ブラックホール(完結) 作:At.f
「魔法学では四大元素を過剰に使うと、惑星にある生命の循環を滞らせるという結論が出ています。そのため風元素を多用する人体浮上の魔法では、一般的な飛行運用は不可能です。しかし──」
原稿を捲る左手の震えを、無理やり抑えつける。気を張ってないと、黒板に書く文字がミミズみたいになってしまいそうだ。壇上の俺に向けられる鋭い視線がよく分かって、変な汗が流れた。
ここは魔法学会。全国の魔法使いが一堂に会し、各々の研究を発表する場だ。俺の研究テーマは『飛行』。絵本に描かれた、箒で空を飛ぶ魔法は未だに開発されていない。そもそも、魔法が発見されたのがつい二百年前の話だ。火水風土からなる四大精霊の存在が確認され、人々はその力――すなわち四大元素を借りることによって、魔法を使用できるようになった。
それでも単独飛行の技術は遠い未来の話だと言われ、空輸は飼い慣らされた竜を使って行われていた。しかし彼らも生き物なので、運用は体調に左右される。更に他の動物との衝突を避けるため、上空を飛ばなければならない。竜便は短所が多い移動手段だ。
だが、人が単身で飛ぶのなら小回りは効くし、低空飛行で済む。竜便の短所を補える、まさしく夢の移動手段というわけだ。
「って、そんなことは分かってんだよな」
俺は立派な王城を後にして、分厚い本と原稿が入った鞄を背負い階段を降りた。俺の右手に握られた箒には、風元素を吸収しやすい素材が編み込まれている。しかし、これ一本では人を浮かせることができない。風元素の使用量を多くしても、結局それは人を風で浮かせているのと同じだ。
「歩くみたいに、もっと気軽に空を飛べるようになんねえかな」
俺はどんよりとした曇り空を見上げた。両親が買ってくれた絵本の主人公が、箒に乗って空を飛んでいたのを思い出す。父が飛行魔法の研究をしていたのもあり、俺も幼いながらに『夢は魔法で空を飛ぶこと』と大きな目標を掲げていた。同級生は皆簡単な研究で去っていったが、俺は夢を諦めていない。
「なあ、あいつ見ろよ」
「うわ、まだ研究続けてるんだ。飽きないねえ」
一向に成果の出ない研究をしている俺は、街の魔法使いからかなり白い目で見られている。普段は家に籠っているからいいものの、いざ外に出るとこうだ。やけに目立つ赤髪も嘲笑の対象になっている気がする。嫌な視線をローブのフードを深く被ることで避け、大通りを曲がって暗い路地へ入った。俺の家はこの先にある、少し大きめの一軒家だ。
「あァ?」
腑抜けた声を上げたと自分でも思った。自宅の前に置いてある樽に、何故か少女が腰掛けている。声に反応して振り向いた彼女と目が合い、その整った顔立ちに目を奪われた。目映く美しい金髪に、透き通った翡翠色の瞳。薄汚れたワンピースを着ており、身体のところどころに痣や擦り傷があるのが分かった。
「ひっ……」
彼女が俺を見て怯えたような表情を浮かべるので、被っていたフードを脱いだ。
「安心しろ、ここが俺の家ってだけだ。お前、こんなところで何してるんだ?」
「……あの、緑色の髪をした、背の高い人を見かけませんでしたか?」
少女は俺の問いには答えず、質問を投げ返してきた。人捜しにしては汚れ過ぎている気がするが、素直に答える。
「いや、見てねえな。もしかしたら見逃してるかもだが」
「そうですか、よかった……」
俺の返答に安堵したのか、少女は座っていた樽からふらりと体重を崩した。咄嗟のところで駆け寄って身体を支えたが、気を失ってしまっている。
「おい! チッ、ボロボロじゃねえか」
助けを呼ぶにも周りに人はいない。しかしこのまま家の前に放っておくのも気が引ける。
