雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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おまたせ、遅れてすまぬ…
取り急ぎ更新。

 


三日ィィィィ!

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ようこそ…我らの城、虚夜宮(ラスノーチェス)へ」

 

 

 列柱に囲まれた幾何学的な巨大空間。あるいは玉座の間と形容するに相応しいその広間に連れて来られた人間の少女──井上織姫は、そこで己の新たな"王"に謁見を許された。

 

 藍染惣右介。

 

 元護廷十三隊の隊長にして、友人の朽木ルキアや黒崎一護ら仲間たちを巨大な陰謀に巻き込んだ、尸魂界(ソウルソサエティ)の裏切り者だ。

 

 初めて彼と正面から相対した織姫は、その恐ろしさを肌で感じた。一目見た瞬間に本能で個を超え種としての格の違いを悟るほどの、霊圧の巨人。体中の力が、抱いた覚悟が、ありとあらゆる抵抗心が抜け落ち、少女は"跪く"という服従の意を示すことすら忘れ、ただ茫然と立ち尽くす。

 

「どうやら君の価値に疑問を抱く者がいるようだね。…折角だ、織姫。君の力を我々に見せてくれ」

 

 そして少女は、ここ虚夜宮(ラスノーチェス)の掟を目の当たりにする。逆らう気力すら湧かず、言われるがままに青髪の青年グリムジョーの傷だらけな身体で己の能力を披露する自分。癒した彼が狂ったような笑い声を上げながら、仲間の一人を嬲る残虐な姿。そしてそんな二人の戦いを面白そうに、無関心に、呆れるように眺めるだけの周囲一同。情も理性もどこにもない、弱肉強食の獣のみがそこにいた。

 怖い、恐い、コワイ。味方を裏切り独りとなった自分を護ってくれるヒーローはもういない。敵地の最奥、荒れ狂う凄まじい霊圧、同じ種族の同胞同士ですら殺し合う狂気の世界。そんな地獄に自ら足を踏み入れた織姫は、ただただその場で恐怖に震えることしか出来なかった。

 そんな脆弱な人間の命は、強大な十刃(エスパーダ)たちの争いの前では羽のように軽く…

 

「…ッ!?」

 

 気付けば辺りに散らばる即死の霊圧が、織姫の眼前に迫っていた。

 

 

 

「──控えろ、グリムジョー」

 

 

 

 だが虚閃(セロ)の流れ弾に瀕した彼女が激痛と衝撃を覚悟し目を閉じたその瞬間。織姫の耳に平坦な男の声が聞こえた。

 

 痛みが来ない。巨大な霊圧が凪のように収まっている。何が起きたのかわからないまま目を開けた織姫は、そこで一人の破面の背中を見た。

 彼女が最初に出会った破面の一人にして、自分をこの場に連れてきた張本人。確か、名前は…

 

「…何のつもりだァ、ウルキオラ!」

 

 そう、ウルキオラだ。

 

「こっちの台詞だ、莫迦。お前が散らかす虚閃(セロ)の残滓で女が死ぬ」

 

「…な」

 

 青年の一言で場に静けさが戻る。緊張が解けた織姫は未だ無事な我が身を掻き抱きながら、そっと隣の青年を見上げた。

 

 無表情で、尊大で、「(クズ)」とか「(ゴミ)」とかちょっと口が悪くて怖い人。

 だけど…

 

 

(守って、くれた…?)

 

 

 無論それが上司の命令、人質としての価値を考慮した当然の行動であったことなど一目瞭然。現世の仲間たちのような温かさは欠片も無い、忠実な組織人としての振る舞いに過ぎないのはわかっている。

 

 それでも、無言で自室への道を先導してくれる彼の後ろ姿を見ていると、ふと、淡い期待を抱いてしまうのだ。

 

 

 この人は、違うかもしれない。と…

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「…ん、ぅ」

 

 寝ぼけ眼を擦り、辺りを見渡す織姫。覚醒していく頭が現状を認識し一気に気持ちが落ち込むが、持ち前のポジティブ思考で振り払う。

 

