勇者パーティーをクビにされた村人♂、女騎士になる   作:主(ぬし)

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「残された勇者パーティーの話より主人公の話が読みたい」と感想で言ってくださった方がおりまして、僕も「それ書きたいな」と思いましたので、10話として書き上げました。ご査収ください。
ちなみに、メア・インブレアム合同村は大阪の街をイメージしてます。行ったことはないんですけどね。


10話

「何から何まで揃えてもらったな。おかげで良い買い物ができた。礼を言うぞ、店主」

「お、お、お、おうっ。役に立てたなら、よかったぜ」

 

 ティアナに見惚れた仕立て屋の店主が声をしゃっくりのように裏返らせる。年齢が60を超えているだろう無骨な顔立ちの店主が、娘どころか孫でも通じるティアナの美貌に鼻の下をだらしなく伸ばしているのはなんとも情けない。すかさず彼の後ろから伸びてきた白髪の奥方の手がその耳たぶを思いっきり引っ張っても、店主はティアナの歩き去る姿すら網膜に刻むかのように目を見開いて鼻孔をふんすと大きくしていた。

 

「まさかこれほど安くしてもらえるとは思いませんでした。かなり懐の広い店主でしたね。これもルナリアお嬢様(・・・)の可憐さのおかげですよ」

「え、ええ。ありがとう、ティアナ」

 

 十中八九、ティアナの魅力にやられたに違いないのだけど、本人は自らが男性の目線を惹きつけることにまったくの無頓着なので伝えても理解できないだろう。私の可憐さ云々は皮肉ではなく本心なのだ。まだ一日しか一緒に行動していないけれど、彼女の性格がだんだんとわかってきた。

 ティアナと出会ってから一日、私たちは順調に目的地に辿り着いていた。『メア・インブレアム合同村』。王都直轄領の一つであり、王国最大規模の穀物の取引所が置かれた合同村は、かつては6つの村に別れていたらしい。村々のあいだは、もともと目を窄めれば見える程度しか離れていなかった。やがてそれぞれの村の人口が増えて面積が大きくなるに連れて6つの村は隣り合うほどに近づき、やがて集合し、今に至る。知識としては知っていたけれど、いざ一人の人間として足を踏み入れると、体感する衝撃は次元が違う。露天商や客引きが発する活気にあふれた喧騒、各地から集まった多種の食事と人間から立ち昇るむせ返るような臭気、明日への希望と挑戦の意思に満ちて上向きになった人々の強い目線。私の領地の城下町はどこにも負けない経済力を持っていると自負していたけれど、この村の臣民たちの勢いを見るとその自信も削れてしまいそうだ。

 

「ここはまだ街ではなく村の集合体なので、王都から町長が派遣されてきていないのです。村民の自治に任せられている分、彼らは独自の文化と気概を持って商売に励んでおります。振る舞いは粗野ですが、人情味溢れた良い村ですよ」

 

 喧騒に負けないように少し声を張り上げて説明してくれるティアナに、私も近衛兵たちも呆気にとられるばかりだ。世俗事に疎そうな深窓の麗人そのものの容貌でありながら、雑多な人垣に臆せずズンズンと突き進んでいく慣れた身のこなしに、私たちのティアナへの評価は跳ね上がる。彼女の人生はどこでどうやって揉まれ、たくましく育まれてきたのだろう。頼もしい背中を見上げ、王都への道すがらに聞いてみようと頭のなかに付箋を貼る。

 ところで、私たち姫とその近衛兵たちがこうして往来のなかを誰にも見咎められずに堂々と歩けているのには理由がある。

 

「“馬子にも衣装”ってよく言うが、商人の格好なんざ似合わないなぁ、グレイ商人様(・・・)

 

 歳嵩の兵士からからかわれ、グレイが「放っといてくれ」と半ば本気でむすりとつむじを曲げる。その子供っぽさに思わず私も頬を緩めてしまった。でも、私は案外似合っていると思っている。根っからの近衛兵である彼からしてみれば、リネン生地の陣羽織(チュニック)長脚衣(ブレー)、つま先のとがった鴨嘴(ダックビル)の革靴という商人そのものの格好が似合うと言われて嬉しくはないだろうけど。

 彼を始め、全身鎧(フルプレート)に身を固めていた近衛兵たちは全員が服装を頭からつま先まで全て換えていた。傷ついて使い物にならなくなっていた彼らの鎧や盾は分解した後にティアナが凄まじい剣さばきでさらに細かく身元がわからないほどに寸断し、鉄片に変えて古鉄屋に持ち込んで資金に変えてくれたのだ。ちなみに、兵士たちは先ほどの仕立て屋で購入した、身動きのしやすい革製の鎧(レザーアーマー)に変わっている。

