雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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絶望ィィィィ!

 

 

 

「──【反鬼相殺】」

 

 

 逆賊・藍染惣右介が去った中央四十六室専用施設、清浄塔居林。鬼道で囚われていた日番谷冬獅郎は、同僚の卯ノ花烈の助力で何とか抜け出すことが叶った。

 

「…ッ、助かりました卯ノ花隊長」

 

「怖ろしい強度の【六杖光牢】でした。藍染惣右介、まさかこれほどの使い手だったとは…」

 

 解除鬼道の感触に眉を顰める卯ノ花。色々と怖い噂が囁かれるこの古株隊長でさえ苦戦するほどの力量とは尋常ではない。冬獅郎は敵の巨大さを噛み締めながらも、その心を埋め尽くすのは焦燥の激情だけだ。

 

「くそっ、雛森がヤツらに…! 藍染の野郎…どこ行きやがったッ!」

 

「勇音に探させています」

 

 チラリと副官へ卯ノ花が目を向ける。【掴趾追雀】の詠唱を唱えてしばらく、敵の霊圧を捕捉した虎徹勇音が声を震わせた。

 

「双殛の…丘です…」

 

『!』

 

 双殛。あの偽の遺書の内容が嫌でも脳裏に浮かぶ。その渦中にあいつが巻き込まれている事実が、少年に残っていた最後の冷静さを奪い去った。

 

「雛森…ッ!」

 

「! お待ちなさい、日番谷隊──」

 

 後ろの卯ノ花の制止も聞こえず、冬獅郎は【大紅蓮氷輪丸】の翼で清浄塔居林の高い天井をぶち抜き、死ぬ気で瀞霊廷の空を翔ける。

 無我夢中の彼を突き動かすのは、大切な幼馴染に誓った、たった一つの約束。

 

「守るんだ…俺が、あいつを…ッ!」

 

 霊術院での思い出が頭を過る。

 

 最初の現世演習で巨大虚に襲われ、いつも守られるばかりだった自分が初めてあいつを守れたときのこと。大勢の観衆の前、その場の高揚感で随分恥ずかしい台詞を言ってしまい長い間ネタにされたものだ。

 だが後悔など微塵もない。あの日の気持ちを一度たりとも忘れたことはなく、自分はずっとずっとあいつを守るために研鑽を積んできた。そのための氷輪丸だ。

 そのための大紅蓮氷輪丸なのだ。

 

「…ッ、雛森!」

 

 見つけた。

 双殛の丘の頂上。多くの人影が佇む間を冬獅郎は脇目も振らず爆進する。

 場の状況などどうでもいい。視界が流星のように尾を引く中、ただ一点のみを鮮明に捉えた彼の目は、迷わず己の両手を希望へ導き。

 

 そして…

 

 

 

「返せ──藍染惣右介ェェッッ!!」

 

 

 

 奪い返した愛しい少女の温もりを、冬獅郎はその腕で力の限りに抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

「──おや、奪い返されてしまった」

 

 

 穏やかな男の声が双殛の丘の静寂に溶けていく。

 

「…今ので手は尽きたようじゃの」

 

「動けば即刻その首刎ねる…!」

 

 男の左右には二人の女。

 片方は男の喉元に斬魄刀を当てる、隠密機動総司令官を務める二番隊隊長・砕蜂。もう片方は男の斬魄刀を白打で封じる、見覚えのない褐色肌の刑戦装束の者。

 だがどちらも隊長級の強大な霊圧を研ぎ澄ませ、微塵の油断も無くその男──藍染惣右介の身動きを封じていた。

 

「すんません。十番隊長さんがあまりに死に物狂いやったんでつい情けをかけてしまいました」

 

「気にしなくていいさ、ギン。所詮は余興だ」

 

 自らの状況も構わず呑気に言葉を交わす藍染と、同じく脅され大人しくしている市丸ギンと東仙要。市丸の首筋に斬魄刀を構えているのは松本乱菊だ。

 

「ッ、隊長! 雛森は…」

 

「大丈夫だ松本、まだ息はある…!」

 

 連れ去られた雛森桃を奪い返した日番谷冬獅郎は、彼女を強く抱き抱えながらその傷の様子を確かめる。

 わき腹を一刺し、かなり深い。だが寸前で避けたのか内臓は辛うじて無事なようだ。

 

 

「…人質も取り返した。逃げ場も最早ない。終わりじゃ、藍染」

 

