「あなた達っていつまで名字で呼び合ってるの?」
サークル活動のときに不意に霞ヶ丘先輩がそう言ったので作業していた手を止め先輩の方を見る。
「その内名前呼びになるんじゃないですかね」
「あだ名で呼び合ったりなんてしちゃってね」
「俺と加藤の名前であだ名を作る方が難しくないですか?」
「加藤さんは……そうね、メグメグとか」
「結平はさすがに難しいでしょ」
「キッコロなんてどう?」
「別に促音は残さなくていいんですよ。ていうか既存のキャラクター名だし」
「確かにあなたの名前はあだ名をつけるのが難しいわね。今まで何かあったのかしら?」
「須藤をすどーって伸ばした感じのが定着してますね。先輩は?」
「編集の方からしーちゃんって呼ばれてるわね」
「へ~可愛いですね」
「試しに加藤さんのことをメグメグって呼んでもらっていいかしら?」
「嫌です」
「どうして?」
「どうしても何も嫌だからです」
「どうしたら呼んでくれるのかしら」
「先輩が倫也のことをトモ君って呼んだらいいですよ」
「ふーん……それでいいのね?」
やべっ、これ絶対言うやつだな。
「いや、やっぱりなしで」
「そう。残念だわ」
先輩は不敵な笑みを浮かべつつ作業中のパソコンに向き直る。
俺もそれに倣い自分が担当する作業に戻った。
加藤もやはり俺と同じく名前で呼んでもらいたいと思っているんだろうか。そうだとしたら嬉しいけど恥ずかしい気持ちのほうが勝ってしまうなと自分を情けなく思った。
*
「今日の活動中何か悩んでたの?」
帰り道に加藤が不意に聞いてきたので俺は驚きを隠しつつ聞き返す。
「えっどうして?」
「何か考えてる感じするなーって思って」
「よくわかるな、当たってるよ」
「伊達に長いこと見てないからね」
「お、おう……」
加藤の言葉に気恥ずかしさを感じていると言った本人も遅れて気が付いたのか顔を赤くする。
「そ、それで何を悩んでたの?」
「加藤のことだよ」
「え、私何かしたかな?」
「いやそうじゃなくて、霞ヶ丘先輩にいつから名前呼びするのかって言われてさ。確かにそうだよなーって色々考えてた」
「よかった、私が何かしたわけじゃなくて」
「加藤はどう思う?」
「うーん……名前で呼びたいし呼ばれたいけど焦らなくてもいいかなって思うかな。1年以上名字で呼び合ってるわけだしいきなり変えるのもね」
「たしかにな」
「これから先ずっと一緒にいたら自然と変わるんじゃないかな」
「でも呼ばれたい気持ちはあるんだよね?」
「それは……ね?」
そう言って加藤は困ったように笑った。それがすごく愛しく感じて抱き締めたくなったが何とか自制する。
「そういえば霞ヶ丘先輩と澤村ミスコン出るじゃん?」
「うん」
「あれって何か理由あるの? 加藤が倫也に絶対見に行けって言ってたし」
「うーん……内緒にできる?」
「うん」
「勝った方が安芸君に告白するんだって」
「あっそういうこと……」
「それにせっかく二人が頑張るんだから見に行ってほしいなって思ってさ」
「なるほどなー」
きっと二人とも想いを伝えるためのキッカケが何でもいいから欲しかったんだろうなと思った。
「須藤君はミスターの方には出ないの?」
「出ないよ、目立つの嫌だしそれに──」
「それに?」
「何となく加藤に申し訳ない気持ちがあるし」
「……そっか」
自分の言葉にバツが悪い気持ちになっていると不意に加藤が手を握ってきて、それに応えるように握り返す。
「学園祭絶対一緒に回ろうね」
「もちろん、去年約束したしな」
「覚えててくれたんだ」
「俺から言ったことだしな」
「ということは私からの約束は忘れちゃうってこと?」
「いやいや、それはもう絶対忘れないよ」
俺がそう言うと握られた手に少し力が加わり、加藤の顔を盗み見ると平静を保っているが耳が赤くなっていた。
*
学園祭まで残すところ一週間を切ったけど前日までは普通に授業が行われていて、本当に開催されるんだろうかと去年も同じことを考えたなと思い出す。
前の席の彼が鞄の中から次の授業の教材を取り出していたのでそれに倣って私も準備をする。
私の斜め前の子も準備をしていたが目的の物が見つからないのか、繰り返し鞄の中身を確認していた。
隣のクラスに借りに行こうと考えたのか立ち上がろうとしたときに無情にもチャイムが鳴ってしまい、あたふたとしていた。
私が声をかけようと思うと同時に彼が口を開く。
「教科書忘れたの?」
「う、うん」
「見せようか?」
「いいの?」
彼女はそう言うと私の方をチラッと見てきた。おそらく須藤君と付き合っている私に対して遠慮の気持ちがあるのだろう。
「私のことは気にしなくて大丈夫だよ」
そう言うと彼女は私と彼にお礼を言って机を移動させた。
『あ……』
と小さく声が漏れそうになる。彼女が机を移動させたおかげで彼との距離がかなり近くなったからだ。
そりゃ教科書を見せるためには仕方ないけどさ……肩と肩がくっつきそうじゃん。
悶々としていると教室に先生が入ってきて授業が始まる。どうやら彼女は教科書の他にある問題集なども忘れたらしく再度彼に謝っていた。
その後は何もなく授業は進んでいたけど私にとっては前の様子が気になって仕方がなかった。どうやら彼女が分からない問題があったらしく、二人の間にノートを置いてペンを走らせながら彼が教えていた。
授業中だからか聞こえるか聞こえないかくらいの声の大きさで話しているのが余計に私の気持ちを黒くさせた。
──
