雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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お待たせしました!
最近多忙ガバに呪われている…
あと今回誤字脱字チェック間に合わなかったのでご容赦ください(涙


いいシーンなので一万文字弱と長めです。
千年血戦篇のカオス具合を読み返すと、ここが最大のチャンスかなと。

 


なん……だと……

 

 

 

 

 

 

 

 

「────嘘……だろ……」

 

 

 空座町に低い男声が響き渡る。突如のしかかった深海の如き霊圧を全身で受けながら、黒崎一護はその声が紡いだ言葉に唖然とした。

 

「崩玉が…二つだって…!?」

 

「ヤベえな…」

 

 敵の猛攻の途中に起きた、大将戦での異変。味方の父・黒崎一心も、相手の市丸ギンも、等しく遠くの戦場へ意識が吸い寄せられる。

 

 霊炎の中に佇む、異様な姿へ変化した巨悪──藍染惣右介に。

 

「…一護、ここは任せた」

 

「な、親父!?」

 

 同胞の危機をいち早く察知した一心が援軍に向かう。一拍遅れて一護も殿(しんがり)に付くも、しかし敵の追い打ちがない。

 訝しむ青年は相手の市丸へ目を向け、そこで息を呑んだ。

 

 

「────なんや、そう言う事やったんか」

 

 

 頭を掻きながら「藍染隊長もお人が悪い」と悪態を吐く男は、笑っていた。愛憎併せ持つ、寒気を駆り立てる不気味な笑みで。

 

 そして市丸はゆっくりと振り向き、冷や汗を流す一護の視線を、自身のそれで絡め捕った。

 

「ほな、志波隊長も行ってもうたし……訊きたい事あったら訊いてええよ、君?」

 

「何…?」

 

「今ならボク、色々答えたる」

 

 首に巻き付く毒蛇のような台詞だった。散々小出しの情報で振り回しておきながら今更何のつもりだと内心憤慨する一護。しかしヤツの愉しそうな顔を見ていると、親父の忠告が頭に強く想起される。

 

 そうだ。父親と敵、どちらを信用するかなんてわかりきった話だ。

 

「…ねえよ、いっこも」

 

「ありゃ、ホンマに? ちょいと揶揄い過ぎたわ」

 

「てめえが本当の事を言う保証もねえ。これ以上混乱させられんのは…

 

──ゴメンだからなッ!』

 

 誘惑を振り払い、一護は全力の虚化形態で糸目の男に斬り掛かる。彼の気掛かりは藍染と戦う仲間の安否。早急にこいつを片付け助けに向かわないといけない。

 

 だがそんな青年の内心を読んだのか、彼の猛攻に対し市丸の剣筋は鋭さを増していく。

 

「なんや、黒崎クン? さっきはボクが君の事見てへんかったって拗ねとったのに、今度は君がボクの事見てへんやないの」

 

『チッ、こいつ…!』

 

「お父さんと二人でも押し切れんかったんに、そない舐められたら傷付くわァ。そーれ」

 

── 神殺鎗(かみしにのやり)"舞踏(ぶとう)" ──

 

『がッ!?』

 

 凶悪な刺突攻撃が仮面の端を貫き、視界が血に染まる一護。ヤツの卍解の恐るべき能力はその長さ以上に、その伸縮速度だ。文字通り瞬く間もなく射出し、瞬く間もなく元の脇差型に戻る。横薙ぎの斬撃も威力こそ対応できるが、あの伸縮と組み合わされると途端に脅威が跳ね上がる。

 ヤツの剣に間合いは無い。切先をこちらに向けられたら終わり。そんな九死の斬り合いに一護の精神は擦り切れていく。

 

「ボク、これでも君に同情してるんやで?」

 

『ッ、何…?』

 

 そして畳みかけるように、市丸の言葉が彼を襲う。

 

「これまでの人生も、生まれも、親までも。ぜ~んぶヒトの掌の上でコロコロと」

 

『…! なんだ、それ…ッ』

 

「ホンマ、君を見とると奇跡とか運命とか、そないロマンチックなもんが全部冗談に聞こえてかなわんわァ」

 

 思わず剣が鈍る一護。それを糸目男は見逃さない。

 

『な! しまっ──ぐあああァッ!?』

 