「クソっ、仕方ねえな」
俺は少女を背負い、自宅の扉を開けた。ホコリと書物の凝縮された匂いが鼻を抜けていく。ベッドに積まれた本を床に置き、少女を布団の上にそっと寝かせた。改めてよく見れば顔色もよくない上、傷はまるで誰かに虐げられていたかのようなものだった。
「栄養も足りてないが、最優先は治癒魔法か」
水と土元素の力を使い、少女の傷を癒していく。治療箇所が多いほど使用者の負担も大きくなる魔法だが、俺にとっては朝飯前だ。傷が癒える度に少女の肌が陶器のような白さを帯びて、その美しさに目を見張った。
「んっ……?」
少女がゆっくりと瞼を開いて意識を取り戻す頃には、傷はすっかり消えていた。俺はそれを見て、緩やかに魔法を止める。精霊と繋いでいた手を離すようなイメージだ。
「よう、お目覚めか」
声のする方を向き、俺とばっちり視線を合わせた彼女は、勢いよく起き上がるや否や、驚いて目を白黒させた。
「えっ、あ、さっきのお兄さん! あの、ここって……」
「俺の家。いきなり倒れたんだよ、お前は」
「ああ……そうでしたか。失礼しました、安心しちゃって」
少女は控えめな笑みを浮かべると、俺にぺこりと頭を下げた。そこで身体の変化に気が付いたのか、もう一度俺に驚いた顔を向ける。忙しいやつだ。
「私の傷、治してくれたんですか?」
「痛々しくて見てられなかっただけだ、勘違いすんな」
「いえ、でも、人にとって治癒魔法って」
「あー、うっせぇ。素直にお礼言ってりゃいいんだよ。ちびっ子が歳上に気ィ遣ってんじゃねえ」
少女は自分の失言に気が付いたのか、はっと口を押さえた。それからもう一度頭を下げる。
「ありがとうございます、お兄さん。この御恩、絶対に忘れません!」
目をキラキラと輝かせる少女に、お兄さんと呼ばれた俺は名乗ってないことに気が付いた。もちろん彼女の名前も知らない。
「俺の名前はロアだ、お兄さんは擽ったいからやめてくれ。お前の名前は?」
「わ、私の名前ですか……メティと言います」
緊張しているのか、少し堅苦しげな少女――メティはそう名乗った。それから落ち着かない様子で俺の部屋をきょろきょろと見回すと、ベッドの側に積まれていた本を手に取った。
「ロアさんは、飛行魔法に興味があるんですか?」
「ま、そうだが……てか、研究分野だ」
彼女が開いたのは、飛行魔法の歴史について記されている書物だ。隣の国から取り寄せたために言語が違い、読むには勉強が必要だったのを覚えている。
「飛行魔法の研究! それなら、相当凄腕の魔法使いなんですね」
メティは花が咲いたような満面の笑みを浮かべる。尊敬の眼差しを向けられたが、自国語を操りつつ、他国語をさらりと読むこいつの方が凄いと思った。俺は首を横に振る。
「いや、研究は順調ってわけじゃねえ。風元素で人体を押し上げるには使用量が多過ぎるし、道具で補助してもそれほど変わらん」
そうだ、まだ尊敬されるようなことは一つも成し遂げていない。優秀な魔法使いだと言われることもあるが、魔法学会の重鎮には研究漬けの老人もいる。俺ではとても敵わない。
「ロアさんは謙虚なんですね。人は地に縛り付けられているようなものなのに、空を飛ぼうってするだけでも、私は凄いと思います」
「何事も成し遂げなきゃ意味がねえんだよ、それだけだ。つーかお前、なんだそれ。地に縛り付けられているのなんのって」
確かに空は飛べないし、水の中でずっと暮らせるわけでもないが、言い方が妙に引っかかる。地面に縛られている、か。俺が考えこもうとすると、メティは慌ててそれを遮った。
「いえその、大したことじゃないんです! でもこう、新しいアイデアでもないと、人間が飛ぶのは難しいのかなぁと」
