雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」 作:ろぼと
倒壊した建物の跡地に救護詰所や鬼道塔などの軍事施設が次々と建ちゆく様は、迫りくる決戦への緊張を駆り立てる。だが同時にそれは、屋敷を直せと騒ぐ貴族衆のような死神の誇りを忘れた暗愚が徹底的に排除された、揺るぎない戦時秩序の証として護廷隊隊士達の心の柱になっていた。
そんな彼らが忙しなく働く光景を、総隊長が不在の間の代理を任された
深い思案の海に潜る彼の後ろには、固い声で報告書を読み上げる若い女。
「───零番隊からは以上です。また本日未明、真央地下大監獄『
簡潔な言葉で報告を終えた彼女、
「……隊長、少し休憩なされてはいかがですか? 先日の傷もまだ完治したとは…」
「おや、嬉しいねえ。美人に心配して貰えるだなんて、潰れたボクの目ん玉も報われるよ」
「茶化さないでくださいっ。隊長が疲労で倒れたら副官の私の責任になるんですから…!」
憮然とした顔でそっぽを向く女死神。しかし京楽の軽口に幾らか調子を取り戻すも、彼女の目は依然として不安に揺れていた。
無理もない。前回の侵攻で大勢の同僚が再起困難な傷を負い、中には命を落とした者もいる。
その上育ての親同然の京楽までもが片目を失い、傷が癒える間もなく激務に苛まれている。そんな時に平静を保てるほど、彼の知る伊勢七緒という娘は薄情ではかった。
「大丈夫、七緒チャン。ボクは何処にも行かないよ……
もう二度と会えない大先輩の微笑を思い浮かべながら、自ら彼女を死地へ送り込んだ京楽は虚ろな感傷に浸る。
総隊長代理に任じられた京楽春水は、此度の火急の事態においてその卓越した手腕を大いに振るった。全力で敵の迎撃準備を進める護廷隊の一糸乱れぬ姿は、貴族の良からぬ介入を尽く退けた彼の交渉術あっての事。中央四十六室が禁忌とする
ただ、貴族と護廷隊双方からの反発が最も大きいであろう"最後の手札"は、負傷者を治療する零番隊からの吉報のお陰で京楽の胸の内に留められた。
それは幸か不幸かで言えば間違いなく前者だ。巨悪を討つべく巨悪を解き放つ。その未来が避けられた事に安堵する京楽の声は明るかった。
「いやあ、それにしても
「ッ、はい…!」
数少ない、しかし大きな希望に勇気を貰い、七緒が力強く頷く。
何かと気にかけていた悲運の後輩少女が、二度と目覚める見込みのない瀕死の体で四番隊に搬送されたと聞いた時、京楽も七緒も己の耳を疑った。魂魄を裂かれ力を落としたとはいえ、あの空座町決戦で少女が見せた一騎当千の戦いは記憶から色褪せない。戦略規模の実力者としては勿論、奪われた卍解の"奪還"を唯一成し遂げたその特異な知見に、京楽は何かしらの裏を警戒しつつも期待していた。
多くの者から慕われる影響力を鑑みて、話題の少女──
それに、我らの希望はもう一人。
「彼らを救った
一方的な絶交も同然の仕打ちを受けて尚、護廷十三隊を"仲間"だと言ってくれた心優しい人間の青年。
山のように積み上がった彼への恩を如何にして返していこうか。本来護るべき人間である彼に頼りきりな自分達の不甲斐なさに恐縮するも、京楽の顔には喜色がある。
先の見えない戦争の只中にあって、それは不思議と前向きな高揚感を覚える課題だった。
「さて、ボク達もノンビリしてないで仕事しなきゃね」
山じいにドヤされちゃうよ、と。
頭の上がらない恩師の喝を未だ聞く事ができる喜びを噛み締めながら、京楽春水は総隊長代理としての任を果たそうと奥の執務机へ向かった。