 

「姫さ───いいえ、お嬢(・・)はよくお似合い、いや、似合っている、ぜ」

「ええ、そのお召し物───あ、いや、その洋服の方が、なんだかお嬢(・・)らしい気がしま、するぜ?」

 

 慣れない言葉遣いに戸惑いながらも本心から褒めてくれる近衛兵たちに「みんな、ありがとう」と心から礼を言う。実のところ、私もそう思っていた。(シルク)の青いブラウス、同色のスッキリとしたスカート、丈の短いレモン色の(リネン)の上着。銀の長髪は後ろでまとめて一本の長い三編みを結い、首の後でオレンジのリボンでとめている。周囲の様相に溶け込みながらも、素材が上質なので頭一つ抜けて清楚で高品位な印象を醸し出す服装は、私の雰囲気にピッタリとマッチしていた。変装のためならどんなみすぼらしい格好であっても許容すると覚悟していたのだけれど、姿見を前にするとむしろ普段の高価なドレスよりも気に入ってしまった。権威優先の飾りで埋め尽くされた過美なドレスより、シンプルで動きやすいこの服の方が闊達な自分の在り方(・・・)に合っていると自然に思えた。

 

「ええ、よくお似合いですよ。まさに“冒険者の一団に護られる商人の娘”といった感じです」

 

 そう見えるようにお膳立てをしてくれたティアナがウインクを一つ投げてくる。冷徹そうな切れ長の瞳でチャーミングな仕草をされると、その魅惑のギャップで心臓が勝手に跳ね上がる。グレイは本当に身体ごと跳ね上がった。そうして顔を真っ赤にして「うぐぐカワイスギル」と低く唸るグレイに、心配そうな表情をしたティアナがそっと近寄って耳元で囁きかける。

 

「グレイ副隊長、大丈夫か?商人などという不本意な役どころを演じさせることになってしまい、(あい)すまない。姫様の兄を演じるなど心苦しかろう。そのうえ、私のような半端者などを秘書(・・)として連れ従いさせてしまって、さぞや複雑な心境に違いない。まだ今なら他の者と代われるが……」

「いやっいやいやいやいやいやいやいやいや!この役で!この役でやらせて頂きたい!隊長には、いやティアナ(・・・・)には秘書でいてほしい!俺の傍にいてほしい!このままずっと!」

 

 「それはよかった」と安堵に微笑むティアナも、「はい!はい!それはもう!」と壊れたメトロノームのようにガックンガックンと顎を上下させるグレイも、先ほどの会話の危うさには気がついていないようで、周囲の私たちはハーっと重いため息の合唱を奏でた。一方は自分が100人とすれ違えば100人に振り向かれるという自覚が皆無の美少女騎士で、一方は経験皆無の石頭青年。なんだかシリルから借りて読んだ恋愛小説のようだけれど、いざ現実にそんな男女を前にしてみると、なんだか少し、なんていうか、イライラしてしまう。グレイ、そういうところよ。

 なぜグレイが商人の格好をしているのか。なぜ私が“お嬢”と呼ばれているのか。なぜ近衛兵たちが革の軽鎧に身を包んでいるのか。なぜグレイがティアナを呼び捨てにしているのか。答えは簡単。私とグレイは若き遍歴商人とその妹であり、ティアナと近衛兵たちは冒険者(・・・)へと変装をしたのだ。

 『冒険者』。その日暮らしの放浪する無法者たちにして、何にも縛られない流浪の自由人たち。シリルが貸してくれた娯楽小説の登場人物の職業としてよく描かれていた。私のような王家の人間とは対局に位置する彼らのことを羨ましいと思ったこともあった。しかし、一生出会うことはないだろうとも諦めていた。まさか、近衛兵たちを冒険者に偽装させて、商人兄妹を護衛するキャラバンに見せ掛けるなんて。

 グレイはとある裕福な商人の息子であり、独り立ちする武者修行として各地を旅している。私は知見を広げるためにその旅に同行する妹。ティアナと近衛兵たちは、可愛い息子と娘の身を案じた商人が護衛として雇った凄腕の冒険者たち。ティアナはグレイの秘書も請け負っていて、まだまだ半人前の商人見習いを助けている、という設定だ。なるほど、これなら私たちの顔ぶれにも説得力が生まれる。

 

