雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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雛森ィィィィ!

 

 

 

「──うそ……だろ……」

 

 

 暗転した視界が晴れる。

 空、地平線、地べた。ゆっくりと移ろうその景色が、自分が倒れ伏す様を己の主観が映したものだと気付くのに、冬獅郎は長い時間を必要とした。

 

 全身の全ての骨が、筋が、肉がぐしゃぐしゃになっている。四方八方から体を霊子レベルで散り散りに引き千切られるような凄まじい力に襲われた後、気付けば自分は指一本動かせない体で無様に土を舐めている。

 一体何が起きたのか。呆けた頭で混乱する冬獅郎。

 

 だがぼやける視界の端に、少年は一人立ち尽くす小柄な人影を見つけた。

 

「…雛…森?」

 

 無言で佇む、血だらけの少女。最後の記憶には自分の腕に抱えた彼女の温もりが残っている。

 

 まさかあの黒い空間にあいつも巻き込まれてしまったのか。不味い、隊長の自分すら一撃で指一本動かせないほどズタボロにされる威力なのだ。藍染に斬られた瀕死の副隊長がそんな状態で喰らって無事でいられるワケがない。急いで四番隊を呼ばなくては。

 

 …そんな現実逃避を続ける冬獅郎に悲劇の真実を突き付けるのは、やはりいつだってあの男だった。

 

 

「──自分ごと黒棺で圧し潰したか。幼馴染を裏切った自罰のつもりかな、桃」

 

 

 嘲りを含んだ静かな声で、男が「殊勝なことだ」とあいつの名を呼ぶ。

 黒棺、幼馴染、裏切り、自罰。それらの言葉が毒刃のように少年の心に深く突き刺さる。

 

 嘘だ、そんな、そんなこと…

 

「ボロボロになって、いけない子だ。…さぁ、戻っておいで。僕の下へ」

 

「……は…い…」

 

 優しげな、それでいて背筋を凍らせる恐ろしさを孕んだ呼びかけ。まるで首輪を引かれるかのように、傷だらけの雛森がフラフラと男の方へと歩き出す。

 

 尸魂界を、皆を、少女自身を裏切ったはずの──藍染惣右介の側へ。

 

 

「あ…ぁ…」

 

 思わず零れた吐息は嗚咽に等しかった。一歩、また一歩と彼女が足を引き摺る度、冬獅郎の脳裏を様々な記憶の断片が走馬灯のように駆け巡る。

 

 

『一人前の男らしいトコ見せて…』

 

 茶化しながらも、どこか達観したような顔で挑発してきたあいつ。

 

『…あなたに守って貰おうかな』

 

 いつもの姉貴面とは違う、らしくない弱音を呟いたあいつ。

 

『ありえない話を聞いちゃって…』

 

 藍染と何かあったのかと聞かれ、悪夢を掃うように頭を振ったあいつ。

 

『自分が従えば藍染隊長には何も…』

 

 市丸に脅されたとき、縋る様にヤツへ嘆願した青い顔のあいつ。

 

『待って…行かないで…』

 

 良かれと思い藍染の下へ送り届けた自分の袖をずっと握っていたあいつ。

 

『市丸隊長と敵対したら、皆が…』

 

 直前の言動が真逆な、市丸の背後の巨悪を暗示するかのようなあいつ。

 

 そして。

 

 

 ──ごめんね…シロちゃん…

 

 

 彼女が幾度と覗かせた暗い顔が。沈痛そうに呟いた言葉の数々が。冬獅郎の頭を過っては消えていく。

 

 

「…ち…違う……俺は……俺は…ッ!」 

 

 潰れた喉で必死に彼女の背へと言葉を投げかける。だが、何が「違う」と言うのか。無意味な懺悔は当然、雛森には届かない。

 全てが手遅れとなって、やっと気付けた。

 

 

 あいつはずっと、ずっとこの事に苦悩していたんだ。

 

 

 何も知らぬままに騙され、少しずつ何かがおかしいと思い始め…そして恩人の仮面を被った外道の悪事に加担させられていたと知って、ずっと一人で嘆き苦しんでいたのだ。

 

 助けを求める?