──事態が動いたのは、その直後だった。
***
遥か西方から襲来した霊能集団、
遡ること千年。
では戦に負けた
「それが、お前たち死神の"驕り"だと言っているのだ」
護廷十三隊を壊滅させた
周囲にありふれる無数の"影"。それらが意思を持つかのように動き出し、辺りの建物、道、草木、街並みの全てを呑み込んでいく。
護廷隊が今度こそ死守せんと完全無欠な布陣を敷く中、敵を迎え撃つ自分達の拠点そのものが瞬く間に消失したのだ。
「──…侵攻完了だ」
仰天し阿鼻叫喚の無様を晒す死神共を、
「千年前の戦いに敗れ、行き場を失った我等は、お前達が最も警戒していなかった瀞霊廷の中へと逃れた。そして瀞霊廷内のあらゆる"影"の中に霊子の空間を創り、それを以て──『
瀞霊廷を喰らい尽くした影は更に空へと立ち上り、
「お前達が我々の存在に気付き得る機は幾度もあった。だが中央四十六室はその力と技術を有していた
そしてその言葉と同時。完全なる闇に包まれた影の世界の中に、凍り付いた純白の西洋都市が浮かび上がる。
死神の都の中心で栄華を極めた、
帝国の中心に聳える、古代神殿にも防空壕にも見える武骨な王宮、
「───千年前。
ユーハバッハは後ろに侍る二人の側近へ語る。その片割れであるユーグラム・ハッシュヴァルトの隣に、新たに王の後継者に指名された滅却師──
「……『
亡き祖父から伝説を受け継いだ雨竜は諳んじる。しかし王は彼の歌に頷かない。
その歌には続きがあった。
封じられし我等の始祖王は
ÜBER NEUNHUNDERT JAHRE WIRD ER
SEINEN HERZSCHLAG WIEDERERLANGEN
九百年を経て鼓動を取り戻し
ÜBER NEUNZIG JAHRE SOLL ER
SEINEN INTELLEKT WIEDERERLANGEN
九十年を経て理知を取り戻し
ÜBER NEUN JAHRE SOLL ER
SEINE MACHT WIEDERERLANGEN
九年を経て力を取り戻し
UND IN NEUN TAGEN WIRD ER
DIE WELT ZURÜCKGEWINNEN
九日間を以て世界を取り戻す
残される子孫達へ伝える直前。彼等の王が息絶えた為に失われた最後の一句が、この地でようやく紡がれた。
そして千年の時が経ち、王が鼓動を、理知を、力を取り戻した今。
「往くぞ、
***
瀞霊廷が消えた。
伝令など必要ない。今まさに目の前で、足元で、全ての死神達が当事者となったその現象は、
そこへ進軍する精強な滅却師の主力部隊、
「───こんなにかわいいボクを
「が…ァ…」
「…
GISELLE GEWELLE
消失前まで十一番隊隊舎があった地点。最強の戦闘部隊と名高い同隊の隊長格に匹敵する強者達が、華奢な
『───お前の隊の隊長はどこに居る。次の回答拒絶と同時に、
「よくも
BG-9
二番隊隊舎付近の転移地で行われている虐殺の中心で、家族を愛する一人の副隊長の決死の覚悟が、無残に散っていく。
「───んもぉ、そんなに鼻息荒く迫られたら怖いですぅ›‹。男の人っていつもそうですよねぇ」
「ゴフッ! が、ァ……ッ随分イイ拳、持ってんじゃ…ねえか…!」
「……
霊圧が消えゆく副官を救いに急行した隊長が、敵の美女の細腕から放たれる拳に崩れ落ちる。
護廷十三隊の入念な備えを嘲笑うかのような敵の軍略。最初の侵攻すら超える、歯噛みするほど完璧な奇襲に翻弄される瀞霊廷の様子は、必死の応援要請として遥か上空、霊王宮へと届くのであった。
