チリチリチリチリチリチリ……。
「ん………」
次の日、ちょうど朝の7時にセットしていたアラームを止めてゆっくりと体を起こす。
こんなに早起きしたのはいつぶりだろうか。少なくとも高校生になってから滅多にこんな時間に起きることはなかった。
そして少し長い前髪が目に入る。多分、今日は結構ばっさり切られるのだろう。前髪をきちんと切るのも久しぶりかもな。
適当に置いてあったパンを食べて歯磨きをして支度を始める。
準備が終わった頃には7時半を回っていたが充分過ぎるほど時間には余裕があった。
朝早めに家を出て春原を巻き添えにしようかと考えたが一緒に行くってのは気に食わないのでやめた。
しばらく家でぼーっとした後、親父もいないも同然にしながら無視して家を出た。
★
「岡崎じゃないか」
まだ登校するには早い桜並木の人通りもあまり多くない時間帯に、そう声をかけられた。
そこには2年生の、この前念願の生徒会長になった子が立っていた。
そいつは俺の姿を桜並木の方から少し微笑みながら見ていた。
「智代か。いつもこんなに早いのか?」
「生徒会に入ってからこの時間には来るようにしてるんだ。お前こそこんな時間に珍しいな?」
高校では有名な不良と学校の代表生徒、生徒会長がこんな目立つところで話してる場面というのはやはり凄く目立つだろう。
俺だって普通の生徒会長にもし話しかけられたりでもしたら無視を決め込む。だけどこいつは俺らの立ち位置というのを理解している人間だ、しかもどこか似ているところもある。
だからこうして普通に話せるのだろう。
「これからはちょっと真面目にしようかなと思ってさ。遅すぎたかもしれねえけど、今までみたいな生活よりはマシだろ?」
そう言う自分の言葉に少し照れくささを覚える。
今までなら絶対に考えない、考えたくもない言葉を何故か今こうして人に伝えている。
それが自分自身でも変わったということを実感して少し嬉しくも感じた。
智代は何も言わず微笑みながら頷き桜並木を見つめる。
そういえばこいつはこの桜並木を切られないようにする為にここの生徒会に入ったんだよな……それはどうなったのだろうか。
「ここの桜並木はどうなったんだ?」
「覚えてくれていたんだな。無事、切らなくて済むようになったんだ」
「良かったじゃないか。お前以外の奴も、ここを切らないでほしいと願ってる奴は多かっただろうしさ」
「ああ、本当にここは素敵な場所だ」
智代からは本当に安心した、やっと自分の願いが達成されたという思いが伝わってきた。前に智代は言っていた、この桜並木を切らなくて済むようにこの高校に転入してきたと。
正直、彼女の過去の素性から見ればここの進学校に転入するということは簡単なことではなかっただろう。
彼女にとってここはとても思い入れがある、決して消したくない思い出というものがここにはある。
そんな彼女を見て俺もここの桜並木が切られなくて良かったと心から思った。
「きっとお前、いい生徒会長になれるよ」
「岡崎からそんなこと言われるなんてな、意外だ」
「俺もだ」
だけど今言った言葉は建前とかじゃなく本当に思ったから言った。
それ程今の坂上智代という女の子は、輝いて見えたのだろう。
やはりこうやって人の上を立っている人物の隣に立つ人ってのもやっぱそれについていける人物とかなのだろう、自分には無縁のところだ。
「岡崎、頑張れよ」
「ああ、智代もな」
「うん、いくら桜並木が切られないことが決定しても他にやることはいっぱいだからな」
普通なら嫌がりそうな業務をこいつは笑顔でやる気に満ちている顔で平然と言う、その顔を見るとやはり生徒会長という責務をきちんと感じていて本当にこの学校のために頑張ろうと思っているんだなと感じた。だから他の生徒もそうなのだろう。智代がこの学校の生徒会長に相応しいと思っているから選んだ、そして信頼している。
さっきから智代に挨拶している人は多かった。普通だったら生徒会長でも印象が薄かったりや挨拶も通っただけではされないのが普通だろう。挨拶をされるというそれだけの事だがそれは本当に凄いことなのだろう。実際、俺に挨拶するやつなど当然いないし逆に蔑んだ目線を向けられている。しかも智代といるからいつもよりもっと視線を感じる。
智代が生徒会長となった今、俺という存在が近づくのは異様に見えた。
「じゃあな」
「おい、岡崎っ?もう行くのか?」
智代の声かけに無視して、俺は教室に向かった。
★
「おい岡崎、本当にこれから真面目にやっていくのかよ?」
「昨日言っただろ」
