一万文字位ありますので、読む際はお気を付けください。
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目的地である山に着くのは殆ど一瞬だった。
空を飛んだと言う事もあるが、崖から落ちた所から殆ど動いていなかったのが大きい。
緑に覆われた麓の斜面を滑る様に飛びながら進んで行けば、徐々に岩肌が顔を出し、目的の地が見えてきた。
大きな岩を飛び越えた先にあるのは山の中腹地点の肌蹴た場所だ。其処にぽっかりと出来て間もないクレーターが広がっているので見つけるのは比較的容易であった。
クレーターの近場で降り立ち、辺りを見回す。
歩きながら岩の影や窪みを覗きこみ、時には空を飛んで見下ろす事十数分。“彼”は見つける。
険しい山を歩くために拵えた生地の厚いズボンと、頑丈そうな靴を身に付けた人間の足が山の斜面にからやや離れた所から顔をのぞかせていた。嵐の影響で、土砂や岩等が覆いかぶさっている。
見つけた“彼”は硬直し、見てはいけないものを見てしまったかの様に咄嗟に視線を逸らしてしまった。
これから見るのは、ある意味自身の死と同意義に値するものだ。
出来る事なら見たくない。しかし、これだけは目を逸らしてはいけない様な気がした。
自分は直視しなければならない。己と言う存在が誕生に至る為に散った命の有様を。
鉛でも付けられたかの様に重くなった足取りでそれに近づくと、彼の胸から淡い赤と青の光が漏れだした。
肋骨の様な器官で覆われた胸から光を漏らしているのを気にも留めずに“彼”は力を発動させる。
その力は目先に積まれた岩石をいとも容易く空中へと浮き上がらせた。
物理法則に干渉するまでに高まった強力な思念を駆使する超能力。人間達はその力をねんりきと呼んでいる。
邪魔な岩を退かしながら見つけた“それ”に、“彼”は嗚呼と覇気の無い声を漏らした。
其処に横たわっていたのは、人間だった肉の塊だ。
本来ならば曲がる筈の無い方向へ折れてしまった足腰はまだ辛うじて原型が残っているが、腰から上は落石の衝撃が強すぎたのかグシャグシャに潰されてしまい、頭部に至っては既に失われてしまっている。皮肉な事に、その亡骸が身に着けていたコートは頑丈だったのか多少の破れはあれどもまだ健在であった。
骨や血肉が上着の隙間からはみ出し、千切れた腕は何処にもない。嵐に飛ばされて既に土の中なのやもしれない。
自身の細胞の提供者たる人間の亡骸を複雑な気分で見ていたが、これを掘り起こす事は二の次だ。
優先すべきは、この亡骸の腰に巻かれたベルトに付いた一つの球体にこそあった。
大きさはピンポン玉位だろうか。“彼”は亡骸をねんりきで持ち上げて丁重に置くと、腰に備え付けられた球体を取り出して見回した。
赤と白の2色に色分けされたその球の名は“モンスターボール”。ポケモンを捕獲し、中に入れるための道具だ。
人間達の中には、こうして捕獲したポケモンを使役するポケモントレーナーという者達がいる。
“彼”はこの使い方を持ち主の記憶を受け継いでいるが故に知っている。今は亡きがらとなってしまった“彼”の記憶の持ち主もまたポケモントレーナーだったのだ。
確認してみた所、どうやらボールに破損は無く、“中に入っているポケモン”も無事な様だった。記憶が正しければ、あの落石の最中“水晶体の自分”を放り投げるだけでなく、腰に収めたポケモンにも被害を被らない様にあのギリギリの中で体をずらしていたのだろう。
ボールの無事に安堵すると今度は人間の遺体から離れた所に場所を移し、“彼”がボールの中央にあるスイッチを押すと、掌で覆える程度の小さかったボールが大きくなり、野球ボールよりやや大きめのサイズになった。
それを確認するとボールを軽く放り投げる。するとボールは赤と白に分かれていた境目から蓋の様に開き、中から光が飛び出した。
ここからが本番だ。“彼”がここに来たのは、“人間の自分”の亡骸を拝むためだけに来たのではない。