「──
「お前も急げ! 浦原さんからの連絡だと前回以上にヤベえ事になってるみてえだ…!」
零番隊の離殿で傷を癒し、王属の秘儀により霊格を大幅に高めた
彼等を見送るのは、一人の青年の背中。
「……悪ィ、ルキア。恋次」
一言急かしに彼のいる離殿を訪れたルキア達に、青年は二人に背を向けたまま些細な頼みを託した。
「生意気な言い方に聞こえっかも知れねえけど……下のみんなに伝えてくれ…」
「…一護…?」
彼の顔は見えない。しかし状況に似合わぬ穏やかなその声に、何故か、ルキアと恋次は圧倒された。
「そっちの戦い。もし危なくなっても、俺が行くまで持たせてくれ」
そして続く言葉を聞き、二人は背筋が震えた。
彼らは粟立つ肌で感じたのだ。この聖域で大きな成長を遂げたのは、自分達だけではないのだと。
***
「あいつは俺一人で片付ける。お前は負傷した
「……今のお前の敵では無いな。こちらは私に任せろ、恋次」
朽木ルキアが阿散井恋次と共に瀞霊廷へ降り立った時、戦況は更なる混迷を極めていた。
「んん~~? 何だ、一対二で掛かってこんのか? 悪党など所詮卑怯なものなのだから手段を問わずとも良いのだぞ?」
「ありがとよ。んじゃ卑怯にも、勝たせてもらうぜ」
MASK DE MASCULINE
感じる霊圧の強弱から、最も危機的な状況にある味方の許へ急いだ二人は、負傷者の搬送と敵の撃破の二役に分かれる。前者を引き受けたルキアの最初の仕事は、倒れた隊長格達を四番隊へ担ぎ込む事だった。
だが他の戦場の援護へ向かおうとする最中、少女は警戒していた敵の襲撃に遭う。
「…ッ、人の"恐怖心"を増幅させる能力。貴様が兄様の"
『僕モ知ッテルよ、朽木ルキア。君ガ
ÄS NÖDT
発する霊圧を体内に取り込み、気配を消す
「───成程。触れた者の体組織に侵入し、脳へ"恐怖"の感情をねじ込むのか」
『……ドウ云ウ事だ? 何故僕ノ"恐怖"ヲ受ケテ、動ケる…?』
だがルキアは霊王宮の超霊術を糧にし、自らの斬魄刀の真の力を覚醒させていた。重ねてその力は奇しくも此度の敵の戦法と極めて相性が良かった。
「"
宛ら童話に語られる「雪女」。
極寒の凍気を身に宿し、体内の全ての分子運動を凍結させる。皮膚の表面で恐怖因子の体内侵入を食い止めたルキアが、捨て身の攻撃で、敵へ"真の恐怖"を突き付ける。
「この力を使い熟すには、自らの体を構成する霊子の完璧な制御が求められる。だがその困難の果てに得られる力は、正直……私の身に余る」
『ナ、何ダ!? 僕ノ体が…!』
女死神に斬られたエス・ノトの肩が硬化した。
「
『莫迦ナ! コンナ一瞬で…!』
「
霊圧による抵抗を試みる間もない。正しく須臾の出来事。
「そうだ。この状態の私に触れたものはその瞬間、等しく
『クッ…オノレぇぇええっ!!』
凍てつき砕ける足を必死に動かし、エス・ノトは彼女へ掴み掛かる。
そして彼の手が刀の間合いに入った時、少女は勝利を確信した。
「……少し急がせて貰う。この温度での私の活動限界は、五秒にも満たない」
ルキアの大技が炸裂するのと時を同じく。相方と別れ他の隊長格の救援に向かった恋次も新たな力を駆使し強敵を撃破していた。
「───くそったれがあああっ!! スターの腕をへし折りやがって!! 絶対に許さんぞ三下がァァッ!!」
「…
そして恋次たちの加勢に続き、更なる追い風が護廷十三隊へ吹く。
『───もしもォーし!
