長かった夏休みも残すところ数日となり、学校が始まる楽しみと休みが終わる寂しさを同時に味わっている。
今日は霞ヶ丘先輩から呼び出しを受けたので指定された喫茶店に行くと先輩は既にいて、絵になるような所作でカップに口をつけていた。
「すみません、遅れました」
「いいのよ。約束の時間には間に合っているのだし」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
「でも女性を待たせるのは感心しないわね」
「……やっぱり気にしてるじゃん」
「なにか言ったかしら?」
「いえ何も。それで直接会って話したいことって何ですか?」
「そうね、いきなり本題に入るけどこれを見てほしいのよ」
そう言って先輩は鞄からクリップでまとめられた原稿を二つ取り出した。
「これは?」
「もちろん私達が作っているゲームのシナリオよ」
「二つありますけど」
「ひとつは現在作っているもので、もうひとつは……私が勝手に設定を変更してダブルヒロインにしたものよ」
「……とりあえず読めってことですね」
わかってるならいいと言った様子で先輩は窓の外に視線を向けた。俺はその意図に沿うように原稿を読み始める。──やはりプロとして活動しているのでシンプルに面白い。
「倫理君から送られてきたサントラのデータは聴いた?」
「……え? なにか言いました?」
「倫理君からゲームのサントラのデータが送られてきたでしょ? それは聴いたのかしら?」
「それなら聴きましたよ。氷堂って作曲の才能があったんですね」
「どうして彼の近くには魅力的な女性が集まるのかしらね」
「先輩だってその中の一人ですよ」
これはお世辞ではなく本心だ。
「それと氷堂と倫也はそういう関係にはたぶんならないですよ」
「どうしてそう言えるの?」
「幼馴染って言っても距離感が近すぎるんですよ。異性と意識していてもそれだけ関係が近いと兄弟のような感覚になっちゃうと思うので」
「それでもわからないじゃない。人が誰を好きになるのかは」
手を握り締めた姿を見て、俺は先輩は不安なんだなと思った。
「数学や物理というのは神様のやっているチェスを横から眺めて、そこにどんなルールがあるのか、どんな美しい法則があるのかを探していくことだ──という言葉を知っているかしら?」
「誰の言葉ですか?」
「物理学者のリチャード・ファインマンよ」
「知らない人ですね。それでその言葉がどうしたんですか?」
「最近思うのだけれど……人と人が出会う事もそのルールに則っているのかもしれないわ」
「出会いは偶然じゃなくて必然ってことですか?」
「ええ。もしそこに何かのルールがなかったら、二人がどこかで出会っても、そのまますれ違って関わり合うことも言葉を交わすこともないんじゃないかしら」
「面白い考え方ですね」
「だから私達のサークルも何か強い引力に引き寄せられて出来たのよ」
ここで言う引力は倫也のことだよなと思い、ハッとなった。
確かに倫也が春休みに加藤に出会わなければゲームを作ろうとはなっていないし、先輩や澤村とも関わってはいなかっただろう。氷堂がサントラ担当になったのも倫也がいたからだ。そう考えたら出会いは偶然ではなく必然だというのも納得のいくものだった。
「でも全部が全部そうではないですよね」
「それは引力に逆らいながらの出会いだから、もはや運命よ」
「何でもありですね」
先輩の言葉に思わず吹き出してしまった。
会話に一段落ついたので俺は原稿を再び読み進める。作家というのは多角的な考え方をするからか、二つのシナリオは同じ人が書いたとは思えないくらいに別物で、正反対の感想を持った。
──
「感想を聞いてもいいかしら」
読み終わりましたと言った俺を急かすように先輩は短くそう言う。
「まず素直に面白かったです」
「ええ、ありがと」
「どちらも感情移入しやすくて盛り上がりもあったし終わった後の余韻もここ最近読んだ本よりも良かったです」
「ええ」
「でも……何かを伝えたいなら直接の方がいいと思います」
「……そう。もうひとつの原稿の真意に気が付いたのね」
「これを倫也に渡しても面白いシナリオを二通り用意してくれたとしか思ってもらえませんよ、わからないですけど」
「……それでも私はこうするしか考えられなかったのよ」
先輩はカップに視線を落とし口をつぐんだ。
「私が一歩踏み出せるような、そんな言葉はないかしら」
「えーと……澤村は倫也との昔の確執もなくなったようだし一歩リードされてますよね、焦った方がいいですよ」
「だからこの方法を思い付いたんだけど」
「思ったんですけど先輩って倫也のことからかったりしますけど、イマイチ決め手に欠けますよね」
「正論のDVはやめて、自分がヘタレだっていうのは一番よくわかってるから」
「なんかすみません」
「付き合うまではいかなくてもあなたと加藤さんのようになりたいわ」
「どういうことですか?」
「互いに気兼ねないじゃない、それに異性としての距離感もいいと思うし」
「加藤は──そうですね、横にいたら安心しますね」
「私なんて年上よ? それだけで若干壁があるのに初恋でどうしたらいいかわからないし……本当にもう一体どうすればいいのかしら?」
「と、とりあえずアプローチの方法がわかっていないことはわかりました。落ち着いてください」
