IS《インフィニット・ストラトス》~やまやの弟~ 作:+ゆうき+
「えっと……こ、紅茶はいかがですか?」
引きつった笑みを浮かべるシャルロットから差し出される紅茶からは、心が浄化されていく様な芳しい匂いが漂っている。
縁が金で彩られているカップに注がれたそれは、宝石のルビーを彷彿させる。覗き込むと何処までも吸い込まれていきそうな不思議な感覚を覚え、楯無と簪は思わず視線を外した。
視線を外した先には砂糖とスライスレモンが添えられた小皿があった。2度3度と味、そして匂いを楽しめるように配慮されていた。
それを見て二人の顔に笑みが浮かぶ。どうやらお気に召したようで、早速香りを楽しみ始めた。
「ありがとう。あら、この香り……これは楽しめそうね」
「色も香りも……すごく上品……」
普段から飲みなれている真耶何食わぬ顔で紅茶を楽しんでいる。一方千冬は紅茶はあまり得意ではないのか、コーヒーをブラックで飲んでいた。
「相変わらずデュノアさんの紅茶は美味しいです。私が淹れてもこの味は出せないんですよ」
真耶が笑顔でシャルロットを誉める。拘りの分、その味はどこに出しても恥ずかしくない仕上がりになっていた。
「ありがとうございます。今お出しした紅茶はF&M(フォートナム・アンド・メイソン)のダージリン、ファーストフラッシュです」
ここでシャルロットの紅茶紹介が始まった。
まるでソムリエのように淀みなくスラスラと解説を始めたシャルロットに、他のメンバーを少しだけ面食らったが、交渉の前にリラックスするのも悪くないと思ったのか遮ることなく聞き入っている。
「F&Mは国際的にも認知度が高く、過去150年以上にわたってイギリス王室から―――」
ちなみに、紅茶と茶葉は缶に小分けされて売られている場合が多い。その次にティーバッグ形式の物が多い。我々一般人からするとスーパーで纏め売りされているティーバッグ形式が馴染み深い。
ちなみに今回用意したファーストフラッシュは木箱に入っている。そのお値段。なんと100g……
「ファーストフラッシュは春摘みとも言われます。雨季が終わり、新芽が育った後に採れるからです。セカンドフラッシュ、オータムナルなどもありますが―――」
しかしシャルロットの紅茶談義が終わらない。よほど紅茶が好きだったのか、皆にもこの嬉しさを共有して欲しいようだ。
「ファーストフラッシュは味もクセがなく、香りも爽やかで誰もが楽しめるのが特徴ですが、生産量が少なく、楽しめる人が限られてしまうのが難点です」
「ふ~ん……紅茶にも色々あるのねぇ。ファーストフラッシュ以外にもある事に驚いたわ」
「……姉さん……せめてセカンドフラッシュくらいは……」
「え? ひょっとしてこれ常識だった?」
常識ではない。しかし更識家といえば一応名家に当たるので、これくらいは知っていて欲しかったと簪は思っている。
「デュノア、紅茶講義はそこら辺にしておけ」
「あ、すみません。それではお代わりが欲しくなったら何時でも言ってくださいね」
シャルロット一言謝罪すると、茶菓子を添えてそそくさと立ち去った。残された5人はそれらを楽しみながらいよいよ本題へと入っていく。
「さてと……それじゃー真琴君。そろそろ本題に入ってもいいかしら?」
「はい、かまいませんよ」
普段の眠たそうな真琴の目がしっかりと開いた。臨戦になった証拠である。
「先に私達の関係について念のため確認するわね。現状山田製作所と更識家は同盟関係にあると言っても、此方から提供しているのは護衛と資金提供しかない。一方山田製作所からは、ISの技術提供、更には、場合によってISを1機提供して貰える事になっている。此処まではいいかしら」
「そうですね。その認識でまちがっていません」
「このままだと此方が有利すぎる。そこで、その利害関係をなるべくイーブンにしたいのよ」
「と、いいますと?」
ここで楯無は室内に居る全員に視線を移した。
保護者二人は先ほどと変わらず、千冬は目を閉じ腕を組んだまま、真耶はニコニコと笑みを浮かべたまま反応が無い。
簪は不安げに楯無を見つめている。交渉事でポーカーフィスがすぐ崩れてしまうのはよろしくない。
(簪ちゃんにはこういった交渉事はまだ早いか……。ま、これからに期待ね)
そして少し間を置き、冷静を装い切り出した。