「ッ、
『どォーもォ、お待たせしてすいません』
ただいま完成しました
稀代の天才が導き出した解決策、その名も【侵影薬】。
戦局の天秤は、確実に死神の側へ傾いていた。
…しかし、敵は彼らが卍解を取り戻す可能性すら計画に練り込んでいた。
「───貴方方から卍解を奪うべく、陛下より下賜された
「……!」
真実が告げられたのは、一番隊隊舎の転移地点。
現れた敵の指揮官ユーグラム・ハッシュヴァルトが語る内容に、彼と対峙する総隊長代理補佐の伊勢七緒が瞠目する。
「バンビエッタを倒した後、雛森桃は戦果拡大より味方との情報共有を優先するべきでした。そうすれば我々が預かっている貴方方の卍解が、我々の力の"枷"となっている事実を知る事ができたでしょう」
変わらない平坦な声で皮肉を口にするハッシュヴァルト。
それは七緒を侍らせる京楽春水の心にも無視できない波紋を起こした。
「ですが全ては後の祭り。貴方方は今を以て、我々に一矢報いる千載一遇の機会を失ったのです」
「……まさか…」
死神の最終奥義にして誇りである卍解を無力化する手段。そんな切り札を、斯様な大胆な囮に使える敵の"余裕"の正体は何か。
京楽の疑問に、ハッシュヴァルト率いる
「…な、なんだ……?」
「何が起きている…!?」
卍解を取り戻し、
『──卍解の消失を確認。規定値を超える機体損傷を確認。
「……貴様、その姿は…ッ」
「嘘だろあいつ……砕蜂隊長の卍解を耐えやがった…!」
二番隊隊長
『──此ンナノガ恐怖ナモノか!』
「…莫迦な…! 絶対零度に凍り付いた体で何故動ける!?」
朽木ルキアの凍てつく剣に斬られ、全ての生命活動が停止した筈の
光輪を浮かべ一対の翼を背負う彼らの姿は、まるで聖書に登場する天の御使い。それは卍解と共に取り戻した死神達の希望を粉砕する、絶望の軍勢だった。
***
『機体修復率89%。動力強化率159%。第二兵装転換率92%。
全身から無数の蔓状の武器を伸長させたBG9が、砕蜂達を蹂躙する。台詞の通り、殺到するそれらの速度も強靭度も以前とは桁違いに跳ね上がっていた。
「しまっ──がはァ…ッ」
「ゴッ…!! く、くそ…! だい…ぢょう…」
傷の浅い大前田が上司を庇う間すら与えない。肉を抉られ、臓腑を貫かれ、二人の隊長格は何もできぬまま串刺しにされてしまう。
『対象の魄脈の低下を確認。
「ぐ…ァああああああ!!?」
敵への種族的特効力を有した物質の開発は浦原喜助だけの発想ではない。蔓状兵装を介し、砕蜂の体内に高い毒性を持つ特殊な霊圧が流れ込む。
『対象の魄脈低下率85%。
まるで、
砕蜂と大前田が危機的状況に陥っている最中。強敵マスキュリンを新たな卍解で倒した阿散井恋次も次なる脅威に直面していた。
「迂闊だったな、レッドモンキー! オメーがあの暑苦しい筋肉バカと戦ってる様子はじっくり"観察"させて貰ったぜ!」
「ぐっ!? な、何だてめえは…! 俺に何をしやがった!?」
NANANA NAJAHKOOP
突如飛来した光の弾丸を受けた恋次が、力なく地面に突っ伏す。力めど彼の手足はびくともしない。
「『モーフィン・パターン』。霊圧配置を正確に計測し、最も無防備な穴を突いて霊圧を完全に麻痺させる俺の技だ」
「くそっ…! いきなり出て来やがって…漁夫の利狙いのクソ野郎が!」
「マスキュリンのバカはいい囮になってくれたぜ。『卑怯にも勝たせて貰う』だったか? なら今度は俺がオメーの決め台詞を返してやるよ、ハハハ!」
僅かな気の緩みが命取りとなり、完全に無防備にされてしまった阿散井恋次。あれ程の活躍を見せた豪傑があっけなく。どうする事もできず青褪める死神へ、ナナナと名乗ったそのゴーグル男が絶死の
「…
同時刻。一番隊隊首室の跡地にて、遂に総隊長代理と星十字騎士団最高位、京楽春水とユーグラム・ハッシュヴァルトが激突する。
「ッ、させません!」
阻止せんと動いたのは副官の伊勢七緒。自ら創り上げた強固な防御力と有力な衝撃反応トラップを誇る対
砕け散った自慢の術の残骸を見て女死神は愕然とする。
「そ、そんな…」
「嘆く必要はない。霊子を支配し戦う我々
「ちょっとちょっと、戦ってる最中に人の部下を口説くのはやめておくれ──よッ!」