「ほらほら、敵の言う事なんか信じへんとちゃうの? 懐がら空きやで~?」

 

 一護は焦燥、恐怖、激痛に苛まれる。脇腹に突き刺さる神速の一撃。心を惑わす嘘と真実。遠くに感じる敵の首魁、藍染惣右介の途轍もない霊圧。

 耐え切れず、そして青年はそれらの痛痒を振り払おうと己の剣を全力で地面へ突き刺した。

 

『がああア"ア"ァァァッッ!!』

 

── 月 牙 天 衝(げつがてんしょう) ──

 

 漆黒の霊圧が大地を砕き、周囲を呑み尽くす。自身を顧みない我武者羅な大技は破壊の限りを尽くし、やっと敵の怒涛の剣撃を中断せしめた。

 

『ハァッ…ハァッ…、く…そっ…』

 

 立ち上る粉塵に紛れ、荒い息を繰り返す橙髪の青年。

 

 ふざけやがって。一体何だってんだ。感情をそのまま暴力で吐き出した一護だったが、その胸中は尚も嵐の如く荒れ狂っていた。

 

『…人生も生まれも親までもてめえらの掌の上だと? 俺を取り巻く奇跡も運命も全て冗談だと? 冗談はこっちの台詞だ、キツネ野郎…ッ!』

 

 やはり親父は正しかった。こいつの話を聞くだけで頭どころか心までイカれそうだ。不安から目を背け、一護は敵の言葉に耳を塞ぐ。

 

 

「…ふぅん、やっぱ信じてくれへんねんな」

 

 土煙が風に掻き消え、市丸の平然とした姿が露わになる。

 やはり破れかぶれの攻撃では倒せない。今度こそ揺さぶられてたまるかと剣柄を握り直し、青年は瞬歩の足へ霊力を込める。

 

 

「───せやったら君、もう藍染隊長んトコ行ってええよ」

 

 

 だが直後の男の台詞に一護は困惑した。

 

『…何だって?』

 

「聞こえたやろ? ほな、もうボクのお仕事おーしまい。教えなあかん事は全部言うたし、信じるも信じひんも君の勝手や」

 

『…! てめえ…』

 

 押して駄目なら引いてみろ。強制せずに選択させろ。高校生の彼でも知る単純な話術が歯噛みするほど理性を抉る。

 だが相手は一護の動揺へ興味も示さず、呆れるように眉で山形を作るだけ。

 

「なんや、善意で言うたのに怒る事ないやん」

 

『何が善意だ! てめえの話なんざ端から聞いちゃいねえよ!』

 

「わからへんねんなァ…」

 

 そう溜息を吐き、苛立つ青年から目を放す市丸。咄嗟に斬り掛かろうと剣を構える一護は、されどそこで敵の視線と、指差す先が自分の背後にあると気付いた。

 

「ええの、君? はよ行かんと…」

 

『…ッ、まさか…!』

 

 突如背後で爆発が起きる。藍染の桁外れな霊圧に紛れ、微かに感知出来た変化。

 そして慌ててそちらへ視線を向けた先で、一護は仮面越しに、それを見た。

 

 

 

「───お父さん、リタイアしはったよ?」

 

 

 

 宿敵藍染惣右介の一閃で崩れ落ちる父、黒崎一心の姿を。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

「浦…原……」

 

 

 市丸を息子に任せ、豹変した巨悪の下へ向かった黒崎一心は、無念ながら戦いに間に合わなかった。

 

 辿り着いた戦場は惨憺たる有様。名を呟いた浦原喜助を始めに、夜一も、護廷隊も、仮面の軍勢(ヴァイザード)も皆倒れた後。

 

「…ッ、藍染!!」

 

 仇討に燃える一心は勢いそのまま、唯一残った四番隊隊長卯ノ花烈と何かを話す敵の親玉へ全力の【月牙天衝】を斬り咬ます。

 

 しかし。

 

「なッ…!?」

 

 爆炎に紛れ、硬質な音が反響する。頭部を両断するつもりで斬り付けた【剡月】は、相手の体の何一つとして傷付けてはいなかった。

 

 そして驚愕する一心へ、ヤツが悠然と振り向く。

 

 