 肌触りのいい上品なネグリジェを弄りながら、織姫は思わずにへらーと表情を崩す。

 

 そう、奴隷みたいな生活を強いられる覚悟をした身にとって、ここ虚圏(ウェコムンド)での生活は天国そのものなのだ。

 

「ホントのお姫様になったみたい…」

 

 ベッドの天蓋から垂れ下がる純白のレースカーテンを掻き分け、早朝の室内を見渡す織姫。サイドテーブルには水の入った美しい石英のグラスにピッチャー。女性破面たちの間で流行っているのか、現世のファッション雑誌まで置いてある。

 

 

 織姫が虚夜宮(ラスノーチェス)へ招かれて一日が過ぎた。

 (ホロウ)の王城と聞いていた巨大な伏魔殿での生活は、されど当初の想像とは大きく異なり、小市民な彼女には一生縁がないほどの極めて豪勢なものだった。

 

 

 

「──随分呑気に寝られるようだな、女」

 

 三度のノックに飛び跳ね部屋の扉へ振り向くと、世話係をしてくれている破面の青年がサービスカートを押しながら現れた。天然な織姫は寝間着のままベッドを降り彼を迎える。

 

「お、おはようございます…! えっと…ウルキオラ、くん?」

 

「敬称は要らん。朝食を持って来た、食え」

 

「朝ごはん!」

 

 ふわりと漂う強烈なバターの香りに思わずカートまで駆け寄ってしまう。バスケットの中にはつやつやに輝く焼きたてのクロワッサン。お皿に被さったお洒落なクロッシュが期待を煽って堪らない。

 

「座れ。配膳が出来ん」

 

「あ、は、はい! すみません!」

 

 慣れた動きでウルキオラが食器やクロスを広げテーブルを彩っていく。そして現れた料理を目にした瞬間、耐えかねた織姫の腹の虫が一斉に大合唱を始めた。

 

 黄金に輝くスクランブルエッグ。焼き色の見事な分厚いベーコンステーキとソーセージ。色鮮やかなパプリカやズッキーニのグリル。グラスとコップにはそれぞれ甘酸っぱい香りのオレンジジュースと濃厚なホットココアが注がれ、その横にはデザートの粉砂糖が降られたチュロスまで置かれている。

 まるでテレビの旅行番組に出てくる超高級ホテルのブレックファストだ。

 

「あのっ、こ、これホントにあたしの…?」

 

「俺たち"十刃(エスパーダ)"と同じメニューだ。献立は毎日変わる。さっさと食え」

 

「ふわぁ…」

 

 質素な尸魂界や現世の自宅とは別次元の至れり尽くせりっぷりに放心してしまう。半ば人質のような己の立場をすっかり忘れ、織姫は破面たちの豊かな生活に羨望を通り越し感動すら覚えていた。

 

 来てよかった、虚夜宮(ラスノーチェス)

 

 

 

「──ご馳走様でしたぁ…」

 

 二十分後。

 美食の誘惑に完敗した織姫は、妊婦のように膨れた腹をネグリジェの上からポンポン叩いて余韻に浸っていた。

 

 残しておいたホットココアをちびちび飲みながら、隣へこっそりと目を向ける。静かに食器を片付けてくれるウルキオラのことが、少女はふと気になった。

 

(あたしが自分で片付けようとしたら怒るし、何か拘りでもあるのかな…?)

