雛森「シロちゃんに『雛森ィィィィ!』と叫ばせたいだけの人生だった…」   作:ろぼと

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長らくおまたせしました。寒暖差激しくてツラ…
感想欄の愉悦部諸君による熱いガバ森ちゃんへの信頼に草しか生えない。

ヨン様戦決着です。
エピローグは後日にまた。
 


俺自身が決着になる事だ…

 

 

 

 

 

 

 

 死神と虚、相反する種の壁を操る超物質──"崩玉"。

 

 その概念を具現化させる研究は、長い尸魂界の歴史において幾度となく試されてきた。霊王の因子を霊性科学に役立てる研究に熱心だった四大貴族綱彌代(つなやしろ)家は勿論、名も無き科学者達が遺した資料は大霊書廻廊に納められ、そして初代技術開発局局長・浦原喜助の手によって初めて実用段階へと至った。

 

 藍染惣右介はこの"崩玉"の研究に関し、意外にも浦原より先んじていた。自らの死神としての限界を切実な問題として捉えていた彼は、後天的に超越者へと進化するための手段として"死神の虚化"に目を付けた。崩玉とは、その研究の末に辿り着いた結論の一つである。

 

 だが藍染の研究は頓挫する。

 死神の魂魄を核としたもの。虚の魂魄を核としたもの。両方の力を持つ破面(アランカル)の魂魄を核としたもの。それらに死神・虚・破面の魂魄を喰らわせ進化を促しても、彼が求める性能を有する崩玉は一向に生まれなかった。

 

 理論的に正しいはずの製造方法が悉く失敗する理由は何か。技術か、素体か、もしくは理論そのものが誤りなのか。無視出来ない違和感の蓄積が明確な疑問へと変わり、藍染は幾度の実験と、最高傑作である十六年前の"黒崎一護"の誕生で自らの仮説を実証した。

 

 

 ──崩玉とは"虚化物質"ではなく、周囲の者の心を、その者の潜在能力の許す限りで具現化する理である。

 

 

 そんな多様性に富んだ万能に近い力の源は、崩玉と言う物質の製造方法にあった。

 

 崩玉は核とそれを内包する器によって構成されているが、この核となりうるものは二つ。死神と、霊王の因子だ。超生物である霊王は勿論、死神もまた自らの魂を【浅打】という器を通して具現化する種族。彼等の魂魄から死神の因子を抽出し、それらを無数に融合させる事で、あらゆる霊圧・才能・潜在能力を統合させた物質。それが崩玉の正体だ。

 

 そして故に藍染は、そうして造られた自身の最初の崩玉に満足できなかった。

 何故そこらの有象無象の持つ矮小な心を自らの進化の土台としなければならないのか。己より遥かに劣る愚物等がこの私の望む高みに追従できるはずがあるものか。

 何より、死神と虚の壁を取り払った破面(アランカル)と言う理想体そのものが、到底彼の望む超越者に相応しい力を有していなかった。

 

 その不満から始まった研究が、同一魂魄──即ち複霊(クローン)による崩玉の純化精製。真霊(オリジナル)との融合によりその魂魄規模を爆発的に跳ね上げる、霊格の昇華だった。

 

 だが、藍染はこの"崩玉の純化精製"の研究にて二度目の挫折を経験する。無数の魂魄の集合体である崩玉は、一般的な最下級大虚(ギリアン)のようにそれぞれの魂魄としての自我を失い、本能的な意思しか持ち得ない。しかし同じ魂魄を合成して生み出される純化崩玉は、その成り立ちから統一された確固たる"個"を有してしまったのだ。

 ある卓上予測では崩玉の反逆で真霊(オリジナル)の精神が消滅し、またある予測では素体の複霊(クローン)達の絶望で崩玉の機能を持たない失敗作となった。

 

 そんな低迷の中、藍染の研究所で一つの奇跡が起きる。

 

 

 雛森桃の複霊を用いた、第二の崩玉の誕生だ。

 

 

 元々は自身のクローンと言う自我冒涜を前にした"(もも)"の反応を観測するために半ば遊びで造った義魂を、この"崩玉の純化精製"の研究に利用しようと更なる遊びで思い付いた結果の、神秘的な偶然だった。

 

 君達は真霊(オリジナル)の崩玉の素材としてこれより消費される。そう一堂に会させた複霊(クローン)達へ通達した時、彼女達は一瞬の沈黙の後、こう述べた。

 

 

 ───ぜひお願いします!

