雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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明けましておめでとうございます
今年もよろしくおねがいします

新年らしからぬ悲惨な死神陣営と、悲惨()な破面陣営のお話です
鰤小説のオリキャラがry

 


悪戯ってSS編時点でクインシー・レットシュティール使った時ブルート・アルテリエ無しのハry

 

 

 

 

 

 

 

 

 むかし、むかし。

 世が火と水と石炭の煙に包まれ、ガス灯の作る光と闇の世界に分かれていた時代。

 とある国に一人の男がいました。

 

 血塗れのナイフを握り、薄暗い路地裏を駆ける、凄腕の殺し屋です。

 時代の闇を象徴するかのような極悪人ですが、彼にはもう一つの顔がありました。

 

 男は慈善家で有名でした。仕事で稼いだお金で、スラム街に小さな孤児院を運営していたのです。おかげで誰も彼が悪い人だと気付けません。

 

 そんな彼はある日の夜、人を殺したところを、孤児院の男の子に見られてしまいます。

 

 何をしているのか訊かれた男は咄嗟に、ただの"悪戯"だよ、と答えました。

 

 

 男の子は、とても耳の良い子供でした。

 その瞬間の心境で変わる人の微かな声質を聞き分けたり、スラムの虫や動物とお話したり、普通の人が聞こえない音が聞こえると言う、不思議で好奇心旺盛な子供でした。

 

 男は、男の子の育て親です。彼を相手に嘘を隠し通す事は難しいと知っています。

 

 犯行直後で気が立っていたのでしょうか。いつも意味の分からない事を言って自分を困らせる男の子に苛立ちを積もらせていたのでしょうか。

 焦燥から判断を急いだ殺人鬼は、隠し事をされて頬を膨らませる男の子に言います。

 

 

──君も"悪戯"されたいか?

 

 

 その夜、男と男の子は一晩中、スラムの中で追いかけっこをしました。

 血に濡れたナイフを片手に駆ける男と、楽しそうに笑いながら逃げる男の子。

 

 そんな二人の面白そうな騒ぎは、孤児院の他の子達の眠気を吹き飛ばします。

 男が"悪戯"と誤魔化したその行為は、彼らの中で新たな"遊び"になったのです。

 

 そして"遊び"は、皆が疲れ果てた早朝に終わります。

 

「やった!」 「わーい!」

「たのしかったね!」

 

 勝ったのは子供達でした。屋根から足を滑らせ動かなくなった地べたの男を囲み、彼らは喜びを分かち合います。

 

 

 それが、男の子の最後の喜びになりました。

 

 その日から、いつも決まった時間に食卓に並んでいた食べ物が、いつまで待っても現れなくなったのです。

 

 男の子も、孤児院の他のみんなも、食べ物がどこから来るのか知りません。餓えと病に苦しみながら、一人、また一人と動かなくなっていく仲間達。

 最後に残った男の子は、朦朧とした意識で食べ物を探し、孤児院を彷徨います。

 

 そして。

 ふと見つけた()()()()()()()()()()を食べて、ある時を境に、それが()()()()()()()()()()()に変わった後。

 食べるものがなくなった男の子は、ある事に気付きました。

 

 

 男の子が食べてしまったのは、いつも一緒に遊んでいた──孤児院の友達のみんなの、()()()だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月日は流れ。

 男の子は昔のように、沢山の友達に囲まれて暮らしていました。

 

 現世で同い年くらいの子供の霊を探し、(ホロウ)という怪獣になった彼らに"食べ物"を分け与える事で、男の子は子供の霊を友達にする事ができたのです。

 

 そうして昔みたいにみんなで遊べるようになって、長い時が経ったある日。

 男の子と彼の友達一同は、退屈そうにしている骸骨のお爺ちゃん──『バラガン様』のお城に遊びに誘われました。

 

 

──餓鬼共、名を名乗れ 

 

 

 子供達は、骸骨のお爺ちゃんの質問に首を傾げます。彼らは(ホロウ)になってから、一度として誰かに名前で呼んでもらった事がないのです。その名前も、もうずっと前に忘れてしまいました。

 

 …あ、でも。

 

 ふと、ある事を思い出した男の子は、代わりにその単語をお爺ちゃんに伝えます。

 確かあの孤児院で最後にみんなで遊んだ時、男の人が僕をこう呼んでいたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

"悪戯小僧(ピカロ)"、と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "破面(アランカル)の楽園"と創造主が称える英霊宮殿(ヴァルアリャ)は、建築様式を始めとした多くの意匠や施設が旧拠点虚夜宮(ラスノーチェス)を基に造られている。

 十刃(エスパーダ)の各刃が暮らす十の宮、偽りの太陽が昇る『大天蓋』、様々な研究所や生産施設、等々。

 

 しかし旧拠点の頃とは異なり、(ホロウ)から人となった存在だと彼ら破面(アランカル)を定義するこの異界では、その"人"の生活を模した行動を取る事が住人皆に義務付けられている。

 例えば食事や睡眠。娯楽や武術。虚夜宮(ラスノーチェス)においてルドボーン・チェルート率いる葬討部隊(エクセキアス)の平時業務に割り当てられた美化作業も、ここでは上から下まで九十六騎全員の仕事だ。

 

 それは、元十刃(エスパーダ)という高い地位を持つ者達が住まう『3ケタの巣(トレス・シフラス)』も例外ではない。

 虚霊坤(ロスヴァリエス)に遷都されてから早二年。今や日常装束の一つになったエプロンドレスを着た十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)達は、互いに叱咤激励しながら自らの居住区の清掃に精を出していた。

 

 

「ったく…いつも思うけどさ、この仕事ってあたしの区画だけ不平等すぎない? 無駄に広い上に、住民も非協力的で不潔な奴らばっかなんだから…!」

 