軽口を叩きながら京楽が繰り出したのは猛火の高位鬼道。しかし彼の一手はハッシュヴァルトの剣の一振りで消滅した。
「そう簡単に霊子を霧散させられるような位階の破道じゃないんだけどねえ。やっぱり雛森ちゃんを警戒して、彼女の得意鬼道を対策してきたのかな?」
「その質問の背景を察するに、やはり雛森桃は霊王宮で一命を取り留めたようですね」
「さてね。でもここまで用意周到な君達なら全部想定しているんだろう?」
剣撃を放つ傍ら探りを入れるが、京楽はハッシュヴァルトの隙の無さに内心舌を巻いていた。
雛森桃の実力を二年前の空座町決戦で知った京楽は、当然彼女を倒したこの
次々と倒れていく遠くの仲間達の霊圧を感じながら、ハッシュヴァルトとの戦いで成果を得られずにいる京楽は、自分が袋小路に追い込まれていくのを自覚していた。
そして舞台は今一度、朽木ルキアの戦場へと舞い戻る。
「戦イナンカニ"恐怖"ガ在ルモノか…! 陛下ニ叱ラレル事ニ比ベタら、此ノ程度……恐怖モ苦痛モ感ジナい!!」
完聖体【
「くっ、
驚愕も一瞬。慌てて相手を迎え撃とうとするルキアだったが、振るった斬魄刀にはまるで力が籠っていなかった。
「な、なんだ…?」
「君ノ剣ハ僕ニ届カナい。下ヲ見給エ……君ノ足ガ
「…私が…怯えているだと…!? 莫迦な、全身の細胞を凍結させた今の私が貴様の"恐怖"を受ける訳が…ッ!」
「嘘吐き、凍結ナドシテヰナイよ。
ルキアは絶句する。硬直し、信じられない思いで瞠目する。その全てが自ら敵の罠に飛び込むに等しい行為だと気付かずに。
「
「……!」
「サあ、往クよ! 君ノ
彼の宣言に呼応し、ルキアの周囲をエス・ノトの皮膚でできたモザイク壁が取り囲む。
続いてそのタイル一つ一つに亀裂が入り、奥から無数の眼が現れた。
視線で捉えた者に"恐怖"を植え付ける、狂気の瞳だ。
「!? しまっ──」
咄嗟に瞼を閉じ視神経を遮断したルキアを、やせ細った男は嘲笑う。
「無駄だ! タトエ眼ヲ閉ジテも、君ノ神経ハ逃ゲラレナい!」
「くッ……ぁ、あああ、あ…!!」
「恐怖ガ最モ育ツ世界は、イツダッテ夜ノ"暗闇"だ! 一度目ニシタ恐怖は、目ヲ閉ジレバ更ニ強く、脳ノ奥底ニ響キ渡る!!」
霊術院時代に大切な幼馴染を失った別れの記憶。無二の恩師を殺してしまった悲劇の記憶。ルキアの脳裏を無数の光景が埋め尽くしていく。
亡骸を埋めた土の匂い。頬を垂れる雨の冷たさ。死に際に背中を抱かれた、血塗れの手の感触。忘れもしない、あの人の死期の言葉。それらが"恐怖"に穢され、悪意の塊となってルキアの心を侵す。
そして。心の拠り所としていた、最後の一人との思い出さえも。
次から次へと歪んでいく、あの青年との思い出。己のせいで運命を捻じ曲げられ、数えきれない傷をその身に刻みながら救いの手を伸ばしてくる彼の姿が、おぞましい怪物へと変じていく。
強い意思と温もりを宿す彼の目はどす黒い憎悪に染まり、ぶっきらぼうな優しさを感じさせる彼の声は氷の如く鋭利に冷え、その全てが少女の背負う罪を咎めてくる。
あのお人好しな男が決して、言葉にも、思いにすらしないであろう、朽木ルキアへの憎悪を。
穢される彼の笑顔を護ろうと、あるいはそんな彼の憎しみに耐えられず、彼女は我も忘れて絶叫した。
だがどれ程霊圧を放とうと、技を練ろうと、泣き叫ぼうと彼女の"恐怖"は消えず、深く深く心の底へ侵食していく。
絶望に溺れ、柱折れ。
如何なる強敵を前にしても気丈に戦い続けた女傑は、闇に染まり行く意識の端で、まるでただの幼子のように、かつて自分を救ってくれた彼へ、願ったのだ。
その時だった。
瀞霊廷を覆う赤黒い暗闇を切り裂き、一つの巨大な気配が降臨したのは。
***
ゾクリ…と。
それはまるで彼等の立つ世界自体が身じろぎしたかのような顫動だった。突如起こった異変に、
砕蜂と大前田を串刺しにしていたBG9。動けない恋次に霊矢を狙い定めるナナナ。一角と弓親に自らの亡者化の血液を近付けるジゼル。瀕死の六車と檜佐木へ止めの拳を擡げるミニーニャ。ルキアの精神を破壊しようと能力を強めるエス・ノト。
獲物を探し彷徨う他の
誰もかもが手を、足を止め、天を仰いだ。
