勇者パーティーをクビにされた村人♂、女騎士になる   作:主(ぬし)

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あと一話で終わりです。中世ヨーロッパの馬車について調べようとしたら、日本には馴染みがなかったせいで意外と資料が少ないことがわかりました。おかげでちょっとだけ苦労しました。牛車とか人力車ならあったんですが。「野盗の襲撃を受けて逃げ惑う牛車から姫の悲鳴が聞こえた」なんて、緊張感ないですもんねぇ。


6話

(浅かった!)

 

 オレは大男に向かって斬りかかった。僧兵たちに指示を飛ばしていた男をリーダーだと判断したからだ。対魔族でも、対野盗でも、集団戦闘ではリーダーを先に倒した方が勝つことは経験で学んでいた。だが、必殺を狙った一撃はわずかに上半身を反らされて急所に届かなかった。やはり手練だ。

 眼前の大男に畏怖の感情を抱いたのも束の間、間髪入れずに熊のような雄叫びとともに視界外から剛槍が襲い来る。急所を外れたとはいえ手応えはあったのに、まだこれほど動けるのか。

 肉体のバネを使ってすかさず後方に飛び退り、鋭利な突風を顎先に感じながらすんでのところで回避する。この身体じゃなければ、今頃挽き肉になっていた。背筋に冷や汗を感じながら馬車の真ん前に着地し、再び大男に斬り掛かろうと脚に力を込める。次こそは倒す。

 

「何をしている!火矢を放て!馬車を狙え!燃やすのだっ!」

 

 驚くべきことに、大男は顔面をバッサリと斬りつけられても混乱することなく指示を発する胆力を備えていた。次いで、打てば響くような反応で僧兵たちが火矢を携え、弓を引いたかと思いきや次々と放ってくる。その連射速度は本職の弓兵も裸足で逃げ出すほど速い。しかも狙いも正確だ。「教会を守護する僧兵は信仰心故に練度が高い」と神官は自慢げに話していたが、まさか敵対してそれを味わうとは思ってもいなかった。

 だが、それを聞いて怖気づくわけにはいかない。それに、今のオレには他人を護れる力がある。

 神剣を正眼に構え、短くも大きな息を吸い込み、肺を限界まで膨らませる。転瞬、まるで世界そのものがタール漬けにされたように、すべての動きがゆっくりと鈍化したように見える。脳の処理速度が極限まで高められ、飛来する矢の動きがコマ送りのように知覚される。

 呼吸を止め、下半身を岩のように大地に固定し、逆に上半身は柔軟であることを意識する。神剣を握る手に渾身の精神力を込め、重力に委ねるようにゆらりと剣を振るう。瞬間、複数の手応えを感じる。神剣の間合いに侵入してきた矢を、考えるより先に肉体が自動的に叩き落としていく。

 思考するエネルギーすらも惜しい。全身の力という力を腕に傾注し、この身を“壁”と定めておびただしい矢の群れを次から次へと斬り伏せていく。剣の風圧が鏃の火を吹き散らし、ブレードが触れたと思いきや真っ二つに散逸する。

 

(凄い───オレにこんなことが出来るなんて)

 

 気付けば、オレは数秒と経たぬ間に30本近い矢を叩き落としていた。こんなこと、ハントにも出来るかどうか。

 僧兵たちが度肝を抜かれて色を失い、兵士たちも目を丸くして動きを止めた。オレ自身も、己の進化に驚いて一瞬だけ動きを乱してしまった。神剣の流水のごとき流れが歪んでしまい、一本の矢が油断したオレの頭の横をすり抜ける。

 

(しまった!)

 

 慌てて振り返るがすでに遅く、馬車に突き立った火矢の火薬が小爆発を起こした。熱波を頬に感じたのも束の間、年端も行かない少女の悲鳴が耳朶を打つ。

 

「ひ、姫様ッ!」

「姫様が危ない!」

 

 騎士たちが大きな動揺を見せて一気に慌てふためく。その隙を突いて大男が馬に飛び乗り、僧兵たちも一人また一人とあっという間に夜の闇に溶けていく。気配を探るが、残らず遁走したようだった。追撃のことは頭に浮かばなかった。それより、彼らが“姫様”と言ったことが気になった。