「───黒崎一護の驚く顔は見物だったかい? 志波一心」

 

 

 大罪人、藍染惣右介がその端正な顔を皮肉に歪めていた。

 

「…ふざけやがって、くそったれ…! 桃ちゃんの崩玉はデコイだったってワケかよ…ッ!」

 

 一心は敵の全身を警戒しつつ、その胸の中央に輝く小さな宝珠を注視する。

 

 それは崩玉。死神と虚の境界を操り、魂魄との融合時には想像を絶する影響を齎す超物質だ。

 以前あの天才に実物を見せて貰った彼は、一目でこれこそが本物だと確信した。

 

「デコイではない。私も、桃の崩玉も、等しく唯一無二の本物だよ」

 

「ハッ、浦原と冬獅郎に消滅させられたモンがか? 崩玉はあの男が百年かけても破壊できなかった劇物だぞ…!」

 

 対する藍染もまた異様な姿となっていた。背中にかかるほどに伸びた後髪、全身を包み込むような白い衣服、そして濃紫に染まった両目。

 そこに居るのに一切の霊圧を感じさせない存在。容姿と言い、それは正しくあの雛森桃の化物と同格、超越者の領域へと至った証であった。

 

「…全く。君達にも聞こえるよう、態々霊子を通した声音伝達の手間を取ったのだ。その矮小な頭で少しは理解する努力をし給え」

 

「ああ、理解したさ。てめえが外道より酷えクソ野郎だって事がな…ッ!」

 

 男の挑発に再度剣を振りかぶる一心。元部下の日番谷冬獅郎を通しそれなりに雛森桃と面識のあった元十番隊隊長は、あの可憐な少女をここまで人として冒涜した藍染に当然の激情を抱いていた。

 あの二十年前の寄生大虚(メノス)を取り巻く因縁と共に、黒崎一心は限界の力を込めた二度目の月牙を解き放つ。

 

「先ほどの私の言葉を聞いて最初に浮かぶ感想がそれか。本当に何も理解できていないようだ」

 

「バカ、な…」

 

 だが自慢の大技は、まるで蠅をはたくが如くまたしても弾かれた。

 驚愕に呆ける一心を見つめ、巨悪が小さく溜息を零す。そして何かを暗示するように語り出した。

 

「いや…そもそも私と君達の間には、大きな思考的隔たりがある。現状を良しとし安寧の微睡みに甘んじる君たちと、進歩と発展の道筋を探求し続ける私とでは、万象に対する認識が大きく異なるのだ」

 

「…ッ」

 

「崩玉は一つしか存在しない。崩玉の覚醒は早められない。崩玉は死神と虚の境界を操る事しかできない。全ては、堕落と怠慢に曇る君達の認識が見せた、幻だ」

 

 そこで一心はハッと我に返る。聞き捨てならない事を男の口が紡いだからだ。

 

「…待て、どういう事だ? 崩玉は死神と虚の壁を破壊する物質ではないのか…?」

 

「その認識こそが君達の停滞を示唆しているのだよ、黒崎一心」

 

 藍染の話は続く。

 浦原喜助はとある目的を持って崩玉を造り出した。その目的こそが"魂魄間の壁の破壊"。

 

 だが彼はそこで足踏みした。自らが創造した物質の、神器に等しい超常の力に恐怖を抱いたのだ。

 

「そう、彼は最後まで気付く事が出来なかった。己の被造物を恐れ、硬直した固定観念に囚われ、崩玉の真の能力を誤認し続けたのだ」

 

「勿体ぶってねえで言え! 崩玉と融合して、てめえは一体何を知った!?」

 

 苛立つ一心へ「わからないか?」と藍染が問い掛ける。

 そして。

 

「黒崎一護が死神の力に目覚めた切っ掛けも。朽木ルキアがその力を全て彼に奪われたのも。茶渡泰虎が、井上織姫が特異な能力に目覚めたのも。浦原喜助の周囲で起きた、人為的な介入を許さない"奇跡"と呼ぶべき全ての現象は、崩玉の意思によって具現化された事象だ」

 

「…!?」

 

 そう続いた敵の台詞は、技術者ではない彼にもぼんやりながら想像が付く、崩玉の力の一端を言語化したものだった。

 