恐らく、これが一番辛い仕事になるだろう。
飛び出した光が晴れると、其処には一匹のポケモンがいた。
頭部が丸々骨の様な硬質物で構成された、二足歩行の爬虫類という風貌をしている。
1mと人間よりも低い背丈だが、体はがっしりと逞しく、頭部を覆う硬質物の奥には鋭く力強い眼差しがあった。
片手に持った身の丈ほどもある大きな骨を持つ姿は、武器を手に持つ戦士の如き静かな威圧感を漂わせてた。
そのポケモンの名はガラガラ。“人間の自分”がパートナーとして連れていた、唯一のポケモンだった。
ボールから外界へ出てきたガラガラは目の前に居る“彼”の姿を認識するや、後ろへ飛び退いた。突然目の前に現れた未知なる存在に警戒しているのだろう。
しかし、そこでガラガラはある事に気付き、辺りを見回した。
何時も自分に指示を出してくれるパートナーが、ガラガラのトレーナーがいないのだ。
困惑を見せたガラガラだが、“彼”に対して隙は見せていない。下手な動きをすれば何時でも対応できるように構えているあたり、よく鍛えられていると見える。
そんなガラガラを見て“彼”は嬉しく思ってしまうが、同時に罪悪感も生まれてしまう。
ガラガラがどんなに自分のパートナーを探そうとも、その人はもうこの世にいないのだ。
“彼”は、それをガラガラに伝えなければならない義務があるのだ。何故なら自分は、故意であろうとその命を散らせてしまった原因であるが故に。
此方に敵意も攻撃姿勢も見せない“彼”に脅威を感じなくなったのか、とうとうガラガラが構えを解き、“彼”に話しかけてきた。
ポケモンの言葉が聞ける事に“彼”は驚き納得した。自身の半身である人間の細胞を取り込んだ“水晶体の自分”は、ポケモンと同質の特性を持つ生物、またはポケモンだったのだ。
しかしその言葉が、“彼”の心を強く締め付ける。
「突然身構えてしまった事を許して欲しい。一つ訊きたい事があるのだが、教えてはくれないか?」
「私ニ答エラレル事ナラ」
誰かによく似たその口調、まるで近くで見聞きしたのを憶えたかのような言動に“彼”はノイズの混じった声で冷静に返すが、その実内面は緊張感に満たされていた。
「僕の父さんを知らないか?」
「父サン?」
「そう、僕の父さん。とは言っても、人間なんだけど」
その言葉に、“彼”は無意識のうちに右手で自身の胸を抑えた。
ガラガラにとって“人間の自分”は、パートナーであるとともに、親だと思っていたのだ。
その答えを聞いた“彼”は、だからこそ慎重に言葉を選び、話した。
「……今カラ君ニ伝エルノハ、トテモ残酷ナ事実ダ。ドウカ、心ヲ強ク持ッテ欲シイ」
“彼”の言葉にガラガラは一瞬呆け、そして次の瞬間にはその顔が緊張で固まった。“彼”の言葉から、ある可能性を思い浮かべたのだろう。
胸を僅かに光らせた“彼”は自身の思念をガラガラの頭の中に直接送り込む。内容は、自分が生まれた時から今に至るまでの記憶と、“人間の自分”の記憶だ。
「う、何を…………ぇ?」
突然頭の中に流れ込むビジョンに驚くガラガラだが、次々と浮かぶ光景を見て、その表情に絶望が浮かび上がってきた。
「そん、な。うそだ」
ガラガラの首が、錆び付いたブリキの人形の様に動く。その先にあるのは、ガラガラが最も慕っていたパートナーのなれの果てが置かれている場所だ。
絶望とは、望みが断たれると書く。
その望みが大きければ、失われた時の衝撃は計り知れない物となる。
ガラガラの場合は、如何程のものだったかは誰にも推し量る事は出来ない。
ただ、それが途轍もなく大きく、深いであろう事はガラガラの走る背を眼で追い掛けている“彼”も分かっていた。
否、“彼”だからこそ分かってしまうのだ。
「嘘だ、嘘だ……嘘だぁぁーー!!」
ガラガラが亡骸の置かれている場所へ一目散に走り出した。
一心不乱に、形振り構わず。
跳ねる泥が体にかかる事すら忘れ、動揺のあまりにふらつく足取りで石に躓いて転ぼうとも、ガラガラはひたすら走り続けた。