 火が至るところに燃え移っていく馬車は、横転して見るも無惨な状態ではあってもその優美な作りが見て取れる。大工として経験を積んだからこそ、この馬車の特別さがわかる。馬4頭曳きの四人乗り、御者台には油引された革の天蓋があり、構造材は衝撃に強いヒッコリー、頑丈な樫の羽目板には華麗な装飾、車輪軸と客車の間にはまだ珍しい鉄の板バネ、客車の装飾には貴重な孔雀石(マラカイト)の顔料、それに窓には革や羊皮紙ではなく高価な硝子(ガラス)を嵌め込んでいる。重量(めかた)320貫(1200キロ)、中にいる人間と貨物を加算すれば360貫(1350キロ)といったところか。

 並大抵の身分ではこんな上等な馬車には乗れない。小領主程度では維持もできないだろう。炎の明かりに照らされて初めて目にする豪華な馬車の外観に感嘆すると同時に、厄介なことになったと歯噛みする。

 

「姫様を助けるんだ!火のついている箇所を剣で叩き斬れ!その間に扉を無理矢理にでも破壊して───」

「いけない!」

 

 そう言って客車の腹めがけて剣を振りかぶった騎士の腕を掴む。驚いてこちらを見た大兜(ヘルム)の隙間から、少年の面影を少し残した青年の顔が見えた。オレがここに来るまで指揮をとっていた騎士だ。隊長にしては若いが、剣の腕はかなりのものだった。胸甲(ブレスト)には赤い二本線のシンボル。おそらく副隊長だろう。20代前半のたくましい顔つきをしているが、青ざめた表情は明らかに狼狽しきっている。

 

「騎士殿、僧兵の魔の手から我らが姫を救って頂いたことには感謝の言葉もありません。ですが、どうかお離しください!このままでは姫が!」

「わかっている。だが、下手に破壊してしまえばお前の大事な御方をお前自身の手で殺してしまうことになるぞ」

 

 絶句する副隊長を「失礼」と押しのけると、自分のローブをさっと脱いで馬車の燃えている箇所に覆いかぶせる。サラマンドラの油を加脂された耐火ローブだ。これで火の回りを遅くできるだろうが、完全な消火は無理だろう。よりによって、馬車は逆さまになったことで雨に濡れていない部分を晒すことになり、そこに火矢が命中してしまった。狙ったのだとしたらよほどの腕だ。

 しかも、ただの火矢ではなく、遥か東方で開発されたという火薬を内蔵する最新式の火矢だ。燃えだしたら最後、魔法使いの氷魔法でもなかなか消えなかった。蛮族との戦いで苦しめられた経験は忘れようもない。松脂と石油と硫黄の混合物は、いったん火が付けば多少の水を掛けた程度では鎮火できないのだ。

 「火が落ち着いている今のうちに馬車に穴を開ければいいのでは」と提案してきた別の兵士に小さく首を振るう。

 

「今、馬車は上下逆さまになり、車輪と車軸が上にある。どちらも鉄を多く使用して、非常に重い。そして客車には鉄は一切使われていない。どこか一箇所を下手に壊したりすれば、全体が崩れて客車を卵のように潰してしまうだろう。いかに私でも車輪軸全てを一刀のもとに斬り飛ばすなんて奇跡は起こせない」

「そんな!」

「大丈夫だ、私に任せてくれ。馬車の修理は何度もしたことがあるのだ」

「騎士なのに、馬車の修理の経験が……?」

 

 あからさまに訝しげな反応が返ってくる。忘れそうになっていたが、今のオレの姿は女騎士そのものなのだ。普通、女性は工作のような力仕事には就かない。騎士であれば尚更だ。騎士のような戦闘を生業とする特殊な階級は、神から『剣士』のクラスを授かった者たちで構成される。クラスに恵まれた彼らは、土木建築といった土や油に塗れる裏方の技術者を格下として見下す傾向にある。オレは旅の行く先々で身を持って経験してきた。オレからすれば、自分の使う道具の手入れもろくに出来ない方が情けない話に思える。

 

「己の扱う道具の構造について知り尽くしておいて損はない」

 

 肩越しに説明しながら目と手を使って馬車の損傷具合を急ぎ足で調べていく。差し出口を恥じたのだろう副隊長が「たしかに仰る通りだ」と納得に唸る声に頷きを一つ返すと、旅の途中で馬車の修理や整備をしていた経験を必死で思い出し、蓄えてきた知識を総動員する。新しいこの身体の性能は今は役に立たない。自分の技術者としての腕を活かす時だ。

