勇者パーティーをクビにされた村人♂、女騎士になる   作:主(ぬし)

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あと一話かな?


14話

「あ、ああ。間違いない。たしかにそのローブだ。女騎士は───いや、邪教徒は、たしかにそのローブを装備していた。私は目の前で見たのだ」

「そうか。馬車はどうした(・・・・・・・)?」

「な、なに?」

「ルナリア姫が馬車に乗っていたのか、乗っていなかったのかを聞いてるんだ」

 

 ハントが矢継ぎ早に唐突な質問をマドソン司祭に突きつける。そんな質問が来るなど予想していなかった司祭が残された片方の目を剥いてしばし黙考する。質問の意図がわからず、私たちもポカンとした間抜け顔でハントを見ることしか出来なかった。クリスの死に呆けていたはずの横顔は知らずの内に生気が戻り、鋭い眼力には根源の判然としない気勢が漲っていた。思いつきを捲し立てているのかと不安になったけど、その目はまがいようもない理性を湛えていて、私たちにまだ見えていない何かをしかと見ていた。

 

「馬車を持っていたかどうかでルナリア姫たちの目指すルートを絞ることができる。質問の意図は他にない。忘れたのならすぐに思い出せ。刻一刻と敵は離れていっているぞ」

 

 今のセリフが何らかの核心をついたのだろう。マドソン司祭は一瞬だけ目をギョロつかせる。馬車のことを聞かれるとなにか都合の悪いことでもあるのだろうか。口端をひくつかせて何事か考えたあと、ハントに本当に他意がないと悟ると口元を綻ばし、視線を彼から見て右上に向ける。

 

「いや……姫様は、馬車には乗っていなかったように思うな。よく見ていないが」

「やんごとなきお立場の方なのに、馬車に乗っていなかったというのか?王都まで早駆けでも一週間は掛かるのに?」

「あ、ああ。それは、そうだな。その疑問はまったくその通りだが、見ていないものは見ていない。乗っていたのかもしれないが、私が見たときには馬車はなかった」

「荷馬もなかったか?」

「な、なかったように思うが」

「そうか。わかった。もう十分だ」

 

 まるで尋問のような会話はハントによって一方的に断ち切られた。しかし、高貴な身分のお人が馬車にも乗らずに移動するものなのだろうか?モゴモゴと言葉をつまらせて返答に窮している司祭の様子は何かを隠している様子だったが、急に饒舌になったハントはそのことを気にもしていないようだった。彼が嘘をついていようといまいと、“姫様一行が馬車に乗っていない”という結果さえわかればいいというかのようだ。その情報だけで、彼の頭のなかでは姫様一行を追いかける算段が整いつつあるようだった。

 ハントは自分の2倍は年上だろう強面の司祭相手に尻込みする気配もなくさらに要求を突きつけていく。

 

「その邪教徒───女騎士の似顔絵がほしい。直接顔を見た者に素描で描かせろ。すぐにだ」

「お、おお。勇者ハント殿、私の依頼を引き受けてくれるのだな?」

「引き受ける。だから、急いで似顔絵と馬と必要な物資を用意してくれ。寒さに強く体格の大きな頑健馬(リピッツァ)を2頭と人数分の分厚いコート、厚手のフェルトで出来たワッチキャップ、温ぶどう酒(グリューワイン)。それと、そこの暖炉で特に熱せられた石を幾つか厚布にくるんで、それも人数分、寄越してくれ。それがなくては追いつけない」

「もちろん、もちろんだとも。全てここに揃っている。すぐに準備させよう」

 

 傷だらけの醜い顔を満足そうに綻ばせたマドソン司祭が背後の僧兵に顔も向けずにさっと手をふる。僧兵が踵を返して指示された物品の手配に向かうのと同時にハントが立ち上がり、彼もまた踵を返して出口へ足を向ける。暇乞(いとまご)いをする礼儀すら払わない態度に目を白黒させる私たちのことなど気にもしていないようだった。

 