心臓が押し潰されそうになる程の、途轍もない霊圧。
高台より百獣を睥睨する獅子の如き、圧倒的な存在感。
その気配の先。"影"の大天蓋に空いた大穴から差し込む陽光に照らされ、一つの人影が宙に佇んでいた。
それを目にした者は、息を呑む。
風にはためく外套。口元を覆う首巻。逆光の中で炎のように輝く橙色の髪。
ある者はその人影が帯びる背と腰の二振りの刀に眉を寄せる。ある者は過去の記憶から天地程に逸脱したその霊圧の規模に混乱する。
だがそんな差異を前にし、男の正体を誰何する者は一人も居ない。居る筈がない。
当代死神代行。あらゆる霊能の才を宿す奇跡の人間。神王ユーハバッハが最も恐れる"特記戦力筆頭"──
知る者、知らぬ者。その威容を見た者は一様に、彼を称える呼び名の意味を真に理解した。
…嗚呼、見よ。
突き破られた闇空の中心に、男が居る。
敗軍の死神共に希望の光を照らす…
***
キャンディス・キャットニップは己の足に自信があった。
無論、形の良いヒップからすらりと伸びる自慢の脚線美の事だけではない。
CANDICE CATNIPP
神王ユーハバッハから与えられたその力は、彼女に稲妻の力と速度を与えた。同胞達の中で彼女が最も早く"例の標的"の許へ辿り着けたのは得意な分野故の必然だろう。
「…ハッ、悪ィなみんな! コイツはあたしがいただくよっ!」
背中に輝く緑色の雷光を羽搏かせ、女滅却師は脇目も振らずに敵へ飛び掛かる。
「特記戦力だか何だか知んねーけど、そんなに霊圧ばら撒いて空中で突っ立ちやがって…! 舐めてんじゃねえぞ!!」
ガルヴァノブラスト
放つ霊子の矢は5
しかし。
「な……!?」
炸裂する雷光が散った後、中から現れた青年の姿は何一つ変わっていなかった。
防いだのか? どうやって? 斬魄刀も抜かずに? まさか体で受けきったのか? 現実を認められず唖然とする女滅却師。
「…ッ、あたしの小ワザを防いだくらいでイイ気になってんじゃねーぞ…!」
本能が上げるけたたましい警鐘を掻き消そうと、キャンディスは力の限りで霊圧をかき集める。
「そういう澄まし顔は…こいつを喰らって息してたらにしろよ!!」
それは彼女の生存本能が引き摺り出した、かつてない死力の一撃だった。天より堕ちる巨大な雷が青年を呑み込み、辺りは強烈な雷光に包まれる。
「─────え……?」
キャンディスは最後まで夢にも思わなかった。
常に自分の勝利を示してくれたその光が──彼女の目にする最後の光景になるなどと……
ミニーニャ・マカロンは己の膂力に自信があった。
もっとも彼女の豊満で女性的な容姿を見たものは皆冗談だと笑う。
しかしそうして侮った者は必ずミニーニャの前で倒れ伏した。先程の顔傷の副隊長のように。
MENINAS McALLON
彼女がこれまでに下した隊長格達、
しかし今。常にあざとく緩い空気を絶やさない彼女が、目の前で起きた出来事に戦慄していた。
「…どんなにキャンディちゃんがダメな娘だったとしても、素手で瞬殺はないと思うの…ッ」
キャンディス同様一番槍の抜け駆けを企んでいたミニーニャは、彼女の敗北を見て即座に攻撃を断念。こちらへ急行する他の仲間達と合流するため足を止め、チラリと後ろを確認する。
直後、彼女の視界に影が落ちた。
「ッ、嘘……!?」
正体は一瞬で距離を詰めてきたオレンジ髪の青年。
咄嗟、ミニーニャは拳を振るう。反射的な動作でありながら寸分違わず急所の頭部に命中させる技量は確かなもの。それが鋼すら粉砕する一撃である事が彼女を秀でた強者たらしめていた。
「ぐっ!? な、何…これ…?」
だが青年を殴った腕を伝った感触は、激痛。感じたことのない硬度にミニーニャが驚愕する。
「─────ぁ」
……その動揺が隙となったか、はたまた最初から彼我の実力差が決定的だったのか。
気付けばミニーニャの意識は、直前に倒れたキャンディスを追って、暗闇の奥底へと叩き落されていた。
あっという間に同胞がやられた。それも二人、ほぼ同時に。
その光景は、特大の大将首を求め集った
「…何あいつ。ミニーちゃんを一発KOとかどんな馬鹿力してんの…?」
「突出しやがって、あのばか共…!