 誰も知らない藍染の本性を誰かに話して信じて貰えるのか。協力してもらえるのか。

 あのお人好しのアホ桃が、死ぬかもしれない危険な博打のために誰かを巻き込もうとするのか。

 仮に味方を作れたとして、肝心のこの化物に勝てるのか。

 不可能だ。

 

 …否、そもそも敵対することすら許されない。

 

 

 ──君は傷つけるなと頼まれた。

 

 

 清浄塔居林で藍染が口にした言葉が冬獅郎の心に種を芽吹かせる。

 頼まれた? 誰に? そんなの答えは一つに決まっている。

 

「…知らな…かったんだ……」

 

 彼女が想像を絶する覚悟で伝えようとしてくれた真実を。憔悴の果てに、最後の希望だと一度だけ求めてくれた助けを。

 そんな悲愴な思いを、この世でただ一人受け取っておきながら。何も知らずにあいつにずっと守られていながら。

 俺は、何も、何も…

 

 

 

「──おかえり、桃」

 

 

 

 そして満身創痍の身の、最後の一歩で糸が切れるように崩れ落ち、少女は巨悪の腕に抱き抱えられる。その姿を目にしたとき、日番谷冬獅郎は無様にも悟ってしまった。

 

 

 俺は、なんて無力なのだろう、と…

 

 

「さて、これで余興は全て終わった」

 

 茫然自失と地べたに項垂れる冬獅郎を一瞥し、藍染は鷹揚に「要、ギン」と部下たちの名を呼んだ。

 

 目的の崩玉を手に入れ、霊王宮の情報や浦原喜助の研究資料を束ね、目をかけている勇者たちの成長を確認した。尸魂界へ別れを告げ、宣戦を布告した今、思い残すことは何もない。

 

 頷く部下の姿に満足そうな笑みを浮かべた大罪人は、かくして勝利を宣言する。

 

 

 

「──凱旋だ」

 

 

 

 その言葉を合図とし、突然天から眩い光が降り注いだ。

 

『なっ!?』

 

 高く虚空より一直線に差し込んだのは、三本の巨大な光の柱。それぞれが藍染を、市丸を、東仙を、そして抱えられた雛森を包み込む。まるで世界の主役を照らすかのように。

 さらに。

 

「ば、莫迦な…! あれは…ッ!」

 

 見上げた光の先で、空が割れる。

 比喩ではない。布を破くが如く空間が引き裂かれ、中からおぞましい化物が頭首を覗かせた。

 

 ──死神の敵、大虚(メノス・グランデ)の大軍勢。

 

 聳える怪物たちが無数の赤い目で双殛の丘を睥睨する。一斉に咆哮を上げる彼らの姿は宛ら魔界の聖歌隊。その呼び声にいざなわれるように、降り注ぐ光の柱の中で、三人の逆賊が足下の大地と共に宙へ浮かび上がった。

 

 現象の名は反膜(ネガシオン)という。大虚が同胞を守るときに行使する、最後の切り札。その力は浮世を超えた理の領域にあるとされ、光に包まれた者は何人たりとも侵すことは叶わない。

 

 集う護廷の死神達は唖然とし、臍を噛んだ。最早我らに出来ることは水面の月に吠えるだけ。

 完膚無きまで打ちのめされた、屈辱だった。

 

 

 

『…もう少し捕まっとってもよかったのに』

 

 ──ごめんな、乱菊。

 

 市丸ギンが、光の壁を隔てた女に別れを告げる。

 

 

『…言ったろう、私の目に映るのは最も血に染まらぬ道のみ』

 

 ──私が歩む道こそが、正義だ…!

 

 東仙要が、眼下より憤慨する尊き友に正義を説く。

 

 

 

「…大虚とまで手を組んだのか…ッ」

 

 ──何のためにだ…!

 

 そして、天へと上る藍染へ、問いを投げる者がいる。

 副官の志波海燕を殺し、部下の朽木ルキアの人生をめちゃくちゃにした憎き敵を怒りの形相で見上げる十三番隊隊長、浮竹十四郎だ。

 

『高みを求めて』

 

 抑揚のない声で答えを返す藍染。それは彼の飽くなき向上心が欲する当然のものだった。

 だが男の果てしない渇望は多くの悲劇を齎す傍若無人な野心。大儀なき力を求める外道へ浮竹は言い放つ。

 

「地に堕ちたか、藍染…!」

 

 その罵倒に、大罪人が眉を寄せた。

 

 

『…驕りが過ぎるぞ、浮竹』

 

 

 目を閉じ、諭すように、男が己の知ったこの世の真実を言葉に刻む…

 

 

『最初から我らに立てる天などありはしない。君も、僕も、神すらも』

 

 

 その意味を理解出来る者は眼下にいないだろう。四楓院夜一や黒崎一護から話を聞くであろう浦原喜助さえ。

 

 

『だが天女の詩吟(しぎん)が終わるとき、我ら道化の叙事詩は幕を引く』

 

 

 されど男は確信する。位相の狭間の語り部が、その神曲の写本を閉じた日こそ…

 