 

 

 個ではなく野望、即ち心を全ての行動原理の根幹とする者。一人残らずその身を捧げ、真霊(オリジナル)に絶対従順な純化崩玉として生まれ変わった、雛森桃。

 それは藍染のどの予測にも当てはまらない、正しく"神の因子"の片鱗であった。

 

 彼は確信する。

 

 あの"神の因子"こそが、この世を俯瞰する彼女を彼女たらしめる真の霊格であると。そして飽くなき向上心で自らのあらゆる成長の可能性を暴いてしまった藍染惣右介の複霊(クローン)だけでは、魂魄限界こそ上昇するものの、雛森桃の領域に至るための"神の因子"を手にする事はできないと。

 

 本来この世に存在し得ないもの──完全なる無を無以外にする事は、どんな才ある者でも不可能だ。

 

 …だが無ではなく、一ならばどうか。一で百の、千の領域に昇る事はどうか。

 

 その一を得る唯一の方法に思い至った時、藍染は迷わなかった。

 

 

 

 

「───えぇっ!? あ、あたし藍染隊長の崩玉の素材にされちゃうんですか!?」

 

 

 特別に造った一体の雛森桃の複霊(クローン)義魂に目的を明かした際、例の個体は仰天し拒絶反応を見せた。だが藍染には、ブツブツ「確かにある意味最悪のNTRだけど…」などと挙動不審に逡巡する彼女を説得する材料は山ほどあった。

 

「そうだね、君が賛同してくれたなら……私は最大限、君達が望む日番谷冬獅郎の演目に協力しよう」

 

「!? なりますなります絶対なります!! あたしを藍染隊長の崩玉にしてくださいっ!!」

 

 

 かくして契約は成された。

 

 雛森桃の複霊(クローン)を自らの崩玉の一部とし、"神の因子"を手に入れた藍染は高みへと歩み出す。雛森桃が第二の崩玉との融合に成功した同日に、断界(だんがい)の超時空にて獲得した二千倍の時間で自身の崩玉の純化を決行。決戦時の雛森が起こした超常の怪物化という追い風もあり、藍染は己の進化計画が正しい事を、抗う自身の複霊(クローン)達に証明する。

 

 そして魔王は空座町決戦時に崩玉の意志を完全に取り込み、巨大化したその魂魄は、遂に超越者の領域へと至る────

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 水平線の果てまで広がる、ありとあらゆる物質が消滅したクレーター。その死した大地の中央で、二つの人影が交差し立っていた。

 

 互いに胸を袈裟に斬られ、夥しい血潮を流す、無手の勇者と白刀の魔王。全力を投じ、雌雄を決す最後の一撃を交わした末の残心。

 万物が固唾を呑み、世界は静寂に包まれた。

 

 張り詰める空気の中、ピシリと硬質な何かが罅割れる音が沈黙を破る。

 

 先に異変を見せたのは"黒"、勇者だった。

 右腕から左肩までの全身を覆う青灰色の霊布に、亀裂が入る。一片、一片。巻き付く布がポロポロと漆喰のように崩れていく。その最後の一欠片が腕から剥がれ落ちた時、膝まで届く青年の黒髪が風に溶け消え、橙髪の地毛が露わになった。

 それは、大切な"あるもの"が彼の中から消えていく事を暗示させる、哀切の光景だった。

 