「更識家を山田製作所の傘下に入れて欲しいの。専属契約はお互い立場がイーブンだけど、今回は立場が明確に区分されるわ」
「傘下……ですか」
「勿論、これにはメリットとデメリット両方が存在するわ。今回もしこの交渉が成功したら、更識家は正式にロシア国籍から日本国籍に移して、あっちの政府とは手を切るつもり」
今の楯無の発言を踏まえ、真琴は目を閉じ、頭の中でメリットとデメリット、どちらが大きいか天秤にかけた。
まずメリット。更識が完全に傘下に入った場合自分の手を煩わせなくても情報収集が容易くなる。表立って行動できない場合、大きな助けになるだろう。
そしてテストパイロット。楯無は現状で学園最強のISを乗りこなす事ができる生徒だ。シャルロットを容易に超えるであろう技量があれば、より精密なデータを採る事が出来る。
最後に護衛。カウンターテロ組織と言う事もあり、そこら辺はお手の物だ。実際学園の中に更識家の手の物がそう少なくない数入り込んでいる。一夏や箒にも護衛がそれとなく張り付いている。
「千冬さん、更識家の情報収集のうりょくはどれくらいあるんですか?」
「……今回の件、ほぼ全て更識家は把握していた。真琴君がクラッキングを仕掛けた事から始まり、フランス政府が強硬手段に出た場合の対処方法まで全てだ」
千冬は淡々と答える。ここで嘘を言うほど千冬は愚かではない。若干真琴寄りだが、答えるべき事に関しては包み隠さず話すようだ。
「なるほど……わかりました」
次にデメリット。先ず上がるのが、ロシア政府を敵に回す可能性。
一国家を敵に回すのは正直厳しいが、今の真琴にはイギリス政府、ドイツ政府、日本政府、そしてフランス政府が味方に回るだろう。
フランス政府は今厳しい状況に立たされている。ここで有事の際いち早く山田製作所の味方をすれば、色々と便宜を図って貰える可能性があるのだ。味方にならないはずが無い。
残りの政府は言わずもがなだ。
ロシア軍対多国籍軍。いかに軍事大国のロシアとはいえ、これらの国家をすべて敵に回したら到底立ち行かなくなる。
次に更識家が情報漏えいをした場合。
傘下に入った場合、ロシア政府の手から逃れる為に更識家をIS学園の近く、山田製作所の手が届く範囲に置かれる可能性が高い。
しかし製作所はゴーレム達が防衛している為、突破はそう簡単にはいかない。実際過去に多くのスパイが進入を試みたが、全てゴーレム達によって防がれている。
次にISの譲渡。
これはほぼ確実だ。ロシア政府から手を切る場合。今楯無が所持しているミステリアス・レイディは返却しなければならない。そうなった場合国家代表も外れる訳だが、卓越した技量を持つ楯無を腐らせておくのはあまりにも惜しい。
最後に、更識家が反旗を翻した場合。
内部に深く食い込めば食い込む程反乱はより容易に、より効果的になる。真琴は反乱は許すつもりは無いが、予期せぬ事象という物はどこにでもある。
結局の所このIS学園という大きな牢獄が存在する限り、表立って外国からの介入は無くなるのだ。
「楯無さん」
「何かしら」
閉じていた目を開き、真琴は問う。
「そしきを一まとめにするのにどれくらい時間がかかりますか?」
「痛いところを突いてくるわね……そうね、データベースは本家にあるから、それさえ此方に移動すれば後はどうとでもなるわ。何考えているか分からない連中はほんの一握りしかいないはずよ」
「かぞくを人質にとられるかのうせいは?」
「それは、この学園に居る全員に言える事じゃない? サーバーを真琴君の家に入れちゃえばどうやってもクラッキングなんて無理なんだから、意味ないと思うわよ」
「まぁ、それもそうですね。それじゃ次なんですけど」
「ええ、遠慮なく言ってね」
「……今楯無さんが持っているミステリアス・レイディ。かいせきさせてもらえますか?」
いよいよ真琴は本題を切り出した。
更識家が傘下に入る事により、彼の家が所持している2体のISをメンテナンスする必要が出てくるのだ。1機は返却するとしても、此方から新しいISを提供しなければならない。
ミステリアスレイディを解析できれば、ISを返却しても複製できるのだ。
これを聞いて楯無は目を細め、扇子で鼻から下を覆った
「そっか……そこまでは考えてなかったわね。真琴君、単刀直入に言うわ。コアの解析はどこまで進んでいるの?」
