ブラックホール(完結)   作:At.f

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ストロボ・ガール・シンプトム

 ――一体いつから、私にこんな能力が備わっていたのだろうか?

 

 親友を交通事故で亡くしたあの日から、随分長い間写真を撮らなかったので、分からない。今、手元にある卒業アルバムが、私の写る久々の写真だった。

 事の経緯はこうだった。卒業式の後、高校生活で大して仲の良い友達もできなかった私は、居心地の悪い教室から早々に出て、帰宅した。

 ただいまの一言も適当に、自室に引き篭ると、教室では終ぞ捲ることのなかったアルバムを開いた。自分がどんな顔をしているかぐらい、見ておきたかった。クラスのページを開き、その最初に載っていた集合写真に人差し指で触れつつ、自分がどこにいるかを探す。その途中で、睫毛が目に入ってしまい、思わず瞬きをした。驚いたのはそれからだった。

 次に目を開いた時には、私はつい先程までいた高校の、その広々とした校庭に立っていた。自分の身体を見やると、これまた先程まで着ていた制服が身に張り付いていた。

 クラスメートだった女子の一人に肩をぽん、と叩かれ、顔を覗き込まれる。何が起こったのか理解できなかった私は、その顔をまじまじと見つめ返してしまった。

 「なにボーッと立ってるの?写真撮影、始まっちゃうよー?」

 「え、あ、うん……」

 果たして、彼女の目に私はどう映ったのだろうか。自分ではかなり呆けた顔をしていたと思う。過去の焼き増しのような映像を見せられれば、誰だって動揺するに決まっているけれど。

 見れば、校庭には椅子と台が用意され、写真撮影が今にも始まりそうなところだった。強力なデジャヴのように、それでも確かに数ヶ月前の高校に、私は立っているのだ。

 色々考えた結果、私の脳は現状を処理することをやめた。これは夢なのだと勝手に理由を付けて、そこから覚めるために頬をぐいっと抓ることにした。不思議と意識は、ハッキリしていたから。

 心の奥底では分かっていたことだったが、勿論これは夢ではなく、頬を抓ればそれ相応の痛みが私の顔を駆け抜けた。そして、それと同時に視界が暗転し、気が付くと私は自分の部屋へと戻っていた。身体を確認する。着ているのは制服ではなく、部屋着のスウェットだ。

 夢じゃない。はっきりとそう確信した。高校から意識が離れたことによって、私の心はだんだんと冷静さを取り戻していく。

 自分の行動を、もう一度振り返ってみよう。そうして、それをトレースするように、繰り返すのだ。写真に人差し指を当て、瞬きをした。

 景色が変わった。私はまた、あの高校へと逆戻りしていた。今度はさっきまで見ていた台の上だ。周りより比較的背の高かった私は、一番後ろの列で写真を撮られていた。これを確認すると、私は頬を抓って自室へと帰還した。

 信じられないことが起こっている。これは、もしかして、タイムスリップというものではないのか。そんな能力がいつの間にか備わっていたなんて。これは他の写真でも試してみる価値はある。そう思った私は、一度部屋を出て、一階にある埋め込み型の備え付けの本棚から、小さい頃のアルバムを引っ張ってきた。試しに、小学四年生の宿泊体験学習の時の写真を触ってみる。瞬きをすれば、泊まった宿舎のロビーに座っていた。近くにあった窓の反射で、自分の姿を確認する。子供の時のままだった。つまり今私がしているのは、単純なタイムスリップではなくて、その時間の私になるということだろう。先生から何かを呼びかけられたところで、私は今へと戻ってきた。

 どうしたものか、と部屋のベッドに寝転がる。別の写真でも効果が出ているということは、やっぱり夢ではないんだ、ということを実感した。神様からの贈り物なのか分からないが、今間違いなく時間跳躍の能力を手にしていることは、紛れもない事実なのだ。

 「んー、どう使えばいいのかなあ……」

 人というものは、自分の手にあまるものを与えられると、それを使いこなすことが出来ない気がする。ちょうど、走るのが遅い人に与えられた、足が速くなるスニーカーみたいに。走り方が分かっていないのに、そんな靴を与えられても、豚に真珠、猫に小判だ。いきなり時間跳躍なんて使えるようになっても、有用な使い方が分からなかった。