そんな筈はない、あんなのが真実であってたまるか。だってつい昨日まで何時も通りだったじゃないか! ガラガラは頭の中で見た光景を認めたくないあまりに否定するが、心のどこかで最悪の可能性がジワジワと這い寄って来るのに恐怖した。
何時もなら大した事の無い石の坂道が嫌に遠く、険しく感じる。
岩の上に飛び乗り、息急き切りながら駆け寄った先でガラガラが見つけたのは、望んだ結果では無かった。
横たわっているそれが身に着けている服には憶えがある。確かに父さんの物と一緒だ。
でも、何で足が変な形に折れている? どうして血に塗れているんだ。
何故、腰から上はグチャグチャになっている。……それに、どうして首が、無いんだ。
「あ、ああ……ああぁぁぁぁ」
力を失ったガラガラの足が、膝から崩れ落ちる。
人違いだ。そう思いたい心がひっきりなしに悲鳴を上げ、今にも壊れてしまいそうだった。
でも憶えているのだ。同じ道を一緒に歩いた靴も、カラカラだった頃によくしがみ付いていたズボンも、寝る時に包んでくれたコートも。
その全てを、この人間の死体が身に着けているのだ。
卵から孵った頃のおぼろげな記憶から此処に来るまでの思い出が、ガラガラと
“彼”の基となった“人間の自分”はガラガラが進化する前のカラカラよりも昔の、卵から孵った時から面倒を見ていたのだ。
生まれたばかりのカラカラを四苦八苦しながらも育て、トレーナーとして旅をしている中でも戦い方以外にも色々な事を教えていた。
その中には、万が一ガラガラが一匹になってしまっても生きていける様な術もあった。色々な所を旅する関係上、“そういう可能性”も考慮していたというのはガラガラも察してはいた。それが今、こうして現実になってしまった。
ガラガラが弱々しく手を伸ばし、亡骸を揺する。だが、首を失った肉の塊が何かを返す事はない。
その事実が認められないのか、何度も揺すり、か細い声で呼びかける。
それでも、ガラガラの願いは届く事はない。しばらくしてとうとう自分の父親である人間が本当に死んでしまった事を認識したガラガラは、すでに原形を失った胸に顔を埋め、声をあげて泣き崩れた。
“彼”が宙に浮きながら後を追ってきたが、ガラガラの背中に声をかける事が出来なかった。
意図した事ではないにしても、ガラガラの慕った人間を死に追いやった要因である自分が、どんな言葉を駆けてやればいいと言うのか。
ただじっと、ガラガラが気の済むまでさせてやる事しか今は思い浮かばなかった。
「……くも」
ゆらりと立ち上がるガラガラの声は震えていた。“彼”の方からは顔を俯かせているのでその表情子を読み取る事は出来なかった。
しかし、それに乗せられた感情には悲しみ以外にもう一つあった。
「よくも……ッ」
それは、深く激しい烈火の様な怒りだ。
父親の血で赤く染められガラガラの骨状の顔は、怒りに我を忘れ、まさしく悪鬼というべき容貌となっていた。
そしてその怒りの向く先にいるのは……
「よくも父さんをぉぉぉーーーッ!!」
激情に身を任せ、大きな骨を振りかぶってガラガラが駆け出した先に居るのは“彼”だった。
“彼”があの時ガラガラの数多に送り込んだビジョンから、ガラガラは“彼”にこそ全ての原因があるのだと認識したのだろう。今の“彼”は、ガラガラにとって親の敵と言える存在だったのだ。
ガラガラの変貌に身構えこそした“彼”は、じっとその目を見た。
大切なものを失い、絶望に沈んだ果てに噴き上がった怒りに囚われた顔は筆舌に尽くしがたく、ただただ壮絶であった。
「ガアァァァァァ――――ッ!!」
絶叫と共に振り下ろされた骨の一撃を“彼”は後ろへ飛び退く事で避わした。
しかしそれだけでは終わらなかった。振り下ろされたガラガラの骨は大地を叩くと、自身の周囲丸ごと砕け飛び、その破片が“彼”に襲いかかったのだ。
大小様々な岩が泥と一緒に飛び散る中、“彼”も自身を浮かせて更に回避を試みるが、どうしても全て避け着る事が出来ずに一部の岩が直撃して空中でよろめいてしまった。