メティの言うことは一理ある。風元素にこだわりすぎるのもよくない。そうとなれば早いところ研究に取り掛かりたいが、今は目先の問題を片付けることにしよう。
「ありがとな、心の片隅に留めておく。それより先にお前のことだ。どうしてあんなにボロボロで人を捜してたんだ?」
俺がそう問うと、メティは視線を逸らす。彼女が次に放った言葉は俺の度肝を抜いた。
「え、えっと。言いづらいのですが、実は逃げてきた身で」
「逃げてきただと? それなら、さっき言ってた緑色の髪の奴っていうのは」
「追っ手です。今もきっと、私のことを捜しているはずです」
俺の言葉を引き継いでそう言うと、メティは弱々しく笑う。先程の笑みとは一転、暗く諦めの色すら見える表情だ。
「俺、もしかして首突っ込んじまったか」
口から出たのは、そんな一言だった。違う、他に言うべきことがある。彼女を王都から出すことができれば、彼女は幸せになれるかもしれない。少なくとも逃げてきたという時点で、放っておいていい事柄ではないのは確かだ。
「ご、ごめんなさい。これ以上、迷惑かける前に出ますね。治療、ありがとうございました。研究頑張ってくださいね、応援してます」
俺はハッと顔を上げる。考えごとをしていて、メティが扉の前まで移動していたのに気が付かなかった。俺は外に出ようとする彼女の左腕を掴んで、慌てて引き止めた。痩せ細って骨ばったその腕の感触で、更に止めなければという気持ちが強くなる。
「待てよ、まだ追ってきている奴が外にいるんだろ? 今出たって、すぐ捕まるのがオチだ」
「でも、本当にロアさんに迷惑が……」
「そういうのはいいっつってんだろ! なんだってそんなに怯えてんだよ。重要なのは、お前が逃げたいかどうかだ。違うか?」
俺は顔を近付け、メティの顔をじっと見つめた。彼女は頬を少し赤く染めて、目を逸らす。しかし、次の一言はハッキリと言葉にした。
「逃げたい、です」
「……分かった。なら俺は協力する」
「でも」
「どうせ乗りかかった船なんだよ。ここで捨てても後味悪いだろうが」
暫くの沈黙の後、メティは納得したようで小さく頷いた。
「分かりました、よろしくお願いします」
「じゃあとりあえず休め、明日の早朝に出発する。王都の外まで出たら、馬車でも捕まえて、隣町まで送ってやるよ。知り合いがいるから、そいつから職でも勧めてもらえ」
ここに置くのも考えたが、追っ手がどこにいるか分からない以上、メティの生活は軟禁に近くなってしまう。それは彼女にとってよくない。
「あの、どうしてそこまでしてくださるんですか? 私はついさっき会ったばかりの他人なのに」
俺は遠慮するメティを無理矢理ベッドに押し込む。布団の上で横になって、彼女は俺にそんな質問をぶつけてきた。
「放っておけないっていうのもあるが……お前に心から笑って欲しいって思ったんだよ。苦しい表情は似合わねえ、美人だし」
そうだ。せっかくあれだけ花が満開になるような笑顔ができるのだ。メティは俺の返答で、更に顔を赤く染めた。
家の扉が唐突に叩かれたのは、仮眠から覚めた後、メティのための荷造りを終えた時だった。魔法学会の連中だとしても、こんな日が出る前に尋ねてくるのは珍しい。嫌な胸騒ぎがして、俺は忍び足でドアに近づき、覗き穴から外をそっと覗いた。
「……ッ!」
一気に鳥肌が立った。向こうからこちら側は見えていないのに、ドアを見つめる長身の男と視線が合った気がする。射抜くような冷たい目と緑色の髪。メティの言っていた男に間違いない。そう思ったのは、男の格好が――。
「起きろ、出発の時間だ。急ぐぞ」