 散々考えた挙げ句、他の写真でこの能力にどのようなルールがあるのかを試してみることにした。小さい頃のアルバム、全十編が私の横に積み上がる。いきなり過去に飛ばされるので、走っているシーンや泣いているシーンはダメだ。前者は転びかねないし、後者はいきなり泣き止む不気味な子になってしまう。それは力を試す前から、さっきの高校の一件で分かった。恐らく、あの時の私も台に向かって歩いていたのに、突然止まったものだから、女子に声をかけられたのだろう。

 笑顔の写真や記念撮影、学校関連だけだと近場が多いので、家族で行ったイタリア旅行。そういう写真を十枚ほどピックアップして、片っ端からこの力を使ってみることにした。

 結果として分かったことは、

 ・能力発動のトリガーは、自分が写っている写真に人差し指を当て、瞬きをすること。風景の写真には一切反応しなかった。

 ・写真を撮った前後の時間へとワープする。毎回決まった時間ではなく、撮る前に飛ぶこともあれば、撮った後に飛ぶこともある。

 ・一般的な身体ごと移動するタイムスリップではなく(ネコ型ロボットの例が分かりやすいか)、自分の精神だけ憑依するような形らしい。現在に戻ってくると、しっかりと時間が経過しているし、何より過去の私は過去の私のままだ。

 ・過去に飛べる時間の限界は十分間。それ以上過去にいると、強制的に意識が戻される。

 ・場所、距離についての縛りは恐らくだが、全くない。私はしっかりとイタリアまで飛ぶことができた。

 ・現在に戻る唯一の手段は、頬を抓ること。叩いてみたり、他の場所を抓ってみたりしたが、なんの効果もなかった。頬なら右でも左でもいい。

 ……こんなところだ。それ以外は特に制約がなかった。過去では自分の内面が変わっているだけなので、自由に動ける。小学生の時と今ではこんなに視界が変わるのか、と新発見もあった。そうして私の考えも、最初に感じた戸惑いから、この能力をもっと使ってみたいという、一種の好奇心へと変わっていった。

 楽しい思い出を、辿っていこう。これがこの能力の有用な使い方に違いない。春休みに気付けたのは幸運だった。今、私を遮る者は一切いないのだ。

 「よし、まずはアレから試そうかな」

 小学五年生頃に行った、花畑が綺麗だった公園。今は閉園になってしまったから、もう一度あの景色を見たかった。何枚か私の写っているものを取り出す。指でなぞって時間を越えれば、綺麗なパンジーの花畑が一面に広がっていた。

 本当に、夢みたいな能力だ。景色だけじゃない。空気だって、匂いだって、あの時のままだ。全て、その瞬間が保存されていた。

 まだまだ試せるものがある。小学校入学の春に行ったお花見。二年生の海水浴。四年生の温泉旅行。どれもこれも、懐かしいものばかり。そうして、写真の中の世界に魅了された私は、二日を掛けてこの能力にのめり込んでいった。

 

 そうして、中学生のページまで進んだところで、指を止めた。入学したその日の私の隣に写っていたのは、陽郁――こう書いて、ひふみと読む――唯一無二の親友だ。否、だった。彼女は中学二年生の時、交通事故で命を落としたのだ。とても快活な子で、私は色々と振り回されたのを今でも覚えている。彼女と一緒だった陸上部で、トレーニングこそ厳しいものだったが、充実した日々を送っていた。

 それなのに、別れは突然だった。事故の日は雨で、練習のなくなった私達は、近所のゲームセンターへと来ていた。陽郁が帰らなきゃいけない時間だから、と午後四時半を過ぎた辺りで帰って行ったのを覚えている。また明日ね、が最後の会話だった。私は彼女と家が逆方向だった上に、更に少し一人で遊んでいたので事故に気付くわけもなく。私がその事実を知ることになったのは、食後に見た陸上部のグループLINEの、部長のぶっきらぼうな文面だった。今思えば、彼女も心の余裕がなかったのだろう。

 『久後さんがバスに轢かれた。葉月先生と一緒に病院に行ってくる』

 皆、その文面は見ているはずなのに、グループには30人以上もいるのに、誰一人として返信をしなかった。私も、返す言葉がなかった。何か文字を打とうとしても、親指が震えるだけ。すぐ母に伝えて近くの病院へと向かったが、部員がどれだけ駆けつけても、陽郁の目が覚めることはなかった。