「革の鎧とはこんなに動きやすいものだったか?もっとゴワゴワしていたような気がするな。軽いわりに丈夫そうだし、質がいいのか?」

「そうだな。お前と同じことを考えていた。俺の革鎧はお前のと少し違っているが、フルプレートメイルよりこっちの方が戦いやすそうだ」

「それは、各々(おのおの)の体格と戦い方に合わせたからだ。先の僧兵たちとの戦いを見ていて、お前たちにはもっと軽い鎧の方が合っていることに気が付いた。鎧の寸法も仕立て屋に注文して、なるべくそれぞれの背格好に適するようにしている。身体に合わないと感じる者がいたら私に言ってくれ。調整しよう」

「鎧の調整も出来るのですか」

「私にはそれくらいしか出来ないからな」

 

 さらりと言ってのけるティアナ。謙遜なのか本心なのか分かりかね、兵士たちは「なんと」と感心するしかなかった。彼女は身の回りのことは全て自己完結できるように躾けられていて、よほど厳しい教育を受けたのだろうと思ったのだ。

 そんな、私が見知っている近衛兵たちは、一人ひとりに適した盾や鎧を割り当てられて、いかにも歴戦の冒険者といった風情だ。すべてティアナによる見立てで、近衛兵たちは「これなら僧兵にも負けない」と拳を握りしめてリベンジに燃えるほどだ。

 冒険者パーティーはその場限りの寄り合い所帯であることも多いため、軍隊のように画一的に揃えた装備をしていることは滅多になく、それぞれが身軽かつ違った装備をしているものだそうだ。見回してみると、たしかに冒険者らしい頑健な体つきの男女は誰一人として同じ格好をしていない。共通点は身軽で修理しやすい革の鎧と持ち物をコンパクトにまとめた背嚢(バッグ)を背負っていることくらい。ほとんど定住をしない冒険者はとにかく身軽なことが最優先なのだという。これらの知識はすべてティアナからの受け売りだ。どうしてそんなに詳しいのか聞いてみたら、「以前属していたパーティーが冒険者の真似事みたいなことをしていたからです」と彼女には珍しく目を逸らして言葉を濁した。私は以前のパーティーについて不用意に触れるべきではないと反省した。でも、そのパーティーがいったい何をしていたのかはわからないけど、ティアナの無駄遣いだと思う。勇者パーティーの一員にでも加えれば、さぞや大きな活躍を魅せただろう。

 

「さあ、商人様と妹君。こちらへどうぞ。くれぐれも迷わないでくださいね」

 

 ティアナが白く長い手を差し伸べ、私の手に重ねて優しく(いざな)う。自然に歩幅と歩速を私に合わせてくれている。その細やかな気遣いが嬉しく、胸がキュンと締め付けられる。

 メア・インブレアムの活性化は留まるところを知らない。建築熱に浮かれるように次々と2階建て、3階建ての家や商店が建設途中で、複数の村の集合体は大規模な街へと脱皮するかの如き変容を遂げようとしている。賑わいに比例して往来の人々の波は激しく、私たちの集団も平気で馴染み、むしろその雑踏の勢いに圧倒されて呑み込まれかけていた。収穫時期になるとこの人混みがさらに密度を増すというのだから想像もできない。

 整然と区画が整理され、人並みにもどこか規律めいたものを感じられる王都や城下町とはまったく違う雑多な雰囲気に目を回しそうになる私たちの前で、ティアナは慣れたものであるかのようにひょいひょいと往来をすり抜けて私たちを案内する。事実、馴れているのだろう。肩や腰をくねらせてタックル顔負けに迫る対向者を避けつつ、私たちに落伍者が出ないように目を光らせる余裕を見せる。私を始め、城下町出身の近衛兵たちも人酔いしてフラフラしているのに、彼女はそんな気配すら見せなかった。

 

「見えましたよ。あれが目的の木賃宿(きちんやど)、『スウ・パーカーの幸せ宿』です」

「おお、あれが……」

「想像していたよりずっと立派ですな」

 

 私たちの目的地である宿泊施設が視界に入って、それぞれがようやく休めると思い思いの心情を吐露する。周囲のような木造ではなく、赤レンガを積み重ねた2階建ての建物は、年季が入っているけどきちんと手入れされていて趣きがある。村の一角を占めるように横に長い宿の前にゴミはなく清潔だ。全体的に簡素だけれど重厚な店構えをしていて、ずんぐりとした巨体を横に倒しているような格好は高級感があるといえばある。近づくに連れて、扉の横に一本の太い柱が突き立っているのが見えた。さらに近付いて、それが筋肉の塊のような強面の男性であることに気が付く。禿頭の四十男で、宿泊を希望したらしい二人組みの若い男女を一喝して追い返している。「あれは用心棒です。宿泊に値しない客を追い返します」とティアナが教えてくれて「なるほど」と納得する。城下町では兵士が巡回してトラブルを未然に防いでいるけれど、それがいないここでは自分たちで治安を維持しているらしい。

 

「この人数で泊まれる宿としてはこの村で一番上等です。穀物の収穫時期ではないので空いているでしょうし、空いておらずとも無理やり開ける(・・・・・・・)でしょう。旅籠屋(はたごや)ではないので食事は出ませんが、自由に使っていい厨房があります。調理器具は貸してもらえますし、井戸も併設されているから調理しやすい。そうそう、向こう角には良い風呂屋もあるんですよ」

 

 湯浴みが出来る!?

