一年に一度、自分が主役になれる今日を私は心待ちにしていた。
彼に遊びに誘われたあの日からカレンダーとにらめっこしながら、まだかまだかと指折り数えていた。
彼に一言でも良いから褒めてもらいたくて何日も前から着ていく服を選んで、実際に試着して鏡の前でチェックもした。
──もしもあなたも私のことを想ってくれていたら。
何度も夢見た関係に私は近付けているだろうか。
机の引き出しの中に大切に仕舞っていた丁寧にラッピングされた袋を鞄に入れ直して、私は部屋を後にした。
*
「ごめん、待った?」
「そんなに待ってないよ」
俺が待ち合わせの駅前のベンチに腰を掛けて今日行くところを確認していると、小さく息を切らした加藤が目の前にいた。
加藤はいつものベレー帽に涼しげな淡いピンク色のシャツにホットパンツ姿で、見蕩れそうになってしまったので慌てて目を逸らしながらセオリー通りに口を開く。
「あーなんだ、私服やっぱりオシャレだよな。似合ってるよ」
「え、うん、ありがとう。……須藤君も似合ってるよ」
「素材がいいからかな」
「えと、うん、カッコいいよね」
「いや俺じゃなくて、服の……」
「あっ、そっち……」
変に緊張してるせいか調子が出ない。というより今までこんな美少女とよく普通に話せていたな。
「そうだ、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「行きたいところ聞いたけど、本当にあれでいいの?」
「うん。須藤君と行きたいところだから」
「そっか。じゃあ時間も惜しいし行くか」
鞄の中に入れているプレゼントは最後に渡そうと思い、軽く鞄に触れて忘れていないかを再度確認する。
「見て見て」
「ん? 猫?」
スマホを差し出してきたので画面を見ると塀の上でダランと寝転んでいる猫が映っていた。
「来る途中に見つけたんだけど、可愛くてつい撮っちゃった」
「猫って可愛いよな。ペットショップに行ったら犬より先に見ちゃう」
「ということは犬か猫でいったら猫派?」
「うーん……飼ってないから何とも言えないけど猫のが好きかもしれない。両方好きだけど」
「私も両方好きだな。甲乙つけがたいよね」
「俺将来両方飼おうと思ってるよ、選べないから。少なくとも犬は絶対に飼う」
「猫は仲間外れなの?」
「猫と関わったことないからアレルギーかどうかわからないんだよね」
「あ~そういうこと」
「加藤の家は何かペット飼ってるの?」
「ううん、何も。大きいのが6月に家からいなくなったくらいかな」
「ん? 飼ってたペットが6月に亡くなったってこと?」
「6月にお姉ちゃんが結婚して家を出てったんだよね」
「へぇ~お姉さんいるんだ」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いたことあるような、ないような……。仲悪いの?」
「そんなことないよ? どうして?」
「姉を大きいの呼ばわりしてたから」
「うーん……何て言えばいいのかな。仲は悪くないし、むしろ良い部類だと思うんだけど少し苦手なんだよね」
「性格的に?」
「そう。お姉ちゃん、私のことすぐからかってくるんだよ。5月に家族旅行に行ったときもそうだし、結婚式のときもそう」
拗ねた子供のような表情で姉の愚痴を言う加藤を見て、姉妹のやり取りが容易に想像できた。
「たぶんお姉さんは加藤のことが可愛くてしょうがないんだよ」
「え~そうかな? 絶対私の反応を見て楽しんでるだけだよ」
「それもあると思うけど、それだけじゃないよ」
「どうしてわかるの?」
そう聞いてくる加藤に俺は笑みを押さえられずに短く答える。
「菜緒に対して俺がそうだからだよ」
──
「ひゃ~久しぶりに来たけどやっぱり混んでるね~」
「休日の映画館ってこんな感じなんだ」
「あんまり映画館に来ないの?」
「店でレンタルしたり、配信されているのを家で観ることのほうが多いかな」
観たい映画があると加藤が言ったので駅前の映画館を訪れている。
映画館は明るさが押さえられていて、程よい暗さが心地よくて一日中いれそうだなと変な関心をしてしまった。
「券売機はあそこにあるね」
「あっ事前に買っておいたから発券だけで大丈夫だよ」
「本当? いくらだった?」
鞄から財布を出そうとする加藤を制止して言葉を続ける。
「いいよ、俺が誘ったんだし」
「え~でも悪いよ」
「誕生日でしょ?」
「うーん……それを言われたら……。でも次来たときには絶対私が出すから」
その言葉に、俺は次もあるんだなと嬉しくなって笑顔が溢れそうになった。それを悟られないように目を逸らして発券機を操作し、出てきた券を加藤に手渡す。
「須藤君の手って大きいよね」
「あーそうかも。加藤の顔より大きいよ」