「私も準備でき次第、すぐに追いつく。それまできっちり捕囚しておくのだぞ」

 

 ハントは背中に鼻息荒く投げかけられた司祭の台詞に反応を示さなかった。その鬼気迫る鋭い眼力は、何かを───誰か(・・)をしかと捉えていた。

 

「……行くわよ」

 

 「どうする?」と問いたげな表情の武闘家と魔法使いを言葉一つで促す。どうもこうも、こうなってしまっては今さら断ることなど出来ない。なぜ司祭が都合よく姫様の動きに気が付いたのか、寛恕(かんじょ)で知られる姫様がどうして邪教徒と関わりを持つことになったのか、納得がいかないことばかりだけれど、パーティーの顔である勇者が頷いてしまった以上は引き下がることはできなくなった。阿呆みたいに呆けていたくせに途中から突然分け入ってきて勝手に決定を下されたことは癪だけど、どの道、司祭の申し出を断ることなど私には出来なかっただろうから。

 ハントを追って席を立ち、マドソン司祭に丁寧に一礼して謁見室を辞する。司祭はすでに心ここにあらずといった態度でぞんざいに頷くと、そのまま怪しい笑みを浮かべて物思いに意識を傾けた。それを見て、「なぜ教会に戒律で禁止された酒があるのか」を追求する気力は削がれた。

 それよりも、ハントが口にしたことが気になっていた。馬車のあるなしが姫様の行き先を予測することにどう有益なのか。それに、準備を依頼した品物は、明らかに極寒地に向けてのものだった。2頭しかない頑健馬(リピッツァ)もそうだ。季節はまだ秋の中頃なのに、どうしてそんなものが必要なのか。私たちをどこに導こうとしているのか。

 慌てて後を追いかけて応接間を辞すると、ハントは教会裏手に通じる柱廊をズンズンと進んでいた。柱はまるで貴族の邸宅のような透かし彫りが施されていて、なるべく質素に見せかけた表側の様相とは打って変わってやけに装飾過多だ。そのまま歩を進めると、馬蹄形に作られて石畳が敷き詰められた馬回しが見えてきた。馬小屋の方からは夜更け前に叩き起こされた馬たちの非難の(いなな)きが曇天を突き上げている。きっと、先ほどハントが要請した物資を荷鞍(パックサドル)に乗せられている最中なのだろう。

 仲間のことなど慮ることなく早足で進むハントになんとか追いついた私は、彼の背中にがなるようにして疑問をぶつける。

 

「ちょっと、ハント!どういうことなの!?説明くらい───」

「姫たちは合同村に行く」

「え?」

 

 返し刀で跳ね返ってきた返答に唖然とする。

 

「メア・インブレアム合同村。去年に行ったことがあるだろう。ここから馬で一日半の距離にある」

 

 瞬間、弾かれた意識が時をさかのぼってにぎやかな村の喧騒に片足を突っ込む。照りつける陽光の下、雑多な喧騒に難なく馴染んで人混みをかき分けるクリスの背中が目に浮かぶ。こちらの財布の足元を見ようとするあこぎな露天商と腹の探り合いをして、しかし最終的にはにこやかに握手を交わす大人の対応をしていた。木賃宿で彼が披露してくれた素朴な手料理の意外な味わい深さに感動した私に「上手いもんだろ?」と歯を見せて顔いっぱいに笑顔を広げるクリスが蘇る。今となっては儚い思い出に、思わず目尻に溜まった一粒の雫を気付かれないように指先で拭って、私は意識を無理やり思惟の一番前に引き寄せる。

 

「え、ええ。覚えてるわ。趣味のいい木賃宿がある大きな村でしょう。けれど、ルナリア姫様は王都を目指していると司祭様から教えて頂いたでしょう?合同村は王都への直通コースから外れて迂回してしまうわ」