 部屋の隅に溜まった黒い縮れ毛を手袋越しに抓み、女は嫌そうな顔で悪態を吐く。白いカクテルドレス風の死覇装を纏う、奇抜な化粧の女破面、チルッチ・サンダーウィッチ。

 指先の体毛をフゥッと、元の持ち主最有力の人物へ吹き飛ばす彼女。当然、吹きかけられた相手は飛び退き逆上した。

 

「どわっ汚ァ! いきなり何をするのかね、お嬢さん(セニョリータ)!?」

 

 ドルドーニ・アレッサンドロ・デル・ソカッチオ。貴族然とした口髭と暑苦しいオーバーリアクションが煩い男破面だ。

 

「"何を"じゃないわよ、あんたの毛でしょ! くっさい加齢臭ムワムワ抜け毛ポロポロ振り散らしてるオッサン共と同じ居住区を掃除させられてるあたしの身になれっつってんのよ!」

 

「な!? しっ、失礼過ぎだぞ君! 言い返させてもらうがね! 臭いなら君の強烈な香水の方が何倍も酷いし、抜け毛の問題なら吾輩のものより、そこら中の家具の足に絡みついている君の長ぁい髪について議論するべきではないかね!?」

 

「はぁ!? 毎日お風呂入ってるのにあたしの抜け毛がそんなに多い訳ないでしょ、妄想とかきっしょ!」

 

 憤慨するドルドーニが飛ばした唾沫が頬に命中し、チルッチの苛立ちはピークに達する。

 

 その騒ぎを尻目に、彼女の言う「オッサン共」の汚名を理不尽に着せられた三人目の同僚、赤毛のアフロ男の破面がそそくさと逃げ出そうとしていた。

 

「……うげ、マジかよ」

 

 だが部屋の出入口を潜った所で、彼──ガンテンバイン・モスケーダは立ち止まり顔を顰めた。

 

「…何、どうしたのよ? あんたもサボってないで掃除しなさい」

 

「いや、これ…」

 

 様子に気付き近づいてくるチルッチとドルドーニに、男は廊下の壁を見るよう促す。

 

 

『な…!?』

 

 

 彼らが目にしたのは、長い純白の壁面に描かれた巨大な絵画。複雑な線が無数に絡み合うそれは、具象的とも抽象的とも言い辛い絶妙なデフォルメで描かれた人物画か。どこか無垢で神秘的な印象を覚える二十メートル近い超大作であった。

 

「はは、は……嘘でしょ…?」

 

「参ったぜ、こりゃ。出撃前の大掃除の日だってのによ…」

 

「不味いぞ諸君(アミーゴス)……これ、下手したら我らの監督責任に…!」

 

 しかし、有識者が唸りそうな前衛美術的な作品も、審美眼を持たぬ破面(アランカル)にはただの子供の落書きにしか見えない。

 

 …もっとも誰が何と言おうと、昨夜は影も形もなかったこの壁画は正しく、"子供の落書き"そのものだったが。

 

 

 

「──上手だろー、ソレ」

 

 

 

 その時、ガンテンバインの背後に一つの霊圧が現れた。同時に聞き覚えのある声を耳にし、三人は思わず硬直する。

 

「いちまるさまが絵具をくれたからみんなの絵を描いたんだー! ガンテンバイン達も一緒にお絵描きして遊ぼーぜ!」

 

 恐る恐る振り向いた彼らの後ろに、小柄な影が立っていた。

 

 人間の年齢では十にも満たない、小さな少年。そばかすが浮かぶ快活そうな笑顔の、完全な人型の破面(アランカル)だ。

 

 だが、その幼げな風体にガンテンバイン達は騙されない。自分達より弱いとはいえ、少年の霊圧はそこらの数字持ち(ヌメロス)とは比較にならない強大なもの。

 

 それに、目の前の相手は、()()()()だった。

 

「……ねえ、クソガキ()。コレを誰が掃除させられるのか知ってる?」

 

 増やされた仕事に頭を抱えたくなるのを堪え、チルッチが笑顔で足元の同胞を凄む。しかし効果はなく、代わりに新たな災難が彼女を襲った。

 

 

「──今日のパンツは、紫!」

 

 

 突如チルッチの尻を風が撫でる。咄嗟に背後を蹴った彼女の足が、微かな気配を捉えた。

 

「あははっ、チルッチ惜しー。今のキックはもうちょいだったわね!」

 

 そこに居たのは、またもや子供の破面(アランカル)。仮面の名残のリボンで留めた左右の三つ編みが、少女の笑い声に合わせフリフリと揺れている。

 

 そしてその子の登場を皮切りに、周囲のあらゆる物陰から、同じような小さな人影が現れた。

 

 その数はどう見ても──百以上。

 

 

「惜しい!」 「ザん、ねン」

「当たんないよーだ!」

「あははっ!」「紫パンツ!」

「チルッチの…えっち…」

「エッチルッチだ!」

「ガンテンバインのパンツは?」

「もふもふアフロ!」「Qrrrrr」

「ドルドーニのは?」「黒?」

「私達のは白よ」 「きゃーっ」

「ひなもりさまといっしょ!」

「シーッ!」「怒られちゃう…」

「言いふらしちゃダメ!」

「市丸様が言ってたもん!」

「なんで知ってたのかな」「変態」

「きゃはははははっ!」

 

 

 今までどこに隠れていたのか、津波のような子供の大群衆がチルッチ達を囲んで騒ぎだす。

 一人一人が最初の少年と同じ気配、同じ霊圧を有した子供の破面(アランカル)。一つの空間に集まった彼らの霊圧総量は、明らかにチルッチ達のそれを超えていた。

 

「…な、何よコイツらの数、どうなってんの…!?」

 

「昨日見かけた人数より十倍は居るではないか…!」

 

 大人達は戦慄を覚える。

 この子供破面(アランカル)達がチルッチらの近くに姿を見せるようになったのは、破面軍がここ英霊宮殿(ヴァルアリャ)に移り住んでからだ。それでも自由を許されたのは日替わりで一度に十人ほど。こんな群衆にまで膨れ上がるのは間違いなくあってはならない事だった。