 

 褐色の女が藍染へ投降を促す。

 辺りには砕蜂たち以外にも同僚の隊長、浮竹十四郎や京楽春水、更には山本総隊長までもが重い腰を上げて藍染一派を取り囲んでいた。一同の中には少年と親しい志波空鶴と兕丹坊の姿も見える。

 状況は我が方の王手。冬獅郎は心強い味方の霊圧を感じながら、無事雛森を守れたことにほっと息を吐いた。

 

 だが。

 

 

 

 

「──逃げる?」

 

 

 

 

 それは刹那の出来事。

 

 瞬き一つする間もなく、冬獅郎の目の前で四人の、最も藍染に近い位置に立つ死神たちが突然血を吹いて崩れ落ちた。

 

『なっ!?』

 

 少年は背後の浮竹らと同時に驚嘆する。

 砕蜂、空鶴、兕丹坊、そして褐色の女。皆一様に倒れ伏し、あれほど滾らせていた戦意を塵一つとして残していない。一切の過程を抜きに、ただ常軌を逸する結果のみが視界の中に現れた。

 

「おかしなことを言う、四楓院夜一。一体何故、この僕が君たち如きから逃げなくてはならないんだ?」

 

 静かな男の声が耳に届く。その主へ目を向けた冬獅郎は、そこで抜身の斬魄刀に血を滴らせるヤツの姿を見た。途轍もなく鋭利で巨大な霊圧を発する、藍染惣右介の佇まいを。

 状況、発言、霊圧、一瞬でひっくり返った戦局。

 

「何…だと…」

 

「これが…藍染の実力…!?」

 

 莫迦な、何だこれは。何なのだこの力の差は。あまりの出来事に味方一同は無様に放心する。

 

 薙ぐ刀の紫電すら見えずに隊長クラスの死神が二人も瞬殺された。はたと周囲を見渡せば同じく虫の息の阿散井に橙髪の旅禍、同じ隊長の狛村左陣まで倒れている。まさか彼らも一撃で…

 

 そう戦慄する冬獅郎へ、この地獄絵図を作り出した化物が語りかけた。

 

「ようやく静かになったようだ。少し昔話をしないかい、日番谷君」

 

「…!」

 

「君が尸魂界へ来る前の出来事だ」

 

 唐突に何だと訝しむも、藍染は勝手に当時を懐かしむように自らの記憶をなぞっていく。

 

 

「…今から百五十年ほど昔になる。僕は流魂街で虚化の研究用の素体を探していた時、とある特異な魂魄を発見した──僅か一年で、無から上位席官相当にまで霊圧が急成長した稀有な才能の持ち主にね」

 

 聞く気などなかった冬獅郎も、浮竹ら他の者たちも、男の堂々とした姿に思わず惹き込まれていく。それが良からぬ話だと心のどこかで感じていながら。

 

「その魂魄は尸魂界に招かれたばかりの、右も左もわからない幼い子供。だがその子は自力で鬼道の片鱗を掴み、それを用いた独自の霊力鍛錬法を編み出した神童だった」

 

「…何?」

 

 藍染の話術に支配された場に騒めきが起きる。その一人、山本元柳斎重國が不承を主張した。

 

「…何を世迷い事を申しておる、藍染惣右介。霊圧とは霊体の格そのもの。斬拳走鬼を磨き上げること以外に、死神が霊力を鍛える方法などこの世にあらず」

 

「ああ、僕もそう思っていたよ。山本総隊長」

 

「…何じゃと?」

 

 男は自慢気な笑みを浮かべながら老隊長の反論を否定する。

 

「その方法はまさに奇想天外の発想でね。それは、我々死神が斬拳走鬼の鍛錬で霊力や膂力、体力などを外部から鍛えるのではなく、自らの魄内に鬼道を行使し内部から霊力を強化することだった」

 

「魄内…?」

 

 首を捻る一同へ男が微笑む。

 

「わからないかい? その子は日頃の刃禅や鬼道稽古などという間接的で非効率な方法ではなく、魂魄の霊力を司る臓器──鎖結(さけつ)魄睡(はくすい)そのものに負荷をかけて直接魄内の霊力器系を鍛えようとしたんだ」

 

『!?』

 

 得心がいった死神たちが一斉に驚愕する。理解出来ない発想ではない。だがそれを実際に実行する狂人など、長い尸魂界の歴史の中に一体何人いたというのか。

 