 

 男性としては小柄で中性的な顔立ちだからか。何となく年の近いクラスの男子を思い起こさせるこの破面の青年は、どうやら以前から自分の世話係をすることが決まっていたらしい。先月のヤミーや謁見の時のグリムジョーなど、狂暴で恐ろしい人たちばかりだと身構えていた織姫にとって、ウルキオラの存在は破面という種族に対するイメージを大きく改める切っ掛けになった。

 

(悪い人じゃなさそうだし、せめてもうちょっと仲良くなれたらなぁ…)

 

 ニヒルで無表情な破面の青年。その様がどこか、尸魂界で敵と戦っているときの冷徹な石田雨竜、無口な茶渡泰虎を彷彿とさせ、織姫は彼に微かな親近感を覚えていた。

 

 断界で尸魂界の護衛二人を殺さず意識を奪うだけに留めた慈悲も、恐らくこの人以外の破面には珍しいだろう。あるいは彼となら種族を越えてわかり合い、少しでも争いを減らすことが出来るかもしれない。

 

 そんな夢物語を抱いてしまうくらいには、織姫はこの半日間で観察したウルキオラの為人を好意的に捉えていた。

 

 

 …その壁が果てしなく高い御伽噺だと知っても尚、彼を信じたくなる程に。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「──織姫。君に一つ、仕事を頼みたい」

 

 

 朝食を終えた織姫を待っていたのは、せっかくのクロワッサンが逆流しそうになるほどの恐怖と驚愕だった。

 藍染惣右介からの呼び出しに戦々恐々としながら従い入室した玉座の間の更に奥で、彼女は透明な棺のようなカプセルに寝かされた一人の少女を目にする。

 

「ッ、こ…この人…!」

 

 息を呑む織姫に、藍染が頷く。

 

「ああ、君も会ったことがあるだろう。かつて尸魂界で五番隊副隊長および鬼道衆・一之組第三班班長を務めた、破面(アランカル)軍"十刃(エスパーダ)"軍団長」

 

 

 

 ──雛森桃だ。

 

 

 

 彼が撫でるカプセルの中に横たわる少女は、およそ人とは思えない痛ましい姿をしていた。体のあちこちに開いた穴からは桃色の霊圧が吹き出し、胴部は宛ら弾けたザクロの如き形容するも怖ろしい有様。不安定な魄脈と微かに上下する胸元が、最早肉片も同然な彼女の命を奇跡的に繋ぎ止めていた。

 

「無論、護廷十三隊にやられるほど弱い娘ではない。彼女を苦しめているのは、私が与えた新たな力だ」

 

「新たな…力…」

 

 カプセルの中に途轍もない規模の霊圧が渦巻いている。強固な結界を隔てても感じるそれは、まるで核融合炉を人体に埋め込むかの如き所業。あまりの惨さに織姫は思わず隣の下手人を睨み付ける。

 この場に己が呼ばれた理由など一つしかない。

 

「さて、織姫。君には彼女の魂魄を、元の状態(・・・・)に戻してほしい」

 

 どの口が言うのか。そう吐き捨てられたらどれほど楽になれるだろう。

 

 以前聞かされた少女の身の上。孤独に苦しみ、差し伸べられた巨悪の手に縋った結果の不運。退路を断たれ不本意に仲間や友人を裏切ることとなり、今ではこんな悪逆非道な実験に利用されている。その気持ちを想像するだけで織姫は胸が潰れる思いだった。

 

 諸悪の根源、藍染惣右介なんかに言われるまでもない。織姫は目の前で苦しむ少女を救わんと【盾舜六花(しゅんしゅんりっか)】の妖精たちに想いを託す。

 

 "事象の拒絶"。

 

 神の定めた事象の地平を乗り越える、神の領域を侵す力。それが、図らずとも教わった自らの力の壮大すぎる本質だった。

 

 …だがこれほど大きな霊圧の持ち主に力を使うのは初めてで、そして満足な効果を望むには、雛森軍団長の魂魄はあまりにも異質すぎた。

 

『ダメだ織姫。この人、魂が別の位相に行こうとしてて能力がほとんど届かないよ…!』

 

「そんな…」

 

 それまでどんな怪我も癒してくれた【双天帰盾(そうてんきしゅん)】の妖精、舜桜とあやめが悔しそうに首を横に振る。織姫には二人の言葉の意味は分からなかったが、その表情からは根本的解決が極めて困難なのだと容易く察せた。

 

(黒崎君…)

 

 救えなければどうなるのだろう。恐怖と罪悪感に心臓が早鐘を打つ。

 