 

「まさか……明日の滅却師(クインシー)との戦争のために全員解放されたのか?」

 

「はぁ!? "全員解放"って一体誰がそんなトチ狂った事──」

 

 ヒステリックに裏返った声を上げるチルッチは、しかし次の瞬間、口を開けたまま固まった。

 

 理由は彼女の目の前に現れた、一人の子供。

 

 

「わーい、シャバの空気だー」

 

 

 その破面(アランカル)は、ヘッドホンの形をした仮面の名残を耳にかけ、眠そうな目つきをした男の子だった。

 ガキ共のリーダー格として長い間どこかに隔離されていた、クソガキ中のクソガキ。

 

 他の子達に「おかえり」「市丸様に感謝」などと歓迎されながら輪に加わったジト目の少年を見て、チルッチは悟る。

 

 

 …ドルドーニの言う通り、今日は英霊宮殿(ヴァルアリャ)中にあたしの抜け毛が散乱する事になるんだろうな、と。

 

 

「じゃ、みんな揃ったし──遊びにいこっか」

 

 ジト目の少年が下した絶望的な合図で、小さな大軍勢が一斉に走り出す。

 

「遊びだー!」「どこ行く?」

「お絵描きできるところ!」

「でももう絵具ないよ?」

「じゃあ探査神経(ペスキス)で探そう!」

「いちまるさまのトコ!」

「居たっ!」「見ツ、け た」

「え、でもそっちは…」

「とつげきー!」「Agwoooo」

「わあああああああああい!!」

 

 まるで潮が引くかのようにザーッと廊下の果てへ消えていく子供達。チルッチは隣の同胞らと一緒に立ち尽くし、続いて残された眼前の壁の前衛絵画へ目を向ける。

 

 そして僅かな放心の後、三人は半べそをかきながら絶叫した。

 

「待てやゴルルァ!! 落書きしたなら掃除しろォ!」

 

「ンモオオオ! だから吾輩は幼子(ベベ)のおもりなど断れと言ったのにィィ!」

 

「…もうヤダ……こんな場所…! あたし十刃(エスパーダ)に返り咲くぅ!!」

 

 

 ここは『3ケタの巣(トレス・シフラス)』。

 全ての破面(アランカル)の頂点に座し、されど時代と共にその席を降ろされた、先代十刃(エスパーダ)のための離宮だ。

 

 しかし、チルッチらの他に──元除籍扱いのネリエルを除き──もう一組、同じ100(シエント)の烙印を押された破面(アランカル)がいる。

 獣から人になりながら『本能』を制御する理性に欠け、十数年前に起こしたとある事件を機に破面軍軍団長と虚圏(ウェコムンド)統括官から隔離処分を受けていた悪戯小僧たち。

 

 彼は、彼女は、"個"にして"群"。

 司る死の形は、『好奇』。

 

 

 

──元"第2十刃"(プリバロン・セグンダ・エスパーダ)──   

PICCARO(ピカロ)

 

 

 

 友達と一緒に遊びたい。生者であった頃の最も大切な欲望に従い、『遊び相手』を捕まえ壊れて動かなくなるまで遊び倒す、娯楽に餓えた幼子たち。

 

 かくして誰もが恐れる無邪気な悪夢が、平和な英霊達の楽園に解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷たい雨が、噎せ返るような鉄錆の臭いを流し落す。

 

 賊軍の攻勢が終わり、激しい破壊音が鳴りやんだ六月の尸魂界(ソウルソサエティ)。未だ混乱収まらない戦後の瀞霊廷(せいれいてい)において、四番隊総合救護詰所は尚も戦の最中同然の喧噪に包まれていた。

 

「ハァ…ッ、ハァ…ッ」

 

 次々と搬送されてくる死傷者の担架を追い越し、少年が荒い息で詰所内を走り回る。

 『十』の字を背負う羽織を着た白髪の童子──日番谷冬獅郎(ひつがやとうしろう)。傷だらけの体を引き摺り駆ける彼の後ろには、悲痛な声で制止を呼び掛ける二人の女性死神、松本乱菊(まつもとらんぎく)虎徹勇音(こてついさね)の姿があった。

 

「止まってください、隊長! ダメだって言われてるでしょ…ッ!」

 

「お願いします、当隊の指示に従ってください! 特別棟の患者との面会は許可できません! 無理なんです…!」

 

 二人の片方、勇音の所属は四番隊。席次は次官、副隊長だ。

 この施設で第二位の責任者にして癒師である彼女は、目の前で只管に誰かを探す少年の努力が、残酷なまでに無意味であると知っている。

 しかし、勇音の懇願は相手の耳に届かない。

 

 …どこだ。どこに居る。

 

 冬獅郎は血の気の引いた青白い顔で、先ほど勇音に聞かされた話を「嘘だ」と両断し、救護詰所の扉という扉を片っ端から開けていく。

 

 回道の専門家らしからぬ検視ミスだ。きっと医療崩壊のせいだろう。あいつの霊圧を感じないのも特殊な隔離室に運び込まれたからだ。後ろの二人の泣きそうな顔も、何かの早とちりのせいに違いない。

 そうに決まっている、と。自分に言い聞かせ、全身に絡みつく絶望に抗う少年。

 

 その行動は矛盾に満ちていた。不都合な情報を排除し現実から逃げながら、必死に真実を知ろうと手を伸ばす。

 

 故にか。そんな冬獅郎が手にした待望の真実は、目を逸らす事すら許されない、あまりに残酷なものだった。

 

「ッ、ダメです日番谷隊長! その廊下の先は…」

 

「! 雛も───」

 

 勇音の悲鳴を振り切り、辿り着いた救護詰所の特別棟。

 その一室の寝台に横たわる、夥しい生命維持装置の管が繋げられた、小柄な患者。

 