「奴らは馬車を持っていないと言っていた。何故かは知ったことじゃないが、つまり食料といった補給品の持ち合わせがほとんど無いということだ。騎兵が馬に乗せられる食料なんてたかが知れている。高貴な身分の人間が、大食漢と相場が決まっている兵士たちを抱えて移動しているのだから、当然早い段階で補給が尽きて行動できなくなる。そこらの寒村を継ぎながらでは十分な補給は受けられないし、それでは多くの足取りを残すことになる」

 

 「あとは言わなくてもわかるだろう」とでも言うように素っ気なく断ち切られた台詞の後を、私は必死に頭を回転させて補う。

 

「……貴方の言わんとすることはわかったわ。補給品が尽きる前に、残りの旅程に必要な補給品全てを一挙に手に入れられる場所は、メア・インブレアム合同村しか無い。だから、彼らは寄り道してでも必ずそこに向かうはずということね。でも、今から追いかけたんじゃ間に合わないわよ。“還らずの谷”から合同村に向けて出発したのが昨晩だとしたら、もう彼らは到着してる。仮に姫様たちが一日滞在したとしても、私たちが到着する頃にはとっくに出発しているわ。なにせ、あの山を迂回しないといけない(・・・・・・・・・・・・・・)のだから───……嘘でしょう、無茶だわ」

「え?リン、どういうこと?なにが無茶なの?」

 

 ポカンとして問うてくる魔法使いに、仰天から立ち直れない私はただ見つめ返すしかできなかった。南方出身で、身体も一番小さく体力の低い彼女こそが一番苦痛を味わうとわかっていたからだ。やはり何も言わないハントの背中をしばし胡乱げに見つめていた武闘家が、不意に視線を遠くに投げてハッと顔を青ざめさせる。寒冷な北方出身の彼には、ハントの作戦の無謀さが身に沁みて理解できたからだ。

 

「ハント殿、山越え(・・・)をするのか」

「そうだ。ここと合同村の間には山がある。あれを普通に迂回すれば1日と半かかるが、まっすぐに縦断すれば一日も掛からない。追いつける」

 

 ハントを除く全員が前方遥か彼方に聳える峻険な山を呆然と見据える。広い裾野から上に行くにつれて鋭利に切り立った険しい山はまるで剣山のようだ。一枚の壁のように広く分厚いどんよりとした雲を突き上げる頂上の先端はほとんどその姿を人の目に晒すことはない。山の上部は塗りつぶしたような雪化粧で覆われていて、そこから吹き下ろしてくる風が起伏の激しい丘陵の上空を津波のように流れ、骨冷えする冷気をここまで押し寄せてくる。荒涼とした山肌は風を遮る樹木もなく、休める河川もない。人間を寄せ付けない寂寞とした雰囲気に、登山など経験したこともないだろう魔法使いの喉が「ヒュッ」とか細い戦慄の悲鳴を呑み込んだ。

 寒さに強い頑健馬(リピッツァ)、分厚いコート、厚手のフェルトで出来たワッチキャップ、温ぶどう酒(グリューワイン)、厚布にくるんだ熱い石。考えてみれば、すべて雪中の山を突き進むために必要な装備だ。類まれなる強靭さを神から授かったハントや、北方出身で頑健な肉体の武闘家はまだ大丈夫だろう。私も人並み以上には丈夫な自信はあるし、低い山なら馬で踏破した経験もある。神聖魔法による自己回復魔法(セルフキュア)を施せば大抵の場所には順応できると思う。でも、魔法使いは違う。彼女は温暖な南方出身だし、まだ子どもだ。魔法による強化(バフ)を自分に付加することで戦闘をこなしてきたけれど、魔力消費が激しいために短時間で効力が切れてしまう。とてもじゃないけど、雪中行軍のあいだずっとバフを発動できるとは思えない。それは身の丈ほどの愛用の杖を両手でギュッと握りしめて怯える魔法使いの姿を見れば一目瞭然だ。それを見かねた武闘家が容喙(ようかい)の声を上げる。

 