そこをガラガラは見逃さなかった。大地から吹き上がる土砂を隠れ蓑に、ガラガラは既に至近距離まで近づいていたのだ。
今ならまだ避けられる。だが、“彼”はそこで敢えて防御を選択した。
しかし、遅かった。
凄まじい勢いで骨を振るい、防御の態勢をとらせる暇すら与えてもらえず脇腹に強かに打ちつけられた“彼”は壊れた電子機器の様な声を漏らした。
「b、§〓Γθッ!?」
「ラ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!!」
脇腹を捕らえたガラガラは、そのまま勢いよく骨を“振り抜いた”。すると、自身よりも倍近くある“彼”の体を大きく吹き飛ばす。
まるで球を捉えたバッターによって叩き返された様に吹き飛ぶ“彼”は近くの岩壁に叩きつけられ、その身を深くめり込ませた。
追い打ちと言わんばかりにガラガラが更に駆けだして来た。“彼”の目の前まで再び接近してきたガラガラは更に手に持つ骨を振るった。
「ギガァァッーーッ!!」
獣の様に叫ぶガラガラが骨で何度も“彼”を滅多打ちにする。其処に技は無い、ひたすら暴力の数々が嵐のように繰り出されるだけだ。
顔面を狙った一撃がめり込ませた岩を砕き、“彼”を岩から叩きだす。
その場に転がり、“彼”が立ちあがる前に脳天、頬、鳩尾、顎、肩……あらゆる生物の急所へと執拗に打ち込まれていく。
一体何十発喰らったのか。もはや“彼”自身数えられる程の思考能力すら残されてはいない。
ガラガラの猛攻を受けた“彼”は自身の体に纏っていた硬質物が砕け、血と思しき体液を滴らせたその様は、誰から見ても重症だった。
「ガアアアッ!」
“彼”の胴体へ、ガラガラの渾身の力を込めた骨の一撃。くの字に折り曲げられた“彼”体は宙に放り出され、そのまま受け身もとらずに山の岩肌に叩きつけられる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
殆ど息継ぎを行わなかった強烈な連続攻撃に、流石のガラガラも息が上がっていた。
同時に、先程まで見せていた鬼の様な顔はほんの僅かだが剣呑さが無くなっている。
「はぁ、はぁ……何故だ」
ガラガラは、今目の前でよろよろと立ちあがろうとする“彼”に声をかけられる位には怒りの度合いが収まっていた。
「何故反撃してこないんだ? いや、何故避けない!?」
力の入らない体を精一杯起こして立ちあがる“彼”だが、既に膝が言う事を聞かなくなってしまい、その場に尻もちをついて座り込んでしまった。
滅多打ちにされた影響で全身の至る所の硬質物が砕け、肉が裂けて血まみれとなった“彼”だが、その目はまだ活きていた。
「……今、ノ私ニ、ハ、君ノ怒リヲ受ケ、止メル事シカ……出来ナイ」
「馬鹿な、命が惜しくないのか!?」
「其、処ガ……難シイ所、ダ。私ハコノ、命ヲ君ニ……差シ出ス事ハ……出来ナイ」
「だったら……だったら戦え! 無抵抗に嬲られて死ぬつもりか!?」
“彼”は答えない。
彼の記憶には、ガラガラの親である“人間の自分”の記憶が受け継がれている。其処に映し出されるのは、卵の頃から大事に育て、今日まで互いに力を合わせてきた光景だ。
ポケモンの力を借りるだけでなく、時にはポケモンに自ら手助けする事など、其処までできる人間は本当に限られているのではなかろうか。
“人間の自分は”、本当の意味でポケモンをパートナーとしていた人種だったのだろう。
そんな人間が、自分を活かしてくれた人間が、あそこまで大切にしてきたポケモンに手をかけるなど、彼には出来なかった。
そしてそれを口にする事も躊躇った。今この場でガラガラにその事を話すのは、自己保身のために“人間の自分”の想いを盾にしている様で、許せなかったからだ。
だから。
「君……ト、ハ戦エ……ナイ。多、分、コレ……カラモ」
彼はガラガラにそう話す事しか出来なかった。