「これが特記戦力筆頭、"黒崎一護"…!」
六人。佇む青年を囲んだ者達の総勢だ。これ程の戦の最中にあって衣類に埃一つ汚れのない風容は、彼等の卓越した実力の表れ。だが攻撃に二の足を踏むその姿勢には、慎重や警戒より、もっと根源的な感情の色が濃く見える。
そんな一団に最も遅れて加わった一人の老紳士が、口を開いた。
「…お分かり頂けたろう、御歴々。この者は手柄を取り合う片手間の戦いで勝てる相手ではないのだ」
ROBERT ACCUTRONE
老紳士、ロバートは
「…ハッ、どうやらそうらしいな」
方針が固まり
「功を焦り各個撃破など愚の骨頂! 共々揃って陛下のお叱りを受けたくなければ──」
「出し惜しみしねえで確実に仕留めるぞッ!!」
凄まじい霊圧の奔流が天を突く。その竜巻は辺りの大気を燃やし、頭上の遮魂膜を深く抉る。光の中心に渦巻く桁外れの力は、これまで瀞霊廷で観測された
そして、そんな異次元の力は当の
「な、何これ…? こんなにすごかったっけ、ボクの
「んなワケあるかよ! ただ解放しただけでこんなに霊圧上がるなんてどー考えても異常だろうが…!」
「おいおい! こいつァまさか…」
喜悦と困惑。自身に起きた現象に騒ぐ新参組に対し、古株の者達には心当たりがあった。
「ふ、はははは! 素晴らしい! これは、これこそが陛下の仰っていた、あの…!」
「…ああ───"共鳴"だ」
正解を唱えたのはモヒカンの男。一同で別格の気配を漂わせる彼は、高揚する連中に紛れ一人だけ冷めた目をしていた。
それと同じ声色で、男は戸惑う同胞達へ種を明かす。
「
「!!」
「成程、つまり──」
そして、得心した
瞬間って事だな!!!』
その一声が攻撃開始の号令となった。
六つの特大の霊矢が黒崎一護へ殺到する。彼は避ける事無くそれらをその身に許し、霊圧の大爆発の中に閉じ込められた。
ズン、と殴るような爆風が
「あっは♡ すんごい威力! ボクのゾンビにするだけの死肉残ってるかなぁ?」
「ゲッ、ゲッ、ゲッ…できもしない事は止めてヨネっ。黒崎一護を捕らえられるのはミーの"愛"しかないんだかラっ」
経験した事のない全能感に恐怖や不安を忘れる彼等。しかしそんな周りに危機感を覚える者も居た。
「……追撃するぞ、奴が態勢を立て直す前に仕留める」
「ちょっ、嘘でしょ? あんなトコ突っ込んだら大けがするって! それにあいつもう死んでるよ!」
「そう簡単にいくかよ、ばか! 先行くぜ!」
LILLTOTTO LAMPERD
自傷覚悟で爆発の中に突入するその小柄な少女は、仲の良いミニーニャを拳一発で倒した青年を前にし微塵も油断していなかった。荒れ狂う炎に肌が焼かれるのも構わず、彼女は右手に造った霊子剣を敵の気配へ目掛け振り下ろす。
剣から響いた感触は、少女が危惧した通りのものだった。
「……ッ、ほらな」
『なっ!?』
爆煙が晴れ、リルトットの火傷だらけな全身が露わになる。そこで一同は、彼女が振り下ろした武器がどうなっているのかを見てしまった。
少女の霊子剣。共鳴する
「───ぼーっとすんな! 死にてーのか!?」
『!!』
「バズビー! ロバート! ナジャ! お前らも畳みかけろ! 舐めてると全滅するぞ!」
唖然とする仲間達に少女の怒号が飛んだ。
ここは戦場。はたと我に返った猛者達が瞬時に大技の準備に入る。
「……チッ」
「くそっ、そいつを死ぬ気で抑えてろよリルトット! 俺が観察を終えるまでなァ!」
「貴女の献身に感謝を…! いざ!」