「ハント殿、あの山を超えるのは考え直したほうがいい。コイツには荷が重すぎる」

「彼女はお前の背中に座ればいい。座って、熱した石を抱きしめて、じっと堪えているだけでいいんだ。死ぬことはない。クリスのようには」

 

 傍目に聞いてもそれは卑怯な物言いだと思った。語気鋭くクリスの死を突きつけられて抗弁の余地を奪われた武闘家と魔法使いが顎をぐっと喉にくっつけて押し黙る。

 私はと言えば、ハントが突然リーダーシップを取り始めたことに呆気に取られるばかりだった。微に入り細を穿つ作戦構築はまるでクリスのようだ。なのに、彼ならば必ず念頭に置いていた仲間への思いやりがごっそりと欠如している。勇者として自覚を持ってパーティーを導いてくれることを望んでいたけれど、私の期待とは相容れないものに変質しているという漠然とした不安が背筋をゾワゾワと這い登ってくる。

 

「ハント、貴方いったい、」

「リン、君とクリスのローブはどこでも手に入るものか?」

「は?い、いえ、違うわ。希少品よ。とても珍しいわ。それがどうかした?」

 

 振り向きもせずに突きつけられた質問に、私はムッとしつつも馬鹿正直に応える。サラマンドラはそもそも数が少ないし、討伐も難しい。火竜であるサラマンドラの爪や牙、ウロコは耐火素材として重宝されて、貴族や名うての冒険者向けの高級装備に使用される。肉や脂までも貴重で、油引きされたこのローブだって奇跡的に手に入ったようなものだった。

 唐突に歩みを止めたハントの背中に虚を突かれ、そこに鼻っ柱をぶつける寸前で私もなんとか立ち止まる。まだハントがなにを見据えているのかわからない。けれど、己の見たいものしか見ていないような未熟で硬質な態度は、私の意識に不安の根を張らせるには十分だった。

 

「クリスが“還らずの谷”に落ちた同じ日に、そこから同じローブを着た女が現れた。偶然とは思えない」

「え、ええ。そうね」

 

 それには同意できる。偶然というには確率が低すぎるかもしれない。でも、クリスは無意識のうちに推理の方向を恣意的に狭めているような気がした。あまりに危なっかしい考え方だ。事実、その直感は的中した。

 

「その女騎士は、崖の下でクリスに会って、ローブを奪った(・・・・・・・)

「ま、待って。それは───」

 

 「それは短慮にすぎる」と牽制しようとした私を無視して、今度は魔法使いに矛先を向ける。

 

「もう一度、魔法でクリスの血痕を追跡してくれ」

「えっ、今?」

「やるんだ。今すぐ」

 

 戸惑う魔法使いにピシャリと高圧的な口調で命じる。有無を言わせない態度に押し負けた魔法使いが私に伺う視線を投げる。渋々と私が頷いたのを確認した魔法使いは、懐からおずおずと水晶玉を取り出して得意の高度圧縮呪文(プッシュスペル)を吹き入れる。透明だった水晶の内側が暗くなったと思うが早いか、冬の星空のような輝きがチラついて、魔術を修めている者にしか見分けのつかない幾何学的な紋様を映し出す。そこに映り込む彼女の表情が、次の瞬間、ギョッと泡を食ったものとなった。思わず尻もちをつきそうになった細い身体を武闘家が慌てて支える。

 

「い、移動してる(・・・・・)!クリスの血の反応が動いてる!崖の外に出てる!」

 

 私の目の裏で衝撃がピカピカと瞬いた。思考するより先に、私は魔法使いの肩に爪を立てて掴んでいた。

 

「動いてるって───クリスは生きてるってこと!?」

 

 結論を先走った私に、魔法使いが「ごめんなさい」と罪の意識に目を伏せる。

 

「ううん。そうじゃないの。反応は微弱だから、本人が動いているわけじゃないと思う。クリスの血が付着した“何か”が動いてるんだと思う。微弱すぎて詳しい場所まではわからないけれど、まだそれほど遠くには行ってない」