 私は思わず目を輝かせてそちらを見た。木と粘土でこしらえた幾本もの煙突から黒い煙と白い靄を(くゆ)らせる建物の前には、楽しみそうに戸をくぐる人々と、リラックスした表情で戸から出てくる人々で溢れている。

 

「あの、ティアナ……」

「ご安心を。男女別です。金を払えば蒸し風呂ではなく木桶の温浴槽にも入れます。この浴槽、なかなか大きいそうですよ。女性には気になるところですよね」

 

 囁くような声で付け加えられた台詞に「ほーっ」と安堵の息を全身から吐き出す。私の心配を先んじてわかっていてくれるなんて、やっぱり同じ女性なだけはある。自分の美貌が与える影響には鈍くてもティアナも女の子であることが再確認できたという意味でも安心した。

 ティアナによると、この村は穀物を取り扱うためにパン屋が多く、彼らはパン焼き釜の熱気を利用して蒸し風呂屋を副業にしているという。商魂たくましい彼らのおかげでこの合同村は綺麗好きが多くなり、朝だけではなく夜にも風呂に入る習慣があるそうだ。たしかに、道行く大勢の衆人からはほとんど体臭を感じない。最近ではああした湯浴み専門の店も繁盛しているというのだから、羨ましさすら覚える。平民にとって蒸し風呂で身体を清めるのは一ヶ月に一度きりというのが常識で、それも川や井戸という豊かな水源に恵まれた土地に限られる。不衛生な環境は流行り(やまい)の温床になりやすい。私の城下町でも平民たちにどうやって湯浴みをさせるか頭を悩ませたものだったけど、ここではその必要もなく、臣民発祥の文化として根深く定着しているという。私はまた一つ見識が広まったという充実感と高揚を覚える。ミネルヴァお兄様の企みをお止めするための旅は、私に予想外の成長のキッカケを与えてくれるものにもなりそうだ。

 

「そういえば、勇者一行は一年前にこの合同村に寄っていましたな。ひょっとしたら彼らもここを使ったのかもしれません。縁起がいいですな」

「あ、ああ。そうかもしれないな。縁起がいいかはわからないが」

 

 兵士の一人とティアナが会話しているあいだにも私はうずうずと湯浴みをしたい気持ちを抑えることに必死だ。蒸し風呂はあまり好きじゃない。お城にもシリルたちメイドが使っている蒸し風呂があったし、浴槽が使えないときはそこを使わせてもらったこともあったけれど、熱い蒸気が肺まで入ってきて息苦しかった。その点、湯浴みは最高だ。基本的に湯浴みは身支度として朝に入るものだけれど、私は四六時中入っていたいくらいだ。王都へ駆けつけるための一週間の旅程でも、シリルから「お風呂に入れないんですよ。堪えられるんですか」と念を押されたほどだ。正直に言えば……とてつもなく苦痛だった。でも、愛する王国とお父様のためなら、そんなことを気にする余裕などなかった。

 

「食事を済ませたら荷物の見張りと交代しながら風呂屋に行きましょう。泥がついたままだと皮膚病になるやもしれませんからね」

 

 今度は近衛兵たちが目を輝かせる。この合同村に到着してからようやくのまともな食事にありつけるとあって、栄養を人より多く必要とする肉体の彼らには無常の喜びに違いない。道すがら、ティアナが食べられる木の実や山菜を教えてくれたからなんとかここまで辿り着くことが出来たけれど、彼女がいなければ空腹で動けなくなっていたに違いない。……苦い木の実や味のしない山菜を美味しそうに頬張るティアナにはさすがに目が点になっていたけれど。訓練で敢えて粗末な食事を口にしたことがある近衛兵たちでさえ顔を顰めるものを平気で飲み込む彼女の胆力と経験にはあらためて度肝を抜かされた。

 

「ええと、ちなみに料理は誰が……」

 

 恐る恐る質問する近衛兵の一人に、「私がやろう」とティアナが満面の笑みで手を挙げる。引き攣る一同。ティアナの味覚に不安を覚えたのだ。それを悟ってか、ティアナが「失敬な」と腰に手を当てて怒った表情を形作る。

