雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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お ま た せ 


心かィィィィ!

 

 

 

 

 

 

 

 

「──くそがああああああ~~……」

 

 

 虚夜宮(ラスノーチェス)第5の塔。最下層へと落下したヤミー・リヤルゴは手近な動く物体を殴り飛ばし、胸に渦巻く憤怒を発散させていた。

 

「あの死神にメス犬共……絶対に許さねえぞ! ぶっ殺してやるッ!!」

 

 どいつもこいつもカスばかりだ。古参の十刃は同胞たちのあまりの不甲斐なさに憤慨する。

 

 

 ヤミー・リヤルゴは最初期の破面の一人である。かつて組織が"(エスパーダ)"の名で呼ばれていた古き時代から藍染惣右介に従い、その権勢を支えてきた。

 

 無論当初は反発した。だが藍染王にではない。それは王が彼ら破面軍の指揮官と定めた、一人の女死神に対してだった。

 

『よ、よろしくお願いします、ヤミーさん』

 

 その女は、身体も態度も小さかった。

 自分の頭三つは小さいガキでひ弱そうな小娘に頭を下げるなど、まるで自身の帰刃(レスレクシオン)を活用させるための合理的な皮肉に思えるほど馬鹿げた話だ。

 

『ダメよヤミー、良い子にしなさい』

 

 だがその女は、強かった。

 バラガンに続く二番手として彼女に歯向かった自分は、本物の"死神"を知る。ガキのように頬を膨らませ拗ねながら、砂漠を煮え滾る硝子の煉獄へと変える、恐るべき死神の姿を。

 

 おそらく自分はあの時彼女に、獣の上下関係を骨の髄まで叩き込まれたのだろう。炭化した肉体の再生治療に半年間培養器の中で過ごしたヤミーは、その後例の上司の誰にでも遜る弱っちい立ち振る舞いに、不思議と不快感を覚えることはなくなった。

 

 あの地獄を知ったら、ヘラヘラしながら旨いハンバーグをご馳走してくれるあの人の腑抜けた姿など、まさに天使そのものなのだから…

 

 

「──コイツは……ヤミー!」

 

 ふと聞こえた声に足下を見れば、弱そうな死神と人間が驚きこちらを見上げていた。

 

「どういう事だ……あの時より明らかに、倍は大きさが違う…!」

 

「…あぁん? 何だァ、てめえら。うろちょろウザってえ」

 

 霊圧も貧弱、能力も貧弱。こんなカス連中に、あの人と共に虚圏(ウェコムンド)を駆け回って集めた同胞の十刃達が敗北したと言うのか。

 ウルキオラに奪われた因縁の死神、侍女破面共の裏切りに続く燃料が、ヤミーの憤怒の炎を益々燃え上がらせる。

 

「…クソ、ムカつくぜ。弱ぇクセに……この俺をここまで怒らせやがってよォッ!!」

 

『!?』

 

 寝まくり喰いまくり、今日のために溜めに溜めた霊圧を解き放つ十刃。こんな連中で使いきれる量でも、そのために蓄えた力でもない。その事実が益々巨漢を苛立たせる。

 そして。

 

「ッ、狼狽えるな! 肩の数字を見ろ! 今まで俺達が戦って来たどの十刃よりも格下だ!」

 

「デカさにビビッてても始まらねえ! とっとと倒して一護に加勢するぞ!」

 

『応ッ!!』

 

 足下で巫山戯たことをぬかし昂る雑魚の戦意が、遂にヤミーの憤怒を爆発させた。

 

「倒す? てめえらクソカス共がこの俺を!?