 

「───悪ぃ…斬月……」

 

 

 ポツリと零れた謝罪に続き、両雄の片割れが血を咳き崩れ落ちる。

 

『……ぐ…』

 

 次に動いたのは残された"白"の魔王。白化した体がぐらりと揺らぎ、地へと倒れていく。

 

 だが、その寸前。男の片足が踏み止まった。

 

『……!』

 

 大地を砕く大きな一歩に支えられ、軋む四肢を奮い立たせる男。その最後の意地に、彼の"力"が応えてみせた。

 真紅に染まった肉が蠢き、体を裂く致命傷が瞬く間に塞がっていく。そして深い息を吐き出した後、男の皮膚に白以外の色は微塵も残っていなかった。

 

 死覇装と無色の皮膚。相反する明暗を司る両雄の軍配は、"白"に上がった。

 

 

『───どうやら…勝敗は決したようだな……黒崎一護』

 

 

 男の低い声が耳へ届く。僅かに残った意識でその元を見上げる地べたの勇者──黒崎一護は、そこで、満足げな暗い笑みを浮かべる魔王を見た。

 

『…実に恐るべき一撃だった。誇るといい。崩玉の力を以てしても明確な死を幻視するほどの恐怖を…君はこの私に突き付けたのだ』

 

「……く…ッ」

 

 両腕を広げ、魔王──藍染惣右介が青年に喝采を送る。未だ先ほどの負傷の疲弊が残っているのか、男の息は荒く、勝ち誇るような動作もぎこちない。

 だが一護の勇気ある心は、多大な犠牲を投じても敵を倒せなかった不甲斐なさに、その芯まで染まっていた。

 

『親愛なる私の糧よ、君は実に良く戦った。私の期待に応え、幾度も絶望を乗り越え、遂にはその身を焼き尽くしてまで私を倒すための剣を掴んでくれた』

 

「…て…めえ…」

 

『感謝しよう、黒崎一護。君の犠牲によって、私が欲した高みへの道は拓かれた…!』

 

 歓喜に霊圧を昂らせる魔王に見下ろされ、非力な青年は何とか立ち上がろうとする。されど体を支える両腕は虚しく震え、上げる怒号も負け犬の遠吠えにすら劣る擦れ声。どれほど力を込めようと、一護に出来たのは地べたから巨悪を睨み付ける事だけだった。

 

 そんな彼へ、魔王が無慈悲な問いを投げかける。

 

『…さて、こうして君と言葉を交わすのも最後になる。これまでの働きに敬意を表し、君の"英雄譚"の終幕は君自身に選ばせてあげるとしよう』

 

「な…」

 

『答え給え、黒崎一護。全ての霊能を失った君は、何れを望む?』

 

 

 

──神の道化に殉ずる道か、

 

唯の人間として生きる道か──

 

 

 

 そんな藍染の冷笑に、一護は歯を食い縛る。

 

「だれが…死ぬかよ…!」

 

『ほう』

 

「死んで…たまるかよ…! 俺が…てめえを…倒すんだ…ッ」

 

 押し潰されそうな無力感と絶望を必死に振り払い、砕け散った戦意をかき集める。

 

「ぐ…、くそぉ…ォッ…!」

 

 だが、一護の中にはもう、彼の崇高な意思を力にする霊なる源泉は残されていなかった。

 

『成程。他者の示す道ではなく、自ら選んだ道を歩むと言う事か』

 

 勇者の抵抗に魔王は感心する。

 

 運命を超克するべくあらゆる手段を模索し、果て無き天を目指す魔王。

 力を失って尚、敵の示す選択肢を跳ね除け、自らが歩む道を信じる勇者。

 

 黒崎一護は生まれる前から、これまで常に他者の掌の上で踊り続けてきた。その役割を成せずに終わった役者には、嘲りの視線こそが相応しいのだろう。しかし藍染は、彼の不屈の心が放つ強い輝きに確かな敬意を抱いていた。