だが、当のガラガラからすれば理解しがたい、理不尽なものに写ったのだろう。再び怒りに火が点き始めた。
「ふざけるな! 馬鹿にしているのか!? 僕の父さんを死なせたくせに、のうのうと生きている奴が!」
死にたくない者が無抵抗でいるなど、狂気の沙汰だとガラガラは叫ぶ。
“彼”だってそれは分かっているのだ。ただ、ガラガラへの償いと己の意思がせめぎ合う中で、その先にある答えを見つけられ無かった。
「ソウ、ダ。私ハ、生キ……テ……イ、ダ」
「! おい、話は終わっていないぞ。聞こえているのか!?」
傷が深すぎたのか、意識がもうろうとして来た“彼”の首が少しずつ落ち始めて来た。
ガラガラが何か言ってくるが、もう上手く聞こえていない。
(……コレハ、死……カ?)
その言葉に“彼”は敏感に反応するが、何か違う様な気がした。
そんな筈はない。二つの記憶が正しければもっと冷たく、深く沈みこむ様な感覚だった筈だ。
これは……
最早思考する力すら失ってきた“彼”は、目の前が暗くなっていくのを感じながらその意識を遂に落としてしまった。
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「л¶ε……ム?」
落ちた意識が再び浮上した“彼”。視線の先に移った空は太陽が落ち始め、茜色に染め上げていた。
仰向けの体を動かそうとするが、動かすたびに体の至る所が痛みという名の悲鳴を上げてそれを止めようとする。
あれからどうなったのか、ガラガラはどうした、ぼやけた思考で可能な限り頭を回転させていた“彼”のもとに当のポケモンがやって来た。
「……起きたのか」
横たわったまま眼だけで声の主を追い掛けた先にいたのは、大きな骨を片手に此方へ歩み寄って来るガラガラだった。
顔に付着していた血は洗い落したのだろうかすっかり綺麗になり、あの怒りに染まった形相も今は大分落ち着いている様だったが、その眼に宿した感情は未だに複雑なものを見せていた。
ガラガラは無言のままに“彼”の横にまで来ると、足元に骨を置き、“彼”の横に置かれていた物を手に取りそれを吹き付けて来た。
傷口に吹き付けられたそれに“彼”の体はビクリとのけ反るが、それをガラガラが片手で押えた。
「きずぐすりだ、もう少し我慢しろ。完治までは行かないが、無いよりマシの筈だ」
本来は人間がポケモンに使うために作られた道具だ。指の大きさなどからして規格が違うそれを、人間と比べると明らかに小さな指で器用にガラガラは使っている。
きずぐすり自体は泥で汚れ、表面は岩にでもぶつけたのかボロボロだった。恐らくあの亡骸の持っていた荷物なのだろう。
まさか、わざわざきずぐすりを探してきてくれたのだろうかと“彼”はガラガラを不思議に思う。
「……助ケテクレタノカ」
「あのまま見捨てた方が良かった、と?」
「ソウハ言ワナイ。シカシ君ハ私ガ憎イ筈ダ」
「ああ、今だって僕はお前が憎い。お前を助けるなんて、本当は嫌で仕方がないんだ。出来る事なら、今此処で息の根を止めてやりたい」
淡々と“彼”に治療を施すガラガラは一旦手を止め、一瞬だけ睨み付けると視線を外して己を戒める様に目を閉じた。
「でも、それでは父さんが浮かばれないと思った。お前は父さんが命を懸けて助けたんだ。それを僕が殺してしまったら、父さんの意思まで僕は殺してしまう……」
“彼”が全ての記憶を見せたが故に下したガラガラの結論。
俯いたまま、肩を震わせ、絞り出す様に発したガラガラの言葉には己の怒りと、父の想いとの葛藤の果てに生まれた言葉が乗せられた。
それは、“彼に”とっての救いとなるのか、それともこれから先一生纏わり付く呪いとなるのだろうか。
「だから、だからお前は生きろ。どんな状況でも精一杯生きぬいて、そして天命を全うして死ぬんだ。呆気なく死んでみろ、僕は……僕は一生お前を許さない!!」
ガラガラの告げたそれは、“彼”からすれば祝福であり、呪詛だった。
「……」
