雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」 作:ろぼと
しばらくシリアス()三人称視点が続くよ
「──あ、お疲れ様です。市丸隊長」
中央四十六室居住区、清浄塔居林。
瀞霊廷最高の警護区域であり、護廷の隊長であろうと非常時以外に踏み入れることは許されない高貴な園だ。
しかし本来の住人たちの姿はどこにもない。代わりにいるのは、場違いな三人の隊長格の死神だった。
「いやァ、流石の名演技。桃ちゃんヒロイン顔やし一瞬ボクまで騙されそうになったわ」
「市丸隊長はニヤァって笑っていれば大体相手から疑ってくれますし楽でいいですよね」
「あれボク今バカにされたん?」
新たに現れた糸目の男とにこやかに火花を散らす年若い少女。まるで楽屋裏の雑談のような二人の会話を愉しげに聞いていた最後の一人が、掌大の黒い球体を片手に席を立った。
「──さて、時間だ」
『!』
緩んだ空気を引き締める上位者の号令。手にした球体を少女の方に渡し、男が出口へと足を向ける。
「私はこれから何者かに殺されてくるとしよう。現場は君たちで好きに作るといい」
「わかりました」
薄ら寒い笑みで「楽しみにしているよ」と言い残し、男は悠然と塔居林を去っていった。その後ろ姿を見送る少女と糸目の男は互いに顔を見合わせ口角を吊り上げる。
「桃ちゃん、ちゃんとその義骸掃けさせるまで十番隊長さん止められるん? ボクあの子に君に近付いたら殺す宣言されとるんやけど」
「大丈夫です。少し考えがあるので市丸隊長はあたしが妙なアドリブしたら意味深に注意してください」
「…あァ、なるほど。なら"雛森ちゃん"と一言だけ」
「わぁー…悪そうな感じ。流石ですね」
「いやいや、流石は君やろ?」
「藍染隊長が考えそうなことを考えてるだけなので流石なのはあの人ですよ」
「それもそうやな」
軽口を叩き合いながら、男女はそれぞれ漆黒の外套を羽織る。そして【曲光】と双方が詠唱を唱えた後、清浄塔居林は無人の静謐に包まれた。
***
──キャアアアアッッ!!
その悲鳴が聞こえたのは戦時特令下の定例集会が始まる直前だった。懺罪宮の中層、東大聖壁に木霊したそれは大勢の知ることとなり、駆け付けた吉良イヅルら副隊長三名は壁前舞台に立ち尽くす一人の少女の後ろ姿を発見した。
「どうした! 何があったんだ雛森く──」
だが青年が悲鳴の彼女、同期の同僚である雛森桃に駆け寄ろうと進めた歩は、三つを超えずに床へ縛り付けられた。
彼は、そして後ろの松本乱菊と射場鉄左衛門は、見てしまった。雛森が見上げる先にある──信じ難い光景を。
『な…!?』
まさか、ありえない。されど幾度瞬きを繰り返そうと眼前の悪夢は晴れてくれず、三人は少女がその男の名を呼ぶ叫喚を耳にしようやく現実を直視する。
──五番隊隊長・藍染惣右介が、東大聖壁で無惨に磔にされていた。
「バカ、な…藍染隊長が、し──死んどる…!」
「なんで、一体誰がこんなことを…」
「よ、四番隊だ…! あの人がこんな簡単に殺されるはずがない! おい誰かッ、早く四番隊を呼んでくるんだ!」
『はっ、はい!』
真っ先に我に返ったイヅルは同じく只ならぬ事態に飛んで来た見廻りの死神へ指示を下し、同時にこの殺害事件の犯人を機械的に推理する。
戦時特令下とはいえ護廷隊の隊長が瀞霊廷で暗殺されるなど前代未聞。それは権威ではなく、彼らの他とは隔絶した実力が有象無象の姑息な手を許さないからだ。隊長格は同じ隊長格級の霊圧の持ち主にしか倒されない。
では先日阿散井副隊長を倒した旅禍の仕業か? 最有力候補だが昨夜に目立った霊圧の衝突がなかったのがあまりに不自然。
奇襲による暗殺はどうか。だがこの非常事態に闇討ちを警戒しない無能は隊長になどなれない。ありうるとしたら直前まで殺意を悟らせない達人か、あるいは…
「まさか…」
その可能性にイヅルが気付いたまさに同時。よく親しんだ男の声が耳に届いた。
「──おやまァ、大惨事やね」
立ち尽くしていた一同ははたと振り返る。場違いに飄々と、どこか小馬鹿にしたような台詞と共に現れたのは…
「市丸…隊長…?」