 ──笑わせんな!!」

 

『!!?』

 

 跳ね上がる霊圧に身構える周囲を嘲笑いながら、ヤミーは自らの斬魄刀を鞘から解き放つ。

 

 

「"ブチ切れろ"!!」

 

──【憤獣(イーラ)】──

 

 

 いいぜ、そんなに数字が好きなら教えてやる。"第10十刃(ディエス・エスパーダ)"たる俺が持つNo.10の、真の姿を。

 

 二桁の数字の柵を解いた俺は、あの人が有する最強戦力。

 

 

「──"第0十刃(セロ・エスパーダ)"

  ヤミー・リヤルゴだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫に沈んだ第8十刃宮に、女の淫猥な荒い息が木霊する。

 地に四肢を投げ出し、白目を剥きながらピクピクと痙攣する実験体を背に、再誕した"第8十刃"(オクターバ・エスパーダ)ザエルアポロ・グランツは放心する観客の前で誇らしげに佇んでいた。

 

「理解出来ているか、涅マユリ。この【受胎告知(ガブリエール)】の素晴らしさを」

 

 青年は己の破滅の導き手へ悠然と語る。

 敵に自分自身を孕ませることで、まるで不死鳥の如く常に新たな存在へと生まれ変わり続ける生物。死を超越するのではなく、死すらも自らの生命の循環に取り込み、死と再生を間断なく繰り返す存在。

 

 

 それを人は──"完璧な生命"と言う。

 

 

「さあ、見せてくれ。終焉のない僕と言う存在を、君はどうやって終わらせるんだ?」

 

 両腕を広げ、心の底からその答えを求めるザエルアポロ。

 

 だがそんな彼の姿を見向きもせず、涅マユリはふらふらと歩き出した。ザエルアポロへではなく、その背後で身体を掻き抱く自身の副官の下へ。

 

「部下が心配かい? 繊細なものだ、案外と」

 

「……」

 

「だが心配しなくていい。今回試したパターンは本来の効果を改造調整した特別製でね。彼女もきっと気に入ってくれたはずだよ」

 

 我に返った母体の人造女死神に外傷はない。だがその頬は朱に染まり、目は潤み、吐息は甘い熱を宿している。

 快楽信号の作用薬はとっくに切れているはずなのだが、彼女は未だ、発情していた。

 

「…ッあ、…はぁ…っ♥ マ…マユリ…さま…っ、…申し…訳…っあ♥」

 

「ああ、もしかして霊子神経系異常による持続性性喚起かな? 性的快楽を増幅させるために既存の霊性シナプスが変化したのか。だとすると最短でも一月は続くな…」

 

 ──だが、これはこれで悪くない。

 

 興奮が収まらず必死に性的欲求に抗う副官を観察しながら、ザエルアポロはその姿を別人に置き換え想起する。いつもの人好きのする可憐な笑顔を赤らめ、何かをこらえるように袴の股座をぎゅっと握り締める、一人の少女の姿を。清楚で淑やかな印象が淫らに乱れ、性を知った若い身体を持て余す、あの無垢な乙女の恥辱を。

 

 ふむ、やはり余計な調整はやめて今のままにしておこうか。

 

 

「…趣味が悪いぞ、ザエルアポロ。さっさと彼女を元に戻せ…!」

 

「ククク…僕の感謝の気持ちをそう邪険にしないで貰いたいね、滅却師(クインシー)。彼女だって愉しんでいるだろう? …ああ、失礼──"君達も"と言うべきだったよ」

 

『なっ、た、楽しんでねえ(ない)し!?』

 

 ジッと自らの副官の痴態を見つめ続ける涅マユリへ、ハモる思春期な外野と戯れながらザエルアポロが皮肉を口にする。

 

 …だが振り向いた死神の顔に浮かんでいたのは、部下を辱められた怒りでも、彼女に対する憐憫でもなかった。

 

 

 

「────面白いネ」

 

 

 

 そこにあったのは、邪悪な感心。十刃自身も良く知る、飽くなき知的好奇心がその他の感情全てを駆逐していた。

 

「良いネ、実に面白い能力だヨ。特に母体そのものの霊力ではなく、その霊力器系を乗っ取って自らの霊圧を回復するカラクリは中々成功例が少なくてネ。おまけに酷使させる臓器を君と一時的に融合することで疲労を最小限に抑えている。君の"本命"とやらも咽び泣く慈悲深さだヨ」

 

「…そんなつまらない反応は求めていないんだがね、あの方には」

 