 

「木の実も山菜も慣れれば美味しい。それに、まともな料理だって作れるのだ。パーティーでの食事係はずっと私だったのだぞ。今日はそのために奮発して新鮮な食材を買い集めた。まあ、騙されたと思って待っているがいい」

 

 むん、と自信ありげに胸を張る。本当に自信満々なところを見ると、虚勢ではないに違いない。案の定、私の横で若干一名が突き出されてブルンと揺れる双球に目をギラつかせる。グレイ、そういうところよ。

 

「しかし、副隊ちょ、じゃなかった、グレイよ。仔牛肉やバター、はては香辛料に林檎酒(シードル)やらポートワインまでしこたま買ってしまって、資金は大丈夫なのか?あんな宿にこの大人数で泊まるだけの金はまだ残ってるのか?」

 

 グレイの醜態に釘を差す意味もこめて、年長の近衛兵が彼の脇腹を肘で突っつく。商人の偽装をしているため、財布を持つのはグレイの役目だ。

 近衛兵の疑問も頷ける。穀倉地帯ということもあって農耕用の牛が多く飼育されているメア・インブレアムでは牛や乳製品の価格はそれほど高くはないだろうが、わざわざ希少価値の高いだろう仔牛肉にしたのはどうしてだろう。仔牛肉の胸腺(スイートブレッド)は貴族が口にするような高級部位だ。それに、香辛料やポートワインがどこの街でも高価ということは私にでもわかる。香辛料は産地からの輸送費が上乗せされるせいだし、ワインに果実蒸留酒(ブランデー)を混ぜたポートワインだって一般に流通している蜂蜜酒(ミード)よりずっと高いに違いない。それが近衛兵二人が背負う背嚢(バッグ)に縫い目が千切れるかと思うほど詰め込まれているのを見ると、王族の私でも財布の中身がちょっと不安になるほどだ。

 我に帰ったグレイが「それが……」と胸の懐から財布を取り出す。ズッシリと重そうな革の巾着袋(オーモニエール)はジャラリと大量の金貨が擦れる音を立てた。銀貨でも大銅貨でもなく、金貨だ。

 

「嘘だろ!あ、あれだけ買ったのに、まだまだ御銭(おあし)にそれだけ余裕があるとは」

「それが、まだこれだけの金貨があれば、この村でなら三日三晩豪遊できるらしい。一人だけじゃない、この人数でだ」

「まこと、デミミスリル(・・・・・・)の価値とは計り知れないものだな」

 

 近衛兵の視線が山のような食料とこんもりと膨れた財布を行ったり来たりする。そんな彼の背中にもまた膨れた背嚢がおぶわれていたりする。というか私とグレイを除く全員が何らかの背嚢を担っている。旅の途中に必要な保存用の食料やら物資やらをティアナとグレイが常設市場を回ってどっさりと買い込んだのだ。と言っても何を買うか指示をしたのはティアナだけれど。質の悪いものを掴ませようとするあくどい商人や、実際の価値より高い金額を要求してくるずる賢い商人は、ティアナの鋭い指摘と視線に打ち倒されて次々に苦笑いを浮かべて降参していった。

 これだけの資金をどうして無一文だった私たちが手にしているのか。余っていた馬や鎧などを打ち砕いた金属の売却だけでは到底足りない。その謎は、先ほどの近衛兵の台詞が答えている。模造(デミ)ミスリル。僧兵たちの槍の穂先に使われていた神の金属(ミスリル)の模造品。王立教会でもごく一部の者にしか製法が開示されていないこの金属は、この世界において人類が造ることのできる最強の金属と言われている。私たち王族や貴族にも秘匿されていて、彼らはそれを独占している。

 僧兵たちが去ったあと、ティアナは自らが叩き切ったそれらを目ざとく全て拾い集めた。そしてメア・インブレアムに到着して早々、若い鍛冶屋店主の肩を借りるようにして抱き寄せると耳元で囁くように巧みな話術で売りつけ、その対価として多額の資金を得たわけである。

 まず、店主はハンマーで叩いたりナイフで削ったりしてそれが間違いなくデミミスリルであることを確かめると、かれこれ一分ほど呼吸を止めた。復帰すると、店の奥の隠し戸棚から金貨が詰まった木箱を持ち出してティアナに「持ってけ!」と箱ごと突き出した。ティアナはそこから半分だけ金貨を抜き取ると再び店主の腕に返し、「半分でけっこうだ。その代わり、入手先が私たちであることは絶対に明かさないと誓ってほしい」と願った。気を良くした店主は「もちろんだ」と快諾し、近衛兵たちの剣を最優先で打ち直してくれることまで約束してくれた。彼女が“信用できる鍛冶屋がいる”と言った意味はそこにあったのだ。