 人工呼吸器の奥に見えた、あどけなさの残る若い女のそれは…

 

 

 

「…ひな……もり…?」

 

 

 

 幾度の悪夢を乗り越え、命に代えても護ると誓った、少年の最愛の幼馴染。

 

 雛森桃(ひなもりもも)の顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うひょー! すっげぇ大玉ゲットだぜ!」

 

 

 虚夜宮(ラスノーチェス)時代に培ったノウハウを基に移転再開された『藍染農園』。

 偽りの太陽に照らされたビニールハウスの中で、第6従属官(セスタ・フラシオン)のディ・ロイ・リンカーは初めての任務に興奮していた。

 

 網目模様に覆われた緑色の球体を掲げ、破面(アランカル)は近くで働く仕事仲間へ見せびらかす。

 

「お、どうしたエドラド? そんな小玉で俺の特大玉と勝負になんのかァ? ギャハハハ!」

 

 同僚に挑発された赤髪の大男、エドラド・リオネスが青筋を立てて言い返す。

 

「うるせえぞ。『一番良いメロン』ってのはな、単純なデカさが全てじゃねえんだよ!」

 

「…放っておけ。あまり騒いで王の機嫌を損ねるな」

 

 そう仲間を窘めるのは細身の男、シャウロン・クーファン。

 彼の忠告にビクリと仲良く反応したエドラドとディ・ロイは、恐る恐る背後の様子を窺った。

 

「チッ…」

 

 三人の視線の先には、見るからに不満を溜め込んでいる一人の破面(アランカル)。一同の"群れ"のリーダーにして、十刃(エスパーダ)の地位に就く青髪の青年、グリムジョー・ジャガージャックだ。

 

 彼が率いる第6十刃(セスタ・エスパーダ)一党は、別の仕事で多忙になった農園管理人に代わり、とある用途に使われる旬の果物の収穫を命じられていた。

 しかしグリムジョーは性格は勿論、風貌からして不適任な代役。彼がこんな繊細かつ生産的な仕事をやらされている背景には、とある幼稚な悪意が絡んでいた。

 

 

「なんや機嫌悪いなぁ、キミ。そない顔で収穫しとったら、されるメロンまで不味う見えてまうやないの」

 

「…ッ!」

 

 咄嗟、その声の主へ片手の大玉を投げつけるグリムジョー。従属官(フラシオン)たちが色めき立つ中平然とそれを受け止めたのは、胡散臭い笑みを浮かべる若い糸目の死神──市丸(いちまる)ギン。

 

「ひゃあ、怖い怖い。大切な"贈り物"を見繕う名誉な事やのに、まるでイヤイヤ畑仕事させられとる田舎のヤンキーやん」

 

「てめえ…何しに来やがった…!」

 

「落ち着けグリムジョー、相手にするな…!」

 

 グリムジョーの凄まじい霊圧に眉一つ動かさず、糸目男は剣呑なメロン園の様子を愉しそうに眺めていた。

 本来農場責任者の東仙要(とうせんかなめ)の代役を任されたのは彼だったが、その面倒を破面(アランカル)たちに体よく押し付けたというのが事の顛末。

 

 これらのメロンに大事な用途があると知った上で、収穫を任せた相手は乱暴短気なグリムジョー。その人選の意図は想像に難くない。

 このように破面軍の面々へ、ひいてはこの地の支配者へ些細な嫌がらせをする事が、市丸ギンという青年の最近の生き甲斐であった。

 

 そして、そんな彼が企む本命の"嫌がらせ"は、荒れるグリムジョーが起こす農園の騒動ではなかった。

 

 

 

「あーっ、市丸様見っけー!」

 

 

 

 一触即発の男達の空気に、甲高い女児の声が紛れ込む。

 ぎょっとその方角へ振り向く一同の顔は──市丸を除き──真っ青。

 

「…な、このガキ……まさか!?」

 

「おいおい冗談キツいぜ、あいつら東仙をキレさせて地下に幽閉されてたはずじゃ…!」

 

「…それは虚夜宮(ラスノーチェス)での話だ。今は少数のみ3ケタの巣(トレス・シフラス)で放し飼いにされていると聞いたが……何故ここに居る…?」

 

 幼女一人を前に、屈強な男たちが慌てふためく異様な光景。しかし彼らの反応は破面軍の者としてこの上なく正しい。

 

「あれ、グリムジョーじゃん! 何して……ってメロン!? 凄いわ! こんなにたくさん───」

 

「死ね、クソガキ」

 

 

 一閃。情けない部下達を置き去りに、グリムジョーが女児を斬魄刀で両断した。

 夥しい鮮血が舞い、輪切りにされた子供の上下半身がボトッ、ボトッと地面に落ちる。間違いなく即死だ。

 

「あーあ、可哀想に。こない小さな()相手にご無体やなァ」

 

 その凶行を、傍観していた市丸が責める。だが言葉に反し彼の顔には薄い笑みがへばり付いたまま。

 禁忌たる同胞殺しが行われた場にしては不可解な空気。その理由は、即死した筈の女児の様子にあった。

 

 

「──うえええん! いきなり斬るなんてひどーい!」

 

 

 腰から下を失った子供の上半身が、突然泣き出した。傷口はボコボコと沸き立つ白い虚髄で塞がり、遠くに転がる下半身を呑み込みながら再生していく。

 そして数秒と経たず、女児は元の無傷の姿に戻っていた。

 

「……ヤベえな」

 

「ああ、この再生速度…群れの本隊が近い」

 

 それを目にした者は皆、動揺していた。だがその理由は女児の異常な不死性ではない。

 何故なら彼ら破面軍の戦士達は、この子供の正体を嫌という程知っているのだ。

 

 破面(アランカル)No.102──ピカロ。

 その真の恐ろしさは…

 

 