「崩玉が真に持つのは、相反する魂魄の境界を操る能力ではない」

 

 

 ────自らの周囲にある"心を具現化"する能力だ。

 

 

「なん……だと……」

 

 一心は息を呑む。

 

 それは言うなれば、一定範囲内の人物の願いを叶える道具。恐らく浦原は今の自分と同じように、漠然とこの事に気付いていたのだろう。同時に目の前の男がその力を狙うであろう事も。

 

「私は最初から、崩玉の理論とされる研究の目的そのものについて疑問を抱いていた。なぜなら、もし崩玉が真に死神と虚の境界を操るのであれば、平子真子らは破面の紛い物(ヴァイザード)などに成り果てる事は無かったからだ」

 

「……」

 

「故に崩玉の能力が、従来の仮説より更に曠然とした領域を有する事は明白だった。黒崎一護と朽木ルキアを浦原喜助の目の前で出会わせたのも、その結果で組み上げた仮説を実証すべく用意した実験の一つだ」

 

 …やはりか。

 以前から違和感は、悪寒はあった。あらゆる運命的な出来事がまるで一つの意思によって動いているかのような、不気味な違和感。

 

 崩玉を隠す依り代を求めた浦原喜助。家族や友人を護る力を欲した黒崎一護。死神としての生に絶望した朽木ルキア。あれほど多くの心が、三者の思惑が一致し生まれた現象も珍しい。藍染はそう当時を想起する。

 

「…実験の"一つ"…か」

 

「そうだ、黒崎一心。君には…いや、君達一家には、私の探究に大いに役立って貰ったよ」

 

 その唐突な感謝に一心の眉がピクリと動く。

 

 胸に積もる嫌な予感。市丸の台詞、浦原の推測、それらが一心の脳内で一つの巨大な陰謀の存在を象っていく。

 

「…ふざけんなよ」

 

 だが藍染の言葉は止まらない。

 

「【流刃若火】の研究の参考とした君の卍解。死神の霊力の譲渡に反膜(ネガシオン)技術を試した君の義骸。そして…」

 

「!? てめえまさか…ッ!!」

 

 戦慄き喰い掛る一心。それを嘲笑うかのように、巨悪が一つの真実を明かす。

 

「二十年前の、相反する種族の力を有する個体の誕生を目標とした交配実験。その結実であるあの少年こそ、君の死神の力と、黒崎真咲の純血(エヒト)────」

 

「卍・解!!」

 

 

 瞬間、巨大な火柱が立ち上った。

 凄まじい劫火が敵の戯言ごと大気を燎き尽くす。その中心に剣を構える黒崎一心は、炯然と赤く輝く修羅に変貌していた。

 

「…藍染。人の息子(ガキ)を…オモチャにしてんじゃねえぞッ!」

 

 全身の血を燃やし怒りを霊圧に投影する父親。

 その時。羅刹の如き男を眺める藍染が、嗤った。

 

「惜しいな、黒崎一心。"君の息子が"じゃない」

 

 

 ───()()()()が、私の戯れなんだ。

 

 

 それが彼の最後の理性の一欠片を打ち砕いた。脳の血管が一本残らずぶち切れるほどの激情に駆られ、一心は全身全霊の力で巨悪へ突撃する。

 

「くたばれクソ野郎ッッ!!」

 

── 劉猩(りゅうせい)天駻剡月(てんまえんげつ) ──

 

 目にも留まらぬ速さで疾駆する真紅の彗星。その射線の一切を燬し、煉獄へ変え、父親は一家の名誉を取り戻さんと、諸悪の魔王に最後の死力を叩き込んだ。

 

 

 

「────ああ、済まない」

 

 

 

 しかし。

 

「が、ぁ……」

 

「確かに彼と比べれば、君は不出来な玩具だった」

 

 熱が腹から零れ出る。燃える己の卍解の炎とは違う、生命の源の尊い熱が。

 敵の一振りを受けたのだと理解する事も許されず。黒崎一心は全ての戦意を削がれ、無様に大地へ倒れ伏した。

 

「そして、これまでの戯れは全て…」

 

 遠のく意識の中、男が最後にその体で感じたのは。

 

「君のためにこそあるのだ」

 

 

 

──黒崎一護──

 