“彼”は自分を生かそうと決断したガラガラに、口を開く事が出来なかった。生半可な謝罪の言葉など、ガラガラの傷口に塩を塗るだけだ。
ガラガラにとって、自分は大切な親を死なせた許しがたい仇と言っても過言ではない存在だ。そんな自分を助けようとする、その心境は如何程のものなのだろか。
いや、きっと自分では推し量れるものではない。これは他者の物差しで計ってはいけない事なのだ。
もし自分にも大切なものが出来て、それが奪われた時、自分にも同じ様な選択が取れるのだろうか。
自分は相手を赦し、導けるのか……。
ガラガラの示したその有様に、“彼”は後にこれを一つの命題として抱え続ける事になる。
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オレンジ色に染め上げていた空は暗い夜空へと姿を変え、そして次には新しい朝日が世界を照らす。
数日前に嵐で荒らされた山を勇気づけるように差し込む陽の光の中、“彼”とガラガラは静かに黙祷していた。
場所は出来るだけ足場の安定した山の中、出来れば故郷の土に還してやりたいが、それまで体が保たないだろうし。何より人間の住む場所からかなり離れた場所だ。現地の人間でも殆ど立ち入らない様な場所の此処へ、来るかも分からない捜索隊が探しに来るまで野ざらしにし続けるわけにはいかない。
だから骸は死したその地の土の中へと埋めていく。それが死者への供養となるのならば。
せめてもの墓標代わりにと縦長の岩を地面深くまで差し込んだそれには、墓の主が身に着けていたコートがかけられていた。他にも手分けして探して見つけた遺品も添えられてある。
その中には、ガラガラの入っていたモンスターボールも納められていた。もう、その中にガラガラが入る事は無い。
静かな時の流れの中で死を弔っていた彼らは目を開ける。
これから先、彼らの見る世界は大きく変わる。
「君ハ、コレカラドウスルンダ」
応急処置を済ませた“彼”の体は今も白い硬質物が砕けて痛々しくはあるが、体を動かす分には支障が無い程度には回復した様だ。
自分よりも80センチ近く小さなガラガラを見下ろしながら問い掛ける。
「……父さんの故郷に行く」
人間達がカントー地方と呼んでいる其処へは、何やら個人的に思う事があるらしい。ガラガラは父の墓を見つめながら淡々と答えた。
今まではガラガラの父と言うトレーナーと共に歩いて来た旅路だったが、これからは一匹のポケモンとして生きていくのだ。野生に帰化すると言っても良い。その道は、決して優しい物ではないだろう。
「一人デカ?」
「お前の助けは要らない」
その旅に“彼”は同行しない。何よりガラガラがそれを決して受け入れはしなかった。
「見逃しはしたが、お前は父さんの仇だ。そんなお前と、誰が一緒に行くものか」とは“彼”が訊ねた時に憎々しげに答えたガラガラの弁だ。生きろと告げた矢先に、自由を束縛するつもりはないらしい。
やる事は全て済ませたと言わんばかりにガラガラが黙したままその場から離れていく。道とも言えない山道を下って行く後ろ姿を“彼”も静かに見送った。
途中何度も立ち止まって墓のある方角を見返して来る。突然の死に分かれに、未練はそう簡単には断ち切れないのだろう。
程なくして、ガラガラが見えなくなったその場に用の無くなった“彼”も出発の準備に入るが、その前に墓石にそっと右手を置いて、墓の主に語り掛けた。
「……マタ、来ル。“貴方達”ノ事ハ、決シテ忘レナイ」
“死を忘れるな”
“彼”が生まれて初めて自分の意思で学んだ言葉だった。
これもまた、死者の記憶を言葉にしただけに過ぎない。
だが、いつか必ず自分の言葉で語れる様になったその時は、また会いに来よう。
墓石から名残惜しげに手を離した“彼”の体が宙へ舞い上がる。
高度を上げ、ガラガラが行っていたように暫く小さくなっていく墓を見降ろしていた“彼”は空を見上げた。
日差しの強さに、ふと目を細めた。
はて、太陽の光とは此処まで眩しいものだっただろうか?