「それはお答えできません。きぎょうひみつです」
当然である。しかし、楯無はある程度当たりをつけている。
そもそも新たにISを1機提供という、そんな無茶が本来通るはずが無いのだ。
これを可能にしているということは、答えはおのずと限られてくる。
束からコアを貰っているか、自力でコアを作る事ができるようになったか、だ。
「そっか。……分かったわ。傘下に入れてもらえるのなら、解析しても良いわよ。但し条件があるの。解析したことがバレると厄介にな事になるから、くれぐれもログに残さないで欲しい」
これも当然といえば当然だ。実際今楯無が行っている行為はスパイに近い。
これで解析した事がバレでもしたら、確実に犯罪者だ。
「真琴君のことだからそんなヘマはしないと思うけど……これがバレたら、タイミングによっては、更識家は壊滅するといっても過言ではないわ」
そう、全てはタイミングだ。解析した事がバレても国籍を日本に移してIS学園の中に逃げ込むことが出来れば此方の勝ち。間に合わなかったら此方の負け。
「幸いあっち(ロシア政府)は私達のことをほぼ疑ってないといって良い。何せもっと山田製作所と仲良くしろなんてお達しが来ているくらいだしね」
楯無は紅茶で乾いた唇を潤した後、肩をすくめて苦笑した。
「フランス政府っていうぜんれいが有るんですけどねぇ……」
「対岸の火事ってやつね。全く、自分の諜報機関が世界一だとでも思ってるのかしら」
ここで一度休憩を挟む事となり、真琴達は席を外した。
◇
お互い軽い口調で会話をしていたが、その内容はとても重いものだ。少なくとも簪にはそう感じた。
聞いているだけで精神がゴリゴリと削られていく。一歩選択を間違えれば一気に真琴の信頼を失い、奈落の底だ。
「姉さん……大丈夫……?」
額に浮いた汗を隠そうともせず、簪は心配そうに姉を見つめた。
「当主になってから、今日ほど打ち合わせが早く終わって欲しいって思ったことは無かったわよ。だって織斑先生ってばずっとプレッシャーかけてくるんだもの、しんどいわねぇ」
「織斑先生は……博士の味方だから……」
「ま、今のところは大丈夫だと思うわよ。私のISを提出のはちょっと予想外だったけどね」
「でも……それは必要な事……」
「そうね。あとは解析ログがバレなければ……といいたいんだけど、新しく作って貰える事になったとしたら、ミステリアス・レイディとは別物のISを依頼する必要があるわね」
ISを返却すれば、当然そのISを使って新しい代表候補生がIS学園に送られてくる。ミステリアスレイディが二人も居たら、即刻バレる。
「どんなISが良いかしらね? 貴婦人に代わる新しい名前……何かいいのない、簪ちゃん?」
「……チェシャ猫」
「あ?」
楯無の背後に修羅と般若と仁王像と鬼、そして青い炎が並んで見えた。
「なんでもない……えっと……フェアリーとか……ユニコーンとか……フロイラインとか……」
死にたくない一心で簪は必死になって言葉を捜す。
「あら、やっぱそう思う? そうよねー、やっぱそれくらいの名前がいいわよね」
楯無は笑顔で扇子を開く。そこには「首の皮一枚」と書かれていた。
不用意な発言は己が身を滅ぼすと、改めて簪は実感するのであった。
「それで姉さん……交渉は上手く進みそう……?」
「んー……希望的観測も少し入るけど、もう後半戦のロスタイムに入ってるわよ?」
「え?」
「だって、こっちから出せる物は全て出したもの。今別室で吟味してるんじゃないからしらね」
「てことは……この休憩って……」
「そ。判決待ちって訳よ。……交渉に関しては、今のところ五分五分って所かしらね」
検察と弁護士の言うべき事は全て終わった。後は判決を待つだけだと楯無は言う。それを聞いて簪は手に僅かな震えを感じていた。
後何分したらこの部屋に戻ってくるのか。恐らくそう長くは掛からないだろうが、今は1分が1時間にも2時間にも感じられる。
「あら、紅茶無くなっちゃったわね……シャルロットちゃん、紅茶のお代わりいいかしらー!」
そんなプレッシャーを感じつつも、楯無はその様子をおくびにも出さずシャルロットに紅茶のお代わりを催促するのであった。
―――……何故だろう、一夏と一緒に居るのに、最近私の影が薄い気がする。