「メロンだ!」「メロン!?」

「去年雛森様に貰ったアレ!?」

「すごい!」「いっ パ、い!」

「私達全員分あるじゃない!」

「やったあああああああ!!」

 

 

 総勢二百にも及ぶ圧倒的な"数"にあるのだから。

 

「くっ! 来たぞ…!」

 

「ま、待てガキ共! そのメロンは雛森様が"大事にしろ"って…!」

 

「ディ・ロイ! お前の大玉だけは死んでも守れ!」

 

「う、うわああああああ!?」

 

 血と果汁が飛び散る闘争が始まった。

 一騎当千の猛者たちも、ピカロの白い津波からビニールハウスを護る事は至難の業。狡猾な数人の子達に防衛線を潜り抜けられ、果実を奪われ、果園を踏み荒らされ──

 

 もうダメだと思われた、まさにその時。

 子供達の軍勢の最後尾から、三つの巨大な霊圧が噴出した。

 

 

「…(まわ)れ!!」        

暴 風 男 爵(ヒラルダ)

 

 

「…(なぐ)れ!!」        

龍  拳(ドラグラ)

 

 

「…()()れ!!」      

車 輪 鉄 燕(ゴロンドリーナ)

 

 

 封じられた(ホロウ)の力を呼び覚ます、破面(アランカル)の刀剣解放──『帰刃(レスレクシオン)』。

 かつては使用に多くの制約が課された程の力を携えて、三人の男女が必死の形相で戦場に乱入してきた。

 

「ノオ! 間に合わなかったか!」

 

「ちくしょう、農園まで…! このクソガキ共ォ! 五体満足で済むと思うなよォ!」

 

「グリムジョー! 今すぐあたしと勝負して十刃(エスパーダ)の座を明け渡しやがれえーッ!!」

 

 彼らの発言に援軍らしい頼もしさは欠片もなかったが、少なくともピカロ達にこの場で寛ぐ事を躊躇わせる程度の圧は掛けられたらしい。

 

「よし、みんな散れーっ!」

「わーい!」「てっしゅー!」

「食べ物は皆で分けるから!」

「勿論!」「独り占めは禁止!」

「一つでも多く持ち帰るぞー!」

「あははははははははっ!」

 

 戦利品を両手に抱えた子供達が徐々に逃亡を始める。

 

「逃がすかよクソがああああ!」

 

「…どうすんだこの大惨事…」

 

「ンなモンあいつ等ふん縛って軍団長に突き付けるしかねえだろ!」

 

「クソッ、一体誰があのガキ共を牢から出しやがったんだ…!?」

 

「待ちやがれゴラアアア!!」

 

 顔面蒼白な者。怒りに赤ら顔な者。表情の消えた殺戮者の顔。多種多様な様相の破面(アランカル)達は、無邪気な天災を追って大天蓋の砂漠を疾走していった。

 

 

 

「……なんや、滅却師(クインシー)との戦争前にえらい大ゴトになったなァ」

 

 彼らの後ろ姿を見つめる、糸目の死神。

 心底愉快そうにほくそ笑む彼は、メロンを抱えたまま取り残された破面(アランカル)、ディ・ロイへ近付いた。

 

「無事みたいやね、ソレ。死守ご苦労さん」

 

「……おい、まさかあのガキ共を解き放ったのって…」

 

 市丸の指先でくるくる回る武骨な鍵を凝視し、ディ・ロイは傷だらけの顔を憤怒に歪める。

 しかし市丸は彼の追及をさらりと流し、唐突に世間話を始めた。

 

「いやァ、従属官(フラシオン)と二人きりやなんてボク初めてやし、少しお喋りしたいなー思て」

 

「無視すんなコラ! いきなり何だよ」

 

「そやなぁ、例えば……桃ちゃんの崩玉(ほうぎょく)の力で復活してから、なんや変わった事あったりする?」

 

 

──力の増加だけやない  

  妙な"胸騒ぎ"とか

 

 

 その不気味な微笑を見て、怒り一色のディ・ロイの表情に困惑が混ざる。

 彼の反応に何かを見出したのか、笑みを深める市丸ギン。

 

 そして意味深に大天蓋の偽の太陽を見上げ、市丸は「さてと」と荒れ果てた農園を後にした。

 

「ほなボクは、誰かさんが()()()()()()()に夢中になっとる間に…もう少しだけこの暇を楽しませて貰いましょか」

 

「…は? お、おい待ちやがれ! さっきのは何の話だ!?」

 

 ディ・ロイは相手を追おうと踏み出すも、直前の戸惑いのせいで足が鈍ってしまう。その間に、市丸の姿は砂漠の蜃気楼の奥に消えていた。

 

 取り逃がした死神の残像を睨む、蘇りし英霊ディ・ロイ・リンカー。

 背筋を這う悪寒を、市丸の残像ごと振り払い、我に返った彼は慌てて"群れ"のリーダーを追い駆けた。

 

「くそっ……おい! 俺を置いてくなよ、グリムジョー!」

 

 

 

 

 

 市丸が述べたその名を聞き、胸奥で疼いた()()()()()に、彼が気付く事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尸魂界(ソウルソサエティ)を襲った敵軍が撤退して間もなく。負傷した仲間達の安否確認に四番隊を訪れた霊界の英雄──黒崎一護(くろさきいちご)

 

 総合救護詰所の特別棟に足を運んだ青年は、そこで見た光景に胸を痛めた。

 

 

「冬獅郎……」

 

 

 部屋に居た者は二人。これまで多くの苦難を乗り越え、望んだ細やかな幸せをやっと取り戻した、少年と少女。

 

 その片割れが瞼を閉じ、もう片方が虚ろな顔で立ち尽くす。それはまるで悪魔の呪いのような、幾度となく繰り返された悲劇だった。

 

 

 一護は無力感に唇を噛む。

 彼は寝台で眠る少女、雛森桃の戦いを遠目で見ていた。彼女が戦った敵の男とも、一度だけだが剣を交わした。

 