 世間の事情に疎い私にだって、デミミスリルをただの村の鍛冶屋が扱うことの危険性に思い当たるものだけど、ティアナに言わせると「どの鍛冶屋もデミミスリルの製法を知りたがっている」のだそうだ。技術研究に熱心な鍛冶屋ほど喉から手が出るほど欲しており、その製法を知るために神官に賄賂を渡す者もいるらしい。ティアナも、神官が街を歩いていた際にデミミスリル製の杖を高値で買い取ろうと不届きな鍛冶屋が近づいて来て思いっ切り横顔をはつられたのを目撃したこともあるという。よほど負けん気の強い神官だったのだろう。そう言うと、ティアナは遠い目を窄めて「そうですね」とだけ答えた。

 

 ついに私たちは立派な飾り彫の施された正面玄関(ファサード)と用心棒の前に到達する。唇や目元に痛々しい傷跡の残る彼に何か言われるのかと思ったけれど、不思議なことに私に対して彼は礼儀正しく目礼をしてきた。目尻に優しげな皺が宿っている。むしろビクビクしていた私に対しての親切心すら感じて親近感が湧いた。一瞬、私が王女であることがバレたのかと背筋を寒くしたものの、ティアナの次の言がそれを否定してくれた。

 

「久しいな、フェリックス。スウ殿は変わらず壮健か?」

「……すんません、冒険者さん。こんなめんこい美人さんと会ってたら忘れるはずぁねぇんですが、思い出せねえですわ。でも、俺もバアさまも変わらず元気でさぁ」

「いや、気にするな。前に会ったのは……そう、遥か昔だ。その頃の私と今の私はまったく異なるから仕方がない。ところで、入ってもいいかな?」

「もちろんでさぁ。お待ちしてましたよ(・・・・・・・・・)。ごゆっくり、商人一行様(・・・・・)

 

 北方訛りの強い用心棒は、それ以上何も言わずにソーセージみたいな指のついた手で扉を開けてくれる。ティアナは微笑み一つを礼として用心棒に与えると揚々とした身振りで扉をくぐり抜けた。さっき見ていた時は厳しい仕草で客を追い返していたのに、私たちのことは呆気なく受け入れてくれたことにポカンと立ち尽くす。振り返ったティアナに目線で追随を促され、ようやく私たちもそそくさと後を追った。全員が戸をくぐり抜けたあと、一拍をおいて扉がそっと丁寧に閉められる。

 宿の内装は、外見よりもずっと高級感があった。エントランスとロビーは段差もなく地続きになっていた。そこには大量生産品ではない、いっぱしの家具職人の手による調度品がシンプルに並び、磨かれた真鍮がロウソクの光を控えめに反射している。小規模の舞踏会でも開けそうなロビーの奥には大階段があり、それを塞ぐように受付のための幅広のデスクが鎮座している。そこを通らなければ宿泊者用の2階には上がれないということだろう。ロビーは調理部屋と食堂も兼ねているらしく広いけれど、収穫時期を過ぎているからか人の姿はまばらだ。隅にある共用厨房からはステーキと卵を焼く香ばしい匂いが漂い、調理に勤しんでいた冒険者らしい屈強そうな男が顎髭を撫でながら興味深そうに私たちを眺めている。

 

「想像よりも遥かに整った宿ですね。このような高そうな宿は、普通は得意客でもない限り入れないのでは?」

「その通りです、グレイ殿。この宿は俗に言う“一見さんお断り”です」

「えっ?で、ですが、俺たちは利用したことがありません。隊ちょ───じゃなくて、ティアナが顔見知りの得意客なんですか?」

「いいえ。さっきの会話の通り、私は忘れられていました。私ではなく、グレイ殿、貴方が得意客(・・・・・・)になった(・・・・)のです」

「お、俺が?」

 

 グレイを始め、近衛兵たちの頭の上に“?”が浮かんでいるのが見える。それをイタズラが成功した少年のような笑みで見つめるティアナに、私は自分の予想を述べてみる。

 

「敢えて高級なものを金に糸目をつけずに買い込んだのは、このためだった。そうでしょう?」

「さすがお嬢様。大変聡明でいらっしゃいます」

 

 凛とした表情が人懐っこい笑みに緩む。出来の良い生徒を褒めるような優しい声色に、私は自分が舞い上がっていることを自覚する。家庭教師に勉学の成果を褒められた時にもこんな高揚感は感じたことはない。実地経験を実際的な知識として確実に変換できているという実感がそうさせるのかもしれない。もっと褒めてほしくて、私はさらに続ける。