 この場合、最新の馬車であることが仇になっている。踏破性能を上げるために、最近では車輪も車軸も大型化しており、木製の枠に鉄輪をはめて車輪とする方式が主流になりつつある。この方が、車輪が強固になり、長距離の移動でも故障が少なくなるからだ。さらに走行時の振動を抑えるために客車は軽量化され、車軸と客車との間には鉄製の板バネを何枚も挟み込んでいる。乗り心地を良くし、長旅でも壊れにくくするために、馬車の構造は進化するごとに上の客車が軽く、地面と接する下の車軸と車輪が重くなっていく。

 さて、これが上下逆さまにひっくり返るとどうなるか。軽い客車の上に、客車の何倍もの重量が伸し掛かることになる。そのうえ、この馬車は見た目を重視するために車体全体の固定を鎖ではなく革紐で縛るようにしている。逆さまになることを設計段階から想定していないのだ。もちろん、こんな悲惨な状況まで想定しろというのは設計士には酷な話だが、現に少女が閉じ込められてしまっている。

 腰をかがめ、変形した窓の隙間から声をかける。子供の手が一本通るか通らないかという狭い隙間のせいで中はよく見えないが、暗闇の中に妖精の羽のような銀髪が微かに煌めいた。

 

「もし、中の少女!無事か?」

「えっ!?は、はい、騎士様!(わたくし)は無事ですわ!て、敵は?近衛兵の方々は無事ですの?」

「ご心配なく、貴方の兵たちの活躍により撃退しました。今のところは(・・・・・・)

 

 自分の身より護衛の兵士を案じるとは、声からしてまだ幼そうなのに、良い主君だ。

 感心しつつ、チラと背後の若い副隊長に目配せをする。オレの意図を察してくれた副隊長が「警戒せよ」と兵を見張りに配置させる。まだ敵が完全に諦めたという確証はない。かなりの反撃を加えたとは言え、こちらが馬車の鎮火に傾注する間に再びやぶれかぶれの襲撃をしてこないとは限らない。用心に越したことがないということは魔族との戦いで嫌というほど学んだ。ハントも武闘家も魔法使いも、誰よりも強いという事実と自負のせいで用心するということをしなかったから、俺が気をつけるしかなかったのだ。

 しかし、副隊長を始めとした兵士たちの練度と忠誠心の高さ、“姫”と呼ばれた少女が彼らを“近衛兵”と呼んだことが頭の隅に引っかかる。壮麗な馬車然り、相当に身分の高い人物なのか。その謎は少女を無事に助け出してから解決しよう。

 さて、どう解体すべきかと顎を摘んで思考錯誤していると、不意に火の粉が一つ頭上からハラリと落ちてきた。その事象が表す意味に気が付き、ゾッと背筋に寒気が走る。

 

「き、騎士殿!火がっ!」

「くっ!?」

 

 ローブと客車の隙間から炎が溢れ出す。酸素を求めて荒れ狂う火炎が再び勢いを増して本格的に馬車を飲み込もうとしていた。ヒッコリーの木は広葉樹だから火がつきにくいのだが、成形のためによく乾燥させていたことが災いした。広葉樹はいったん火がついてしまうとなかなか消えないという性質がある。悪い兆候だ。熱せられた孔雀石の顔料がバチバチと化学反応を起こして鼻をつく異臭を漂わせ始める。しかも、ヒッコリーは構造材であり、客車の強度を維持する大黒柱の役目を果たしている。構造材の強度が漸減することで客車全体がミシミシと悲鳴をあげ、空気が抜けていく風船のようにゆっくりとひしゃげていく。

 命を危険を感じた少女がヒステリックに泣き叫ぶかと不安になったが、悲鳴は上がらなかった。じっと気丈に堪えている空気が外のオレにも伝わり、その健気さに胸を打たれる。同年代の子供だったら刻一刻と迫る死の恐怖に感情を爆発させるだろうに、その胆力には瞠目せずにはいられない。近衛兵たちの忠義が厚いことも頷ける。

 そこで、ふと思いついた。これほど忠義に厚い臣下を抱えていたのだ。当然、御者もすこぶる優秀だったはずだ。優秀な御者なら、必ず準備しているものがある。

 