「……少し取り乱したわ、相談できるのなんてあなたくらいしかいないのよ」
「まあ……そうですよね」
「なに? 今私のことボッチだって肯定したわね?」
「何を言えば正解だったんですか」
周囲から孤立してるとまでは言わないが、高嶺の花みたいに思われていてサークル以外ではほとんど話さないというのを耳にしていたので肯定してしまったが地雷だったらしい。
「えーと……これは受け売りですが」
「なに?」
「人を好きになるっていうのはその人に対して友達以上を求めてしまうわけなんですね」
「その通りね。手を繋ぎたいし、たくさん話もしたいし、一緒に色々なことをしたいと思うわ」
「いやそこまで言ってないですけど……、まあいいか。とにかく今先輩は押しても引いても駄目な状態なわけです」
「それじゃあ一体どうすればいいの?」
「もっと歩み寄ればいいんですよ。本当の自分をさらけ出して恋に臆病な霞ヶ丘先輩を倫也に見せれば、そうすればきっとあいつの心も動きますよ」
「……そうね、回りくどいことをしていても伝わらなければ意味ないもの」
納得したように先輩は顎に手を置いた。
どうやら俺の言わんとすることは伝わったらしい。受け売りでもっともらしいことは言ったが具体的なことについては何一つ言わなかったが、この様子だと気が付かないだろう。
「それじゃあ大学を近場にするか、遠方にするかっていう揺さぶりもやめておいた方がいいわね」
「そんなことも考えていたんですか……」
──
話が一段落したからか締め括るように先輩が口を開く。
「今日はありがとう。残り少ない学校生活を有効活用していくわ」
「来年の3月に卒業ですもんね。将来は──既に決まっているから心配いらないか」
「ええ、このまま作家として生きていければと思っているわ。それに倫理君のゲーム制作にも関わっていきたいわね」
「俺もそろそろ進路考えなきゃですね。とりあえず大学には行こうと思ってるんですけど……その先がなぁ」
「あなたならどの道に進んでも大丈夫だと思うわ。要領も良いし、なにより人に好かれやすいもの」
「そう言ってもらえると嬉しいんですけどね。先輩を始めとして澤村や倫也とか既にやりたいことが明確になっている人に囲まれているとやっぱりなんとなく焦りますよ」
「可能性の一つとして提示するなら……俳優という道もあるわよ」
「俳優ですか?」
「ええ、ゲームのシナリオを確認するときに須藤君読ませられているでしょう? 台詞に感情を込めるのが上手いと思うわ。それこそ私の指導がいらないくらいには」
「先輩の指導がどれほどか知らないんですけど」
「昨年の学園祭で演劇部に指導したら何人か逃げたしたわね」
「そんな厳しいんですか……」
「だから演技という点において自信を持っていいと思うわよ」
「ありがとうございます。とりあえずは大学進学ですね」
「そうね、私も頑張るわ」
そう言って先輩はテーブルに置かれていた伝票を手慣れたように手に取りレジに向かう。
「普通に会計は別々で大丈夫ですよ」
「相談に乗ってもらったのだし私が全部出すわ」
「でも──」
「それに私、稼いでいるから」
……かっけー。いつか俺も言ってみたいなということ、そのために稼げる職業につかなきゃなと思わせられた。
*
先輩と別れたあとの帰り道、真っ直ぐ家に帰らず近所に流れる川を見たくなったので寄り道をした。
夕日が反射して光る川を見るのが好きだからだ。橋が見えてきたところで先客がいるのに気が付き、同じ感性を持っている人がいるんだなと笑みが溢れそうになる。
「あれ、須藤君だ」
外出していたのか涼しげな服装で紙袋を手に持っている加藤がいた。
「どこか行っていたの?」
「うん、用事があって。加藤は?」
「私は友達と服を買いに行ってたんだ」
「それで紙袋か。何か良いのはあった?」
「気に入ったのが何着かあったから迷っちゃったんだよね」
「じゃあ袋の中には厳選された一着が入ってるんだな」
「そうなる……のかな?」
「それで帰りにこの橋から見える夕日を見ていた、と」
「そうそう。私、ここから見える夕日が好きなんだ~」
「奇遇だな、俺も好きなんだよ。ここから見える景色」
「本当? えへへ……なんか嬉しいな」
夕日で赤く染まって微笑む加藤を見て胸が高鳴った。
先輩は言った、人と人が出会うのはルールがあるからだと。本当にそうなのかもしれない。
「あの……さ、加藤」
「なに?」
「……いや、何でもない」
「変なの」
今までどうやって話していたのだろうか。何か話さないとせっかく会ったのに無駄になってしまう。
「夏休みもあと少しで終わっちゃうし……2学期もよろしくね」
その言葉に高校に進学してからの色々な出来事を思いだし、それらほとんどで加藤が横にいたことが頭をよぎった。
その人との会話や思い出が蓄積していって好きだということに気が付くと言っていた姫野の言葉を俺は理解していなかった。
「ああ、また学校でな」
気が付くと俺達の頭上には星が輝いていて、それと共に穏やかな風が吹いた。もっと、ずっと二人でいたいという俺の気持ちは風に舞っていった。
読んでいただきありがとうございます。
UA数などが一気に増えたのはどういう仕組みなのかがよくわかっていないので困惑しています。