 

 それは男自身も気付かない、ふとした些細な心境の変化だったのかもしれない。だが藍染惣右介と言う男にとってそれは、根本的な何かを変える大きな転換だった。

 

『いいだろう、黒崎一護。私が王鍵の創生を執り行う間、その命は残しておく』

 

「ま…待て…!」

 

『君はそこで君の町が滅ぶ様を存分に眺めていなさい。まだ戦う力が残っているのなら、いつでも挑んでくるといい』

 

 魔王が踵を返す。悠々と遠くの空座町へと歩みを進めるその後ろ姿へ、一護は無様に縋り付こうと腕を伸ばす。

 

「やめろ…藍染…! くそ…ッ!」

 

 遠ざかる宿敵。届かない手。敗れた勇者の胸を絶望の闇が埋め尽くす。

 

「動け…! 動けよ…ォ…!」

 

 嗚咽のような情けない声で痙攣する四肢を叱咤する。辛うじて体を起こした一護は、されどそこで右手の相棒を掴もうとし、虚空を握った。

 

 斬月も、虚も、あの人に解放して貰った力も無い。彼にはもう、戦う力は一つも残されていない。

 

 

「───知るかよ…そんな事ッ!」

 

 

 かつてない挫折感。視界が真っ暗になる程の無力感。だが、それらの絶望に苛まれて尚、一護の心は折れなかった。

 

「勝つんだ…俺が…!」

 

 溢れる血の池に膝で立ち、剣を失った青年は人が持つ原初の武器、拳を握り締める。

 

「倒すんだ…あいつを…!」

 

 そうだ、俺はこんな所で負けられない。武器がないなら拳を、脚を、爪を、歯を。

 拳が砕け、脚が折れ、爪が割れ、歯が欠けようと、立ち向かってみせる。俺の助けを待っている奴らのために、俺は何度でも立ち上がってやる。

 

「…ッ! 俺が!」

 

 こいつを倒して、

 あいつらを────

 

 

 

 

「護るんだよオオオオオオオオッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …この時。

 

 黒崎一護の中に戦う力は一つも残されていなかった。死神・虚・そして藍染の言う"第三の力"。その全てを投げ打ち放った最強無比の一撃。

 それが"最後の月牙天衝"。

 

 ────【無月】であった。

 

 だが、一護にはもう一つだけ、目の前の絶望に抗う術があった。いつも彼を見守り、時に救ってくれた、謎多き術。

 それは"力"と呼ぶには不適切なものであったが、故に【無月】の発動後も消滅を免れ、青年の中からずっとその機を窺っていた。

 

 

『なっ…!!?』

 

 

 二つの驚愕の声が荒れ果てた流魂街の最端に響き渡る。魔王と勇者、両者の視線の先には、突然一護の胸元から溢れ始めた紅桃色の霊圧。

 

 

 その(すべ)の名は、【牙錠封印】。

 

 

 斬月無き今。ホワイト無き今。黒崎一護の強い想いを一身に受け止める立場となった"彼女"。

 

 独自の意志と思惑で以て、創造主すら予想していなかった決死の"牙"が…

 

 巨悪へ突き刺さる────

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

『…ほう、まだ抗う力が残っていたか』

 

 

 突如背後で膨れ上がった霊圧を感じ、藍染惣右介は振り返る。喜悦の滲んだ声は、残してきた微かな期待にすら応えてくれた"踏み台"への感謝の表れか。

 

『──何…?』

 

 だが黒崎一護へ振り向いた魔王は、そこで瞠目する。立ち上るその霊圧の色は彼の持つ夜空の黒ではない。

 

 莫迦な、と藍染は息を呑む。

 

 黒崎一護が放った"最後の月牙天衝"とやらは、正しく彼の才の全てを投げ打ち犠牲にした究極の一撃だった。事実青年から感じる霊圧は最早残滓に等しいもの。にもかかわらず、彼の胸から溢れる力は、真なる超越者となった藍染ですら戦慄を覚えるほどの凄まじいものだった。