初めて4限もの授業を寝ずに受けた後の昼休み、春原は寝癖がついたまま教室に来た。なんともだらしなかった。
俺はずっとこいつといたのか……少し他のやつから見た春原はどんな感じなのかというのがわかる気がした。
と言っても、春原の目は真面目にやっても何も意味がない、するだけ無駄だよとさりげなく伝える目だった。春原も巻き込もうと思ったがこいつはまず真面目に取り組むという思いがないので俺が無理やりそれをさせるのも違うだろう。ってことで突き放そう。
「俺はまだノートが書ききれてねえんだ、どっか行ってろ」
「えぇそんなのいいから昼飯食いに行こうぜー?それともまた杏と食べんの?」
「分からん」
今のところ弁当を毎日作ってきてくれるという約束などはしてなく成り行きで一緒に弁当を食べるという感じなので今日は弁当か学食かというのは杏が俺のクラスに来るまで分からない。
付き合ってからもなんとなく作ってきてくれて一緒に食べているという感じなので絶対に作ってきてくれるという確信はなかった。
だとしても、今日は来るのが遅いな……だとすると今日はないということだろう。
「春原ちょっと待ってろ。もう終わる」
「腹減ってんだから早くしろよー?」
少し言動にイラついたが今は先にノートを終わらせるのが先だこいつの言動にいちいち突っかかってたらキリがねえ…抑えろ俺!
ノートを書き終わり春原と教室を出るといきなり英和辞典??が飛んできてとっさに避けた後それは春原に激突した。
いや危なすぎだろ……あんなの当たったら軽傷じゃ済まないぞ。
普通じゃ絶対にしない行動を俺たちにしてくる奴は1人しか該当しない。
「コラァ陽平!!!なにアンタ朋也とご飯食べようとしてるのよ!それとも私が作った弁当を無駄にさせたいわけええっ!?」
いや待て、完全にその辞書俺の方にも向かってきたよな?よけなかったら絶対お前の彼氏に当たってたんだぞ?
しかもまたどこから出してきたんだよ、制服に辞書など入れれるポケットとかもねえだろうが。それともなんだそのスカートのポケットってのはそんなに奥深くて横広いのかよ。
春原は見事に辞書に激突したので当然のごとくぶっ倒れているので杏の言葉には返せなかった。
「はあ……ま、でもいいわ。朋也、今日私用があるから一緒に食べれないのよだから弁当だけ置いとくから!じゃ、急いでるからまた後でね!」
杏は弁当を机に置いてさっさとクラスを出ていった。
その騒動に俺やクラスの奴らはぽかんと見ていたが次第に「やっぱりあいつらって付き合ってるよな?」「いくら藤林杏ってたって選ぶ相手間違えたんじゃないの?」「藤林もああ見えてモテるのになー。なんであいつなんだ?」と言いたい放題にクラスのやつらが言ってるのが聞こえてくる。
「なんか文句でもあんのかよ?」
俺がその瞬間そいつらを睨みつけてそう言うとすぐに目線を逸らし何事もなかったように振る舞う。
その中で、1人だけオドオドと目線を送ってくるやつが1名、椋だった。
椋にもさっきのクラスのやつらが言っていたのが聞こえていたのだろう、何かを言いたそうな顔をしていた。
俺は無理やり春原を起こした後椋に目線で大丈夫だ、と伝えるように頷いて席に座る。
ここでの俺たちの居場所というのは、本当に少なかった。
「杏のやつ……次会ったら覚えてろよお!!」
「お前まじで寿命短くなるぞ」
「へっ、岡崎相手は女だぜ?坂上智代は論外として藤林杏は女の子なんだよ!この僕が本気を出したらあんな奴すぐに倒せるさ」
「おい、杏は俺の彼女だってのを忘れてんのか?」
「悪いな岡崎。何回も何回もあんな分厚い辞書ぶつけられてこっちはもう我慢できねええんだよおおお!」
春原の叫びが教室中に響き渡りまたジロっとクラスのやつに睨まれる。
ていうかこれ、俺たちがこんな目で見られるのって9割方こいつのせいだろ。
あとこいつは本当に杏に何かをしかねないので近々春原がお前を襲うぞ!と忠告しておかねえとダメだな。
相手は杏なのでそう簡単にはいかないだろうがもし本当に春原が男の力というものを見せるつもりなのならばそこは俺が止めるしかない。
「とりあえずさっさと食え、もう予鈴鳴るぞ」
「ああ?ったく、今の岡崎は真面目くんなんだもんね授業なんか遅れる訳にはいかないもんねー」
普通ならキレるほどの嫌味だったが俺はスルーした、春原が嫌味っぽく言う気持ちも分かるからだ。
真面目にしてもいい事ばかりではないし努力しても報われないことがある、それを俺と春原は知っていた。
でも一生に1度しかない人生の分岐点になるでもあろう高校三年生の1年間。今からでもほんの少し、頑張ってみるのもいいんじゃないか?
