「お兄ちゃんまだ食べれそう?」
「お茶と一緒なら余裕」
季節は2月。来るべきバレンタインデーに備えてキッチンでは菜緒がチョコ作りで試行錯誤している。
今年に中学を卒業する先輩に片想いをしている妹はバレンタイン前の三年生の登校日に合わせてチョコを渡すつもりらしい。
「初めて作っているとこを見た感想だけど、手作りチョコって勝手なイメージで溶かしたチョコを型に流して冷やして終わりだと思ってたけどそんなに凝ってるんだな」
「お兄ちゃん……そんなこと言ったらダメだよ?」
「菜緒が作ってるのは間違いなく手作りだから安心しな」
「そういうことじゃなくてね? お兄ちゃんの中では手作りじゃない溶かして型に流すだけのチョコも意外と手間だし、作った人の気持ちが籠っているんだから。それともお兄ちゃんを納得させるためにはカカオ豆から作らなきゃダメ?」
「ごめんなさい」
「わかればよろしい。ところでこのひねくれたお兄ちゃんは今年はどれくらいもらうのかな」
「さあ? もらえるものはもらうよ。チョコ好きだし」
「もらえる前提でいるのも問題だけど本当にもらえるのもまた問題だよね……」
「菜緒のが一番うまいから今年も頼むな」
「お世話になってるしあげるつもりだけど……そういえばお兄ちゃんどんなチョコが一番好きなの?」
「うーん……生チョコかな」
「そうなんだ、わかったよ」
「楽しみにしてるわ。ところでお菓子で名前の頭に生がつくのって大抵うまいよな、生チョコとか生キャラメルとか」
「柔らかくて美味しいよね」
「だよな? 次に来るのは生煎餅かな?」
「煎餅が生だったら餅だと思うけどな」
……なるほど、たしかに餅だ。
「ところで加藤さんとはどうなの?」
「どうって?」
「付き合ったりとかしてるのかなって……大抵一緒に行動してるでしょ?」
「加藤は……仲の良い友達だよ、それ以上でも以下でもない」
「ふうん、いいけどさ。友達を泣かせるようなことだけはしちゃダメだよ?」
「そんなの言われなくてもわかってるよ」
正直俺は加藤に姫野のことを話したことを心底悔やんでいた。今まで通り学校ではよく話すし、一緒に帰ったりもしている。だけど話すべきではなかったかもしれないという思いが俺の中で渦巻いている。
それと姫野のことを話し終えた後に加藤が言った一言。あの言葉の意味はおそらく──。
*
バレンタインデー当日は先生方の高校入試に関わる行事と重なっているため学生は休みとなっている。だからチョコを渡すのは当日より前の日に、というのが今年の流れらしい。
「須藤、これ」
「え、なに。友チョコならぬホモチョコか?」
「語感がいいのが癪だけどちげーよ。隣のクラスの女子に渡してくれって頼まれたんだよ」
「ああ、なるほど」
「いいよなお前は。チョコもらえてさ」
「さっきクラスの女子が配ってただろ」
「あれはカウントに入……るけど、そうじゃなくて」
悲しき男子高校生の性を垣間見た。
「一目で義理とわかるチョコじゃなくて俺は、俺達はお前がもらってるようなのが欲しいんだよ」
「ブラックサンダーいいじゃん、俺は好きだよ」
「持つ者は持たざる者の気持ちがわからないんだな」
「まあまあ、どのチョコにも作った人の気持ちが籠っているからさ」
「有楽製菓の人はどんな気持ちを込めたんだろうな……」
たぶんだけど早く仕事終わんねーかなーとかじゃないかな。
「とにかく須藤お前どうするんだよ」
「どうするとは?」
「彼女作らないのか?」
その一言に俺は自分がどうしたいのか、どうするべきなのかを考える。姫野に対しての気持ちを捨てきれていないということが加藤に話をしたことでわかった。そんな状態で誰かと彼氏彼女の関係になったとしても長く続くわけがない。
だがそれを目の前の友人に説明したところで理解してもらえるだろうか? だからこそ俺はこの場での最適な返答をすることで問題の先送りを図る。
「……さあね」
──
「須藤君、ちょっといいかな?」
震えそうな声でそう言う女の子の視界には須藤君しか映っていないようで、一緒に帰るために横を歩いている私に気が付いていないようだった。
須藤君もそれがわかったみたいで私に目配せをしてその場を離れる。女の子はチョコを渡しながら告白をしたらしく、遠目で見ているこちらにも緊張が伝わってきた。少し時間が経って女の子が俯きながら去っていって私は安心したような、悲しいような。
──自分の幸せを願うということは、自分じゃない誰かの不幸せを願うことと一緒で。だとしたら私はいったい何を願えばいいのだろうか。ただ彼と好き同士になりたいだけなのに。
「ごめん加藤、帰ろうぜ」
「大丈夫だよ」
歩き始めるといつも通り話をするというわけではなく、どことなく須藤君は元気がなかった。理由はわかっていた、おそらく今日須藤君は何人もの女の子からの想いを断ってきたはずだから。
憎くて振るわけではないから断る方も辛いのだ。だから私が取る行動はひとつだった。
「須藤君、これ」
「チョコか、ありがとな」
「友チョコだから」
「……ハッキリ言うなよ、でもありがと。嬉しいよ」
そう言って須藤君はいつも通りに笑う。
……これでいいんだ。本当はあなたに気持ちを伝えるための物だったけど、渡し方を少し変えただけで喜んでくれる。好きだって伝えたかったけどその笑顔が見たかったからレシピ本を買って、好きな味を聞いたりして、あたふたしながらもチョコを手作りして、ドキドキして。
ほんの少しでもいいからあなたの心が私に傾いてくれないかってそう思いながらチョコを作って……そして渡した。
「食べてみてもいい?」
「いいけど……あんまり美味しくないかも……」
「大丈夫だって」
彼が包装を解く度に胸の鼓動が大きくなっていく。おいしいって言ってもらえるかな?