 青年は桃に大恩があった。

 否、厳密には"彼女"にではない。とはいえ不思議な縁で一方的な、憧憬と親愛の混ざった複雑な感情を懐いている相手だ。

 

 その彼女に恩を返せる、貴重な機会だった。

 

 

 …だがそれは叶わなかった。

 桃を二度と目覚めぬ体にした"ハッシュヴァルト"なる敵軍の副将。一護の仲間、破面(アランカル)のネリエルを倒した因縁の相手。

 

 如何なるカラクリか、それとも純粋な実力差か。一護は奴の剣撃一振りで、自身の最強奥義【天鎖斬月(てんさざんげつ)】をへし折られてしまったのだ。

 

「……くそっ」

 

 悲痛と屈辱に拳を握り締める。しかし胸に積もった淀みは少しも消えてくれない。

 

 此度の戦いは一護の心に多くの深い傷を残した。

 銀城空吾(ぎんじょうくうご)の陰謀に巻き込まれ、そして浦原喜助(うらはらきすけ)と護廷十三隊の仲間達のお陰で、また大切な人達を護る力を取り戻せた。だがその自信は滅却師(クインシー)の主従、ユーハバッハとハッシュヴァルトとの一戦で脆く崩れ去ってしまった。

 

 隊長の卯ノ花(うのはな)京楽(きょうらく)には、総隊長の危機を救った事を感謝された。仮面の軍勢(ヴァイザード)仲間の平子(ひらこ)には敵の親玉を追い返した事を称賛された。

 しかし真相は終始こちらの劣勢で、相手に手心を加えられ何とか喰らい付いていただけ。あまりに不甲斐ない戦いだった。

 

 そして、何よりも…

 

 

──やはりお前は己の母の事を  

  何も知らされていないのか

 

 

「……何だってんだよ…」

 

 ユーハバッハの言葉が毒のように、一護の心を蝕む。

 

 藍染惣右介(あいぜんそうすけ)の探求の素体。"あの少女"の起死回生の切り札。黒崎一護は生まれる前から大きな宿命を背負わされた子供だった。

 そこへ、新たに垣間見えた更なる秘密。

 

 自分の母親、黒崎真咲(くろさきまさき)の"もう一つの霊圧の記憶"とは何なのか。

 それを知るユーハバッハとは一体何者なのか。

 

 

 そして、奴が俺に向けた、あの憐れむような目の意味は…

 

 

 

「黒崎様! 黒崎様はこちらですか!」

 

「…ッ! お、おう?」

 

 ふと、特別棟の出入口から一護を呼ぶ声が聞こえた。弾かれるように振り向いた彼へ、四番隊の隊士が安堵の笑みを向ける。

 

「六番隊・阿散井恋次(あばらいれんじ)副隊長、十三番隊・朽木(くちき)ルキア副隊長。お二人の救命治療が完了しました!」

 

「! そうか、よかった!」

 

「朽木副隊長は直に意識が戻るでしょう。面会をご希望でしたらこちらへどうぞ」

 

 不安の一つが解消され、一先ず胸を撫で下ろす。

 難しい話はまた後だ。今はただ、あいつ等の無事を祝おう。

 

「……」

 

 特別棟へ背を向けた一護は、そこで少しの間立ち止まる。

 そして部屋に残す、永眠する少女の側で俯く少年を一瞥し、部屋を去った。

 

 

 何もできなかった無様な自分に、彼へ送ってやれる慰めの言葉など、一つとしてありはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾクリ、と。凄まじい寒気を感じ、日番谷冬獅郎(ひつがやとうしろう)の意識が果てしない暗闇から浮上する。

 

 

 黒崎一護が特別棟を去ってから、およそ半日。

 もっとも冬獅郎は彼が見舞いに来ていた事すら認識できていなかったが、サアサアと降り続いていた夜雨は上がり、瀞霊廷(せいれいてい)は新たな日を迎えていた。

 

 絶望のどん底で放心していた彼を現実に呼び戻したのは、妙な来客。

 

 

 

「───(まこと)、莫迦げた喜劇よのう」

 

 

 

 それは女の声だった。

 

 高いというよりかは低く、大声と言うよりかは小声で、老齢というよりかは若い声。

 しかしそれは、茫然自失と項垂れるばかりの冬獅郎をも振り向かせる、神秘的な威厳に満ちていた。

 

 声の方角へ視線を動かし、少年は異様な装束の人影を見る。

 

 隊首羽織に似た上衣を纏い、広い白披巾で両腕を覆い隠した、妙齢の女。後髪に挿された華やかな宝簪は宛ら色街の花魁のよう。

 だがその妖艶な印象を霞ませる異物が、女の背後に生えていた。

 

 六本の、細長い傀儡の腕である。

 

 そして冬獅郎はようやく気付く。腑抜けて尚、その姿から目を逸らす事に恐怖を覚える程の、女の規格外な霊圧に。

 

 

「……誰…だ…」

 

 根源的な危機感が声帯を動かし、辛うじて誰何の声を絞り出す。

 対し女は少年へ一瞥も寄越さず、浮遊しながら寝台へと向かう。

 

 そして彼女は瞬く間に、寝台で眠る冬獅郎の想い人──雛森桃を、謎の等身大の球体に梱包した。

 

「…なっ!? 何してんだてめえ! 雛森に触るなッ!!」

 

 憔悴しきった彼の何処にそんな気力が残っていたのか。一瞬で頭が沸騰した冬獅郎は直情的に"敵"へ斬りかかった。

 

 しかし。

 

「な……!?」

 

 少年の刃は、女の衣類一つ裂く事すら敵わなかった。

 

 

「──氷輪丸(ひょうりんまる)の主と聞いて期待しておったが、よもや礼節すら知らぬ斯様な小童だったとはのう」

 

 

 唖然とする彼の頭上に、女の平坦な声が降り注ぐ。

 