 

 その直後。

 驚く魔王へ目掛け、膝立ちの黒崎一護の胸元から幾本もの光の鎖が放たれた。

 

『!? これは…!』

 

「な、何だ…?」

 

 動揺の隙を突かれた藍染は一瞬でその紅桃色の霊圧に巻き付かれる。首に胴、四肢を拘束するその鎖は信じ難い強度で彼の自由を奪っていた。

 

 その様を見ていた一護は何が起きているのかわからず混乱する。だが胸元から湧き出る霊圧に青年は異様な既視感を覚える。

 この気配は…

 

 そしてその既視感の正体に行き着くのと同時。一護が導いた"答え"が彼の背後に現れた。

 

「あ、あんた…!」

 

 驚愕に呆ける勇者。振り向く彼の背中から無数の光の鎖が伸び、蜷を巻きながら小柄な白い人影を象ったのだ。

 

 

 それは白い死覇装を着た女。一護の巨大な力を封じていた、あの仮面の少女だった。

 

 

『……そうか、それが君に託された彼女の切り札か…ッ!』

 

 最初に事態に気付いたのは藍染惣右介。拘束の苦痛に顔が歪みながらも、男の声は掻き消えない歓喜を孕んでいた。

 

『実に見事な手際だ…! そうだ、切り札とは此処ぞの機に切る事で初めて切り札足り得る! そして私の最大の隙は、黒崎一護との死闘の果てに消耗した今を措いて他にない!』

 

「!」

 

『やはり君は気付いていたか…! 私の崩玉が、君の義魂を取り込んでいる事に───雛森桃!』

 

 その言葉に一護はハッと思い出す。

 かつて空座町でヤミーと戦った時に自分を救った桃色の光の鎖。斬月世界の仮面の少女が白い斬月の腕に光の鎖となって合体した光景。そして最後に、あの過去の河原で"本好きのおねえちゃん"が彼の胸に触れた時の事…

 

「まさか…!」

 

 藍染の台詞でそれらが一つに繋がる。あの時彼女は「お守りは一先ずおしまい」と言っていたが、あれは一護の封じられていた力を解き放っただけではなかった。

 藍染の崩玉に取り込まれた、雛森桃の複霊(クローン)魂魄。あの魔王を圧倒するほどの一護の霊力を抑え込む、彼女と同じ姿をした封印。同じ二つの魂が呼応し、一護の解かれた封印が、その封じる力の対象を藍染へと変えたのだ。

 あの不思議な世界で彼女が施したもう一つの術は、この時のための最後の仕掛けだったのだ。

 

 …だが。

 

 

『────甘いな』

 

 

 その渾身の一手を受けて尚、巨悪は嗤っていた。

 

『気付かないとでも思ったか? 私の崩玉の中にある彼女の義魂が、私を倒す何らかの手段の要と成り得る事に…!』

 

「なっ…!?」

 

『言ったはずだ、これは試練だと…! そして君との戦いの結末は私の試練の始まりに過ぎない! 急所と成り得る雛森桃の義魂を取り込んだのは、その危険こそが彼女の持つ"神の因子"を完全に我がものとするための糧であるからだ!』

 

 自身の霊圧を爆発させた藍染が、その藍紫色で光鎖の桃色を染め始める。

 

 

 ────ッ!