超火力の破壊熱線、搦め手の行動阻害術、死角を突く移動法。合わさる三つの手札が不可避な一撃と化し、一直線に標的へ襲い掛かる。
その時、黒崎一護が初めて腰の得物へ手を伸ばした。
「させねーよッ!」
自分の霊子剣を即座に捨て、リルトットが彼の腕を両手で掴む。
「バンビみてーにイケメンを喰い殺す趣味はねーが、生憎"そういう"能力でな…! 注意くらいは引かせて貰うぜ!」
その大技は
帯びる霊圧は蜃気楼の如く空間が歪む程。刃が触れる彼の外套が塵のように散っていく。
だがリルトットの渾身の一撃が上げた成果は、それだけだった。
「ぐっ!? なッ───」
刹那。少女は黒崎一護の自由な左手に襟を掴まれ、あり得ない膂力で戦場から投げ飛ばされた。
豪速で過ぎていく景色の果てに、リルトットは青年の目元が僅かに緩む瞬間を見る。そしてその仕草の意味を悟った彼女は、屈辱で目の前が真っ赤になった。
「……ふざけんな……ッ」
迫る
その爆炎を切り裂きながら、バズビーら五人へ彼の反撃の一撃が放たれ──
その剣圧が背後の街並みを輪切りにし、受けきれず喰らった仲間達が地面へ墜落していく。
「──────ッ!!」
そんな味方の無様な姿を横目に、少女は空の果てで絶叫し続けた。
馬鹿げた衝撃が体中の筋肉を軋ませる。視界は激しく揺れ、鼓膜は潰れ、咄嗟の防御に構えた両腕は激痛に悲鳴を上げていた。
なんだ、今の一撃は。
痙攣する体を引き摺り、バズビーは辺りへ視線を彷徨わせる。
「……な……」
そこでは先程敵が放った反撃の一振りで、自分を除く四人全てが完全に戦意を失っている、冗談のような光景が広がっていた。
瓦礫の中でピクリとも動かないナナナとペペ。気絶しているキャンディスとミニーニャの体に縋りながら震えるジゼル。血だまりを作りながら言葉にならない罵詈雑言をぼやくロバート。遠くへ放り投げられたリルトットの霊圧も感じない。
たったの数分。攻撃を仕掛けてからたったそれだけの間に、忌々しくも力だけは認めていた同僚の強者達が。
あの
立ち込める煙の中で平然と宙に立つ、一人の死神──黒崎一護によって。
「……ッ!」
不意に死神がこちらへ顔を向ける。その双眸は逆光の影に隠れていたが、バズビーは確実に奴と視線が交差したのを感じた。
だが追撃を警戒し身構えている内に、気付けば青年の視線は彼から離れていた。
「…………は?」
思わず呆けた声が零れる。あまりに自然な動作であったため、バズビーは数瞬が過ぎるまで気付けなかった。
死神の顔は正面を向いていた。見据える先も、ここではないどこか遠く。
少しずつ、奴の四肢に力が籠っていく。感じる霊圧は物理的な暴力と変わらない規模までに高まり、霊子の嵐となって周囲を粉砕していく。
その時、黒崎一護が大地を蹴った。
「なっ!? どこ行きやがる…!」
衝撃波に吹き飛ばされそうになる体を辛うじて留め、バズビーは一瞬で遠のく青年の背中を目で追った。
そして、彼は気付く。奴の不可解な行動の、許し難い程に腹立たしい意図に。
──
爆ぜた霊圧は遮魂膜を大きく撓ませ、爆風が都中を吹き荒れる。薙ぎ倒された建物は数える事すら億劫。
その破壊の中心地に、二人の若い青年が剣を合わせていた。
黒崎一護は最初から、一人の男の事しか見ていなかった。
こちらの実力を測るように、バズ・ビーの一団から離れた遠地に居た、七人目の
「…どうした? 今度は刃こぼれ一つさせらん
ハッシュヴァルト!!!
前回の戦いで容易く下した人間と互角の鍔迫り合いを強いられた