「…な、何者だ……お前…!」

 

「隊長風情が言葉に気を付けろよ。さもなくば、その口──二度と開かなくなっても知らぬぞ」

 

 直後、言葉通りの事が起きた。

 

「…!? …ッ、…ーッ!!」

 

 まるで縫い合わされたかのように開かない唇。続けてその唇肉が糸のような何かに引っ張られ、冬獅郎は勢いそのまま顔面から床に突っ伏す。

 混乱しつつ慌てて活路を探った彼は、女の義手の一つが細い針を抓んでいる事に気が付いた。

 

「そら見たことか。大織守(おおおりがみ)のバチが当たったぞ」

 

「……!?」

 

 瞬間、思わず息を呑む冬獅郎。女が口にしたその単語が、状況が、不意に彼のある記憶を掠ったのだ。

 

 神速の針捌き。隊長格の斬魄刀をも弾く衣服。聞き慣れぬ上代風の官位…

 

 それは霊術院で皆が学ぶ偉人伝。

 濡れれば即座に乾き、燃えれば即座に鎮火し、あらゆる過酷な自然環境に適す万能の戦装束『死覇装(しはくしょう)』。その神衣を生み出した功績で、尸魂界(ソウルソサエティ)の歴史を創った者の一人と称えられた古の死神。

 

 そして、その大仰な言葉が示す意味は、この霊界に二つと無い。

 

 

──王属特務(おうぞくとくむ)零番隊(ぜろばんたい)── 

 

 

「………ッ!!」

 

 しかしそんな偉人を前にしても、冬獅郎の心に敬意は微塵も湧き上がらなかった。

 

 代わりに胸を埋め尽くすのは、純粋な怒り。

 それもその筈。彼にとってその名は、二年前から大切な人を苛み続けた不幸の元凶の一つなのだから。

 

 かくして。

 

「…霜天(そうてん)()せ!!

 

 

── (ひょう)  (りん)  (まる) ──

 

 

 爆発的な霊圧が壁天井を吹き飛ばし、極寒の銀世界へと変じる特別棟の敷地。

 積年の憤懣の捌け口を見つけた少年は、残る気力の全てを自らの斬魄刀へ反映した。

 

「ほう。腑抜けて尚、(わらわ)の糸を引き千切るか…」

 

 冬獅郎の開いた唇から滴る血を見て、女が感心に呟く。

 

「気が変わった。連行名簿にそちの名はないが、(わらわ)の裁量で共に連れて行ってやろう」

 

「…ッ、何…?」

 

 如何なる心境の変化か、彼女の声色に少年を咎めるような鋭さは消えていた。

 だがその時冬獅郎の背に走ったのは、凄まじい悪寒。

 

「…なれど困ったのう。黒崎一護と雛森桃を除いた対象者は皆、卯ノ花(うのはな)にも治せぬ死人ゆえの"特例"じゃ」

 

 そしてワザとらしく愁眉した女が、「よって」と不気味な間を置き…

 

 

 

──そちも一度、ここで死ね 

 

 

 

 そんな言葉を最後に、冬獅郎の世界は暗転する。

 

 彼の直前の記憶に残ったのは、自分の死覇装から突き出た無数の刃に全身が貫かれる激痛だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ!」「あははっ!」

「どんどん人が増えてってる!」

「こんなに楽しいの初めてだわ!」

「怖いよぉ!」「大丈夫かな…?」

「逃げろおおーっ!!」

 

 大地が爆ぜ、砂塵が舞い、無数の霊圧が飛び交う英霊宮殿(ヴァルアリャ)の大天蓋。暴力の乱気流の中を、ピカロの子供達は楽しそうに、怖がるように、慌てるように駆けていく。

 

「死ねァガキ共ォ!!」

 

「逃がさねえつってんだろーが!」

 

「くたばれオラアアアァァア!!」

 

 男の、女の、聞くに堪えない怒声が木霊する。

 ピカロ達に肉迫しながら追手の先頭を走るのは、グリムジョー率いる第6十刃(セスタ・エスパーダ)陣営。

 

「許さん! 許さんぞォォオ!!」

 

「てめえら射線から退け、うおおおおッ!」

 

「喰らいやがれ、虚閃(セロ)ォォォ!!」

 

 その後ろに続くのは、同じく高い殺意を誇るチルッチら十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)

 

 そして、メロン園の事件の後に加わった、新たな集団。

 

「あの小僧共! バラガン様の鍛錬の邪魔をするとは何たる不忠者!」

 

虚圏(ウェコムンド)最強最悪の軍勢と呼ばれたピカロ殿も今や昔。その称号、更なる高みへと登った我が髑髏兵団(カラベラス)が頂戴致しますぞ!」

 

 日課の鍛錬で大砂漠を使用していた第2十刃(セグンダ・エスパーダ)配下の数名。

 果てには事態を察知し急いでやってきたルドボーン率いる葬討部隊(エクセキアス)

 

 3ケタの巣(トレス・シフラス)の落書きから始まったピカロの子供軍団と大人達の追いかけっこは、今や英霊宮殿(ヴァルアリャ)中を巻き込む大騒ぎになっていた。

 

「がッ!? おいコラ、どこ狙ってやがるイールフォルト!」

 

「邪魔なんだよ、ニルゲ! 図体ばっかデカい木偶の棒が!」

 

「うぎゃあ!? な、何そのグロいもっこり海パン! あたしの隣を走るなカマ野郎!」

 

「ンン失礼しちゃうわねええ!? ガキ共を殺す前に貴様を血祭りにあげてやろうか、あァん!?」

 

 至る所で勃発する大人達の衝突。本能のまま動く(ホロウ)時代のクセが抜けきらない彼らに、組織立った行動など取れる由もなし。

 

「雑魚に構うな、シャルロッテ! ピカロは元は我らと同じバラガン様の軍門! 我々の手で止めねば身内の恥を晒す事になってしまう…!」

 