 

 

 その瞬間、一護の背後の少女が悲鳴を噛み殺すような声を上げた。振り向き見たのは、声の主が体を抱きしめ苦しむ姿。

 

「ッ、大丈夫か…!?」

 

 一護は咄嗟に彼女の鎖を掴み、霊圧を注ぎ込む。残滓とは言え残った己の霊力が少しでも彼女の助けにならんと沈鬱な祈りを込めて。

 

『無駄だ、黒崎一護…! 私の崩玉は既に私の支配下にある! 今の君の力ではあの娘の複霊を救うどころか、君自身の中の彼女すら護れない!』

 

「そんなの…やってみなきゃわかんねえだろ!!」

 

 だが胸元の鎖の侵食は止まらない。必死に藍染の力を封印しようと身を挺す仮面の少女が、少しずつ魔王の霊圧の色に蝕まれて行く。

 

 その光景を見た魔王が口角を限界まで吊り上げ、二度目の勝利を宣言した。

 

『私の勝ちだ、黒崎一護!』

 

「くっ…ぐううぅッッ!!」

 

『さあ、崩玉よ! 私に続け! 勇者の女神の加護を滅ぼし、この戦いに終止符を打つのだ!』

 

 "最後の月牙天衝"も打ち砕いた。残るは天女が仕込んだ"戯曲の編纂"ただ一つ。この障害を超克すれば、藍染惣右介の悲願は果たされる。

 道化に生まれた己が身は、漸く一個の命の産声を上げるのだ。

 

 体が歓喜に突き動かされ、藍染は底なしの霊力を光の鎖に叩き付け……遂にその桃色の全てを、自らの藍に染め遂げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …かに思われたその直前。

 

 男の胸元に、

 

─紅色に輝く十字の光が噴出した─

 

 

 

『なっ!?』

 

 

 

 同時に声を上げる藍染と一護。この場の誰のでもない新たな霊圧が渦巻き、魔王の体を覆い始めたのだ。

 

『何だ、これは…! 鬼道か!?』

 

「…!」

 

 真っ先に現象の本質に気付いた巨悪が自身の力で術を破壊せんと試みる。だが彼の霊圧は渦巻く殻状の霊体に吸い込まれ、術の進行を加速させるばかり。

 

『莫迦な! こんなもの…ッ!』

 

「な、何が起きて…」

 

 そして焦燥する藍染と、困惑する一護の前に、戦場の最後の役者が舞台上へ上がった。

 

 

 

 

「──漸く発動したみたいッスね」

 

 

 

 

 男の名は、浦原喜助。

 

 この時を待ち望み、百十年もの年月を準備に費やした霊界最高の科学者の切り札が、宿敵藍染惣右介へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

『浦原喜助…貴様の仕業か!』

 

 

 魔王の憤慨が突き刺す霊圧となって辺りに吹き荒れる。それに怖気付く事無く、新たに現れた男は布帽子の奥の瞳を光らせ、行使した術の正体を明かした。

 

「それは封ッス。怪物化する雛森サンに現を抜かしていたアナタの心の隙に潜ませました」

 

 研究者は語る。

 偽の空座町での一戦、浦原は藍染へ九十番台の最上級破道を行使した。他の隊長格であれば一撃で倒せるほどの術を囮に使い、たとえ藍染が如何なる手段で超越者へと至ろうと確実に封印できる最高傑作の自作鬼道を密かに奴の魄内に埋め込んだのだ。

 

「…藍染サン、アナタは本当に恐ろしいお人だ。あの黒崎サンの死力の一撃を真正面から耐え、更にはあの少女(ひと)が仕掛けた切り札さえも跳ね除ける。二人の力なくしてこの術は発動しなかったでしょう」

 

『小賢しい真似を…今更我等の舞台に上がろうなど、相変わらず反吐が出る低劣な男だ…! 知るがいい、貴様如きに出来る事などこの場に一つもないのだと!』

 

 怒りの形相で霊圧を跳ね上げる巨悪。だが男の意識が浦原の術に向いた瞬間、一護の胸の鎖が元の桃色へと復活し再度藍染の力を抑え込み始めた。

 

『ぐ…ッ、何…!?』

 