 ムードメーカーを亡くした陸上部は、誰が見ても明白なぐらいに記録が伸び悩んだ。部員が何人も辞めていった。たった一人の人がいなくなるだけで、残酷なぐらいに周囲が変わる。親友がいない世界が、こんなに色褪せたように感じるなんて。何に対してもやる気が起きなくなって、そうして、私も部活をやめた。退部届けを出した時、顧問の葉月先生は、そう、あなたもやめてしまうのね、と少し寂しそうに言ったが、私が陸上のユニフォームを着ることは、もう一生ないのだ。

 そういう経緯もあり、高校受験までその気分を引きずった私は、目標にしていた学校には受からず、しかも入った第三希望の高校では大した友人も作ることができなかった。当たり前だ。陽郁以上に、私に気が合う人がいてたまるか。彼女がいないのに、自分だけ楽しい思いをすることへの罪悪感もあった。何度も何度も悔やんだ。あの日、私が誘いを断っていれば。もしくは、彼女の家で遊んでいれば。いくらでも事故を回避する方法は思いついた。しかし、後悔はいつも先に立ってくれないのだ。どうしようもなく、無力だった。

 そこまで考えて、私は指を離した。陽郁のいる写真には、飛べない。会ったらきっと号泣してしまうだろう。何度も謝ってしまうだろう。だから私は、そのページでアルバムを一旦閉じた。

 

 時間も午後七時になり、墨汁を水で薄めたような闇が、私の部屋に漂っていた。階下から、夕飯のいい匂いが届いてくる。時間旅行を繰り返すあまり、現在の時間の感覚が薄れていた。昨日は母親に叩き起こされてしまったから、どうやら過去に飛んでいる間は、ここにいる私の意識は失われるらしい。こういうところにも気を配って運用しなければいけないかもしれない。ぼんやりと考えながら、階段を降りる。体調も写真の中の私の状態に依存するので、今の自分が空腹なのか、はたまた満腹なのかもよく分からなくなっていた。使い過ぎも、きっとよくないのだろう。食卓に繋がる扉を開ける。夕飯は焼き鮭だった。こちらに気付いた母が、私に向かって声をかけてきた。

 「今日は起きていたのね、春休みだからって、あんまりだらけちゃダメだから。大学の用意も、しっかりするのよ?」

 「はーい……分かってるから。昨日は、疲れてただけだってば」

 「分かってるのなら、いいの。さ、出来てるから席についてなさい」

 促されて、椅子に座る。父は夜遅くまで働いている事が多く、大抵この時間は母と私しか家にいなかった。

 「いただきまーす」

 「いただきます」

 鮭をつつく。食べている時はあまり話さない。おまけに、能力に気付いてからは少しでも長く写真のそばにいたかったので、食べるスピードも速くなってしまっていた。焦るあまり、鮭の身を飛ばしてしまった。咄嗟に、頬を抓ってしまう。飛んだ過去で失敗しそうになった時に、すぐ抓る癖が付いてしまっていた。そうすれば、現実に帰ってこれる。後は過去の私がなんとかしてくれるだろう。

 「あ、澪奈ちゃんがほっぺ抓ったの、久々に見た」

 「いい加減ちゃん付けはやめて……って、今、なんて言ったの、お母さん?」

 「え?ほっぺを抓ったの、久々に見たな、って言ったのよ」

 ……何?久々に見た、だって?私は幼い頃、そんなことをした覚えは一切無い。

 「ほんと、昔はすぐにぐいっと伸ばしちゃう子だったのよねー。私が肌が傷むからやめなさいって言っても、首を傾げてそんなことしてないよ、って……なんだったのかしらね。中学生ぐらいからやめてたと思うけれど」

 母が何かを言っているが、私の頭には入ってこなかった。とりあえず一人になって考えたい。夕飯は半分以上残っているが、もう仕方がない。

 「ご、ごめんお母さん。ちょっと私、具合悪い……」

 「えっ、ちょっと。どうしたの、澪奈ちゃん」

 席をゆっくりと立った。震える足で、階段を上がる。母は幼い頃に私が頬を抓る癖があると言っていた。そんなことがあるわけがない。私のことだ、そんな癖があったらまず私が気付いている。自室に引き篭もって、扉に寄りかかる。