 人造副官の身体的変化を詳細にフィードバックする能力でも有していたのだろう。この短時間で基礎的な霊力抽出の仕組みを暴かれ、ザエルアポロは眉を顰める。

 否、気に食わない最たることはそれではない。この男の関心が能力の目的である生死の可逆性ではなく、能力行使の動力という蛇足の蛇足にあること。

 そして。

 

 

「で、これだけかネ?」

 

 

 己の最高の能力に「面白い」以外の価値を認めない、その傲慢さそのものにである。

 

「"完璧な生命"とまで言うんだ。これだけじゃないんだろう?」

 

「……」

 

「良いじゃアないか、減るもんじゃ無し。ケチケチせずに見せ給えヨ、ホラ!」

 

 涅マユリの催促は心底そう思っているからこその、ある種の高度な挑発でもあった。

 しかしそれに対するザエルアポロの感情は怒りではなく、呆れ。

 

「…全く、君には科学者としてのプライドがないのかい?」

 

「何だネ、いきなり?」

 

「これほど素晴らしい能力への感想がソレしかない君の低劣さには、最早憤怒を通り越して哀れみすら覚えるけど……これは貴重な"発表"の場なんだ。お前が僕より優れていると証明するには、態度ではなく成果でし給えよ」

 

 言外に「次はお前の手札を見せろ」と要求し、ザエルアポロは腕を組む。

 

 そう、これは観察の場なのだ。涅マユリが如何にしてザエルアポロのこの()()を倒すかを観察し、その術を研究するための。既に現在ラボでそれなりの成果は得ているが、青年はやはり確信が欲しかった。

 

「…ふむ、確かにそろそろ頃合いだネ。君が自らの終わりにその生涯の集大成を見せる気がないのならば、致し方ない。最後にその身で以て……私の研究の成果を体験してもらおうか。

 

私の       」

 

「ほう」

 

 ぐわん…と唐突にザエルアポロの聴覚が狂う。我が身に起きたことを冷静に分析し、彼が導き出した答えは、正解に限りなく近いもの。

 

「ネムの体内には幾つか薬を仕込んである。ネムを喰うか体内に侵入すれば、そいつに投薬できるようにネ」

 

 それは彼の副官を用いた、臓器別に異なる薬品を小胞させる、地雷。そしてザエルアポロが"卵"を産み付けた臓器に仕込んであった薬は──"超人薬"なる代物だった。

 

 達人同士の果し合いにて、時に起きる「時間が止まって見える」現象。極限まで研ぎ澄まされた感覚が引き起こす特別な精神状態を、人為的に再現するための薬物だ。

 

「理解できているかネ? 一秒が百年ほどに感じる"超人"になった君のことだ。"常人"の私の動きはさぞかし緩慢で退屈な事だろう」

 

「…、……」

 

「さて、十刃。被検体の君に一つ聞きたいことがある」

 

 

 ──この剣が止まって見えるかネ?

 

 

 歯を剥き出しに嗤いながら、涅マユリが斬魄刀をこちらへ突き付ける。

 

 ザエルアポロには自身の心臓に突き刺さるその剣が、数百年の長きに亘る緩やかな動きに見えている。"超人たる"感覚に対し、"超人たり得ぬ"肉体は恐ろしいほどに遅れを取る。彼の超感覚に、肉体が置いてきぼりにされているのだ。

 

「なに、君の時間はたっぷりある。私の剣が君の心臓を貫く感覚を、滴る体液が砂になるまで、ゆったりじっくり味わい給え」

 

 …ああ、なるほど。遅すぎて動いていることさえわからないが、僕はやはり、()()()()()()()()()()

 

「それでは、十刃」

 

 

 

 

 ──百年後まで御機嫌よう。

 

 

 

 

 

 そう言い残し、崩壊した宮を漁り出す涅マユリ。

 

 その愉快な姿を眺めながら、遠くの世にて、一人の青年が嗤っていた。

 

 

「…そしてザエルアポロ・グランツは滅び、女神の箱庭より解き放たれる」

 

 