俺はベッドで穏やかに眠るメティの耳元で囁いた。頭の中で点と点が繋がりあって、これまでの成り行きに線が引かれる。しかし相手が誰であろうとも、これからやることは一緒だ。
「へ……もう、朝ですか……?」
「違うが、荷造りが終わった。お前も休めたみたいだし、早いとこ出た方がいい」
メティをパニックにしないように、追っ手が扉の前にいることは伏せることにした。幸い家には裏口がある。彼女の髪色は目立つので、俺と同じようにローブを着せて、フードを被らせた。
「わ、分かりました。それなら、お願いします」
「っと、なるべく静かにな。近所迷惑になる」
俺が人差し指を唇の前で立てると、メティは小さく頷いた。俺は箒を手に取り、裏口の方が王都の出口に近いから、と適当な理由をでっち上げてそちら側に誘導した。
裏口の戸をそっと開け、追っ手がいないことを確認する。外は生暖かい風が吹いていて、嫌な気分を増幅させるようだった。
「よし、こっちだ」
メティの手を引き、裏口から通りに伸びる細い階段を降りていく。夜明け前の街に、二人の足音だけが響いて、その音だけで気付かれてしまうのではないかと、今にも心臓が飛び出しそうだった。
「あの、ロアさん……もしかして、その」
俺の明らかにおかしい様子を見て、背後のメティが声をかけてきた。パニックになっているのはどう考えても俺の方だ。見つからないまま、追いつかれる前に王都から抜け出せればいい。俺は無言で次の角を曲がった。
そこは普段、市場が開かれる場所だ。住宅が王都の関所辺りまでずらりと並んでおり、人々は家の一階で店を営む。早朝になれば人が出てくるが、今は夜の静寂に包まれていた。その道のど真ん中で、最初から俺がここを通るのが分かっていたかのように、こちらを見つめてくる人影があった。いや、人影という言い方は適さないかもしれない。姿こそ人間のそれだが、頭の上に浮かんだ光る輪、背中から生えた大きな羽で、それが自分と異なる存在だということが分かる。俺の家を訪ねてきたのと同じ種族――天使だ。その姿を見て、メティが怯えたように俺の陰に隠れる。
「こんばんは、人間。随分驚いた顔をしていますね」
目の前の天使は服装こそ同じだったが、灰色の髪を生やしており、先程の奴とはまた別だ。俺はメティの話から追っ手が一人だと勝手に思っていた。しかし見つかってしまった以上、悔やんでも仕方がない。俺は平静を装って、口を開く。
「こんな時間に道を塞いでる奴がいたら、誰だって少しは驚くだろ。それが天使だとしたら、余計にな」
「違いますね。あなたの驚きは、僕が天使だということに起因するものではない――その驚きは、もう過ぎ去っている」
「チッ……天使様には人間の考えなんぞお見通しってわけか? 悪いがお前に用はねえ、そこを退け」
俺は天使の男と話しながら、密かに火精霊と繋がる。いざとなったら、目眩ましに火球の一発でも飛ばせるようにしておかなければならない。
「生憎、僕は用があります。あなたではなく、後ろにいる彼女にですが」
「こいつもお前に用なんかねえよ、そこを退け。俺は先を急ぎたいんだ」
俺の言葉に、男は煩わしそうにため息を吐いた。
「それは、僕の仲間が彼女を捕まえてしまうから、ですか?」
「ロアさんっ!」
背後から悲鳴にも似た俺を呼ぶ声が上がった。すぐさま振り返ると、メティの足が氷漬けになり、その場から動けなくなっている。彼女越しに、緑色の天使が冷たい目でこちらを見つめていた。一体、いつの間にそこにいたというのか。
「やだ、これ、動けないっ……!」
俺は人差し指に火を灯し、氷に向けて小さな火球を連射する。だが、一向に溶ける気配がない。俺と天使達を代わる代わる見つめるメティの表情が、流れる涙と共に絶望へと染まっていく。
