雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」 作:ろぼと
『あ…あぁ…』
吉良イヅルはその時の光景を、恐怖を、そして無力感をよく覚えている。己の魂の奥底に焼き付いた絶望は何年が過ぎようと未だ彼の自由を縛り続け、同時に自分の忌むべき弱い姿を想起させる反面の戒めであった。
「ダメ…勝てない……逃げてッ」
「ぁ…」
「逃げてえ ッ!!」
つんざくような悲鳴が微かに耳に届く。意中、と形容すべき感情を覚える少女の華奢な後ろ姿を見つめながら、イヅルは己の手足を動かす方法すら忘れてただただ阿呆のように立ち竦んでいた。
「みんな! くっ…!」
呆ける頭の片隅で、固まる体に何かが巻き付く感触を朧気に覚える。直後強い浮遊感と共に視界から彼女の姿が消え、気付けばイヅルは幾重の障子の奥、
「あぇ…?」
そしてワケがわからぬまま、イヅルの体は更なる力に弾き飛ばされる。
「そのまま門の奥に逃げて!」
「──ッ!」
硬いものに頭がぶつかり、鈍痛が意識を覚醒させる。はたと状態を確認すれば、自分は見慣れた霊術院の屋上で無様に転がっていた。そして次々に処理待ちの情報が頭を巡り、イヅルはようやく正しい現実を直視した。
「ひっ──雛森君ッ!!」
「雛森! 何してやがる、お前も逃げろッ!!」
同時に我に返った恋次も、一人あの大軍の前に残った彼女を救わんと立ち上がる。だが努力も空しく、がくりと膝から崩れ落ちた二人の心に戦う強さは残されていなかった。
彼らの眼前には【這縄】を鞭のように操り、取り残された六回生三人を穿界門のこちら側へと投げ飛ばす少女の必死な姿。直前、誰かを守りたいと死に物狂いに放った鬼道で敵の一体を倒した彼女は、常の可憐な美貌を悲愴に歪めながらも迫る絶望に抗わんとしている。
足手まといな自分達をその小さな背中で守りながら。
だが。
「あ…」
ふと溢れた吐息は少女の悲劇を悟るに十分な言霊だった。
イヅルの目の前で。
──あの手折れそうな細い腕が触手に捕らわれる。
──あの珠のような白肌が鮮血の雨に色付く。
──あの瑞々しい桜唇から絹を裂く悲鳴が上がる。
「そん…な……」
この世の深淵のような暗闇を垣間見る、魔界の洞。連れ込まれれば二度と生きては戻れない悪霊共の塒に吸い込まれる少女の姿を最後に、神代に別たれた世界の門が掻き消えた。
まるで全てが夢幻であったかのように何一つ残らぬ現実の中、吉良イヅルは茫然自失と穿界門の前で座り込んでいた。
***
「───あー、喉痛い」
謎の触手(鱗付きでエロくないやつ)に引っ張られながら、あたしは今日三回も慣れない悲鳴を上げてくれた自分の喉を唾で潤し回道で労る。女の子の悲鳴ってそれだけで凄い悲愴感あるよね。うまくみんなを騙せたのではなかろうか。
「…見えない」
しかし目を塞がれているので自分の身に何が起きているのかよくわからない。とはいえ殺意ゼロな
「あうっ…!」
するとしばらくの後、ぺいっとどこかに投げ捨てられた。あたしはしりもちをついたまま周囲へ目を向ける。
「────え…?」
そこにあったのは見渡す限りの黒い空と白い砂漠。のし掛かるような濃い霊子。そして、数える気も起きないくらいの──巨体の群れ。
地響きを立てながら近付く無数のそれらは、まるで巨木の森そのものが動き迫っているかのように非現実的な光景だった。
「は、はは…」
思わず笑い声が溢れる。気が狂ったのでも、自棄になった訳でもない。
だってそうでしょう?
「
これ、一次面接大成功では?