 青年は静かに自らの義魂個体との認識同期を切断し、歪な形状のヘルメットを頭から降ろす。

 

 ヤツの生物系卍解の体内に巣食う第一個体、副官の体内の各種薬品を取り込んだ第二個体。

 彼らの尊い犠牲で手にしたそれらの詳細なデータを手に、"第8十刃"ザエルアポロ・グランツは、悠々と現世のアジトの研究室へと踵を返した。

 

 

「クク……麗しく慈悲深い貴女が、宿命を果たした僕にどのような褒美をくださるのか…楽しみでなりませんよ」

 

 

 

 

 ──閣下。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 ──何故そんな目ができる。これほどの絶望を前にして。

 

 

 虚夜宮(ラスノーチェス)の天蓋上層。完膚なきまでに叩き伏せられて尚立ち向かってくる黒崎一護を前に、ウルキオラ・シファーは生まれて初めて明確な"苛立ち"という感情をその空虚な胸に抱いていた。

 

「月牙を撃て」

 

『!?』

 

 鍔迫り合いの中、破面は死神へ言う。仮面をつけた今の状態が、月牙が共にお前の最強の技ならば、今ここで撃って見せろ。

 

「力の差を教えてやる」

 

『ッ、ふざけやがって! そんなもん言われなくても…そのつもりだ!!』

 

──月牙天衝(げつがてんしょう)──

 

 挑発に乗った黒崎一護が凄まじい密度の霊圧を解き放つ。なるほど確かにグリムジョーを倒しただけのことはある。

 

「…だが、所詮は人間のレベルだ」

 

『無傷……だと……』

 

 その通り。たとえ仮面を被ろうと、我等破面の虚閃(セロ)に似た攻撃を放とうと、その力は天地ほどにも隔たっている。

 

──黒虚閃(セロ・オスキュラス)──

 

『がは…ァッ…!!』

 

 解放状態の十刃の放つ、黒い虚閃。紛い物などではない正真正銘の虚の力が、一撃で黒崎一護の仮面を粉砕した。

 

 

「…お前は先ほど俺に訊いたな。"俺が人間に近付いたのか"と」

 

 尖塔の一層に降り立つウルキオラ。そして苦しげに膝を突く黒崎一護へ、破面は断言した。

 

「戯言だ」

 

『…ッ』

 

「何故俺が、お前たち弱者(にんげん)に近付き零落れる必要がある。お前たちが力を得ようと虚を真似るのは妥当な道筋だが、それで(おれたち)人間(おまえたち)が並ぶことなど永劫ありはしない」

 

 だがウルキオラの言葉を、圧倒的な力を受けても、黒崎一護は未だ剣を手放さない。忌々しい光をその目に宿し、希望を手放さない。

 

 何故だ。例の感情が更に湧き立つ。

 

『──…月牙』

 

「無駄だと言っているんだ!!」

 

 思わず吐いた怒声。青年自身が驚くほどらしくない、強い気持ちの吐露だった。

 

 何故だ。何故こいつと、こいつらと戦っているとこうも胸がざわつく。

 

「…理解できんな。これだけの力の差を目にしても、未だ俺を倒せると思っているのか?」

 

 ウルキオラは問う。そこに、己にこの形容し難い感情を抱かせる原因があるのだと信じて。

 

「…力の……差か……──それが何だ?」

 

 そして、人間が答える。虚の名残が消え去った、"人間"の目でウルキオラを睨みながら。

 

「てめえが俺より強かったら……俺が諦めると思ってんのか…?」

 

 黒崎一護は未だ戦意を失っていなかった。相手が強いのなんか最初から解っている。今更その全貌を見せられたところで、戦う意思に変わりなどないのだ、と…

 

 

「…俺は、てめえを倒すぜ。ウルキオラ」

 

 

 決意を秘めた目だった。己の勝利を信じて疑わない、間違うことなき"勝者"の目。

 

 解らない。ウルキオラの胸中に闇が満ちる。まるでヤツの光に際立つ影が、己の全てを覆い尽くそうとしているかのように。

 

「……戯言だ」

 