「アルフ、どうすればいい?」
「手荒な真似はしないように、フェイ。睡眠魔法で十分です」
「ま、待って、私、死にたくなんか」
フェイと呼ばれた天使はメティに近づき、嫌がる彼女のその頭に手をかざす。あれだけ泣いていた彼女が、一瞬にして眠りこけるように目を瞑って静かになった。息を呑むような手際の良さだ。魔法を完璧に使いこなしている。俺は口の中が渇くのを感じながら問う。
「お前は……どうしてそいつを狙うんだ」
「その少女は、いわゆるなり損ないでしてね。天使として生まれながらも、羽も輪も持たない、欠陥品です」
呆然とする俺に、灰色の天使――アルフは語る。
「そういった者達は、年に一度行われる祭りの日、生まれ変わりを祈られた後に、神へと捧げられます。想像できないかもしれませんが、天使の社会は全員が飛べることを前提として作られていますから」
「……はは。だから、しょうがねえってか? そのまま生きるのも苦しいから、生け贄にした方がマシだってことかよ」
「どちらにせよ神の怒りは鎮めなければなりません。我々も若い命を捧げるのは心苦しいと思っています。ですが、これが誰もが幸せになれるやり方なのです」
彼女の保護、感謝します。と、アルフは俺の横を通り過ぎた。ぐったりとしたメティの身体を抱え上げると、背中の翼を大きく広げて、空へと飛び立っていく。その姿が、だんだん遠くなっていく。
ふざけるな。何が誰もが幸せになれる、だ? 俺の目の前にいたそいつは、確かに俺に助けを求めていた。このままでいいわけがない。どこの神だか知らないが、そのために彼女の笑顔が奪われてたまるか。俺は視線を落とし、右手の箒を握りしめる。今、飛ぶことができれば。ここから飛んで、あの絵本の主人公みたいに、ヒロインを助けられれば。何かあと一つ、ピースがはまればいい。
――人は地に縛り付けられているようなものなのに。
羽がなくても、天使だからこそメティはあの言葉が言えた。なら、そこにヒントがあるはず――俺は導かれるように、一つの結論に達した。
「縛り付けたものを解く方法なら、誰でも知ってるじゃねえか。メティ……俺は夢を叶える。そして、お前を救ってやる!」
俺は風精霊との繋がりを持つと同時に、土精霊との繋がりを極限まで切る。手を離すのではなく、突き飛ばすようなイメージだ。地に縛り付けられていた身体が解放され、感じたことのない浮遊感が内臓を揺らしてくる。俺は箒に跨がり、地面を勢いよく蹴って空へと浮かび上がった。
考えてみれば簡単なことだった。俺は今まで足し算で飛行魔法を解決しようとしてきた。魔法とは精霊の力を使うことだったからだ。引き算――つまり、精霊との関わりを切って、魔法を補助するという考えは浮かばなかった。世界の誰もがそうだっただろう。でも、もう違う。風が俺のローブをはためかす。空気を切る感覚が、この上なく気持ちいい。俺は箒の柄を上向きにし、速度を上げて天使との距離を縮めていく。メティを助けるならば、天使が彼らの住処に着くより前にしかチャンスはない。雲を抜け、俺はいよいよ天使に接近する。
「待ちやがれッ!」
俺の声に、天使達が振り向いて驚愕の表情を浮かべる。フェイが火球を放ってきたが、俺は箒の柄を左右に傾けて避けた。
「驚きですね、人間が空を飛ぶとは。聞いたことがない」
「俺が初めて飛んだんだよ、当たり前だ。そいつは渡してもらうぜ」
「なり損ないのために、どうしてそこまでするのですか? 彼女にそこまでの価値はない」
「それはお前達が決めることじゃねえんだよ!」