「莫迦な、それは…それはまるで超過輸血で血圧を強引に上げて心臓を圧するに等しい行為だ…! すぐに臓器が破裂か機能停止に陥る。一歩間違えれば死神として完全に死ぬことになるぞ」

 

「ああ、現にこの僕も何度か霊力が一時的に使えなくなったときがあった」

 

『!!?』

 

 絶句。

 

 今、この男は何と言った。どこの馬の骨とも知らぬ小童の考えた机上の空論ですらない妄言を真に受け、自らの体で成果を試したというのか。

 こんな大規模な権謀術数を尸魂界に仕掛けた鬼才が、ただの子供の戯れ言を…

 

「鬼道の才能と、度胸。それだけを以て成果を上げた特別(・・)な者がいる。ならば不可能と断念するのはその子に対する敗北だ」

 

「…狂っている。恐ろしくはないのか…」

 

 浮竹の問いを大罪人が鼻で嗤う。

 

「僕はその感情を望んでいた。そしてその個としての生存本能を刺激する恐怖こそが、停滞する魂魄に進化を齎す。己が築き上げた全てが一瞬で無へと帰す、死神としての死と隣り合わせの日々は実によい糧となってくれたよ」

 

 そう述べ、藍染は足下に転がる二人の女を睥睨し、つまらなさそうに目を細めた。

 

「本来なら君たちのような蝿ではなく更木剣八でこの五十年の成果を確かめるはずだった」

 

 小さく頭を振り「つくづくあの男は思い通りにならないね」と零す藍染。

 そして男が、ゆっくりと冬獅郎の方へ体を向けた。

 

 

「──さて、本題はここからだ。日番谷隊長」

 

「…ッ!」

 

 その声の抑揚の微かな変化が異様に恐ろしくて、冬獅郎は思わず後退る。

 何故名指しで呼ぶのか。同じ神童と持て囃される自分への当てつけなどではないだろう。もっと邪悪で、怖ろしい何か…

 

「僕がその神童と直接顔を合わせたのは五十年前でね。虚の群れを使った実力測定で素晴らしい結果を出してくれたから、以後特に目をかけることにしたんだ」

 

「虚の…群れ?」

 

 謡うような藍染の声に悪寒が走る。

 

 ここから先を聞いてはダメだ。冬獅郎は本能が鳴らす警鐘に従おうとするも、相手との間に広がる圧倒的な力量差がそれを許さない。

 

 

 藍染は語る。

 早くから己の才能に気付いていたその子供は独自に霊圧を抑える技術を身に付け、何とか周囲に溶け込もうと涙ぐましい努力をしていた。それは社会における自らの異常性を認識している強者のジレンマであり、藍染はそんな孤独な天才に活躍の場を与えてやったのだと言う。

 

「彼女は有能で、そして無垢な子供だった。僕の言うことが全て正しい行為だと錯覚し、悪事を悪事と知らないままに手を汚す。皆と仲良くしようと純粋な善意を振り撒き信奉者を作り、友人の成長のためなのだと尊敬する相手を本人に殺させ、大切な家族のためなのだと上司を席から引き摺り下ろす。心を痛めながらも、ただひたすらそれが正しいことだと言う僕の言葉を盲目的に信じて」

 

 目を閉じ、場面を想起するように「実に扱いやすかったよ」と口ずさむ藍染。

 

 …止めろ。ふざけるな。一体何の妄想の話をしている。

 

「もっとも尸魂界と裾を分かつことは流石の彼女にとっても一大事だったようでね。少々手荒に躾ける破目になったのは僕の不徳の致すところだ」

 

「…待て」

 

「やはり人の心と言うものは難しい。せっかくこの日のために仕込んだ演技も動揺でとても見れたものじゃなかった。彼女のフォローを頑張ってくれたギンには──」

 

「待てって言ってんだろッ!!」

 

 絶叫。

 自分でも驚くほど大きく、そして悲痛な声だった。

 

「ッ、さっきから聞いてりゃベラベラベラベラ意味わかんねえことを…! フザけんのも大概にしろてめえッ!」

 

 心の最奥を侵す男の戯言を追い出そうと、冬獅郎は必死に怒声を張り上げる。

 

 何を言ってるんだこいつは。そんなことがあるはずないだろう。

 それではまるで、まるで…

 

 