 

 

 大きく頼もしい、息子の漆黒の霊圧だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

『───てッめええええええ!!』

 

 

 やられた。親父が藍染に斬られた。

 

 軋む体を奮い立たせ、黒崎一護は敵の桁違いな霊圧の恐怖の中、虚の力で我武者羅に剣を振るう。

 

「…なるほど、これが君の霊圧か」

 

『くそッ! くそォッ!!』

 

「素晴らしい。僅か半年でよくぞここまで練り上げたものだ」

 

 それでも歴然とした力の差は微塵も揺るがない。斬り付ける魔王の皮膚に傷はできず、突いた白い衣服さえも刃を弾く。

 

 無駄な足掻きを繰り返す青年はいつしか疲弊し、仮面も砕け、超然と佇む藍染の間合いの中で膝を突く。

 怒涛の如く流れ込んだ情報に打ちのめされ、化物のような霊圧に気力も折られ、最後に一護は縋る様に、相手に絶望の真実を問い詰めた。

 

「………本当…なのか…」

 

「何がだい?」

 

「…"何が"じゃねえよ…ッ。本当にてめえらは……俺の事を、俺のこれまでの戦いを全てを…

 

 ────本当に全部てめえが仕組んだのかって訊いてんだよッッ!!」

 

 震える怒声が町の跡地に木霊する。

 その返答に藍染が最初に示したのは、口元で右手の人差し指を立てるふざけた仕草だった。

 

「声を」

 

「…ッ、ぁ…?」

 

「そう声を荒らげるな、黒崎一護」

 

 変わらない巨悪の澄ました声が一護の鼓膜を撫でる。

 

「そんなに驚く事はないだろう。君は既に疑問に思っているはずだ。これまで君が歩んできた栄光の道の、至る所に(ちりば)められた、作為的な不自然の正体を」

 

「…!!」

 

 それは青年の心の鎧をスルリとすり抜ける悪魔の一言。

 

 何故。それまで虚の存在すら知らなかった一護が、朽木ルキアとの出会いの直後に虚に襲われたのか。

 何故死神の力に慣れた時に、母の仇の名付き(ネームド)個体と遭遇したのか。

 何故滅多に現世を狩場としない大虚(メノス・グランデ)が、滅却師(クインシー)の撒き餌如きで現れたのか。

 何故朽木ルキアを連行しに訪れた者が、彼女と縁があり、そして一護の成長の糧となるに相応しい敵であったのか。

 何故尸魂界(ソウルソサエティ)で、斑目一角、阿散井恋次、更木剣八、朽木白哉と、順序立って都合よく自らの実力が相手と拮抗している時に遭遇したのか。

 

 ウルキオラが現世で一護を何度も見逃したのも、グリムジョーが一護を殺す直前で何度も回収されたのも、そして虚圏(ウェコムンド)での勝利、敗北の数々も…

 

「視点を変えて見るといい。我々死神が何十何百もの年月をかけて到達する始解や卍解の位階に、たった二週間足らずで至った存在を相手取る時、君はその者を侮り手を抜くのか? そんな潜在能力の塊である敵を、最小限の労力で屠れる段階であえて見逃し、確実に殺せた戦闘を止めさせる。その非合理に何の意図もないのだと、君は本当に信じているのか?」

 

「そ…れは…」

 

「そこに疑問を抱けるだけの知性があれば、答えは即座に導き出せるだろう。自らを納得させる事も容易いはずだ」

 

 藍染の正論に、青年は僅かな抵抗の後、がくりと項垂れた。逃げ場など最早どこにもなく、ただ敵の舌鋒に正気を抉られ続けるばかり。

 

 全てが、これまでの自分の死神としての歩みの徹頭徹尾が、この男の掌の上だったのだ。

 

「……なんだよ…それ…」

 

 母を失い、家族や仲間を護る力を欲した六年間。そしてルキアから欲した力を貰い、そのせいで咎人となった彼女を救えた事を誇らしく思った。

 それが全てお膳立てされたものだったなんて、とんだピエロじゃないか。

 

 長い反芻を終え、俯く一護は悪態吐く。

 

 そして。

 

 

「…いつからだ」

 

 

 青年は最後に残った一つの疑問を、巨悪へ問い掛けた。

 