 

 私と同じように一時的に期待を抱いたらしい武闘家も申し訳無さそうに拳を握った。都合のいい淡い希望にちょっとでも心を傾けた自分にため息を吐きつつ、「ではどういうことなのか」と現象の理由に思考を巡らせる。だけど、考えをまとめるよりも先に断定の言葉が振り下ろされた。

 

「それはクリスのローブだ。女騎士がクリスから奪った。そうに違いない(・・・・・・・)

 

 抑揚を欠いた台詞に得も言われぬ怖気を感じて、全員の視線がハントの背中に注がれる。

 

「クリスはまだ生きていたのに、女騎士はクリスを助けることもせず、アイツを殺してローブを奪ったんだ。血はその時に付いたんだ」

 

 引き摺るような声でそう言って、ハントが首だけで振り返り、(いか)らせた肩越しに私を見た。途端、私の総身に強烈な緊張が走り、うなじの毛が残らず逆立った。乱雑に伸びた前髪のヴェールの向こうに覗く双眼が、羅刹の如きどす黒い殺意に燃えていたからだ。鋭い視線に晒されて、肌が炙られたようにひりつき、胃が胆汁で爛れるような苦い感覚を味わう。こんなの、『人類の守護者』なんかじゃない。クリスが導こうとした『勇者』なんかじゃない。自他を滅ぼすほどの怒りの捌け口を探す、ただの狂戦士(バーサーカー)だ。

 

「そうに違いないんだ。そいつが殺したんだ」

 

 犬歯を剥いて喉を唸らせるように低い声を轟かせる。罅割れのように顔面を走る皺、血走った眼球、口端に滲む涎。まるで獣──いや、魔物だ。私たちが倒してきた人類の宿敵そのものの暴力性がハントの全身から湯気のごとく立ち昇り、大気を陽炎のように揺らめかせている。風もないのに照明の蝋燭の炎が消えんばかりに左右に揺らめくのは、ハントの険悪な気迫に自然界の精霊が恐怖したからなのか。私自身も、膝下の骨が凍りついたかのようにその場から動けなくなる。

 王都の女たちを騒がせた爽やかな美男子の影はもう微塵も残っていない。剥き出しの槍の穂先のように剣呑な殺気に、中庭(パティオ)の馬回しに控える大型馬たちが怯えの嘶きをあげて黒目をわなわなと震わせる。彼は覚醒(・・)してしまったのだ。よりによって、最悪の形で。

 

「は、ハント───貴方、まさか……」

「女騎士のせいだ。全部、全部そいつのせいなんだ。僕が家族を失ったのはその女のせいなんだ。僕たちはクリスの仇を討たなくちゃいけないんだ。そうしないと───そうしないと前に進めない(・・・・・・・・・・・・)んだ!そうだろう、リン!!」

 

 食いしばった歯の間から無理やり押し出すように言い放つ。それは断定だった。ハントにとってはそれが事実なのだ。クリスが崖に落ちた後もまだ生きていたと決めつけ、女騎士が彼を殺してローブを奪ったと頭から信じ切っていた。それを推し量る根拠はローブと血痕に過ぎないというのに。

 かつて人類の希望の光だった(・・・)青年の、光すら呑み込むような真っ黒な双眼に見据えられ、私は耳鳴りを伴う頭痛に襲われた。彼はただ、不甲斐ない己への恨みを真正面から受け止めきれず、他者にぶつけ晴らそうとしているだけだ。考えうる限りでもっとも邪悪な解決方法だ。事実を受け止めれば心が壊れるからといって、誰かを生贄にして解消していいわけはない。人類最強の青年がこうなってしまっては手を付けられない。制御できる唯一の人間がいないからだ。ハントの狂気が明らかになったことで、空気が今にも千切れそうなほどに緊張でピンと張り詰める。伸し掛かってくるような殺気が見えない手となって喉を締めつけ、異様な胸苦しさに襲われる。

 

「あ、あの、ゆ、勇者様、それは……」

 