 巨大な喪失感に急かされ、破面は決断する。

 

「黒崎一護。お前のそれは、真の絶望を知らぬ者の言葉だ」

 

 その目に宿る光が"そう"なのか。無謀な戦いに己が身を投じさせ、命を落とさせる狂気こそが。

 だとすれば、それはなんと、なんとくだらないものなのか。

 

 

「…知らぬのなら教えてやる」

 

 

    「これが、真の」

 

 

「絶望の」   

 

 

「姿だ」

 

 

 

 

 

 

──刀剣解放第二階層(レスレクシオン・セグンダ・エターパ)──

 

 

 

 

 

 

 悪魔が舞い降りる。

 人間の絶望を司る、黒山羊の、黒犬の、蝙蝠の、不吉の象徴を象った、悪霊の悪魔が。

 

 一族という稀有な虚の生態の中でも更に稀有な種として生まれた、白き闇の堕し仔。十刃の中で己だけが可能とした、この唯一にして無二の刀剣解放こそが、黒崎一護の真の絶望となるのだ。

 

 …だが。

 

 

「この姿を目にして、尚も勝てるつもりで戦いを挑むか」

 

 それでも黒崎一護は、諦めない。恐怖に身体が震えていると言うのに、瀕死の身体に鞭を打ち、力及ばぬ虚化で立ち向かおうとしてくる。

 

 

 ──信じられますよ、あなたなら。

 

 

 不意に声が聞こえた気がした。ウルキオラはかつてその台詞を口にした上司へ、胸の内で頭を下げる。

 

 …申し訳ありません、軍団長。やはり俺には解りません。

 俺に人肌の温かさを、料理の美味を、花の芳香を、主への忠誠の何たるかを教えてくれた貴方でさえ、伝える術を持たなかったことなど…

 

「愚劣だ、黒崎一護。お前のその蛮勇こそが、"心"ならば…」

 

『…ッ』

 

「それが貴様等の言う"心"と言うものの所為ならば、貴様等人間は心を持つが故に傷を負い…

 ──心を持つが故に、命を落とすという事だ」

 

 

 くだらない。

 

 やはりあの時ヤツを井上織姫の下へ行かせたのは、ただ魔が差しただけに過ぎなかった。そこに何かが、失ってはならない大切な何かがあると錯覚し、されど蓋を開けてみれば、それは(ゴミ)にも等しい狂気と破滅を齎す劇毒。

 

 なんと馬鹿げた葛藤を、俺は生涯長きに亘って抱いてきたのか。

 

 

「…別に…勝てるつもりで戦ってんじゃねえよ…」

 

 黒崎一護が、剣を構える。

 

 

「勝たなきゃいけねえから…戦ってんだ!」

 

 

 光に満ちた瞳。何度嬲られても立ち上がる精神力。実に見事なペテンだった。

 

 だがヤツの"心"とやらは既に知れた。もう、貴様の言葉で俺の胸がざわめくことはない。

 

「…戯言だ」

 

 闇色の虚閃が死神の最後の抵抗を奪う。意識を落とした弱者を虚の尾で首吊りにし、ウルキオラはこの巫山戯た戯曲の最後の役者を待った。

 

 

「──来たか、女」

 

 

 破られた天蓋の頂上。王とその臣下しか使用の許されない塔の昇降機から現れた一人の人間へ、破面は全ての希望を打ち砕く終焉を見せ付ける。

 

「…黒…崎……くん……?」

 

「そうだ。お前を助けるために戦い、そして散っていく男の名だ」

 

「や、めて……ウルキオラくん……」

 

 女の目が濁る。弱者が浮かべる正しい色、絶望の黒だ。

 

 よく見ておけ。

 お前が希望を託した男が、命を鎖す瞬間を。

 

 そして、よく見せてみろ。

 未だ俺の胸を騒めかせる、お前だけが持つ"心"の、その最期を…

 

 

 

 

「───やめて!!!」

 

 

 

 

 悲愴な絶叫が響き渡る虚夜宮(ラスノーチェス)の天蓋上層。

 