「私って自分が思っているより嫌な子なのかも」
どうしてもこの黒い気持ちを吐き出したかった私は午後の学園祭準備の時間に抜け出して英梨々と屋上に続く階段で話していた。
「それは仕方ないじゃない。目の前でそんなの見せられたら私だって同じことを考えるわ」
「でも実際にその子が困ってたのは事実で、教科書見せるだけなわけだし……」
「だけどただ見せてたわけじゃなくて分からないところを須藤が教えてたのよね」
「うん……」
「全くあいつも恵の気持ちを察しなさいって感じよね」
「でもそこで手を差し伸べる須藤君が好きというか……そのー……」
「ちなみにその子って可愛いの?」
「ユキちゃんって言って背が小さめで可愛いから男子に結構人気あるかな」
「これはギルティね」
自分のことのように怒ってくれている英梨々を見ていると幾分か気持ちが軽くなった。
「須藤君は大丈夫でも女の子の方が好きになっちゃうかもーとか色々考えちゃうんだよね」
「そうよね、倫也と違ってあいつモテるもんね。ちゃんと須藤に言っておいた方がいいんじゃない? やきもち焼いたってこと」
「でもそれを言ったらうざい彼女って思われないかな?」
「恵が思っている以上に須藤は恵のこと好きだから大丈夫だと思うわよ」
「須藤君ってやきもち焼くのかな?」
「ちゃんと焼くわよ」
「えっ何か知ってるの?」
英梨々が言い切るものだから少し食い気味に聞いてしまった。
「ほら恵が倫也と六天馬モールに行ったときあったじゃない? その時に嫉妬とも取れる感じのことを言ってたのよ」
「へぇ~そうなんだ」
それを聞いて少し安心したというか、嬉しくてにやけてしまいそうになる。
「だからそういう気持ちになるのは恵だけじゃないから安心しなさい」
「そうだといいんだけど」
英梨々と話して気分が晴れたのでクラスの準備に戻る。須藤君はどうやら買い出しに行ったらしく教室の中には見当たらなかった。
やきもちを焼いたことを言った方がいいだろうかと考えながらコスプレ喫茶で使う衣装を縫っていると、彼に教科書を見せてもらった子が私だけに聞こえるくらいの声の大きさで話しかけてきた。
「加藤さん、数学の授業のときはごめんね」
「ううん全然気にしなくて大丈夫だよ」
「授業中ずっと申し訳なく思ってたら先生の話聞き逃しちゃって。そしたら須藤君が教えてくれたんだよね、だから加藤さんからも改めてお礼を言ってもらっていいかな」
「あっそういうことだったんだ」
これでまた一つわかってスッキリした。
「ユキちゃんは好きな人とかいないの?」
「えっ私? うーん……今はいないかな?」
「ということは前までいたの?」
「えっと……勘違いさせたらまた申し訳ないんだけど須藤君のことは結構見てたかも」
「えっそうなの?」
「好きで見てたんじゃなくて、何というか遠巻きに見てるだけでよかったというか芸能人みたいな感じ? 上手く言えないけど」
改めて彼って人気があるんだなと思った。
「だから今は好きな人も気になっている人もいないんだよね」
「そっかぁ」
「なになに、何の話?」
「女子トークは男子には秘密だから」
「えー加藤さん教えてよー」
「ユキちゃんが言った通り内緒かな」
断りを入れてからも私達が作業しながら話していると会話に入ってきたりして正直鬱陶しいなと思っていると須藤君が買い出しから帰って来た。何か勘違いされたら嫌だなーって考えていると彼と目が合って少し間が空いたあとに、おーいと呼びかけられた。
「恵、ちょっといい?」
彼が突然、それも教室のみんながいる前で名前を呼んだものだから私だけじゃなくてみんなが作業をしている手を止めた。
「う、うん」
何とか返事をして彼のもとに行く。その間にみんなの止まった手はまた動き始めていて準備に戻っていた。
「どうしたの? 何かあった?」
「あーいやー……」
彼はバツが悪そうに目を逸らしたので私が顔を覗き込むと少し赤くなった。
「実は何もないんだ」
「……なにそれ?」
と言った直後にハッとなった。
「もしかしてやきもち?」
私がそう言うと彼は小さく肯定した。それが嬉しくて口許を緩ませていると、まるで子供が言い訳をするように彼が話し始める。
「だってさーずるいじゃん。じゃんけんで負けて俺が買い出しになったのに勝ったやつが加藤と話してるなんてさ」
「ふふっ、それでやきもち焼いて名前呼びもしたの?」
「まあ、そんなところ」
やきもちを焼いてくれたこともそうだけど、一番嬉しかったのは名前を呼んでくれたことだった。友達に呼ばれるのとは違う、好きな人に名前を呼ばれるのってすごい。
「ふふっ」
「ちょっとあんまりつつかないで、急いで行ってきたから汗かいてるし」
「そんなに早く帰ってきたかったの?」
「あーもう恥ずかしい。暑いから飲み物買ってくるけど何かいる?」
「ううん、大丈夫だよ。……ありがとね、結平君」
私の言葉に驚いたのか、こちらを二度見するようにしたあとに笑顔で手を上げて応えてくれた。
作業に戻るとユキちゃんがニコニコしながら私の顔を覗いてきたので何? と言うと笑顔を崩さないまま彼女は口を開く。
「嬉しそうだなって思って」
「そうかな?」
「だって頬緩みっぱなしだよ?」
言われて顔を触るとたしかに緩んでいた。
先程までの自分のやきもちはどうでも良くなっていて、名前を呼び合ったことが嬉しくて。
落ち込んだ理由も須藤君で、それを解消したのも彼で。恋人同士ってすごいなって思いながら私は作業に戻った。