 

 恋する乙女な織姫は、この死神少女が己の想い人──黒崎一護と何やら複雑な縁で結ばれていることをボンヤリながら察していた。一月前の殺伐とした出会いで、立ち込める砂ぼこりの中彼女が密かに一護へ接触した光景を見てしまった記憶は未だ新しい。あの日以後、彼の刺々しい焦燥感が消えたことも、恐らくは無関係ではないはずだ。

 

 一護を、仲間たちを裏切り藍染惣右介に従った自分に、彼と共に歩む未来はもうないだろう。一方的だったが想いも別れも伝えることが叶い、織姫はあの夜の切ない甘露を胸に一生を終える覚悟でここに来た。

 

 だが、ある意味自分と近い立場かもしれない雛森軍団長をいざ前にすると、どうしても複雑な感情が沸き上がってしまう。

 

(…って、そんなこと考えてる場合じゃないよあたし!)

 

 憐憫。嫉妬。不安。達観。こんな捻くれた気持ちでは能力を十全に発揮できない。雑念を振り払い、織姫は長期戦を覚悟し無我夢中で少女の破裂した魂魄の修復を試みる。

 

 それは彼女だからこそ抱ける純粋な想い。魂に満ちる慈愛の心が力となり【双天帰盾】の光が少しずつ雛森軍団長の傷を回復させ始めた。

 

 

 その光景を眺める巨悪、藍染惣右介は鷹揚に頷き、背後の部下へと首を向ける。

 

「ウルキオラ」

 

「はい、藍染様」

 

 呼ばれた破面の青年が進み出た。

 

「治療中はこの部屋を織姫の自室とする。君は桃が目を覚ますまで、私以外の誰もこの扉を潜らぬよう見張りたまえ」

 

「畏まりました」

 

 そう言い残し、彼らの"王"は去って行った。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「──治せるか?」

 

 治療を始めてから少し。二人となった部屋で、不意にウルキオラの声が沈黙を破った。

 

「えっ、あ、う、うん…」

 

「そうか」

 

 淡泊な相槌の後、破面の青年が膨大な力の奔流に苦しむ女上司へ目を向ける。

 ジッと彼女を見つめるその綺麗な翡翠の瞳は変わらず無感情。

 だが。

 

(錯覚…?)

 

 一瞬の目の悪戯か。織姫にはそこに、微かな人間味が見えたような気がした。

 

 思い出すのは先月に彼と出会った最初の襲撃。傷付いたヤミーなる巨漢の破面の暴虐な振る舞いを叱咤しつつも彼の身を案じていた雛森軍団長。尸魂界の流魂街や護廷十三隊の人たちの誰もが彼女の心の優しさを称えるほどの人格者は、もしかしたらこの鉄面皮の青年にとっても決して軽い存在ではないのかもしれない。

 

(だったら尚更、絶対に助けないと…!)

 

 宿敵の虚を祖に持つ破面を相手に、人間のような上司と部下の良い関係を築く死神の女の子。そして彼女を慕う素振りを見せるヤミーやウルキオラのような破面たち。

 あるいはこの人たちなら、藍染惣右介が起こした尸魂界と虚圏の戦争を終わらせる大きな一助となってくれるだろうか。

 

 そんな織姫の、懸命に大勢の人の不幸を無くそうと願う健気な姿を、ウルキオラ・シファーは変わらぬ無機質な瞳で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 三日後、雛森軍団長は無事目を覚ました。

 

 カプセルから出た彼女は、まるでそこに居ないかのように一切の霊圧が感じられず、その顔は幽鬼のように青褪めていた。

 

「…君の協力に感謝しよう、織姫」

 

 そんな部下の憔悴した姿を睥睨する藍染は、嗤っていた。

 

 

 

 ──実に理想的な実験結果だった。

 

 

 

 男が残したその言葉の意味は、織姫には最後まで理解出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

次回で破面篇ラストです。
チャン一視点の幕間となります。お楽しみに!


 

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