「私そんなに小顔じゃないよ」
「いや小顔だろ。そんなにってことはちょっとはそう思ってるってことでしょ?」
「もう……いじわる」
「あはは、ごめんごめん」
正直反応が可愛すぎて手で顔を覆ってしまいたくなったが、なんとか堪えた。
二人で他愛のない話を開場の案内があるまで続けて、それだけでも十分だったけど加藤が楽しみにしている映画だったから、特別な気持ちで劇場に足を運んだ。
加藤が観たいと言った映画は、公務に疲れ屋敷を飛び出した王女が新聞記者と出会い、互いの身分を明らかにしないまま街を探訪し恋に落ちるというものだった。
しかし物語はそれだけで終わらず、惹かれ合っていた二人だったが身分の違いから結ばれることはなく、だけどその想いは失われることはなかった、という場面で終わった。
映画を観ている途中に何となく気になって横を盗み見ると、目が合ってしまい、それからは嫌でも映画に集中することになってしまった。元からそのつもりではあったけれど。
映画を観終わったあとに近くの喫茶店に移動すると大きく伸びをしながら加藤が口を開いた。
「うーん、改めてハッピーエンドじゃないけど楽しい映画だったね」
「劇場を出たときもそう言ってたな」
「タイトルだけ知ってたけど名作って言われる理由がよくわかったよ」
「たしかに。俺はローマに行きたくなったよ」
「スクーター二人乗りしちゃう?」
「それもいいな」
映画の感想を語り合うなんて初めてで、ずっと話していられると思った。気が付いたら一時間以上過ぎていて、注文したカップが空になったので店を後にし次の目的地に向かう。
「野球やったことあるの?」
「ううん、ないよ。たまにお父さんがテレビで見てるよ」
「キャッチボールをしたことは?」
「それもないかな」
「全くの初心者ってことね」
「ご教授のほど、よろしくお願いします」
加藤の行きたいところの二つ目はバッティングセンターだった。
「そういえば理由聞きたかったんだけど」
「何の?」
「バッティングセンターを選んだ理由」
「夏に須藤君のお母さんの実家に行ったでしょ?」
「ああ、行ったな」
「そのときに須藤君が野球してるところを見られなかったから。ここなら見られるでしょ?」
「なるほどね。来年まで待てばよかったのに」
「来年まで待てなかったの」
「そっか」
不意をついて発せられる言葉が心臓に悪いので誤魔化すように設備を見る。一番早くても130キロだったのでやさしめなところなんだなと解釈。
「じゃあ須藤君、どうぞ」
「まあ待て」
せっかく好きな人が見てくれるのだから、どうせなら良いところを見せたいと思い、マシンから放たれる球が高め中心なのか低め中心なのかを見極めてから打席に立つ。
自慢ではないが、中学三年生までは野球に対して本気で打ち込んでいたので相当に上手い自負がある。
加藤と出かける二日前に昔の勘を取り戻すべく、家で素振りもしたし大丈夫だろう。
「わー」
「すごい」
など俺が打つ度に感嘆の声が後ろから聞こえてくるので悪い気はしなかった。だが悪いな加藤。120キロなんて経験者なら誰でもこれくらい打てるんだ、野暮だからそんなことは言わないけど。
「私もやってみていい?」
「いいけど、軽く教えるか。まずバットを握ります」
「はい」
「手が逆かな。左手が下で右手が上」
「こう?」
「そうそう、次は構えます」
「はい」
「もう少し下に構えた方がいいかな」
「……こう?」
「そうそう、後はそのままバットを振るだけ。……おっ良い感じ」
「どうやったら須藤君みたいに綺麗に打てるようになるの?」
「毎日素振りして、実際に打ってみて、自分の思い通りになっていない点を修正して素振りして。その繰り返し」
「いや技術が培われた過程じゃなくて、コツみたいなものをお願いします」
「ボールがくる場所に合わせてバットを振ることかな。機械から出てきた瞬間に判断して……、いやどうだろ。ちょっとその辺意識してもう一度打ってくる」
加藤からバットを受け取り、再度打席に立つ。
「──うん、ボールがくる場所に合わせて的確にバットを振る、以上!」
「わかったけど、出来るかどうかはまた別の話かな」
「バットを短く持ったら大丈夫だよ、たぶんね」
「短く……ね。はーい」
「待った加藤。その球速は絶対に無理だ、こっちの方がいい」
そう言って120キロではなく、施設の中で一番遅い80キロのところへ案内する。
というかさっき教えているときに自然と体に触れてしまったが、今更恥ずかしくなってきた。
「あっ当たったよ!」
「おー上手い。ほら前見て、次が来るよ」
一球毎に一喜一憂する加藤を見て、自分も昔はこうだったなと思い出した。調子が悪くてバットに当たらなかったときは泣きそうになって母さんを困らせたっけ。