『これからは…』

 

 

 

 

──私が天に立つ──

 

 

 

 

 道化に生まれた己が身は、ようやく一個の命の産声を上げるのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠ざかる。

 

 光の柱の上へ、一人の少女が消えて行く。

 

 少しずつ届かなくなっていく彼女の姿を見つめながら、日番谷冬獅郎のへし折れた心の奥底で、焦燥に煽られた最後の火種が燃え上がる。

 

 

「待て……藍染…ッ」

 

 吐くのは惨めな負け犬の遠吠え。否、遠くに届きすらしない無意味な独り言だ。

 

 だが少年は軋む体に鞭を打ち、必死に天へ手を伸ばす。

 

「動け…体…ッ、応えろ…氷輪丸ッ」

 

 震える指先が触れる己の魂の半身が、無言でかぶりを左右に振る。体はとうに限界で、少年の身を動かすのは折れた心でも、砕けた骨肉でもない。

 彼に残された無様な執念だった。

 

「動けよ……何のための卍解だ…何のための斬拳走鬼だ…ッ!」

 

 ブチブチと何かが千切れる音が全身を走る。それでも冬獅郎は、彼の魂は諦めない。

 

 俺は一体何のために死神になった。

 

 初めて会ったあの日に見惚れたあいつの笑顔を。投げゴマで負ける度に悔しそうに頬を膨らませるあいつの拗ね顔を。横抱きに抱えたときに恥じらうあいつの紅顔を…

 

「…守る…ためだ…!」

 

 あいつを守って、笑わせて、拗ねさせて、照れさせて、一人前の男として認めさせて。

 そして、あいつを、あいつの全部を…

 

 

「──手に入れるためだろうがァァァッ!」

 

 

 瞬間、爆発的な霊圧が冬獅郎の体から噴出した。

 

 刀を振るう腕は動かない。立ち上がるための自由な足も、飛ぶための氷の翼も、戦意を昂らせる強い心も、冬獅郎には最早どれも残されていない。

 

 だが自分にはまだ一つだけ残っている。決して消えない、折れない、弱らない。誰よりも強い感情が。

 

 惚れた女を想う、不滅の慕情が。

 

 

「雛森を──返せえええェッッ!!」

 

 

 若き少年の、最後の男の意地が死力を放つ。命を削るような代償で絞り出した霊力の猛吹雪は降り注ぐ反膜の柱を呑み込み、巨大な竜巻となって天へ聳え上がった。

 

 己の全てを投じ作り出した必殺の【氷天百華葬】の大旋風。たった一人の少女を欲する、何よりも純粋な想いを以て、日番谷冬獅郎は理の領域のその先へ、必死に、必死に手を伸ばした。

 

 そして…

 

 

 

 

「──あ…ぁぁ……」

 

 

 吹雪の渦が消えていく。

 光の塔に阻まれ、少年の最後の意地が、風に吹かれる花のように散っていく。

 

 惚れた女へ伸ばしたその手を阻むのは、この世の理の壁。残酷なまでの理不尽が二人を別つ、決して交わることの叶わない絶対の定め。

 

「嫌だ…」

 

 零れる嗚咽は意地の残滓。惨めな出涸らしが吹き荒む風に飛んでいく。

 

「嫌だ…! 俺は…まだ…ッ」

 

 届くはずもないのに、聞こえるはずもないのに。少年は涙で滲む視界の奥に、微かに浮かぶ少女へ向けて、尽きぬ悔悟の念を吐露していく。

 

 立場なんて、席次なんて、強さなんてどうでもいい。くだらない男の矜持も、死神の誇りも、全部余さず捨てればよかった。片時も離れず、ずっとあいつの側にいればよかった。

 あの霊術院最後の誕生日に、恥ずかしがらずにちゃんと…

 

 

 ──あいつに言えばよかったんだ。

 

 

「…今なら…言えるんだ…!」

 

 意地も恥も、外聞も、何もかも。くだらないこと全てを無視して、その大事な大事な本音を言えるんだ。

 

 だから。

 

「…頼む…雛森…!」

 

 言わせてくれ。

 

「…行くな…雛森…ィ!」

 

 俺はずっと、お前のことが。

 

 

「…雛森────ッッ」

 

 

 

 

 

 好きだったんだ、と…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雛森ィィィィィィィ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八月六日、正午。

 

 尸魂界の中心、双殛の丘に虚しく響く喚呼の悲鳴。一人の少年が想い人の名を呼ぶ悲愴な声を最後に、護廷十三隊は大逆者三名と一人の陰謀の前に…

 

 

 ──敗北した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






ニチャァ…



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