『…オオォォォォ…』
唐突に連れ込まれた楽園に、
大人気漫画BLEACH。その史上最高のオサレボスが、あたしのために用意した実験場。無数の読者に絶望と感動を与え、数々の名言、迷言をネット界に残したあの男が、藍染惣右介が。本誌ではボロ雑巾のように捨てたこの雛森ちゃんに、ただの一読者に過ぎなかったあたしに言っている、いや命じているのだ。
「…………ッ!!」
あぁ^〜。
勝手に即堕ち二コマしたあたしは今まで抑えていた霊圧を全て解き放つ。皮膚付近に凝縮され眠っていたエネルギーが活性化し、体から濁流の如く溢れ出る。周囲の景色がまるでノイズ映像のように歪み、大虚たちがその巨体を軋ませ悲鳴をあげていた。
『…オオォォォォ…』
目の前で畏縮する大虚たち。大樹のような大きさなのに、存在感がどこか弱々しい。
凄い、これがあたしが今まで血とゲロを吐きながら鎖結くんと魄睡くんを百年間いぢめ続けて手にした霊圧なのか。我ながら感動ものだ、努力が大体報われる漫画の世界ってステキ。
「……いけるっ!」
思わず笑みが溢れた。
調子に乗っているのを自覚するが、
今はもう女の子として生きてる時間の方が四倍近く長いが、やはり元とはいえ男の子はこんなときにイキってはしゃいじゃう生き物なんだ。
「…始めます!」
あたしは雛森桃。ならば切り札はやはり鬼道である。
霊力を多量に込め、軍勢の一角が入る扇形半径百メートル弱の空間に煙幕を展開する。この鬼道は珍しい創造系に分類され、一度生み出した煙幕は維持に意識を割く必要がない。そのため二重詠唱をせずに悠々と【白伏】で自らの霊圧を消す余裕がある。
「──黒白の
軍勢があたしの霊圧と鬼道に動揺している隙に更なる準備を進める。浅打で指から血を滴らせ、両腕と宙に触媒の紋様を描いていく。あの虎徹さんのシーンほど手慣れてかっこよくはないけれど。
「──
原作でこの鬼道とその実例を見たとき不思議に思ったことがある。ただ一方に声を届けるだけの鬼道が何故これほど高い番号に位置しているのか。
その答えは論理的に当然なものだった。
ザァッ…と膨大な情報が頭に流れ込んでくる。周囲の霊体の数、霊圧、そして位置。それらを手にし準備を終えたあたしは、ようやく攻撃を開始する。
「どれほど距離が離れていようと、分厚い壁で遮られていようと、そこに霊子がある限り、あなたたちは逃げられない…!」
番号は低い。されど侮ることなかれ。何故ならこの鬼道には、この作戦の決定打たる唯一無二の特性があるのだから。
霊力にモノを言わせた凄まじい電流が、赤煙の中に無数の
そう。【天挺空羅】が高位鬼道として扱われるのは、大気中の霊子を限定的に支配下に置く、全鬼道中最大の効果範囲を持つからだ。
今回使った【綴雷電】は名の通り雷電系の破道で、射出ではなく霊体を伝導し発動する性質がある。ならば【天挺空羅】が支配した周囲の霊子を導体として利用し、さながら電波通信のように相手へ破道を送信することも可能。回避不可の害悪鬼道コンボだ。
世界一危険な迷惑メールを受け取った大虚たちは感電し、中には耐えきれず膝を突く者もいる。
──あとはもう、蹂躙するだけだ。
「やあああっ!」
斬術は得意ではないが、コイツらは名前こそ仰々しいものの
赤煙遁が敵の視界を混乱させている内に大虚を狩りまくる。狩る、狩る、狩る!
『──オオォォォォ…』
「ッ、何か来る…っ」
遠くの何体かが痺れから復活し、かなりの霊圧を集束させ始めた。復帰がかなり早い、上位種だろうか。恐らく来るのは大虚の切り札、
虚閃の乱舞に備えて大地に伏せ、傾斜装甲を参考に鬼道の盾を構える。直後大気が震え鈍い爆音が辺りに響き渡った。
外が凄いことになっている間も安全圏で鬼道を完全二重詠唱。しんどいがあたしなら出来る!
「立ち直らせなんて…しないっ!」
その様はまさしく一騎当千。動けない相手を一方的に屠る無双感。縦横無尽に駆け回り、鬼道で位置を悟らせない無敵感。敵の攻撃すら利用し戦闘の流れを自在に操る全能感。堪らない。何もかもが自分の思い通りだ。
爆発的な霊圧。圧倒的優位な状況。そして、あたししか知らない原作知識。
今なら何でも出来る気がする。ずっとやりたかったアレさえも出来てしまう気がする!
習ったことなんてない。だけどその実例なら何度も画面で視て勉強した!
たとえ学校の女子たちに爆笑されようと。めげずに友達と披露し合った青春の日々を思い出せ!
「痺れ!」 「瞬き!」
「…眠りを妨げる…」
もう何も怖くない! 残りの全霊力を注ぎ込み、男の子なら一度は口ずさんだあの鬼道をいざ!
ここはBLEACHの世界だ!
OSRメーターも最大だ!
「反発せよ!」
逝くぞ!
──己の無力を知れ」
全世界十億人のBLEACH読者のみんなァ、おらに力を分けてくれえ!!
…
…はい。
「────ぐぇ」
使えもしない黒棺ごっことかいうアホみたいなことに全霊力をぶっ込み、己の無力を知ったあたしは、悠々と近付いてきた
ヨン「…!」(スッ
ヨン「……」(スッ…