火球が俺の箒をかすめる。このままでは穂先が燃えるのも時間の問題だ。右手を箒の柄から離し、固めた水を連射する。そのいくつかは火球とぶつかり、蒸発した。それでも残った塊がフェイに命中し、その翼を濡らす。途端に彼はバランスを崩し、動きが鈍った。
「へえ、いくら天使様の羽でも、水には弱いんだな」
偶然だったが、これは都合が良い。攻めるなら今だ。水元素との関わりを強めていく俺に、アルフが問いかけてくる。
「人間、あなたが彼女にそこまでこだわる理由は、何ですか?」
「俺は」
頭の中で、メティの笑顔と楽しげな声がフラッシュバックする。彼女が見せる、花が咲いたような満面の笑み。今にも踊り出してしまいそうな、好奇心のきらめきに満ちた声。
「好きなんだよ、そいつのことが」
アルフは俺の言葉にハッとしたような表情を浮かべる。発動させた水魔法が指からほとばしり、その翼を貫いた。彼の腕からメティがするりと離れて落ちていくのと、俺の右肩に水をすり抜けた火球が当たるのは、ほとんど同時だった。
「ちっ……メティ!」
彼女が目を覚ます気配はない。すぐさま追いかけようとするフェイを、アルフは右手で制止する。そして彼は、俺の方に優しい視線を送った。
「翼を濡らされて僕達まで帰れなくなっては本末転倒です。諦めて上に報告しますよ」
「……責任をお前が持つなら、異論はない」
アルフの言葉に、フェイはため息を吐いて攻撃を止めた。天使達はこちらを見つめながら、更に上空へと遠ざかっていく。
「あいつ、まさか……俺達のために」
そうとなればやることは一つだ。俺は箒の柄を地上に向け、落ちていくメティを追いかける。上昇した時よりも速く、風を切り裂いて急降下していく。俺は落下する彼女と速度を合わせ、箒を脚で挟み込むと、その身体を空中で受け止める。俺はメティに優しく呼びかけた。
「起きろ、いつまで寝てんだ」
昇り始めた朝日が差し込み、俺達二人を照らす。メティはゆっくりと、その目を開いた。
「ロアさん……どうして」
「お前のこと、任されたんだよ」
「助けに来てくれたんですね。空を飛んでまで」
「当たり前だろ、放っておけるか。でも、飛べたのはお前のおかげだ。ありがとな、メティ」
俺の言葉で、メティは満面の笑みを浮かべる。ああ、その顔が見たかったんだ、俺は。
「私の方こそ、ありがとうございます。……あ、やっと名前で呼んでくれましたね!」
王都に空から降りてくる俺達を、騒ぎで目を覚ました人々が驚きと歓喜の眼差しで見つめている。どうやら説明が必要そうだ。メティを抱えたまま、俺はゆっくりと着地した。
街中で天使とやりあったことを魔法学会の連中にみっちり絞られた後、俺は彼らに飛行魔法をどうやって成し遂げたのかを簡潔に述べた。準備が整い次第、臨時で集会が開かれるそうだ。王城を出ると、階段の前で待っていたメティが、手を振って近づいてくる。
「あ、お疲れ様です! 凄いですよ、さっきから街がロアさんの話で持ちきりです」
「飛行に成功したからって、即で手のひら返しやがって」
口ではそう言ったが、悪い気はしない。俺は夢を叶え、それが近いうちに人々の役に立つ。その事実がこの上なく嬉しかった。
「なあ、メティ。行くとこがないなら、俺の家に来ないか?」
「ロアさんの、ですか? 迷惑がかからないなら……」
「そんなこと思わねえよ。丁度助手が欲しかったとこだ。忙しくなるからな」
「なるほど。それなら、私も精一杯お手伝いしますね!」
この笑顔を離さない。そう心に誓って、メティの手をしっかりと握った。
「よし、それじゃあ帰るか」
「ふふ、はいっ!」
これからの未来がどうなるかは分からない。だが、彼女と一緒なら進めるという確信が、俺の中にある。無限に広がる青空が、俺達を静かに見つめていた。