 そこでウルキオラ・シファーは、黒崎一護を殺し、正しい"心"を持つとされた女──井上織姫のそれを木端微塵に撃ち砕いた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

呼んでる

 

 

呼んでるんだ  聞こえる 

 

 

立てよ

 

 

立て   俺が

 

 

 

俺 が 戦 う

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「──黒崎…くん…?」

 

 

 馬鹿な。泣き叫んでいた女の呆け声に振り返ったウルキオラは、そこで見た光景に思わず息を呑んだ。

 

 殺したはずの人間が、黒崎一護が立っている。

 

 胸の大穴から夜空の月を覗かせ、鉤の如き双角を生やした仮面を被る、謎の死神。その豹変した姿にウルキオラは眉を顰めた。

 

「お前は、誰だ」

 

 破面の問いに返されたのは、巨大な咆哮。理性を失った醜い獣がそこにいた。

 

「どうやら言葉が通じんらしいな」

 

 時間の無駄だと虚閃を放つウルキオラ。だが直後の敵の行動に青年は驚愕する。

 

 月牙天衝ではない、れっきとした虚閃を、人間の黒崎一護が放ったのだ。それも黒虚閃を掻き消す程の。

 

「…!」

 

 一瞬の動揺。気付けば背後を取られたウルキオラは、咄嗟に振るった右手を、敵に斬り落とされていた。

 

 だが即座に回復させ応戦する青年。十刃の中で彼だけがこの超速再生を有したまま破面となった。脳と臓器を除く肉体の全てを自在に再生させながら戦うウルキオラを倒すには、圧倒的な致命の一撃が必要だ。

 そしてそれを容易く許す第4十刃ではない。

 

「近付くなよ。そこに居ろ」

 

──【雷霆の槍】(ランサ・デル・レランパーゴ)──

 

「出来ればこいつを、近くで撃ちたくはない」

 

 ウルキオラ・シファーの誇る最強の大技。常軌を逸した密度の霊圧を槍の形状に押し固めた、翠霆の一撃だ。

 

 劈く飛翔音を奏で放たれた渾身の一撃は、惜しくも敵の肩を抉るにとどまり、遥か遠方の外宮を消し飛ばす大爆発を巻き起こした。

 

「外したか。やはり扱いが難しいな」

 

 ならば二度目はどうだ、と追撃の準備に入るウルキオラ。

 しかし。

 

『────』

 

「ッ、何だと…!?」

 

 突如敵が探査神経(ペスキス)をすり抜け破面の真横に現れた。それは死神には使えない虚の技、響転(ソニード)だ。

 反射的に手の投槍を振るい敵の"遊び"を叩き潰す。そしてウルキオラが直接繰り出した絶死の矛突は──されど素手の敵に握り潰された。

 

「馬鹿な──」

 

 天蓋を崩壊させる霊力嵐の中。そこで青年は、目が合った。

 希望も絶望も。あれほどその身を委ねていた御大層な心も全て失い、ただ相手を殺す意思のみを宿した、最も純粋な"虚"の目と…

 

 

 一閃。

 

 

 それで勝敗が決したことは誰の目にも明らかだった。

 ウルキオラは敵の虚閃で消却された自分の下半身をぼんやりと眺め、ポツリと自虐の言葉を吐き捨てる。

 

 ああ、なんと滑稽な話か、と…

 

 

『──ケル』

 

 

 しかし、決した戦いにおいても虚は容赦をしない。

 

『…助…ケル……俺…ガ……助ケル…』

 

 ブツブツと何かを呟きながら、ウルキオラを滅多刺しにする黒崎一護。一つまた一つと、辛うじて健在だった上半身の内臓をも潰され、意識を呑み込む暗闇に身を委ねた破面の青年は、ゆっくりと目を閉じる。

 

 黒崎一護に敗北した己に、最早意味などありはしない。

 

 心に焦がれ、それを捨て虚と化した人間に倒される、まるで冗談のような運命。心に憧れた虚無の死は、同じ心無き虚の刃によって振り下ろされる。そんな救いようのない自身の因果に、ウルキオラ・シファーは虚しく己の胸の孔へ手を翳すことしか出来なかった。