「……予備の部品(・・・・・)だ!」

「は?」

「御者は馬車の故障に対応するために予備の部品を用意していただろう!それはどこに!?」

「こ、ここに!最後尾の我々が牽いておりました!」

 

 二頭の馬に繋がれた貨物用の小さな馬車が引きずられてきた。やはり、御者は優秀だった。いかに馬車が頑健な造りでも、長距離の移動の際は少なくない故障に見舞われる。故障した時に近くに街や村があることを神に祈って走る無謀な御者は三流以下で、有能な御者はどんな状況にも対応できるよう必ず予備の部品や工具を持ち運んでいる。

 飛びつくように客車に縛り付けられた貨物に掴みかかると驚く兵士をよそに幌を力づくで引きちぎり、犬が鼻を突っ込むように打開策になりそうなものを捜す。

 背後でメキメキと亀裂が走る音がした。ギクリとしてそちらを見れば、こぶし大だった窓の隙間がどんどん狭まっていた。「ひっ」と少女が息を呑む声がする。少しづつ解体するなどといった慎重に事を進めるには明らかに時間がない。「間に合わないかもしれない」という悲観が心中に顔を出しそうになるのを気合でぶん殴って消し去る。これでも勇者パーティーの一人だったんだ。苦しんでいる人を見捨てたりなんか、絶対にするものか。

 

「……これだ!」

 

 車軸の部品である円盤2つとよく手入れされた頑丈な鎖2本が目に入ったところで設計図(・・・)が頭にハッと思い浮かんだ。限られた短い時間で横転した馬車に閉じ込められた人間を助け出す方法は、これしか無い。

 

「騎士殿、我々に出来ることはありませんか!?」

「あるとも!人の背丈の倍ほどの丸太を3本、探してくるのだ!馬車よりも高くなくてはならない!大の男の拳ほど太くて頑丈な木だ!見つけたら馬車を囲うように立てて馬車の上で先端を交差させよ!」

「「「はいっ!」」」

 

 疑うことなくオレの頼みに淀みなく応じてくれる近衛兵たちに心のなかで感謝し、神剣の呪いのせいで口調がやけに尊大になっていることを謝罪する。忠犬のような彼らのおかげで間に合うかもしれない。いや、間に合わせるんだ。見も知らぬオレを信じてくれている彼らの信頼に、なんとしても応えるんだ。

 紙に包まれた人の頭ほどの円盤はどちらも新品で、油もしっかりと差してあった。御者の手際の良さに感謝しつつ、鎖を円盤に迅速に巻きつける。ある程度巻いたところでズッシリと重くなった円盤を小脇に抱えると、神剣のブレードをひしゃげゆく窓の隙間に突き刺し、テコの原理で持ち上げようとする。普通の剣であれば馬車の重さに耐えきれずあっという間に折れるだろうが、さすがミスリルだけあってビクともしない。問題は、支える人間のほうだ。

 さしもの女騎士の肉体にも、270貫(1トン)を優に超える馬車を一人で持ち上げるには荷が重い。それを察した副隊長がすぐに加勢に入り、さらに「みんな手伝え!」と掠れ声で号令を発する。その指示に、警戒に当たっていた力の強そうな騎士たちが一目散に駆け寄ってくる。

 

「剣を頼む!私は直接持ち上げる!」

 

 彼らに神剣のグリップを代わりに握ってもらい、自分は窓枠をガッと勢いよく掴む。

 

「ぬぅう……ぉおおおおおおお!!」

 

 原始の咆哮を肺腑の底から絞り出す。凄まじい重量を手のひらに感じる。実に自分の26倍もの重量物を抱え上げようというのだ。すぐに背中の筋肉が張り詰め、太ももがブルブルと震えだす。だが、まだだ。もう少し隙間をつくらなくては。ぬかるんだ地面に足がめり込んでいく。悲鳴を上げる肉体の声を頭脳で無視して痛みを押し切り、奥歯を砕かんばかりに噛み締めてさらに力を込める。

 

「おお、なんと!?」

 

 近衛兵の誰かが驚きに声を上げた。目の前でチカチカと閃光が散ったかと思った瞬間、わずかながら馬車が持ち上がったのだ。窓に手を突っ込めるだけの空間が出来る。そのタイミングを逃さず、円盤に回した鎖の一端を窓に突っ込む。

 

