとっては全て偽物」

 

「……ッ」

 

「わかったろう、泰虎。人は皆"愛"だの"情"だの『人との絆』を美化したがるけど、絆なんて偶々そこに違う人が居ただけで別物になる、この世で最も不安定でくだらない代物なんだよ」

 

 興味なさそうに「その傷じゃもう聞こえてないだろうけど」と吐き捨て、月島は斬り伏せた弟分に背を向けた。

 

 無情に去って行く彼の後ろ姿をぼんやりと見送る、瀕死の茶渡。

 裏切られた絶望。体の一部が抜け落ちたような虚しさ。悲愴に打ちひしがれる青年の頭に、大切だった恩人の台詞が木霊する。

 

 それは二人を引き裂く無慈悲な言葉。悲憤を駆り立てる許せない真実。

 

 だが何故だろう。茶渡にはその一言だけ、嘲りとは異なる別の本心が隠れているように聞こえた。

 

「…"人の絆は全て偽物"…か」

 

 記憶に新しい、月島から距離を置くリルカらXCUTIONの仲間達の態度を思い出す。

 

 それは俺の時のように、他人の過去を弄んできた彼が至った、空虚な結論なのだろうか。一つの人生のみを生きる茶渡に彼の言葉の重さはわからない。

 

 …だけど。

 

 

──そうだ、チャド   

   こうしねえか?

 

 

 それでも青年には、一つだけ希望があった。小さな、しかし強く輝くその光を握り締め、茶渡はボロボロの体で立ち上がる。

 

 気付いた月島の目には、明らかな驚愕、そして苛烈な怒気が浮かんでいた。

 

「……ッ、いい加減にしろよ! 鬱陶しい!!」

 

「がっ…!」

 

 紫電すら残さぬ神速の斬撃が容赦なく茶渡を斬り刻む。

 

「どいつもこいつも…ッ! 少し過去を弄られただけで何の疑問も持たず仲間に拳を向けた奴が、今更"本当の絆"だなんだとほざきやがって!!」

 

「ぐあ…ァッ!」

 

「そうやって意地を張れば奇跡が起きるとでも思ってるのか!? 僕に勝てるとでも思ってるのか!? お前如きが、何もできない雑魚が…! 馬鹿げた茶番にこの僕を付き合わせるな!!」

 

 刀が振るわれる度に血潮を散らし転がる青年。胸を、四肢を、背を。穿たれ、捥がれ、斬り裂かれる。反撃もできず命を削る傷ばかりが増えていく。

 最早体の感覚など微塵も残ってはいない。

 

 …それでも奮い立とうとする茶渡へ、月島は憎々しげに問い掛けた。

 

「何故そこまでする…! 僕との絆が偽物だったんだぞ? 君と黒崎一護のものがそうじゃないと、君はどうしてそれを…自分自身を信じられるんだ…ッ!!」

 

 その問いは震えていた。苛立ちとは違う、何かに気圧されるような擦れ声。

 

 

「…なんで…だろうな…」

 

 息も絶え絶えに、片膝ずつ、茶渡がその巨体を地べたから擡げる。

 月島の疑問へ返せる言語化された答えを、自分は持たない。

 

 だが。

 

 

 

──自分の為に殴れねえなら  

   俺の為に敵を殴ってくれ

   

 

 

 出会いの因果は一期に一会。そんな運命を表す諺が、奇しくもあの親友の名前と重なって聞こえた気がした。

 

「…すまない、一護」

 

「! お、前…どこにそんな力を…!」

 

 死力を絞り尽くし、茶渡は拳を握り締める。膨れ上がる霊圧が昇華するのは渾身の大技。

 消えゆく視界の正面に、月島が慌てて刀を構える姿が映った。

 

 

 …月島さん。あんたに救われた事も、貰った愛情も、俺にとっては全部本物だ。それを偽物と言われて簡単に飲み込めるほど、俺は器用な人間じゃない。

 

 だけど。

 

 

──その代わり、お前の敵は  

    俺が全力で殴ってやるよ

 

 

 そう、茶渡泰虎は信じている。

 

「……もし、この世に……あんたが知らない…"本当の絆"が…あるのなら…」

 

 それは、きっと…

 

 

 

──約束だぜ、チャド

 

 

 

 

 

……俺と──一護(いちご)の間にあるんだ

 

 

 

 

 

 そして解き放った拳が確かな手応えを捉えたのを最後に、茶渡泰虎の世界は真っ白な光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