「その鎖はアナタの崩玉の中にある彼女の義魂に取り憑いてるみたいッスね。親和性の高い同一魂魄だ、アナタの崩玉の力は彼女の封印に抗う事で精一杯のハズ。そして黒崎サンの一撃で疲弊している今のアナタにこれ以上の抵抗は不可能ッスよ」

 

『莫迦な、こんな…こんな事が…ッ!』

 

 この期に及んで油断や余裕は欠片も無い。死に物狂いで抜け出そうとする藍染は、しかし一護の光鎖に捕らわれ微力な抵抗しか出来ずにいる。

 

「アタシの術は、黒崎サンと彼女の力を受けてアナタが弱った事で初めて起動する余地を得ました。長い長い試行錯誤の末に完成した封印です。発動の途中で破られるようなヤワな作りはしていない」

 

 帽子の鍔を引き、浦原が敵との視線を切る。彼なりの勝利宣言であったそれは、浦原喜助の才を知る藍染に自身の運命を予見させるのに十分な言動だった。

 

 

『…ッ、よもや貴様の様な唾棄すべき体制主義者の手でこの私の野望が挫けるとはな…! 実に滑稽な終焉だ。運命とはつくづく度し難い…!』

 

 

 結末を悟ったのか、魔王が激情に呻る。地獄の底から響くような怨嗟の声だ。

 

「"体制主義"……霊王の事ッスか? …成程、それがアナタの行動原理だったんスね」

 

『巫山戯た勘違いをするな』

 

 浦原の問いに藍染が侮蔑の視線を飛ばす。

 

『あんなものに憤りを覚える無垢な時代は疾うに過ぎている。偽りの天に飾られ道化にすらなれない無様な英雄も、それを崇める貴様等も、私にとっては最早等しく地を這う虫けらに過ぎない』

 

 そう吐き捨てる巨悪に一護は一人困惑する。奴と浦原の会話はあまりに難解で、無知な人間の青年には何一つとして理解に及ばない。

 

「…藍染サン、アナタはまさか…」

 

 だがそれに及んだ浦原は違った。帽子の奥の瞳を細め、相手を問い質そうと険呑な空気を放っている。

 

『ほう…少しはその矮小な視野を広げる度胸があるか。燕策の利とは言えこの私に土を付けるだけの事はある』

 

 そんな彼の姿を見た藍染が失笑を零す。そして『良いだろう』と前置き、一つの台詞を口にした。

 

『これは忠告だ、"天才"浦原喜助』

 

「!」

 

 今や首まで封印の殻で覆われた白い体。残すは頭部のみとなった状態にありながら、男の鋭利な純白の瞳に陰りは無い。

 

『この世は耐え難い屈辱の上に成り立っている。一度知れば二度と戻れない、おぞましい真実の上に』

 

「…何を…」

 

『森羅万象は夢幻を映し、揺蕩う魂は造られた喜劇悲劇に明け暮れる。我等の生きる平面では神を名乗る哀れな道化達が日夜剣舞を踊り、その身を天へと捧げるのだ』

 

 

 ───名すら知らぬ己の神の、虚ろな心を満たすために…

 

 

 そしてその言葉にハッと目を見開いた浦原喜助を残し、最後に殻に覆われていく男の口元が、意味深な弧を描く。

 

『君のくだらない探求欲を満たす、自らの安寧を惜しむのならば…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──"読書家"を名乗る少女に、

近付き過ぎない事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尸魂界史上最悪の離反事件を起こした、"大罪人"藍染惣右介は、かくして浦原喜助の手により封印された。

 

 多くの死神達に消えない傷を残した巨悪の魔王は、その野望が潰える瀬戸際において尚、常の不気味な薄笑で勝者の二人をふてぶてしく見下ろしていた。

 

 それはまるで、戦いの勝敗を超えた高次の土俵における、一護ら勝者の敗北を示唆するような、威風堂々たる佇まいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

すいません、更新を急いでたので頂いた支援絵を載せそびれてしまいました…
次回の更新の時に改めてご紹介させていただきます!

 

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