「少女、この鎖を掴むのだ!そして反対側の窓から出せ!少し重いが、出来るな!?」

「は、はいッ!」

 

 少女が鎖を引っ張るのと同時に馬車の反対側に回り込み、やはり小さくなった窓枠の隙間から顔を出した鎖の一端を受け取る。

 

「騎士殿!丸太を持ってきました!」

 

 同時に、最高のタイミングで3本の木柱が調達されてきた。長さ4尺(4.5メートル)ほどの丸太だ。息を切らせ汗みずくになりながらも、機転を利かせて太さも長さもほとんど同じものを選んできてくれた彼らの優秀さに涙が出るほど感謝する。なんて優秀なんだ。

 近衛兵たちは事前の指示どおりに3本の木柱を馬車を囲うように均等な間隔で地面に突き立て、テントの骨組みのように馬車の上で交差させてくれる。

 

「少し馬車に乗る!全員でしかと支えてくれ!」

「お任せを!」

 

 負傷していた者も力を振り絞り、近衛兵全員が馬車を取り囲む。彼らが懸命に馬車を支えてくれるあいだ、裏返った馬車の車軸の上を綱渡りのようにバランスをとりながら一目散に駆け上がる。サラマンドラの耐火ローブが火の燃焼を抑えてくれているが、それでもかなり熱い。分厚い布の下から溶岩のような熱気が沸き立ち、全身に汗が滲む。これを贈ってくれたリンに感謝しながら交差する丸太に到達すると鎖で先端をしっかりと固定し、そこから円盤を二つぶら下げて少女から受け取った鎖を巻きつける。

 『焦るな、だが急げ』。今は亡き親父の大きな手を肩に感じながら無我夢中で作業を進める。女騎士の細い指と巨獣(ベヒモス)のごとき馬鹿力は細かい工作に向いていて、新しい肉体に複雑な心境ながらも感謝する。

 

「よし!滑車が出来たぞ(・・・・・・・)!この鎖を私とともに牽くのだ!これでお前たちの姫を助ける!勇者たちよ、力を振り絞るのだ!今こそ先祖の霊に誉れを捧げる時ぞ!」

「「「応ッ!!」」」

 

 即席の動滑車(プーリー)が完成した!

 大の男が持ち上げられる重量はその体重の6割とされている。近衛兵12人の平均体重と女騎士(オレ)の馬鹿力を合しても180貫(680キロ)が関の山だ。だが動滑車を用いれば、その力は二倍になる。倍にすれば360貫(1360キロ)。理論上はなんとかなる計算だが、現実はそう甘くない。半壊した馬車は不安定だし、木材は雨水を吸って重さを増しているし、貨物を中にどれほど積んでいたのかも正確にはわからない。鎖だって、線径(ふとさ)は幼児の指ほどしかない。本来なら大人の小指ほどなければいけないのに。

 そしてなにより……オレも近衛兵たちも命懸けの戦いの直後で疲労困憊だ。傷を負っている者もいる。体力の備蓄はとうに尽き、洪水のような疲れに今にもその場に倒れ込みそうだ。手足は麻痺したように震え、病気に冒されたように肉体が熱く、気怠い。この肉体は疲れ知らずだと思っていたが、それでも人間であることに変わりはないらしい。だけど、やるしかない。

 馬車から颯爽と飛び降り、神剣の切っ先を勝利の御旗のように天に向かって突き上げる。

 

「タイミングを合わせよ!お前たち、それでもガメニアの男か、それでも誉れある武人か!声を張れ!家の誇りを思い出せ!父祖の期待を思い出せ!己の主君を助け出せ!!」

それ牽け(オー・イス)!!それ牽け(オー・イス)!!」

 

 声を荒げて近衛兵たちを挑発せんばかりに煽り立てる。勇者パーティーの一員として騎士や兵士と関わった経験から、彼らの激情に火をくべるには家の誇りと忠誠心を刺激することが一番だと知っていたからだ。

 彼らを鼓舞する傍ら、オレ自身も鎖を握り締めて地面に踵を突き立てる。

 

(お、重すぎる……!)