「言ってる場合かフィンドール! くそっ、お前ら! 誰も上に報告するんじゃねえぞ!」

 

「できっかよバカ! メシ抜き一月どころの罰じゃ済まねえって!」

 

 それでも彼らはピカロを追う足を止めない。各々の思惑は噛み合わずとも、過去に地獄のような体験を共有した同胞意識が、破面(アランカル)達から他の選択肢を奪っていた。

 

「殺傷は回復されるだけです。生け捕りにしなさい、髑髏兵団(カラベラス)!」

 

「おらァ! 年貢の納め時だぜクソガキィ!」

 

「ひゃ!? 捕まっちゃった!」

 

「やだやだ離してよぉ!」

 

 無論、腐っても元を含む十刃(エスパーダ)、そして集団戦に長けた葬討部隊(エクセキアス)を有した追撃軍。一体ずつ、ピカロの白い津波は確実に小さくなっていた。

 

「わ、もう僕達しかいないよ!」

 

「どうしよう! このままじゃ負けちゃう…!」

 

「Qrrrrrrrr…」

 

 限界を悟った賢い何人かが、状況を打開するべく辺りを見渡し逃げ場を探す。

 

 

「──あれ? 何だろ、あそこ」

 

 

 そして遂に、見つけてしまった。

 

「あの辺りだけ川に囲まれてる」

 

「キレイなお花ね…何の木かしら」

 

「でも周りの霊子の感じが…なんかゾワゾワするわ…」

 

 大天蓋の砂漠の一角に広がる、不思議なオアシス。だが優れた感知能力を持つピカロ達は、本能的にその一帯に満ちる異質な霊圧を感じる事ができていた。

 

 それでも、彼らは決断する。

 

「他に逃げ込めそうなところも見つからないし…」

 

「それにあそこなら大人達も近付くの嫌がりそう!」

 

「なら行くしかないよ! みんなと一緒ならボク怖くない!」

 

『お、おおーっ!!』

 

 

 それは、"群"でありながら一人一人が異なる人格、意識、記憶を有するれっきとした"個"であるピカロの、存在としての歪さが招いた悲劇だった。

 

 彼らは他の住人達と同じように、たとえ思慮の足りぬ子供でも、その特殊な区域が何なのかくらいは知っていた。

 ならばこそ間違ってもソコヘ足を踏み入れる愚を犯す筈がなかった。

 

 本来であれば。

 

「お、おい…あいつらどこ行こうとしてるんだ…?」

 

「待て、そっちはヤバいだろ…! おいヤバいって、ピカロ!」

 

 …だがもし、東仙(とうせん)統括官に様々な注意事項を教わったそのピカロの一個体が、仲間達への情報共有を忘れていたのだとしたら。そしてその個体が既にグリムジョー達に捕まり、この場に居なかったとしたら。

 

 そんな"もし"が、不運にも起きていた。

 

「不味い! 誰か止めろ!」

 

「ダメだ、間に合わねえッ!」

 

「頼む! メロンは食っていいからそっちに行くな!」

 

「ねぇ、まって! 止まって! お願いだからぁ!」

 

 怒声から悲鳴へと変わる、大人達の制止の声。されど虚しく、ピカロ達とオアシスの距離は目と鼻の先の距離まで狭まっていく。

 

 そして。

 

「止めろおおおおッ!」

 

「ちくしょおおお!!」

 

『ピカロォォォォオオオ!!』

 

 

 

 繊細な紅白の花弁が、元十刃(エスパーダ)という破壊の権化が駆ける衝撃波で、無残に散っていく。起こしたピカロ達自身が残念に思う程、悲惨に。

 

 その次の瞬間。

 

『────!!?』

 

 無体な侵入者達は、経験したことがない桁外れな悪寒に震え上がった。

 

 

 

 

 

 

「何してるの、あなた達?」

 

 

 

 

 

 子供達の、大人達の、英霊宮殿(ヴァルアリャ)中の住人達の耳に響く、若い女の声。

 感情の一切を感じさせない静かで平坦なその声の主は、舞い上がった花弁の渦の中に、忽然と現れた。

 

「今()()()()()()()()だったのに、虚霊坤(ロスヴァリエス)の中が騒がしいから戻ってみたら……何なのかしらね、これは」

 

 ニッコリと花のように可憐な笑みを浮かべる、"桃色の夜空"を纏った少女。

 普段の敬語の口調が崩れた彼女の内心は誰の目にも明らかだ。

 

「あたし、何度も言ったわよね? この梅園は飛梅(とびうめ)が大事にしてる場所だから、"死んでも荒らすな"って」

 

「あ、ぁ…あ…」

 

「そんなに元気が余っているの? 決戦の前日に、ヘトヘトに疲れる帰刃(レスレクシオン)をするくらいだものね?」

 

 微笑む彼女の背後に、長い黒髪の天女が現れる。

 その真っ赤な般若の如き顔を見た一同は、弁明する事すら忘れて戦慄いた。

 

「みんなの活躍、この()と一緒に」

 

 

 

 

 

──期 待 し て る わ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 星十字騎士団(シュテルンリッター)の第二次攻勢により再びの大混乱に陥った尸魂界(ソウルソサエティ)

 

 両者の戦争の佳境にて現れた、謎多き虚霊坤(ロスヴァリエス)の軍勢。

 彼らと空座町決戦で刃を交わした死神たちは、再会したかつての強敵の顔を見て、こう感じたと日記に遺している。

 

 

 それはまるで、背水の陣の如き、異常な戦意に満ちていた、と──

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

シロパラ中に邪魔されて激おこ悦森
丹精込めた梅園がおじゃんで激おこ飛梅
研究で離れた隙に農園荒らされ激おこDJ
まだ農園に名前を使われてるヨン様
空気がおいしい一○

ヨン様陣営の現状


次回は霊王宮の色々
お楽しみに!

 

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