「てめえ言ったよな。俺が勇者だの、背負う運命がどうのだの」

 

「……」

 

「何でだ…! いつ! どこで! なんでてめえがそれを知ってんだよ!?」

 

 そうだ、おかしいんだ。こいつがその話を知る事はあり得ない。そのはずなんだ。

 何故なら、その話を一護にした者は、二人とも…

 

「最初からだ」

 

 だが直後の男の言葉に、一護は凍り付く。

 

「……え?」

 

「思考が追い付いていないようだな。私は、こう言っているんだ──」

 

 そして魔王はゆっくりと瞬きし、その両手を開いた。

 どこかで聞いた、おぞましい一言を紡ぐと共に…

 

 

 

 

「───私は君の運命を、君が生まれる前から知っていた」

 

 

 

 

 唖然。

 

 その時の自分の顔を形容するにこれ以上相応しい単語はないだろう。何かの聞き違いかと一護は思わず問い返す。

 

「…生まれる…前…?」

 

 なんだ、それは。生まれる前って、どういう事だ。

 だがその疑問は、自らの理性を守るための苦し紛れな現実逃避。

 

 

 ────君が生まれるずぅっと前から、君の事知っとるよ。

 

 

 あの時はただ不気味で抽象的にしか聞こえなかった、市丸ギンの意味深な発言。それが今、一護の中で明確な形となって彼の胸奥を穿つ。

 

 そんな青年の心境を無視し、藍染の意味不明な言葉は続く。

 

「黒崎一心に伝えた崩玉の真の能力には、一つだけ語弊がある。彼は崩玉を万能の存在と認識していたが、実際は崩玉が周囲の心を取り込む際、その者が元来それを成す力を持ち得る場合においてのみ具現化の効果が現れる。そのため厳密に述べるなら、崩玉は"持ち主の望みを叶える道標"と言った方が正しい」

 

 そして、巨悪は、黒崎一護の最も大事な自己認識にさえ、長いその手を伸ばす。

 

「君が黒崎真咲の胎で命の火を灯す前から、我々は君がこの世に誕生する事を知っていた。何故ならそれは、貴種の両親の下に生まれる子供が、生来特別な存在となる事を崩玉に願ったからだ」

 

「!!?」

 

 反射的に顔を跳ね上げる一護。混乱する頭でさえ理解できる最悪の絶望。己の人生どころではない、文字通り一個の命としての自由さえ奪う唾棄すべき話。

 

 なんだそれは。馬鹿な事を言うな。

 うそだ。ふざけるな。そんな事あるはずがない。

 

 されどそんな必死の否定も空しく…

 

「あらゆる種の壁を超える唯一無二の素質を与えられた存在。私の探究の最高の素体として…そして私が求める"天"への道の、最後の関門となるべく生まれたのが…」

 

 

──君だ、黒崎一護──

 

 

 藍染惣右介は淡々と、青年の呪われた根源を暴露した。

 

「うそ……だろ……」

 

 込み上げる吐き気を堪えきれず、一護は焼け爛れた地べたに崩れ落ちる。

 

 そんな彼を巨悪が諭す。

 

「納得できないか?」

 

 変わらぬ薄ら寒い笑みで。

 

「君の誕生は、父と母の出会いは、育んだ愛は、全て"天の導き"だとでも思ったか?」

 

 変わらぬ無慈悲な言葉で。

 

「この世にありふれる奇跡偶然が、本当に全て、"天に立つ何者か"の手による必然ではないと信じているのか?」

 

 悲愴に震える一護へ向けられる、馬鹿な子供を見る憐憫の眼差し。

 

「…妙な事だ」

 

 

 

 ───ただの人間に生まれながら、世界の命運を握る程の力を得た君という奇跡が、自分自身の必然を疑うなど。

 

 

 

 そして藍染のその一言が、彼の最後の理性の壁を打ち砕いた。

 

 

「…あ、ぅぁ…」

 

 絶望に嘔吐く哀れな一護。どうしようもない真実に彼はただただ打ちひしがれる事しか出来ない。

 

 これが、俺の運命なのか。

 こんなものが、俺の生まれた理由だと言うのか。

 