「おや、まだわからないかい? それとも不都合な真実から目を逸らし、一秒でも長く、今までと変わらない幻想に浸っていたいのかな」

 

「──ッ!」

 

 藍染の静かな言葉が少年の胸を抉り貫く。諭すような、宥めるような。だが優しげな声色に反し、男の顔に浮かんでいるのは鋭利な弧を描く薄い唇。

 

 言うな。その先を言うな。

 だが冬獅郎の祈りも空しく…

 

 

「…さあ、もう大切な幼馴染とのお別れも済んだだろう。僕の下へ戻っておいで」

 

 

 そして、その残酷な現実を、男は心の底から愉しむように突き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──(もも)──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈黙が双殛の丘を支配する。

 

 騒めく風も、雑多な瀞霊廷の騒音も、集った大勢の隊長格たちの身動きも。まるで世界そのものが凍り付いたかのように衣擦れ一つ音はなく、誰もがその名を耳に立ち尽くしていた。

 

「ひな…もり…?」

 

 それはこの場の誰の声だったか。同僚の阿散井、同期のルキア、友人の乱菊、先輩の檜佐木、読書仲間の七緒、死神協会の砕蜂、鬼道師匠の空鶴…

 あるいはそれは呆ける自分が呟いた、縋った虚しい希望だったのかもしれない。

 

 

 ──違う。

 

 

 そんなはずはない。そんなことなどあっていいはずがない。少年は必死に否定する。

 

 こいつはアホで天然で間抜けで情けなくて負けず嫌いで、だけど誰よりも無邪気で明るくて純粋で優しくて、そして幼くして力ある者の使命を胸に霊術院の門を叩いた、誰よりも気高い死神なのだ。

 冬獅郎に人の温かさを教え、霊力で祖母を傷付けずに済む道を、守られることの悔しさを、守ることの誇らしさを、そして──隙間風の吹く小さな家屋だけだった彼の世界に、外の広さを教えてくれた、誰よりも素晴らしい幼馴染なのだ。

 

 その名の人物は、この腕に抱き抱える少女は、日番谷冬獅郎の世界で最も大切な想い人なのだ。

 

 それなのに…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──滲み出す混濁の紋章…」

 

 

 ぽつり…と。少年の耳に声が届く。

 誰よりも愛しく、好ましく、心を揺さぶる可憐な声が。

 

 

「──不遜なる狂気の器…」

 

 

 風が吹く。それに誘われるように、冬獅郎は胸元から聞こえるその声の主へ首を向ける。

 いつもは見上げている彼女の顔は、垂れる艶やかな前髪に隠れ、覗くことは叶わない。

 

 

「──湧き上がり…否定し…痺れ…瞬き…眠りを妨げる…」

 

 

 体が重い。風が強い。抱える彼女が似合わない闇色の光を帯びていく。

 やめろ、離れろ、そんな色でこいつを穢すな。

 彼女から滲み出すおぞましい黒い光を掃わんと、冬獅郎は自由な左腕を必死に振るう。

 

 

「──爬行する鉄の王女、絶えず自壊する泥の人形…」

 

 

 何度も触れ、何度も感じ、何度も親しんだ、あいつの霊力。

 だと言うのに、あの可愛らしい紅い桃色はどす黒く染まり、心地よい毛布のように包み込んでくれる霊圧は、まるで深海の如き巨圧で冬獅郎を圧し潰す。

 最年少で護廷の隊長にまで上り詰めた、当代最高の神童すらも。

 

 

「──結合せよ、反発せよ…」

 

 

 続く言霊が黒い霊力を立ち上がらせ、吹き荒れる暴風は竜巻となる。

 

「ッ不味い! 離れろ日番谷隊長!」

 

「…!?」

 

 遠くの浮竹の叫声が耳を貫き、はたと我に返る少年。

 そして手のひらに暗黒の渦を浮かべた幼馴染が、顔を上げ…

 

 

「──地に満ち…」

 

 

 一粒の涙が、彼女の頬を伝った。

 

 

 

「──己の無力を知れ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──破道(はどう)の九十・黒棺(くろひつぎ)──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして日番谷冬獅郎は、抱えたはずの尊い温もりが己の両腕から零れ落ちていく感覚を最後に、底無しの暗闇に呑み込まれた。

 

 

 ──ごめんね…シロちゃん…

 

 

 そんな消え入りそうな擦れ声が響く、絶望と言う名の棺の中へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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