 母がほっぺたを抓るのをやめなさい、と言っても、そこにいるのは今の私ではなく、その当時の、昔の私だ。何のことか分からなくても、当然である。

 つまり、ここから分かるのは。私はアルバムを急いで捲り始める。誕生日に撮った写真を取り出した。数少ない家の中の、それも食卓の写真だ。躊躇いもせず、過去へと飛ぶ。コップを取るふりをして、そのまま落として割った。すぐさま現実に戻り、一階にもう一度降りる。食器棚を確認すれば、グラスが一つ減っていた。そうして、仮説は確信に変わる。

 この能力は、過去を塗り替えることも出来る。どうして分からなかったのか。私の飛んだ時間は全部家の外で、何かが変わっている事は調べようがなかったからか。きっと母の一言が無ければ、気付かないままだっただろう。

 自室の本棚から、小さなアルバムを引っ張り出した。二度と開かないと思っていた、陽郁との写真が収められたものだ。彼女は写真を撮るのが好きで、自分のカメラも持っていた。わざわざ印刷して、私のところまで持ってきてくれていたのだ。ツーショットの写真たちを捲っていく。事故の日に撮った写真は――無かった。景品が一つも取れなかったからというのもあるし、よく考えたら陽郁は帰り道で事故に遭った。もし撮っていたとしても、写真が渡せないのは当然だった。それならどうする。その数日前に撮った写真を使って、忠告する?変なことを言い出したと言われておしまいかもしれない。なにより、十分間しかいられないのだ。気持ちを整理して、この事実を伝えることができるかどうかも不安だった。どうすればいい。どうすれば、陽郁を事故から救えるのだろう。一旦アルバムをしまおうとして立ち上がった、その時だった。

 

 はらり、ひらり。私の足元に、一枚の紙が落ちた。

 

 いや、違う、紙じゃない。思い出した。あの日に撮った写真が、あったのだ。私が拾い上げたのは、ゲームセンター内にあるプリクラで撮った写真だった。あたし達にこういうの、あんまり合わないね、と言って笑っていた陽郁の顔が浮かぶ。そして、撮ったすぐ後に彼女は帰っていったのだ。この写真なら、希望があるかもしれない。前の日に何か言うよりはマシだ。写真を撮る前なら少し時間を稼いでバスが通過するのを待てばいい。撮った後なら引き止めればいい。

 これなら、陽郁が事故に遭って、死ぬ過去を変えられる。私があの子を救える、唯一の希望だ。部屋に鍵をかけ、母が入って来れないようにする。床に写真を置き、息を長く吸って吐いた。やるしかない。人差し指の震えをこらえて、写った自分の顔の上に置く。そうして、シャッターを切るように、瞬きをした。

 

 

 魂が時間を越えた。あの日へと、私は戻った。

 すぐさま左腕に付けた腕時計を確認する。午後四時三十六分。よかった、まだ事故の時間にはなっていない。しかし、既に陽郁は私の近くにいなかった。ここはゲームセンターの二階だが、もう階段を降りて外に出ていてもおかしくはない。こういう時に限って、撮った後に飛ばされるなんて。そばにいたら、少し引き止めるだけでよかったのに。かつての私はUFOキャッチャーを一回やって帰ったはずだけれど、今はそんなことをしている場合ではなかった。

 手に持っていた財布をポケットへと無理やり押し込み、階段を駆け下りていく。この当時陸上部だった私の足だ、速さには自信があった。そしてそのまま、自動ドアをくぐる。ここに来ても、やはり陽郁はいない。

 「まだ、まだ間に合うはず……!」

 外は強い雨になってきていた。事故現場までは、恐らく五分程度で着く。傘は差さずに、私の家とは逆方向へと走り始める。

 顔に冷たい雨が容赦なく何度も打ち付けた。服が濡れて重くなる。湿気のせいか、息が苦しい。それでも、助けたいという、その一心で走り続けた。

 懐かしい風景が、横に流れる。二人でイヤホンを買った電器屋。通っていた中学校。この天候のせいで、学校に明かりは点いているものの、グラウンドには人っ子ひとりいなかった。水しぶきを飛ばしながら、グラウンドを過ぎたところで右に曲がる。まだ姿が見えない。陽郁の家は門限が厳しかったことを思い出す。彼女も走っていったのか。歩いていたらとっくに追いついているはずだ。

 「……いた!」

 見つけた。確かに小走りをしている、後ろ姿を捉えた。どれだけ時が経っても、忘れるわけがない。いつも一緒にいてくれた。この日も、雨だからゲームセンターに行こうと声を掛けてくれた。助けてもらっていた。これからどんな思い出を重ねようと、陽郁と過ごした時が一番楽しかったに決まっている。