 見るも惨憺な有様で茫然自失と虚脱する一護。その脳裏に、これまで耳にして来た自らの秘密を知る者達の言葉が蘇る。

 

 虚化の試練を乗り越えた時、あの白い虚の自分が消える途中に口にした事。

 

 死神の力を取り戻す浦原さんの試練の時、あの赤黒い二つ目の霊絡を握った自分へ斬月のおっさんが言った事。

 

 そして。

 

 

 

 ────あなたが一人前になったらね。

 

 

 

 明かされた謎。

 繋がるパズル。

 そして現れた、足りない一欠片の空白。

 

「ぁ…」

 

 ゆっくりと、一護は振り返る。

 

 地に平伏すヒゲ親父が視界に映り、血だらけの狛村ら護廷十三隊の隊長達を越え、平子ら仮面の軍勢(ヴァイザード)を、浦原ら現世の味方達を通り過ぎ。

 そして無事な卯ノ花が癒す、冬獅郎。その腕の中で眠る…

 

 小柄な少女───雛森桃へ目を向けた。

 

 

「…どうした。どこを見ている」

 

 

 そんな一護の動作の真意を、藍染の低い声が問う。どこか咎めるような含意を含む、その冷たい声色に気付く余裕は彼にない。

 

 …知っていたのか、彼女はこの事を。

 

 小さな灯が、希望の残滓とすら呼べない淡い何かが、青年の壊れた脳に油を差す。引き摺り出したいその記憶に救いを求めるように。

 

 あの人は知っていたのか。一護が死神の力と、相反する虚の力を生まれながらに持っていた事を。その力が藍染の陰謀により作られた事を。

 

「そん…な…」

 

 されど、青年が引き摺り出した記憶のどれも、どこを探しても、彼の縋れる救いは見つからない。

 

 …そうなのか。だからなのか。

 

 あの人が俺の力の目覚めや制御を手助けしてくれたのは、俺のためなんかじゃなくて。

 

 本当は────

 

 

「……落胆させないでくれないか、黒崎一護」

 

 

 だがその時。背後に佇む藍染の霊圧が跳ね上がった。

 

 咄嗟に身構える力などない。それでも僅かな本能が体を動かし、怒れる魔王へ首を向ける。

 

 そこで目にした男は、一護が初めて見る純然たる失望の眼差しで、ある謎めいた問を投げ掛けてきた。

 

 

「何故君は、"天"と訊いて…

"地"に伏す()()()を見る?」

 

 

 背筋が震えるほど冷たい霊圧が体を蝕む。

 

 一瞬、一護は何を言われたのかわからなかった。そして二瞬、三瞬と続く沈黙を経ても、彼の頭は眼前の超越者の怒りの理由を導き出せずにいた。

 

 天、だと?

 地、だと?

 抜け殻、だと?

 

 微かに残る理性でそう困惑する青年は、奇しくも故に、巨悪の"関心"と言う魔の手から逃れることに成功した。

 

「…どうやら本当に何も感じていないようだな」

 

 興醒めだと冷え切る魔王の化物じみた紫の双眸が一護を睥睨する。

 

「往くぞ、ギン。穿界門(せんかいもん)を開け」

 

「…はい、藍染隊長」

 

「全く、思いも寄らなかった。二十年もの時を費やし(にら)いだ剣が、こんなくだらない鈍に終わるなど」

 

 空嘯くような溜息をその場に残し、踵を返す藍染惣右介。

 

 そして呼び寄せた市丸に尸魂界(ソウルソサエティ)へ向かう円と四方の障子の次元門を作らせ、悠然とその光の中へ進軍した。

 

 

「…道は(ひら)いておく、黒崎一護」

 

 

 

 

 ────君に喰らう価値が残されているかどうか、瓦礫と化した真の空座町で問うとしよう。

 

 

 

 

 

 そう言い捨てると同時、ヤツの姿が掻き消える。あのバカげた規模の霊圧と共に。

 

 魔王が去った更地の町に、一人残された"必然の勇者"の姿は、まるで…

 

 

「…くそ……ッ」

 

 

 魂が抜けたように青褪める、ただの無力な子供だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 

チャン一に曇った顔は似合わないよぉ…(建前

チャン一ってかわいいよね…ニチャァ(本音

 

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