 

 しかし、馬車は太古からそびえる巨岩の如くうんともすんとも言わない。引きちぎれんばかりに張り詰めた鎖がギシギシと自らを苛む負荷に異議を叫ぶ。近衛兵たちが苦しげな呻き声を歯の間から漏らす。酷使される肉体が金切り声をあげて抵抗する。ピークを超えた肉体の感覚はすでに失われた。脳が限界だ休めと発する指令を意志の力でなんとか遮断し、肉体に激しく鞭を打つ。

 ぜえ、と喘ぐ声が遠くに感じる。女騎士の身体も決して万能では無かった。無敵ではなかった。手の感覚が薄れてきた。握力が弱まっていく。肺が燃えるように熱い。眼球が血走り、視界が霞み、思考が曇る。無力感が死神の指先のように背中から忍び寄ってくる。

 誰かを救うには、まだ足りないのか。オレはやっぱり、一人では誰を救うことも出来ないのか。もっと力が欲しい。もっと、強い、力、が───。

 

 

 

『クリス、アンタもうこのパーティーに必要ないわよ』

『足手まといはおとなしく田舎に帰っちまいな』

 

 

もはや自分が何をしているのかもあやふやになるなか、聞いたことのある、二度と聞きたくない声が甦る。

 

 

『僕もそう思う』

 

 

 途端、悔しさが烈火の如く燃え上がり、手放しそうになった意識を力づくで掴んで引き寄せた。薄れつつあった視界が急激に復活し、剣を握る手に力が戻る。

 もっと力が欲しい。アイツらを見返してやれるほどの力が。目の前で苦しんでいる人たちを助けられる力が。救いを求めている人に手を差し伸べられる力が、欲しい!

 

(おい、神剣。神の悪ふざけの産物め。見た目も口調も変えられた。もはやこれ以上の不条理なんてないだろう。なら、もう怖いものなんてない。だから、オレに、もっと力をよこせ!!)

 

 次の瞬間。心身に伸し掛かっていたあらゆる負荷が、消えた(・・・)。それだけではない。あらゆる疲労も苦痛も、まるで落ち葉を払ったかのように吹き散らされた。手足の怠さといった刻苦は最初から無かったかのように失せ、限界を訴えていた筋肉の強張りはほぐれ、燃えるように熱かった肺は冷える。残ったのは、十全以上の活力と余裕を満載した、極上のコンディションの肉体と精神だった。

 先ほどまでビクともしなかった馬車の重さが、重かった鎖が、嘘のように軽い。筋力に余裕(・・)を感じる。精神にも熱が満ち溢れ、瞳から輝きが迸っているような錯覚を覚える。なんでも出来る(・・・・・・・)という万能感に心が支配される。その感覚はオーラという不定形な形を伴ってオレの全身から発奮され、オレ自身のみならず周囲の者まで覆い尽くし、染み込んでいく。

 

「おおう!不思議だ、力が漲ってくるぞ!」

「いける!騎士殿となら、行けるぞ!」

「ああ、俺たちなら出来る!出来ないことなんてない!」

「姫様をお救いするのだ!!さあ索け!!」

 

 今にも消え入りそうだった兵士たちの掛け声にたちまち張りが戻る。自分一人に集中していた馬車の重みを兵士たちが引き受けて、鎖の重みはますます軽くなる。まるで兵士たちの体力と士気が一斉に底上げされたかのようだ。

 

(な、何が起きたんだ?この神剣は何をしたんだ!?)

 

 思考に混乱と疑問が差し挟まれそうになったのもわずか1秒未満の間で、馬車がぐんっと持ち上がる手応えとともにそれは消えた。バキバキと鎖によって木材が押しひしげられる音が鼓膜を叩いたと認識した刹那、オレは神剣を片手に馬車に向かって全速力で駆け出していた。一目散に目指すのは、吊り上げられた客車の扉。

 

「少女、下がれ!」

 

 客車の内側で機敏に反応する気配。耐荷重を超えた負荷によって鎖に亀裂が生じる気配。それらを同時に察した瞬間、脳みそがパチパチと光を発し、世界が再び鈍足になる。鎖が一つ二つと歪み、ひび割れ、芋づる式に自壊の前兆を繋げていく様子がやけにゆっくりと見える。兵士たちの戦慄のどよめきまでも引き伸ばされたように間延びして聴こえる。

 されど、オレだけはその鈍重(スロー)な世界のなかで旋風のように動けた。神剣を振り乱し、扉の(かんぬき)を両断すると怪力に任せて扉を客車からむしり取り、後ろ手に振り投げる。月明かりが客車に差し込み、内部の様子をクッキリと浮かし見せる。