 以前はハントの言うがままにただ唯々諾々と従っていた魔法使いと武闘家も、この錯乱ぶりにはさすがにたじろいだ。二人が顔を引き攣らせて、ハントの浅慮をなんとか窘めようと、恐る恐るといった感じで慣れない弁舌を振るおうとする。

 

「ハント殿、それには俺も同意しかね───リン殿?」

 

 真っ二つになった杖の先端で武闘家の分厚い胸を小突いて二の句を制止する。そしておもむろに一歩ハントに向かって踏み出て、意思(こころ)に反することに抵抗して強張る顎を無理やり動かす。

 

そうね(・・・)その通りよ(・・・・・)

 

 背後で、魔法使いと武闘家が度肝を抜かれて言葉を失っているのが目に見えるようだった。私も、自分自身がいったい何をしているのか、冷静に理解できているとは思えなかった。

 

(でも───他にどうしようもないじゃない)

 

 「貴方は自分の失敗から目を逸らそうとしている」。そう言おうとして、言えなかった。せっかく燃え上がってくれたハントの火に水を掛けることを躊躇った。たとえ、それがおぞましい憎悪の炎だったとしても。復讐心によって促された覚醒であったとしても。クリスが希求していた姿ではなかったとしても。それでも、“勇者の覚醒”であることに変わりはない。

 

「ハント、倒すべき相手が出来たわ。貴方でないと勝てない強敵よ。みんなで協力して女騎士を討って、勇者らしくお姫様を救って、前に進みましょう」

 

 自分の言葉が口に苦かった。思ってもいないことを口にするたびに罪悪感で目眩がした。私は、彼の歪みから目を逸らし、見ないふりをすることを選んだのだ。胃が雑巾のように握りつぶされているような鈍痛に脂汗が滲みそうになる。それを意思の力で強制的に抑え込むために、デミミスリルの杖を手が白ばむほど強く握りしめる。ハントによって真っ二つに切断された杖。デミミスリルの杖すら折れるのに、私のような弱い女の心が折れないはずない。私には杖が───頼る者が必要だった。勇者パーティーを存続させなければならないという責任の嵐に錐揉みされ、私は寄る辺を求めて手を伸ばし、呪詛を吐き出す勇者モドキ(・・・・・)を掴むことを選択したのだ。

 

「リン殿、それでいいのか」

「後悔、することになると思う。ねえ、リン。本当にそれでいいの?私たちに言えた義理じゃないけれど……クリスは、これでいいって言ってくれるの?」

「……行くわよ。無駄口を叩いてる暇があったら支度しなさい。神聖回復魔法(ホーリーキュア)を定期的にかけてあげるから、凍えても死にはしないわ。死なせたりなんかするもんですか」

 

 二人からの失望の気配が後頭に刺さる。そんなこと意に介さない。失望されたくなかった人は、もうこの世にいない。

 

「僕の───敵───!!」

 

 目の前で凄みを帯びた笑みを浮かべるハントを力の籠もらない目で見上げながら、私は自らもこの狂戦士の片棒を担ぐ悪人になったのだと自覚して失意のどん底を覗いていた。自分から失ってはいけない大切な何かが流れ落ちて、空虚な抜け殻のようになっていく喪失感が足元から這い上がってくる。地面がなくなったかのような絶望感を覚えながら、それでも私は歩みを再開した。

そうしないと前に進めない(・・・・・・・・・・・・)”。ハントの言うとおりだ。彼には目的が必要だ。それが復讐であろうと、そのために勇者として振る舞えるというのなら、それでいい。私の心がどれだけ鈍磨しようと構わない。クリスの残した遺産を護るためならどんなものでも生贄に捧げよう。

 

ハントのために───

 

パーティーのために───

 

クリスのために───

 

女騎士には、犠牲になってもらう。




『進撃の巨人 RTA Titan Slayer』、いいゾ~これ。ホライゾン・モラリス兄貴、強すぎィ!!

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