受け継がれた二つの記憶と比べても、何か違和感を覚えた“彼”だが、ああと納得した。
これが自分の感性という奴なのだろう。“水晶体の自分”の記憶では無く、“人間の自分”のものでもない。自分という個が感じたものなのだ。
それが“彼”には少し嬉しく思えた。
(私ハ、知ラナイ事ガ多過ギル。見ナケレバイケナイモノモ沢山アル)
百聞は一見にしかずという言葉があるが、まさにその通りなのだろう。
受け継がれた記憶は結局は他人のものだ。本棚にしまわれた本に過ぎない。今の“彼”は、それを現実と照らし合わせながら認識しているだけなのだ。それだけでは、本当の意味で知っているとは言い難い。
この広い世界を知ろうとしたら、果たしてどれだけの年月を要するのだろうか。
全てを知りたいとは“彼”も流石に思ってはいない。ただ、それだけ自分の目の前に広がる世界の大きさに、言い知れぬ疼きを胸から感じたのだ。
(ソウカ、コレガ胸ガ高鳴ルトイウコトカ)
また一つ、新たな発見をした。
彼はそう思うと、いてもたってもいられなくなり、可能な限り速度を上げて飛翔を開始した。
風が鋭い音を立てている。空に浮かぶ無数の雲が目まぐるしく自分の遥か後ろへ通り抜けていく。一瞬だが、空を飛んでいたポケモンが何事かと此方を仰天した表情で見ていた。
行先は決めていない。ただ、今は全力で飛び続けたかった。
何処までも飛んで、そして飛ぶ事に疲れ果てた時は、何処かの草原に体を横たわらせ、目一杯体を休めてみたい。
全てはこれからだ。
何せ、自分は生きているのだ。それを、可能な限り謳歌してみたいのだ。
生かしてくれた二つの命の為に、そして、生きろ告げた一匹のポケモンの為に。
未だ名前の無い人型の異形は何かに突き動かされるように、地平線の彼方へ向けて飛び続けた。
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◆後書き
投稿前の確認で拙作を読み直して思いました。
恐らく読者諸兄の方々も同じ想いなのやもしれません。
『これポケモンじゃなくね!?』
自分の描いているポケモン像とは何かが違う様な気がする。
ちなみに此処で言うのも何ですが、主人公の元となったポケモンは某裂空の訪問者さんです。
神話系のポケモンも素敵ですが、初期の遺伝子ポケモンといったSF色の強いポケモンも大いにロマンがあると思います。
最初冗談半分で考えた時は宇宙人ジョー○ズの地球探査シリーズの様に、地球にやって来た某DNAポケモンが人間社会に溶け込んで(本人は溶け込んでいるつもり)、地球人類を観察していく中で騒動を起こすと言うコメディーものにしようとしていましたのに、なんでこんなことになったんでしょうね?
かがくのちからってすげーけど、いのちのちからもすげー!
あとこの小説は続きます。一応、原作には絡ませるつもりです。
時系列ですって? おっとここにタイムマシンが(ラリッた眼で目覚まし時計を撫で回しながら
拙作を読んで思う事がありましたらご感想をお聞かせください。