勇者パーティーをクビにされた村人♂、女騎士になる 作:主(ぬし)
御者を責めることはできない。先ほどまでの豪雨で視界は悲劇的に悪かった。彼は最期まで制御を試みていた。ぬかるんだ地面に車輪が囚われ、気がついたら、私の馬車は逆さまになっていた。不運───いや、ここに追い込まれたのだろう。襲撃のタイミングも場所も、明らかにこの場所に誘導するようだった。
「……こ、ここは……」
天地が反転した視界に“還らぬの谷”が見える。手を伸ばせば届いてしまいそうだ。かつて勇者すら上がっては来れなかったと言い伝えられる幽谷。この深い深い谷に落ちたことにすれば、不幸な事故として処理できる。「雨のせいで気が付かなかった」と説明を付け加えれば納得されてしまうだろう。陰謀の二文字が頭に浮かぶと同時に、私が危惧していたことは間違っていなかったと確信する。問題なのは、これをお父様にお伝えできないことだ。
「姫様!姫様、ご無事ですか!?」
「姫様をお救いするんだ!急げ!敵はもうすぐそこまで来ているぞ!」
「くそっ、駄目だ!扉が変形して開かない!馬車を持ち上げられないか!?」
「重すぎる、ビクともしないぞ!」
「……致し方ない、応戦だ!各騎、防御陣形を組め!雨で地面が悪い、馬も盾も役に立たん!姫様をお護りするのだ!」
割れた窓
なんてこと。襲撃を予測して防御力の高い馬車を使用したことが仇になってしまうなんて。
「シリル……シリル、どこ?……ああ、そんな……!」
馬車が横転する直前まで隣に座っていたはずの
私が物心ついた頃から世話をしてくれた、私の親友。転倒する瞬間、彼女が私を抱き締めて守ってくれたのだ。姉のように接してくれたシリルとの思い出が走馬灯のように思い出され、思わず涙が零れそうになる。歯を食いしばり、悲しみの沼の手前で踏みとどまる。私が巻き込んだんだ。みんな、私のせいだ。
豪雨によって出来た水たまりに突っ込んだせいで、馬車のなかに泥水の濁流が流れ込んでくる。白いフランネルのドレスが泥に汚れていく。でも、そんなことを気にしている場合じゃない。口に入ってくる不潔な泥水を何度も吐き出しながら、窓に顔を近づけて叫ぶ。
「近衛兵の皆さん、私を置いて逃げてください!敵の正体はわかっています。なれば狙いは私一人のはず!だから!」
「何を仰られるのか、姫様!我々は誉れ高き近衛兵!主君を置いて遁走するなど、先祖に顔向けできませぬ!」
「それに、奴らはかなりの手練れ。馬一頭とてこの場から逃がすつもりはないでしょう。戦うしかありますまい」
「皆さん……」
「ご心配召されるな、姫様!なあに、教会の卑怯な回し者など、鎧袖一触と片付けてみせましょうぞ!それまで、しばしお堪えくだされ!」
勇猛な近衛兵たちが兜の下でニッと笑って私を力付けようとしてくれる。彼らを率いるアルバーツ近衛兵長が「陣形を組め」と張り上げた声で連呼している。近衛兵たちの心の拠り所にして、私の第二の父と呼べる人。王族としての心構えを私に説いてくれた、私の大切な家族。
大丈夫、双子戦争の英雄にして歴戦の強者である彼がいれば怖いものはない。生まれてからの14年間、彼は片時も私から離れたことがない。彼ならどんな時だって私を守ってくれる。彼の大柄の背中が視界にあるだけで温かい安心感が湧き立ってくる。アルバーツが私の方に振り返り、力強く頷いてみせる。頬を斜めに走る傷跡が、今はこれ以上なく頼もしいと感じる。彼は私たちの柱だ。
……そして、それは敵にとっても同じだ。
突然、アルバーツの胸から何かが飛び出た。星明かりを反射する金属が血に濡れている。真新しい鮮血から湯気が立つ。
「馬鹿、な」
その場の誰も、何が起きたのかわからなかった。己の胸から顔を出す金属に目を見開くアルバーツの身体がぐんっと宙に浮く。その背後の闇からぬうっと姿を現したのは、漆黒の
「か、各騎、周囲を、警戒、」
「……黙れ……」
僧服の巨漢が低い声とともに軽々と腕を振るう。人の背ほどもある剛槍がしなり、赤い血の尾をひいてアルバーツの身体が宙に弧を描く。
「姫様を、護れ…!」
それが彼の最期の言葉になった。ぶん、と風を切る音を残して、アルバーツの肉体は玩具のように舞い、私を閉じ込める馬車を飛び越えて幽谷の擁する闇に吸い込まれた。
「アルバーツ!うそ!イヤァーーーーッッ!!」
期待を覚えたからこそ、そこから一気に絶望に突き落とされるのは心に堪える。ひしゃげた窓枠から必死に手を伸ばしても、もうアルバーツには絶対に届かない。伝えたいことがたくさんあった。語り合いたいことがたくさんあった。教えてほしいことがたくさんあった。褒めてほしいことがたくさんあった。怒ってほしいことがたくさんあった。謝りたいことがたくさんあった。お礼を言いたいことがたくさんあった。それが全部、もう叶わないなんて、信じられない。
私のせいだ。私が彼をそそのかしてしまったせいだ。陰謀を阻止したいなんて、私なんかでは力不足もいいところなのに。私のせいだ。シリルの死も、アルバーツの死も、残された近衛兵たちの末路も、何もかも。
「おのれ、僧兵如きがよくも隊長を、我が父を……!」
「待ってください、副隊長!