 

「良い品物をたくさん買ったことで、私たちは“金払いの良い客がいる”という噂になる。ティアナのおかげで“目利きの優秀な商人”という評価付きで。噂は村を駆け回る。裕福な上客、しかも自炊を念頭に置いて新鮮な食料を買い込んだこの人数が求めるだろう宿は、この木賃宿だけ。だから、あの用心棒は私たちを商人一行と知っていて、“待っていた”と告げたのね」

 

 私の解答は上出来だったらしい。「ご慧眼、流石の一言です」と深く頷くティアナに、私は心のなかで親に褒められた子どものように飛び跳ねる。

 

「な、なるほど。そういうものですか。どんな相手にも真正面から全力で当たることが最良だと思っていましたが、回り回って信頼を得るという方法もあるのですね」

「如何にも。グレイ殿、貴方はもう少し器用になった方がいいでしょう。己の力のみでぶち当たることも良いですが、他力を頼ったり(から)め手を責めることは決して卑怯ではありません」

 

 恋愛にも器用になっていいのよ。

 

「商売人とは、目先の利益よりもコネ(・・)を作りたがるものです。商売相手は多ければ多いほど良い。しかも有望な商売相手が増えて、その相手と有利な立ち位置で商売が出来るとあれば、彼らは絶対に出し惜しみをしません。この場合、子どもの武者修行にこれだけの冒険者を護衛にできるだけの豪商の息子にして、将来が約束された若き商人、つまりグレイ殿にどうにかして借りを作ろうとこの村の全員が必死なのです。ほら、ご覧なさい」

 

 ティアナが顔を向けた先、受付のデスクのさらに奥から老婆が顔を出した。腰を曲げ、頭の後ろで白髪のお団子を束ねた矮躯の老婆は、しかし老婆らしくない颯爽とした足さばきでロビーを横切ると、グレイの前で急ブレーキを掛けるように立ち止まった。

 

「お待ちしておりましたよ、商人様とその御一行様。きっと(わたくし)めの『スウ・パーカーの幸せ宿』をご利用頂けると思っていました。私が女将のスウ・パーカーです。商人様には一番豪華なお部屋を、ご令妹(れいまい)様とお付きの女冒険者様には二人用のお部屋を、冒険者様方には5人用の部屋を2つ、ご準備してございます。それで、先にお食事になさいますか?それともお部屋でお休みになられますか?」

 

 老婆らしからぬ流暢な声で滝のような台詞を浴びせられたグレイが目を点にして呆然としている。でも、便宜上、彼は私たちの代表者なのだから、彼が答えなければ私たちは何も言えない。「あーっとだな」と目を泳がせるグレイの目と私の目がはたと交わる。グレイ、ティアナのさっきの助言を思い出しなさい。私の眼差しの意図を察したらしいグレイが表情を落ち着かせて女将にあらためて向き直る。

 

「細やかな采配に感謝する、女将殿。しかし、商い以外の些事は秘書であるこのティアナに一任しているゆえ、部屋割りなどについてはすべてまず彼女を通すよう願いたい」

「ああ、そうでしたか。これは失礼しました。これだけの屈強な冒険者に、秘書兼護衛の冒険者、しかもこんなに美人とは、ずいぶんとお高い費用を払われたのでしょうなあ」

 

 女将の視線が探るようにジロリと鋭くなるも、グレイは動揺を面の皮一枚下に押し隠して飄々と手をふってみせる。

 

「なに、必要経費だ。安いものさ。それではティアナ、あとは頼んだぞ。俺は長旅で疲れた」

「畏まりました。それでは女将、打ち合わせを願いたい。お二人は手近なテーブルで休憩を。皆も近くに座って楽にせよ」

「ええ、ええ。こっちにいらっしゃいな」

 

 女将とティアナが受付のデスクに向かうのを見送る。途中、ティアナが頭だけで振り返り、肩越しにグレイに称賛の頷きを見せる。それを見たグレイがほっと安堵の息を吐いて椅子にドスンと腰を下ろした。“時には他力に頼ることも大事”。グレイもまた、ティアナから処世術を学び取ったようだ。