「うん、めっちゃうまい」
安心して息を吐くとその様子を見られていたようで目が合ってしまった。恥ずかしいので目を反らすと彼はアハハと小さく笑ってまた一つチョコを口にする。
本当に気に入ってもらえたらしくすぐに完食してくれた。
「また来年も頼むな」
こちらの気も知らないでと思ったけど、恋愛は惚れた方の負けだから。その笑顔で言われたら私は反論することができなくなる。
だから少し困らせてみようかなと思って、私は悪戯に笑いながら彼に言う。
「ホワイトデー楽しみにしてるから」
*
「ただいまー」
少し帰りが遅くなったなと思いながら家に入ると既に菜緒が帰ってきてるようで玄関に靴が並んでいた。妹はチョコを渡すことが出来たのだろうか?
手洗いをした後に自分の部屋に入り制服のままベッドに横になる。シワになっても明日は休みなのでアイロンを掛ければ大丈夫だろうとだらしない自分に言い訳をしていると菜緒が部屋に入ってきた。
「お兄ちゃんおかえり」
「ただいま。……ダメだったんだな」
菜緒の目元が赤かったので俺は失恋を悟った。とりあえず側にある椅子に座らせる。
「うん……山田先輩に彼女いたの知らなかった……」
ああ確かそんな名前だったなと思いながら俺はかけるべき言葉を考えていた。
「チョコは渡せたのか?」
「ううん、渡してないよ。二人で仲良く話しているの見たら私の独りよがりな気持ちだけで渡しちゃダメだなって」
「そっか。えらいな、よく頑張った」
俺がそう言うと妹の目から涙が流れ始める。
「実らなかった恋に意味はあるのかな? 消えてしまうものは、初めからなかったものと同じなの?」
「正直わからん。でもな、菜緒が想って行動したことで経験であったり、自分の中に何かが蓄積されていくなら無駄だってことはないんじゃないか?」
「どうやって諦めばいいのかな? 諦めるって自分を納得させて、それで好きっていう心と逆のことを選択していけばいいの?」
──その言葉に姫野のことがよぎった。
「すぐに諦めるとかじゃなくて……自分の中で区切りをつければいいんじゃないか? 生活してて辛く感じることだってあるかもしれない、でもそうやって切り替えていかないと。時間が解決してくれるさ、きっとな」
──自分が出来ていないことを妹に言ってしまい、心が痛んだ。
「本当に好きなら幸せを祈れるはずなのに、私さっき自分の部屋に一人でいるときに思っちゃった……。別れちゃえばいいのにって。こんな気持ちになるくらいなら誰かを好きになりたくないよ」
「そんな悲しいこと言うなよ、今は感情的になってるだけだから。人から見たらどんなに情けなくてみっともなくても、誰かを想う気持ちは捨てちゃダメだ」
「……うん」
「だから今日は、なんかウマイもの食べて、風呂入って、布団入って寝ろ。菜緒が食べたいもの何でも作ってあげるから」
「……オムライスが食べたい」
「わかった。ふわふわなのか? それとも普通のか?」
「……ふわふわのやつ」
「わかった、じゃあ部屋で待っててな」
「……ありがとうお兄ちゃん。あとこれ」
「ん? ああチョコか、ありがとな」
「いつもありがとう、お兄ちゃん」
「いいって家族なんだから。俺からもありがとな、いつも助かってるよ」
そう言って俺は妹からもらったチョコを片手にキッチンに向かい、冷蔵庫を開けて材料が揃っているかを確認し夕飯の準備を始める。
料理をしながら俺は『実らなかった恋に意味はあるのか』という言葉を頭の中で反芻していた。それに対しての答えを俺はまだ持ち合わせていない。それはきっと誰もが探し求めていることなのではないだろうか。
妹からのチョコは小さめのブラウニーでそれを口に放り込む。俺が想像していたよりも苦く、望んでいた甘さではなかった。しかしその苦さにどこか居心地のよさを感じ、またひとつ口に運んだ。