── 巨王の一撃(エル・ディレクト・アマーブロ) ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

「────ぐっ…ぁ…ッ」

 

 

 凄まじい衝撃が体を駆け巡る。

 

 油断した。まさかあんな一撃を打つ力を残していたとは。久しく覚えのない苦痛に悶え、月島は己の不覚に臍を噛む。

 

「くそっ…!」

 

 普段なら難なくいなせた拳も、今の憔悴した精神状態ではご覧の有様。追撃を恐れる青年は腕の痺れが取れると同時に周囲の土煙を振り払う。

 

 

「……!」

 

 

 茶渡泰虎は、開けた視界の鼻先で倒れていた。まるでそれまでの奮闘が幻のように呆気なく。

 

 あれが彼の最後の足掻きだったのだろう。しかしそう安堵した月島は、直後自分の足元を見て瞠目する。

 

「……なんで…」

 

 死も間近。霊圧も、意識もない。蝋燭に残る微かな熱のみとなった命の灯。

 

 それでも茶渡泰虎は、その動かぬ指先に辛うじて、月島の衣類の裾を捕らえていた。

 

「こいつ、まだ…」

 

 この男は何だ。この男が見せた戦いは一体何なんだ。身に覚えのない不思議な感情が胸に湧き上がる。

 

 月島に他人へ抱く情など微塵もない。十年、百年と、大勢の過去の中で彼らの大切な人間を演じ続けようと、その心は動くどころか冷えるばかり。

 

 否、心など最初からあっても無くても同じ事。

 今の僕を見ろ。記憶は朧気、自我も曖昧。自分が本当に自分の知る【月島秀九郎】なのかも分からず、その"自分の知る"自分の事すら信じられない。

 

 そう、人の心なんてその程度のもの。過去の因果を弄れば跡形もなく消え去る不確かな幻だ。

 

 …だけど。

 

「泰虎、君は…」

 

 気のせいだと振り払う事もできた。ただの錯覚だと、泰虎の快挙も所詮はあの魔女が僕の能力の影響を弱めたからだと一蹴する事もできた。

 

 しかし月島はこの時──奇しくもこの一瞬だけ──目の前で転がる青年の無様な姿に、何故か、少しだけ…

 

 

心が震えた気がしたのだ。

 

 

「……」

 

 

 それは希望。失いかけている月島秀九郎としての自己を信じるための。

 

 それは勇気。唯一の縁である銀城に今の自分を「偽物」と否定される事を恐れ、竦む己の足を奮い立たせるための。

 

 

「…そうだ」

 

 思い出した。昔、【ブック・オブ・ジ・エンド】の能力に振り回され、今のように自分の事が分からなくなった時。

 あいつが、銀城が助けてくれたんだ。

 

 

 "自分が誰か"なんて、本当は誰も知ってはいない。みんな"自分が一番好きな自分"を自分だと信じて、鈍感に日々を生きている。

 

 だからよ、月島。もし聡いお前がその疑問に吞み込まれてしまった時は…

 

 

──()()()()()()()()()を   

   本当のお前だと信じ込め

 

 

 

「……いいのかな」

 

 迷子のような情けない問い掛けが、ポツリと空気へ溶けていく。

 

 

 銀城空吾は僕の全てだ。

 仲間を亡くした孤独なリーダー。仲間がいなかった幼い狂人。あいつも僕も、互いに一人。

 辛そうな笑顔で笑ってくれて、差し出してくれたあいつの手を握ったあの瞬間。僕達は二人になった。

 

 僕の世界は、僕達二人のものになったんだ。

 

 

「…偽物なものか」

 

 そうだ。月島の瞳に光が戻る。

 

 記憶が曖昧? 心が幻? 自分が誰か?

 そんな事はどうでもいい。

 

 だって、あいつが僕の仲間で居てくれるなら──僕の世界は永遠に、何一つとして変わりやしないんだから。

 

 

「…大丈夫」

 

 月島は滲む涙を拭う。ボロボロの体へ鞭を打ち、雪緒(ゆきお)完現術(フルブリング)空間から死地へと足を踏み出す。

 

 立ち上がり、見渡した鳴木市の夜景は、記憶のそれよりずっと美しく見えた。

 

 

「…ねえ、銀城」

 

 

 もし君が良ければ。

 

 僕の、このめちゃくちゃになった心と魂でよければ。

 

 

「全部、君の虚しい願いのために」

 

 

 

 

 

────使ってくれよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

次回:多分「○○のお陰じゃないか」篇最終回

 

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