 

 …だが。

 

 

 

 

「──お願い、やめて…っ!」

 

 

 

 

 

 彼らの戦場には、明るい橙のベールを被せ、敗者を斬り刻む獣の腕を必死に止めようとする人間が居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたしのせいだ。残虐の限りを尽くし、死に体の十刃を嬲る想い人の腕を両手で抱き留め、井上織姫は皆に懺悔する。

 

 あたしが弱かったから。死なないでって願ったから。黒崎くんは、あんな姿になってまで立ち上がって、あたしを助けるために戦おうと。

 

「…もう、もういいの……戦わなくていいの…」

 

『……』

 

「ありがとう…ごめんね……全部…終わったから……あたしはもう、大丈夫だから……」

 

 嫌だ、どうしてこうなってしまったのか。零れそうな涙を必死に堪え、織姫は自身の足元に被せた【双天帰盾】へ目を向ける。

 

 

『────』

 

 

 だが。敷いたその救いの盾に、剣を打ち付ける者がいた。

 

「…黒…崎……くん…?」

 

 織姫の声が、届かない。咄嗟に【三天結盾】を張るも一撃で叩き砕かれ、死を待つばかりの破面の青年に更なる傷が増える。

 

『──■■■■』

 

「だ、ダメ……やめて…やめてっ!」

 

 ウルキオラくんが、人間の心に興味を持ってくれた彼が、死んでしまう。

 黒崎くんが人を、人の心に関心を持ってくれた破面を、殺してしまう。

 

 死なせはしない。殺させはしない。されど二人を想い青年を正気に戻そうとする織姫は、当の一護にその手を振り払われる。仲間とは思えないほど乱暴に。

 

「あっ──」

 

 そして塔の屋上を転がる織姫の眼前に、黒い刀身を握る想い人が佇んでいた。

 

『■■■■■■■!!!』

 

「あ、ぁ…」

 

 凶悪な怪物が少女を睥睨する。その恐ろしい仮面も、黒く染まった目も、胸に開いた大孔も、全てがあの時のトラウマを想起させ、織姫は恐怖に戦慄きながら後退ることしか出来ない。

 

 

 そんな彼女の滲む視界に、突如もう一つの人影が映り込んだ──

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

それは  何だ

 

 

 その胸を引き裂けば、

 その中に視えるのか?

 

その頭蓋を砕けば、 

その中に視えるのか?

 

 

お前達人間は容易くそれを口にする

 

 

 

まるで────

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 凄まじい閃光が瞬き、十刃が放つ死力の【雷霆の槍】(ランサ・デル・レランパーゴ)が黒崎一護の仮面を叩き砕く。

 爆風の余波で吹き飛ぶ女を一瞥したウルキオラは、倒れ伏す素顔の死神を見下ろし臍を噛んだ。

 

 …まただ。また体が勝手に動いた。

 

 殺す気で絞り出した最後の攻撃。しかしヤツの頭部に雷槍を突き立てる直前、その矛先が僅かに逸れた。

 果たしてそれが再生中の肉体を無理に動かしたガタだったのか、あるいは何らかの無意識による意図的な行為だったのか、ウルキオラにはわからない。

 

「…ッ、黒崎くん! ウルキオラくん!」

 

 遠く転がった女がこちらへ駆け戻る。するとほぼ同時。突然白い霊圧の渦が黒崎一護を包み込み、気付けばその胸の孔は元通りに塞がっていた。

 

「黒…崎……くん…?」

 

「超速再生か…」

 

 どこまでも虚らしいことだ。同じく回復しつつある自身の身体を見下ろすウルキオラは、無感情に顔を伏せる。

 

 自分はもう直、死ぬ。再生していく四肢はともかく、失った臓器は決して戻っては来ない。それが破面の力を手にした代償だった。

 

「──剣を取れ、死神」

 

 そして意識と正気を取り戻した黒崎一護が、蒼白な顔で女との話を終えた時。ウルキオラは最後の決闘の手袋を投げつける。

 