 だから、今度は私が彼女を助ける番だ。運命なんて、打ち破ってみせる。

 信号待ちの陽郁へと、私は距離を詰めていく。事故の時間は刻一刻と迫る。一分を切った。もっと余裕を持って追い付きたかったのに、これは大きな誤算だった。いくら傘を差さずに走っても、身体が冷え始めればトップスピードを維持することはできない。足場の悪さも重なって、到着がギリギリになってしまう。声を掛けるのもダメだ。雨が降っている上に、陽郁が一人の時は、常にイヤホンで音楽を聴いているのを私は知っていた。ここからでは、私の声は届かない。

 

 ――信号が、青になった。

 

 こうなったらもう、形振りは構っていられない。視線を左に向けると、明らかに速度の上がったバスが目に入った。警察の話では、運転手は乗客を降ろした後、回送バスを走らせていた最中に、急性心不全で亡くなったということだった。アクセルに、足を置いたまま。周りの車も慌てて避けるものの、バスを止めることは不可能。陽郁は横断歩道を渡っているのに、イヤホンで身のすぐ近くに迫った危険に気がついていない。ここまで来たら、取れる手段は一つしかなかった。

 「陽郁ぃぃぃぃぃッ!」

 ついに腕時計の針は、事故の時間の四時四十四分を差した。

 そしてそれと同時に、私は勢いよく陽郁の身体を突き飛ばした。彼女の差していた青い傘が舞い上がる。片方だけ外れてしまったイヤホンのコードが、宙を切る。なんでここにいるのと言いたげな、その驚いた顔が映る。その全てが、スローモーションに見えた。その身体が歩道までよろめいて、尻餅をついたのを確認する。それから私もバスを避けようとした。そうして、目的を達成したあとで、ようやく気付いた。

 雨の中走り続けた身体が、もう無理だと悲鳴を上げていたことを。

 迫っているバスの速度が、想像以上に速かったということを。

 運命の次の餌食になるのは、恐らくは私だということを。

 嫌々ながらに、その事実を理解してしまったのだ。

 足取りがもつれ、バスの暴走を避けきれなかった私の身体を襲ったのは、強い衝撃だった。全身を激しく叩かれ、身体がちぎれ飛んでしまうのではないかというぐらいの。私の視界が、ぐるんと、回る。何かを噛みきったのか、口の中に鉄の味が広がる。痛いの一言を上げる間もなく、冷たい地面に叩きつけられた。

 こんな痛み、どうでもいい。轢かれようが、追突されようが、私は頬を抓るだけで、現実へと戻れるのだ。陽郁のいる今日へと帰れるのだ。もし通っていた高校が違ったとしてもいい。二人でまた、写真を撮りたかった。けれど、もう腕に力を入れることすら出来なかった。

 「澪奈……どうして……」

 視界が霞んできたところで、泣き崩れる彼女の声が聞こえた。そう言えば、聴覚は死ぬ時に一番最後に残る感覚なんだっけ。こんな時まで、現実逃避をしてしまう。陽郁に何かを伝えようとして、声を出そうとしたが、血を吐くことしかできなかった。

 ただ、二人で幸せになりたかっただけなのに。

 どうして、こうなってしまったんだろう。

 

 停まった乗用車のハザードランプが、まるでフラッシュライトを焚かれているみたいだな、なんて。そんな、最期までどうでもいいことを思いながら、私の意識は闇に溶けていった。

 

 

 ■ ■

 

 ――あたしがこんな力を使えるようになったのは、いつからだったんだろう。

 澪奈が私を庇って、病院のベッドでずっと眠ったままになったあの日から、長い間カメラを使わなかったもんだから分からない。手元にある卒業アルバムが、あたしの写っている久々の写真だった。

 とりあえず分かっているのは、人差し指で触れて瞬きをすると、時間が越えられること。つまりはタイムスリップの能力だ。

 あたしは澪奈が庇ってくれなかったら、間違いなくあそこで死んでいた。あの子を寝たきりにさせてしまったことを、今でも後悔している。だから、詳しい使い方が分かったら、過去を変えられるかどうか、試してみようと思う。

 

 きっとこれは、あたしがカミサマから与えられた、チャンスだから。

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