それから適度に仕事をこなしてそこそこの人生を築きあげていったらいいんじゃないか。
そこにもし杏が傍にいてくれるのならば。
それだけで俺は、充分だと思える。
「お前、変わったね。杏がいるからか」
「中途半端な彼氏にはなりたくねえからな」
そうだ、あいつに見放されないように頑張るのも必要だ。
きっと春原にも、もしもしもし大事な人ができたとすればきっと今のこの気持ちが分かってくれるだろう。
「そ。とりあえずその弁当のおかずいただーーウギャャャャアア!!」
「てめえ勝手に食うな!」
勝手に杏が作った弁当のおかずを取ろうとするので春原が持っていた箸を一瞬で取り上げてそれを鼻に刺す。見事に激痛だったらしく涙目でお前もなかなか遠慮ないっスね!!と言って昼休みが終わった。
★
五六時間目もなんとか睡魔に耐え抜きながら受けて放課後、春原にも後で家に行くとだけ伝えて教室で杏を待っていた。
放課後とだけあって教室にしばらく残る奴もいるのだろうと思ったが3年という時期であってなのかホームルームが終わってから10分もすれば人もいなくなっていた。進学校ってだけあって5月という今の時期でもライバルと差を離す大事な時期なのだろう。
ぼんやりと見ていた窓から目を逸らして教室の扉に目を移すがまだ杏は来ない、大方クラスの友達と話し込んでるってところだろうな。
俺は今日授業を1個もサボらずに寝ていないということもあり眠気が少し襲っていたので深眠りしないようにイヤホンで音楽をかけて杏が来るまで仮眠した。
「ーー朋也」
とても安心できる声がした。
それは、いくら聞いてもずっと聞いていたくなるずっと俺の傍でそうやって名前を呼んで欲しいと思ってしまう声。
ずっと他人という存在に興味がなかった俺が必要としている存在。
「ーーてよ、朋也」
つい前まで鬱陶しくて俺らに絡んでくる数少ない女友達という存在だったのに、今ではそんな言葉では表せない関係になっている。
ゆっくり目を開けると、そこには少しキツめな顔だがとても可愛らしい顔立ちの彼女がいた。
彼女はいつの間にか寝ている時聴いていたイヤホンを片方奪っていてそれを片耳にはめながら俺を見つめていた。
その距離はなかなかの至近距離であり思いを伝えあった時にキスをした光景を思い出させてくれる。キスをしようか、と考えたがつい昨日彼女に学校は椋がいるからしばらくは自粛しましょと言われたので椋は今いないが我慢することにする。俺はそのまま寝ていた体制で杏に話しかける。
「……悪い、寝ちまった」
「結構待たせちゃったからねえ〜。友達と話し込んじゃってたの、ごめんね?」
「そうだろうなとは思ってたよ」
「そ?ま、彼氏なんだから彼女を待つのは当然のことだし私が謝る必要もないけどね」
いや、謝る必要はあると思うぞ。
あと本当にそれで謝らないやつがいるとするのならば彼氏の方も黙っちゃいないだろう。
そしてやはり距離が近いので、ずっと見つめ合ってると流石に恥ずかしくなってくるのか杏は時々目を逸らしていた。その仕草がとても可愛らしくもっと普段も女っぽいことをしてくれたらいいのにと思った。
俺はそんな杏に愛しさが増して触れたくなったので髪の毛に触れる。
「髪、伸ばすのか?」
「アンタはどっちがいいの?」
「俺的には伸ばしてくれた方がいいな」
「なに?じゃあ今の髪には満足してないわけ?」
「そういうわけじゃねえよ。今の髪型になったからこそ付き合えたってのもあるわけだしな」