 遠巻きに女将を観察すると、顔色はますます明るくなっていた。それも当然だろうと思う。控え目に見ても、近衛兵たちは歴戦の冒険者の風格を十分に醸し出している。アルバーツが経験豊かな兵士を選別してくれたおかげだ。若い兵士ばかりだったらこうはいかなかっただろう。彼らのような強者の冒険者を長期の旅のために10人も雇い、豪華な食事と豪勢な宿を気後れすることなく消費し、さらにティアナほどの万能かつ美貌の冒険者を秘書として傍に置いているのだ。女将から見れば、グレイはまさに裕福を極めた金満家の子息に見えているに違いない。5分ほどした後、上機嫌そのままの女将と握手を交わしたティアナが私たちに手をふる。

 

「グレイ殿、部屋割りは女将の提案に沿いましょう。料金の交渉については問題ありません。先に私が部屋を確認しますので、お嬢様と付いてきてください。皆、部屋に荷物を置いて簡単な身支度を済ませたらロビーで集合だ。飯にしよう。私の腕を疑ったことを後悔させてやる」

 

 料理の腕を疑問視されたことをまだ根に持っていたらしい。不敵に頬を歪めてみせるティアナに「へいへい」と苦笑しながらも機敏な動作で席を立つ近衛兵たちは、なんだか本当に粗野な冒険者に見えてきた。案外、違う自分になれた気がして、みんなノリノリなのかもしれない。私はと言うと、実はさっきからお腹がきゅうきゅうと空腹を訴えていたし、湯浴みもしたくて仕方がなかった。実際はたった3日なのに、体感ではもう何週間も身を清めていない気がする。ちゃんとしたベッドで眠るのだって何日ぶりだろう。大階段を一つ飛ばしで駆け上がりたい衝動に頬が緩む。

 鍛冶屋の店主によると、全員分の剣を打ち直すには明日の昼過ぎまで時が掛かるという。それまでに王都への旅路の準備をしつつ疲労を癒やして英気を養うというのがティアナの計画だ。「敢えて休むことを己に強いなければならない時もある」。ティアナの教えを胸に刻んで、私は逸る自身を抑制し、心身の回復に努めるのだ。

 

「───なあ、冒険者さん。アンタ、クリスって(・・・・・)知ってるかい(・・・・・・)?」

 

 女将の、本当に何気ない問いかけ。だけど、目の前のティアナの背中は雷でも落ちたようにビクリと反応した。重厚なローブをひるがえし、彼女が女将を振り返る。その苦しそうな、悲しそうな、未練と苦悩に歪んだ表情に、私は思わず息を呑むことしか出来なかった。

 

「一年前にさ、5人組のパーティーがうちに来たんだ。どいつもこいつも態度はでかいし横着者でね。でも一人だけ、要領が良くて、アタシたち商売人のことをよくわかってる若い男がいたのさ。器量もいいし、頭の回転も早い。あんなパーティーで才能を無駄にするくらいならうちの跡取りにでもしようかと本気で考えたんだがね。そいつが、なんだかアンタに似ている気がするんだよ。女の神官がアンタのに似たローブを羽織ってたしね」

 

 「知らないかね?」と女将は世間話の口調で重ねて問う。問うて、ティアナの瞳から光が消えていくのを察してギョッと驚いた。

 

「ど、どうしたんだい?何か悪いことでも言っちまったかね」

「死んだ」

「え?」

「クリスは、死んだ」

 

 それ以上、彼女が口にすることはなかった。さっと踵を返すとティアナは踵を鳴らしながら2階へと上がっていく。とても声をかけられる雰囲気じゃなく、私たちは顔を見合わせると誰ともなくおずおずと彼女の後をついていった。背後では女将が呆然と立ち尽くす気配がする。

 

「そうかい、死んだのかい、あの若造。惜しいねえ……ホントに惜しい」

 

 サバサバとした性格だろう女将が、しんみりと湿った声を引き連れて受付の奥へと帰っていく。“クリス”。ティアナの名前───クリスティアーナと同じ名前の、男の人。ティアナに似ているという、今はもういない人。ティアナにとって、彼はどんな存在だったのだろう?兄だろうか、弟だろうか。師匠だろうか、弟子だろうか。それとも───恋人、だったのだろうか。私はまだ、彼女の深い部分を知らない。もっと彼女のことを知りたいと思った。私たちに寄り添ってくれるように、彼女にも寄り添ってあげたいと思った。今は取り付く島のない背中でも……いつか、力いっぱい抱きしめてあげられるようになりたい。そう思った。




中世ヨーロッパ風異世界を描く時、中世ヨーロッパのことを勉強していない人間にはつらいものがありますね。ちゃんと歴史の授業を受けていればよかった。
ちなみに、宿の内装などはクライブ・カッスラー著作の『アイザック・ベル』シリーズによく登場する19世紀アメリカの呑み屋を参考にしました。全然中世じゃないんですが、見逃してください。お願いします、なんでもしますから!

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