「せや。後輩の雛森ちゃんの悲鳴が聞こえたんで様子見に来たんやけど、こら大変なことになったなァ」
「何、を…」
呑気なことを。そう言おうと声を上げたイヅルは、上官の変わらぬ笑みを直視し、思わず息を呑んだ。
先ほどの推理が否が応にも頭を過る。何故味方の死を前にそのように笑っていられるのか。何故藍染隊長は抵抗する間もなく殺されたのか。
そして、誰もが思い至る単純な結論は当然、この場で誰よりも被害者のことを敬愛する彼女の中でも導き出されていた。
「……ごめんなさい」
「ッ!? よせ雛森く──」
小さな呟きを最後に隣の少女の霊圧が暴れ出す。
「──ッ、アアアアァァァッッ!!」
青年の制止も空しく、嵐のような霊力風を撒き散らしながら雛森桃が彼の上司へ突撃する。
不味い、それは決して許してはならない行為だ。自身に定めた明確な優先順位に従い、副官吉良イヅルは死に物狂いの歩法で少女を追い越し、振るわれる斬魄刀を己のそれで辛うじて受け止めた。
『──!!』
鋭利な鋼がぶつかり削り合う嫌な金属音がグワングワンと東大聖壁に木霊する。
「剣を下ろしたまえ、雛森君…!」
「…どいて…どいてよ吉良くん…」
努めて冷静な声で少女を諭そうとするイヅル。だが雛森の声は言葉にならない嗚咽となるだけ。鍔で迫り合う相手の斬魄刀から伝わるのは荒海のように不安定な霊圧。頬を流れる幾筋もの涙と同じく、それがまるで彼女の泣き叫ぶ心そのもののように見え、青年はあまりの痛ましさに思わず目を閉じてしまう。
「…どいてって言ってるのが──わからないのッッ!!?」
「なっ!? 止めろ雛森君!」
だがその一瞬の慈悲…否、逃避行動が仇となったのか。雛森が普段の美しい歩法が見る影もない拙い足取りで距離を取り、乱れる霊力をそのまま斬魄刀へ束ね始めた。
そして彼女は、かの朽木ルキアのそれを遥かに凌駕する大罪を犯す。
──弾け、【飛梅】!!
震える悲鳴のような声で唱えた解号が、雛森桃の封じられた死神の力を呼び起こす。
「…ッ、アアアァァァッッ!!」
『!!?』
少女の咆哮と同時。握る刀が淡い桃色の炎を纏い、一塊となってイヅルの眼前で爆ぜた。
「くっ…なんてことを! 自分が何をしているのかわかっているのか!? 公事と私事を混同するな、雛森副隊長ッ!」
斬魄刀の解放。
虚の浄罪、魂魄の調停、三界の秩序を守るために振るわれるべき正義の奥義を、少女はあろうことか悲憤に呑まれ味方を斬るために行使した。咎人が罪を償う、ここ懺罪宮で。
そしてその行為は、上官に剣を向けられた副官として断じて看過できない悪であった。
「…そうか、本当に残念だ」
「!」
「仕方ない、僕は君を敵と見做す」
胸中で「嫌だ」と絶叫する心を封じ込め、イヅルは半世紀に亘る初恋の少女を斬る覚悟を決めた。
──面を上げろ、【侘助】!!
だが一瞬──己の無意識の弱さが見せた錯覚か──雛森の痛ましい泣き顔が満面の笑みに見えたイヅルは、故に僅かに決意が揺れる。
もっとも、副官として有るまじきその心の揺らぎが起こした須臾の硬直が、結果として彼女へこの不本意極まる殺意をぶつけずに済んだのだから、恋心とは不思議で、そして頼もしいものだ。
もちろん…
「──動くなよ、どっちも」
それはこういうときに颯爽と幼馴染のために駆け付けられる彼──日番谷冬獅郎にこそ、相応しい称賛であるが。
***
「──シロ…ちゃん…?」
かくして日番谷冬獅郎が渦中の東大聖壁へ辿り着いたとき、事態はほぼ最悪に収束しつつあった。
幼馴染の雛森桃の悲鳴を耳にし必死で駆け付けたものの、藍染惣右介は既に事切れており、憧れの男を失った彼女も我を忘れ犯人の市丸ギンへ攻撃を仕掛け副官の吉良イヅルと交戦状態へ突入。霊圧の残滓で凡その展開を悟った冬獅郎は内心の激情を何とか抑え、ひとまず隊長としてこの場を治めることを優先する。
「日番谷隊長…!」
「…拘置だ、それぞれの隊舎牢へ連れてけ」
『ハッ』
我に返った副隊長たちが争う二人を手柔らかに拘束する。雛森の沈痛な泣き顔を横目に、冬獅郎の視線が射抜くのはこの場に居るもう一人の隊長、市丸ギンだ。
怒りの理由は上官として目の前の戦闘を見過ごした職務怠慢でも、予想通り藍染に危害を加え殺したことでもない。