森の木々の影から、それより暗い漆黒の僧服が染み出すように姿を表す。10……20……その数は増える一方だ。ひっくり返った馬車の中にいても近衛兵たちの息を呑む音ははっきりと聞こえた。近衛兵は10人。疾駆けのために少人数にしたことが仇になった。私の領地はすでに10里以上離れている。私たちの身に起きたことを知る由もなく、救援も来ない。
「貴様ら、ここにおわす方がガメニア王国第三王女ルナリア殿下と知っての狼藉か!?これは王家に対する明確な反乱行為だぞ!」
若く勇敢な副隊長が声を張り上げる。でも、音もなく槍の穂先を向けてくる僧服たちにその道理が通じた様子は無かった。当然だ。彼らは王立教会の僧兵。王国の騎士に肩を並べると言われるほどの手練たちは、狂信者故に盲目で、決して命を惜しまないことで知られている。教義を護るためなら己の命にも相手の命にも無関心になれる、恐ろしい暗殺者集団。王立教会は彼らを操って非道で野蛮なことをしてきた。それを暴こうとした者にも同じことをした。そして今、その血にまみれた薄汚れた爪は、王家の末子にさえ躊躇いもなく振り下されようとしている。
「……これはこれはルナリア姫様……ご機嫌麗しゅう……ではないようですな……」
アルバーツを殺した巨漢の僧兵が、嫌味なほどわざとらしい仕草で頭を下げる。恭しい態度の皮一枚下でこちらをあざ笑っている。豚のような鼻からぐふっぐふっと奇妙な笑いが漏れる。息を詰まらせるような笑い方に嫌悪感が募る。
「貴様、姫様を愚弄するか!王家への反乱に加えて不敬の罪も犯すとは、許されることではないぞ!万死に値する!」
「……近衛兵のお歴々は腕っぷしばかりで、誰も彼も視野が狭い……」
「なんだと!?」
「……此度の姫様の
衝撃に目眩がする。
「……各騎、隊長の最期の命令をしかと聞いたな」
副隊長の押し殺した問いかけに全員が「応」と返す。そこに彼らの覚悟を見てしまい、私は思わず
「全員、死にものぐるいで戦え!近衛兵の意地を見せる時ぞ!」
「「「応ッ!!」」」
「魚鱗の陣、用意!汚らしい奴らの指一本、姫様に触れさせるな!!」
ああ、ダメ、逃げて。私のために死ぬなんてやめて。
制止しようにも、そこまで迫る死の恐怖に喉が塞がって声が出てくれない。星を反射する僧兵の槍が凄まじい速さで突き出される。近衛兵は辛うじてそれを剣でさばくが、別方向から突き出させた穂先がブレストプレートを激しく打ち据える。近衛兵の鎧は最上級の金属で造られているから、粗末な剣や槍による攻撃はむしろ刃を破損させることになるはず。それなのに、亀裂が走ったのは近衛兵の鎧の方だった。普通の槍じゃない。
自分たちの鎧が気休めにもならないと悟った近衛兵たちに驚愕が走る。
「で、
「……何事にも……例外はあるもの……平にご容赦を……」
「お、おのれ、屁理屈を……!」
近衛兵たちの奮戦虚しく、彼らの背中が馬車に近付いてくる。単騎での実力は決して劣っていないのに、数で負けている。
「……指なんて触れませんよ……ただ
「崖に追い詰められているぞ!陣形を乱さなければ大丈夫なんだ!」
副隊長が声を荒げるが、彼自身の声が焦燥に切迫していて説得力がない。彼らは精鋭中の精鋭。普段の彼らなら、たとえ同じ実力かつ数を倍する敵に当たっても切り抜けられる。いわんや、狂信者相手に遅れを取ることはない。それが出来ないのは、アルバーツという精神的支柱を失ったからだ。「騎士は心で戦う」とアルバーツは教えてくれた。それ故に、心の支えのなくなった騎士は十全の力を発揮できない。私は彼らにとって庇護の対象にはなっても、彼らの士気を鼓舞する英傑にはなれない。
「ぐわっ!」
「ぎっ!?」
「うぐっ!」
近衛兵たちの痛々しい悲鳴を追って目の前に鮮血が飛び散る。一滴が私の頬に赤い華を咲かせ、誰かが膝をつく音がする。刃と刃がぶつかる激しい音と火花が鼓膜と網膜を麻痺させる。大粒の涙が溢れ、顎が震えて歯がかち鳴る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
私のせいだ。私のせいだ。私のせいだ。私が陰謀なんかに気付いてしまったから。ちっぽけな正義感を振り翳したから。みんなを巻き込んでしまったから。自分なら何とかできると思ってしまった。巨悪を倒せると思ってしまった。身の程知らずだった。ただの小賢しい娘に過ぎなかった。私には力が足りなかった。全部、私のせいだ。
また誰かが倒れる音がした。押し寄せる罪の意識に心が堪えきれず、私はぐっと目を瞑って胸の前で手を握る。
お願いします、神さま。お願いします。
「───お待ちなさい」
鈴音のような軽やかな金属音。
次いでまろやかに
威厳と挟持を
まるで神々の世界から遣わされたように、美貌の女性はふわりとそこに舞い降りていた。
荘厳な星々すら己の背景と化す彼女を見て、その場にいる誰も彼もが、思わず見惚れて思考をも止めた。
輝く鎧を身に纏い、輝く大剣を掲げる美貌の戦乙女が、怒りを顕わに眉根を寄せる。その憤怒の表情すら、最高の絵画のように美しい。
彼女を見れば、きっと誰もがこう呼ぶに違いない。
“女騎士”、と。
スマホで小説を書くのは初めてです。なので初心者です(強弁)。