 …しかし、その戦いが果たされることはなかった。

 

 

「……ちっ、ここまでか」

 

「な…!?」

 

 終わりを迎える全ての虚は、風に吹かれる砂のように跡形もなく消え去る。サラサラと風化する自身の黒羽を一瞥した破面は、最後に「殺せ」と己を倒した黒崎一護へその首を差し出した。

 

「……断る」

 

「この戦いの決着を付ける最後の機会だ。さっさと殺せ」

 

「嫌だって言ってんだ…!」

 

 それは恐らく、虚無であるウルキオラの、最後の欲。獣ではなく人の、かつて密かに惹かれた"それ"を持つ人間の剣で死にたいと望む、空虚な願い。

 

「…こんな…こんな勝ち方が…」

 

 だが、死神は。

 

 

 

「──こんな勝ち方があるかよ!!」

 

 

 

 黒崎一護は、奇しくもウルキオラと同じく、人として彼と戦い勝つことを願っていたのだ。

 

「…ちっ。…最後まで…思い通りにならん奴だ…」

 

 見開いていた目を細め、破面は悲憤に歪む人間の顔を見つめる。

 

 勝たなきゃならないから戦っている。虚へと堕ちる前の彼が言っていた言葉だ。

 その時はただの破滅願望、狂気の類にしか見えなかった、ヤツらの"心"。それが今は何故か、もう少し深いもののように思える。

 不思議なことだ。

 

 

 

 

 

「──ウル、キオラ…くん……」

 

 

 ふと、彼の遠のく耳に女の嗚咽が聞こえた。ボロボロの衣類の胸元を千切れんばかりに握り締め、フラフラと近付いて来るもう一人の"心"の持ち主、井上織姫。

 

「ヤだ……しんじゃ…ヤだよ……」

 

 一歩、一歩とこちらへ歩み寄る女を見つめ、ウルキオラは彼女を観察し続けたこの数日間を振り返る。

 

 思えば最初はただ軍団長の言葉を盲目的に信じ、彼女に言われたことを忠実に守るだけだった。

 攻撃的な言動は慎め、入室時は三度のノックの後に了承を得ろ、同行時は歩幅を合わせ常に他者から守れ、等々。

 だが女の活発な喜怒哀楽を見ていると、そこに何か自分の欠けているものが垣間見えるように思えることが度々あった。

 

 何故、笑う。

 毎食の料理が旨いからか?

 

 何故、拗ねる。

 俺を"くん"付けで呼べないからか?

 

 何故、怒る。

 仲間の無謀を侮辱されたからか?

 

 何故…

 

 

「──何故、泣く。…女」

 

 

 俺は敵だ。お前の仲間たちを殺そうとした、藍染様に仕える十刃だぞ。

 破面の問いに、女が答える。

 

「…だって、あたし……あなたと…」

 

 

 ──なかよくなりたかったのに。

 

 

 嗚咽に紛れた、小さな一言。

 その言葉が、ウルキオラの虚無の中に、小さく何かを灯した気がした。

 

 

「……そうか」

 

 俺も、ようやく。

 

「お前達に少し、興味が出てきたところだったんだがな」

 

 

 頬を伝う女の涙が、床の砂石へと消えていく。風に吹かれるウルキオラの身体のように。

 そんな奇妙な類似を眺め、ウルキオラは己の胸に、微かな痛みが走った気がした。

 

 

「…俺が怖いか、女」

 

 

 いつぞやのそれに似た、些細な問い。自らの死を前にし、心を仲間に預けた自分に恐れは無いと返した女。

 

 ならばその仲間たちを殺そうとした俺に、恐れはあるか。

 

 その時。かつてその目に映るもののみが世界の全てであったウルキオラ・シファーは、井上織姫が返した答えに、己の生涯追い求めたソレの全てを──ようやく、()たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「 こわく ないよ 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ああ。

 

 

 

 

──────そうか──────

 

 

 

───これが───そうか───

 

 

 

───この掌にあるものが───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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