 銀髪輝く美貌の少女が、覚悟と矜持を秘めた生硬い瞳でオレを見返していた。上等そうなフランネルのドレスに上流然とした雰囲気を纏った、年の頃10代前半の少女。彼女は、すでに両腕をいっぱいに伸ばし、オレの手を掴もうと、オレが手を伸ばす前から準備をしていた。この勇ましく聡明な少女は、わずかな時間の間にオレが扉をぶった斬って自分を救出することを推測していた。なにより、オレが必ず助けに来ることを信じていた。

 他人から向けられる絶大な信頼に胸が熱くなったのも束の間、分厚い樫の扉を失ったことで全体のバランスが崩壊した客車が車軸の重さに耐えきれず瓦解を始める。ついに鎖がバキリと呆気ない音を頭上で立てて破断する。少女がギクリと目を瞠る。しかし、その瞳に恐怖が忍び込む隙は無い。艶めく蜂蜜色の瞳は、ただ真っ直ぐに、女騎士(オレ)だけを映していた。

 

 

 

「……無事だな、少女よ」

「……は、はい……」

 

 いつの間にか止まっていた呼吸を再開し、オレは深い息を吐き出しながら胸のうちに抱いた少女に確認した。呆然と立ち尽くす少女の背後で、雷鳴のような音を響かせながら重厚だった馬車が見るも無残に崩壊する。崩れ落ちる直前、すんでのところでオレは少女の手を握り、猛然と飛び退ったのだ。

 少女が肩越しに馬車を振り返り、「シリル」と悲しそうに呟く。先ほど、一瞬だけだが、少女とは別に床に突っ伏して動かない人影が見えた。女騎士のすこぶる優れた眼力は、その人影に生命がすでに無いことをオレに伝えてきた。きっと、少女にとって大事な人だったのだろう。救ってやれなかったことの後悔がチクリと胸を刺す。

 崩壊の風圧で馬車に被せていたローブが舞い上がった。すかさずそれを片手で掴み取ると、ザッと一振りで埃を払い落として背に羽織る。損傷はこれっぽっちも無さそうだ。サラマンドラの油が染み込んだ油布(オイルスキン)はこの程度の炎でダメージを負ったりはしない。リンの贈り物にあらためて感謝して思わず微笑みを浮かべる。

 

「女騎士様」

「……む?」

 

 そういえば自分は女騎士だったな、と一拍遅れて振り返って───片膝をついてひれ伏す兵士たちの姿にギョッとして後ずさった。見れば、オレのすぐ目の前で高貴そうな少女までもが両膝をついて(こうべ)を垂れている。この姿勢(ポーズ)については学んだことがある。目上の者に対して最大限の敬意を示す、いわば『服従のポーズ』である。

 瞠目して何も言えないオレを見上げる少女の目が、キラキラと羨望と信頼の光を放射する。

 

「女騎士様、貴方様のその超人的な業前(わざまえ)、多岐に渡る知識と技術、それらを正しく使わんとする気高い規範、勇気、仁愛に、(わたくし)めは心から感服致しました」

「姫様の仰る通りにございます!不肖、この中隊特別従士小隊副隊長グレイ・アルバーツもまた、貴方様のような御仁に出会えましたこと真に感に堪えませぬ!」

「如何にも!貴方様からは常人とは比べ物にはならない威光と貫禄を覚えずにはいられませぬ!」

 

 いや、少女だけではない。片膝と片拳をついて手本のような最敬礼を保持する近衛兵たちまでもが、敬虔な信徒が神像を見上げるような目をオレに向けてキラキラを発散させている。キラキラがあんまりにも凄すぎて目が眩みそうだ。もはや敬意を通り越して崇拝のレベルに達している。オレに後光が差していると言わんばかりの敬慕の視線に、我知らず頬がピクリと引き攣る。こんな状況を今まで経験したことがあるわけもなく、混乱にさらに拍車がかかる。クラス『村人』のオレにあからさまに高い地位の人々が(かしず)くなんて、想像もしたことがない。こんな、まるでオレがカリスマでも授かった(・・・・・・・・・・)ような───。

 

「女騎士様!どうか、私たちをお導き下さい!!」

 

……神剣───!!!




日本の「オーエス!オーエス!」という掛け声のルーツは、フランス語の「オー・イス(さあ、索け)」なんだそうですよ、奥さん。

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