先日突き付けた忠告を意にも介さず、ここまで堂々と自分の大切な女に近付き、見たこともないような悲愴な顔をさせたこと。そのたった一つの理由で、日番谷冬獅郎はソイツを殺せる刃を振るうことが出来るのだ。
「ま、待ってシロちゃん…!」
だが少年が背中の斬魄刀に手をかけた瞬間、隣で少女が声を上げた。
「…安心しろ、本気で脅すだけだ」
「ッ、違うっ! 違うの…!」
宥めても必死にかぶりを振り続ける雛森。そして叫ばれたその懇願に、冬獅郎は周りの隊長格たちと同時一斉に彼女を凝視した。
「お願い…ダメなのッ──
大壁に共鳴する雛森の金切声。
何かの聞き違いか。一瞬己の耳を疑った少年も、震える幼馴染の姿を見て息を呑む。あまりに不可解な言葉は、されど少女の血の気の失せた蒼白な顔を見て戯言だと断じることなど誰も出来なかった。
「て、敵対しちゃったら…みんな…」
「雛森…? なに言って──」
その平坦な声は、驚くほど鮮明に一同の耳へ侵入した。
思わず背筋が凍る、冷たく、静かな男の一言が一瞬で場を支配する。
「ええの、君? 藍染隊長をあそこから降ろさんで」
「あ…ぁ…」
霊圧でも威圧でもない。あらゆる意志を削ぎ落す、何か言外に別の意味を孕んだ声。ソレを突き付けられた雛森は腰を抜かし床に座り込んでしまう。
そんな彼女の姿を眺め満足したのか、声の主がゆらりと冬獅郎へ向き直った。
「すんませんなァ、十番隊長さん。ウチの副官が世話になってもうて」
「ッ、市丸…!」
「ほな、藍染隊長は一番隊の隊士の皆に任せて、ボクはこれでお暇させてもらいます」
男が「おいで、イヅル」と拘束中の副官を呼び、不気味な笑みのまま東大聖壁の舞台を去って行く。その背を見つめる一同に、彼を呼び止められる者は一人もいなかった。
***
「──松本。雛森を俺の十番隊隊舎牢まで連れていけ」
磔より下され担架で運ばれて行く藍染の亡骸を見つめながら、冬獅郎は幼馴染を抱き上げる。
憔悴し震える彼女は先日と違い一切彼の為すが儘。
「総隊長への報告は俺がやっておく。雛森を頼んだぞ」
「ちょ…隊長っ!?」
返事を聞かず冬獅郎は瞬歩で場を後にした。
今の雛森は隊士法に背いた罪人だ。隊長として軽率に身を案じる言葉をかけてはならない。そう己に言い聞かせながらも、少年は彼女が見せた不可解な態度に強い焦燥を覚えていた。
「…何だってんだ、くそっ…!」
何かがおかしい。致命的なまでに巨大なピースが欠けているのに、それが一体何なのかが全くわからない。正体不明のおぞましいナニカがずっと大切な幼馴染を苦しめているのだ。
雛森が藍染の遺体を目撃し、犯人と思しき市丸へ攻撃した。これは彼女の隊長への熱っぷりを振り返るに十分あり得ること。
だが、冬獅郎が殺気を飛ばしたときのあいつの懇願「市丸と敵対するな」とは一体どういうことだ。まるで狂人のように直前の行動と言動が完全に矛盾している。
「それにあいつ…」
最たる違和感は藍染を担架に下した時の雛森の反応。
敬愛する上司との今生の別れとなるかもしれない場面で相手を惜しむ言葉一つなく、ただ俯き震えるばかり。あれは狂ってしまった彼女の現実逃避だったのか。それとも…
──慕う男の死よりも心を捕らえる、尋常ならざる市丸の陰謀が未だあいつを取り巻いているのか。
「市丸ゥゥゥ…ッ!」
ギリ…と憎悪に歯が軋む。先刻は少女に袖に縋られやむを得ず見逃したが、冬獅郎自身、己の我慢があの時点で既に限界を超えたことなど自覚済みだ。
三度目はない。たとえヤツが雛森をどんな闇で絡め取ろうと、ヤツを倒せばそれで終わる。もしそれで終わらないなら、続くその闇そのものも倒せばいい。
あいつを泣かせるもの全てを倒してしまえばそれでいいのだ。
「──そのために磨いた力だ…ッ!」
襷に背負う魂の半身【氷輪丸】の柄を掴み、敵を殺す覚悟を終えた冬獅郎は荒ぶる霊圧を撒き散らしながら瀞霊廷の空を駆けていった。
コメントありがとうございます
瞬間ペース優先で三日くらい更新お休みしてその後に本番の全三話を毎日連続投稿にすることにしました
では暫しお待ちを。
愉悦、ご期待ください…!