そんなことを思い出しながら見ていると、最後の一球で快音が響いた。
「見て! すごくない?」
「やったじゃん、才能あるんじゃない?」
「先生が良かったのかも」
「それは間違いないな」
子供のように喜ぶ加藤を見て俺まで嬉しくなってしまう。
「動いたら汗かいちゃった」
「はい、飲み物」
「えっと──」
「頑張った加藤へのご褒美ってことで」
「えへへ、ありがと」
「こちらこそありがとう」
「?、なにが?」
加藤が疑問を浮かべていたけど俺は答えなかった。
だって恥ずかしいじゃないか、加藤の姿を見て昔の自分を思い出していたなんて。
*
外に出ると陽は落ちかけていて一番星が輝いていた。
辺りが薄暗い夕陽に覆われている中、最後の目的地に向かう。
「楽しいことってあっという間だよね」
「俺もそう思うよ」
夕暮れが夕闇に変わるこの時間帯、この場所を俺は忘れない。ここは姫野との最後の思い出だから。
「乗ろう? 須藤君?」
「ああ」
加藤に誘われるままに俺は観覧車に乗り込む。
「あの、これ」
「?、なにこれ?」
「これは……須藤君に渡せなかった誕生日のプレゼント。バレンタインの日に渡しそびれちゃって」
「あ、あー……なるほどね。ありがとう、めっちゃ嬉しい」
「開けてみて?」
「うん。──手袋?」
「まだ2月で寒かったでしょ?」
「なるほどね。ありがとう、大事にする」
「よかったぁ、喜んでもらえて」
渡すなら今しかないと思い鞄の中に手を伸ばす。
「俺からも、これ」
「わぁ、いいの?」
「うん。改めて誕生日おめでとう」
「ありがとう。開けてみてもいい?」
「どうぞ」
「──……ネックレス?」
「ネックレスにもなるし、ブレスレットにもなる」
「ありがとう。大事にするね」
屈託のない笑顔を見て心から安堵する。
「喜んでもらえてよかったよ」
「絶対に大事にするね」
「帽子も気に入ってもらえてるようでよかったよ」
「これね。……えへへ」
帽子に手をやりながら照れたように笑う加藤を見て、俺は小さく深呼吸をして、よしと心の中で呟き口を開く。心臓の音が身体中に響いて、それに耐えるために手を握り締めた。
「俺さ、加藤とやりたいことたくさんあるんだ」
「……私も」
「夏は終わっちゃったけど……海とか」
「いいね、プールも行きたいな」
「俺プール行ったことないや」
「本当? 私も行ったことないからお互い初めてになるね」
「そうだな。絶対楽しいだろうな」
「あとキャンプとか……バーベキューなんてどう?」
「ああ、肉多めで……野菜は控えめな感じでね」
「野菜嫌いだっけ?」
「ううん、肉の方が好きなだけ」
「なるほど。秋になったら紅葉を見に行きたいね」
「紅葉か、絶対綺麗だろうな」
「うん。冬のイルミネーションにも行こうよ」
「俺は初詣で甘酒を飲んでみたい」
「約束だよ? ──やりたい事いっぱいあるね」
「うん。……でも、それだけじゃ足りなくて」
「他には何があるの?」
「加藤とこのままの関係じゃなくて、進んだ関係になりたいんだよ」
「……」
「だから……つまり……加藤のことが好きだ」
「……うん」
涙混じりの、震えた返事だった。
「私も……好きだよ……」
「え……?」
「私も……須藤君に好きって伝えようと思ってたの……」
「──」
全身の力が抜けるのを感じた。座ってる状態じゃなかったらふらっと倒れるかと思うほどだった。
「な、泣いているのはどうして?」
「嬉しくて……」
目から大粒の涙を流しながら絞り出すように言葉を続ける。
「いつもどうしたらいいのかわからなくて……、ちょっとでも須藤君に好きだって気が付いてほしくて……」
「うん」
「須藤君のことが好きって気付いてから変わったの。明るくなったり、暗くもなったり……」
「うん」
「でも今は、こんなに嬉しい事ってないなって。……だから涙が出ちゃうの」
「ありがとう、そんな風に俺の事を考えてくれて。それとごめん、気持ちを伝えるのが遅くなって」
「そんなことないよ。早くないけど、遅くもないんだよ。……だってこうして気持ちを伝えてくれたでしょ?」
「……確かにな」
敵わないなぁと思った。
「加藤、俺の事を好きになってくれてありがとう」
「……こちらこそありがとう」
「俺のせいで色々と悩ませちゃうこともあったし、これからもあると思うんだけど……。でも加藤が笑っていられるように一生懸命大事にするから、俺と付き合ってください」
「……はい!」
我ながらカッコ悪いなぁと思わず笑ってしまって、それに釣られるように加藤も笑って。
それを見てやっぱり加藤のことが好きだなと思った。だから俺は少しでもその気持ちが彼女に伝わるように言葉を紡いだ。
「加藤、長生きしてくれよ」