散髪をするはずなのにこうやってダラダラと話をする時間が長引く。それは2人がこの時間が幸せで何よりも優先したい時間でもあり、もっと見つめていたいし話したいし触れたかった。
俺がそのまま頭を撫でるとその手に杏の手が重なる。その手は小さいながらも温かさがあり、人の体温というものを感じることができた。
こんなにも、人の体温が愛おしいと思うのは初めてだ。
「そうね。じゃ私の髪だけ、朋也の言いなりになってあげる」
「なんだそれ」
「アンタがいいと思った髪型なんでもするってことよ。その代わりふざけたやつ言った瞬間アンタの脳みそ直接開けて常識ってのをしっかり教えてあげるわ」
一瞬、触れていた杏の手に力が込められた。少し考えていた事だったのですぐに消去することにしよう、もしそんなことを頼んだ時俺の脳みそはなくなっているかもしれない。とりあえずもうそろそろ髪の毛切ってもらうか……しかし、春原も呼ぶべきだったか?邪魔にしかならないからさっさと帰ってもらったがここにいてくれればあいつの髪型をもっとアホらしくできたのにな。杏がイヤホンから流れている音楽を口ずさみながら俺の手をずっと握っているのを見ながら俺はため息をついた。
よし、俺も男だ覚悟を決めよう。
「……そろそろ髪切るか?」
「んー?そうねえ、じゃきちんと座って!」
杏はイヤホンを外して俺の手を離す。正直もっと繋いでおきたかったのだが仕方ない。
近くに置いてあったカバンからハサミと袋とクシと鏡を用意して俺の背に立った。そこから緊張の散髪が始まる……!!
「じゃ始めるわよ。まず整えていくから」
「お、おう」
「なに、緊張してんの?前髪切るくらいでなにそんなこわばってんのよ!」
「いや普通なら平然でいられるんだけどな……」
「私に髪の毛切られるってのが嬉しくて緊張してんの?」
「あー嬉しいとても嬉しい」
「なによその棒読み」
しばらく髪の毛を整えたり切ったりした結果ーー鏡を見ると前髪が綺麗に切られていて形も不自然ではなかった。
恐れていたことが起きなかったので俺は安心する。そして再び鏡を見る。こうやって自分の顔をまじまじと見るのは滅多にしないことだった。目にかかっていた前髪がないことに少し不自然になるが視界も広いし俺の顔がどんな感じなのかがはっきり分かる。
鏡から映る杏の顔は今のこの時間がとても幸せなんだなと思うくらいに楽しそうな顔をしていた。
「やっぱ朋也ってイケメンよねえ、絶対前髪切った方がいいわよ!」
「気が向いたらこれからも切るよ」
「絶対よ?私の彼氏なんだからかっこよくなくっちゃ!あと、朋也」
「なんだ?」
「アンタ、冗談抜きにかっこいいんだからさ……他の女の子に言い寄られちゃうかもしれないじゃない?その時も私だけを見てくれるのかなって……あ、あはは」
「お前……変なところで自信ないのな」
いつもは自信満々であたしかわいいからとか言って自分には自信を持っているはずなのに。特に恋愛面ではそう、こいつは自分に自信がないような行動をとっている。だからこうして俺たちが結ばれるのは遅すぎてしまった。
だけどそんなことを普段言わなさそうな杏が俺にこうして可愛いことを言ってくれる、俺を必要としてくれてるのが凄く嬉しく感じた。
そんな強気で常に容赦ない言葉を放って男勝りだがとても可愛らしく世話焼きの彼女に、絶対にそんなことはないから安心しろと言う代わりにその小さな体を優しく抱きしめた。