我らが生徒会長、白銀御行は天才である。
彼はあくまで努力の天才であって、彼の裏の顔を知る人はそう多くはない。一般家庭の生まれであるし、天才であることを保つ義務を強いられているわけではない。期待に応えたい、かっこよくありたい、見放されたくないという欲望から、見られていないところで努力している。
「……どうだったと思う?」
「中学の運動会の頃の創作ダンスより酷いと思った。盆踊りかスリラーみたいだった」
まだ部活は続いており、放課後は始まったばかりだ。いつもより学園中がなんだか騒がしい放課後の生徒会室、そこに俺たち4人がいた。
「でも、会長の踊りからは一生懸命なことが伝わってきますよ」
「……慰めてくれて、ありがとう四宮」
動きさえマスターすればいいということだ。
御行にとって、それが大変なのだけれど。
10月に入り、体育祭が近づいていた。俺たち2年生男子全員で行う種目として、ソーラン節というわりとメジャーなものが選ばれた。運動能力にあまり左右されることがないので、その力強い動きで、女子のハートをキャッチしたい欲望に溢れている。
ちなみに、伊井野は風紀委員で打ち合わせらしく、そして石上は応援団に入ったので練習に励んでいる。
「つくしくん、なにできた風を装ってるんですか!!」
「まてまて、俺は昨晩動画を見てマスターしてきたから」
千花からお叱りを受けた。
我ながら、完璧な動きだったと思う。
「涼しい顔して余裕そうでしたね!
でも、愛がないんですよ!!」
「愛が足りなくてまじですみませんでしたぁぁぁぁ!」
「筑紫ぃ!?」
今までの愛を全否定されたんだぞ。
お前に何が分かるんだぁ!!!
「会長、まずは柔軟から始めましょうか」
「お、おう……」
御行は地面に座って、そのガチガチの身体をかぐやさんが少しずつ押していく。右手で左頬を触る『ルーティン』をしなければならず、片手で押すことになっているようだが、御行はそれがちょうどいいくらいの身体の固さだ。
「愛のない表現はみんなを不幸にするの!
魂を込めなきゃいけないの!」
なんだかいつもより積極的に伝えてくる。
『具現化』に通じるものはある。
ご都合主義とか、妄想とか、心意だとか。
「いいですか。ソーラン節は、ニシン漁の作業唄や沖揚げの動作が元となっています」
「歌いながら作業するのか?」
歌うのか、作業するのか、どっちかにしてくれ。
「皆で同じ歌を共有することで一体感を高められるんだと思います。それに、単純作業を楽しくできる意味もあるでしょうね」
「一理ある」
国家や軍歌みたいなものか。
ニシン漁は集団でやるものなのだろう。
「そもそも、全国的に有名になったのは『3年B組金八先生』の影響らしいです。お互いの良さを知ることができるような、青臭くて、熱い踊りなんです」
「なるほど。為になるな」
それから、千花の動きを見ながら踊るように言われた。
いろいろ揺れてる。
集中できるわけないじゃん。
「やっぱり見本の真似して踊ってたんだ!
清々しいくらい私と同じだったもん!」
たとえ集中していなくとも、動きを合わせるくらいなら簡単にできる。集団で踊るということは、常に見本がいるということだ。中学の頃のダンスも、御行と一緒にそうして乗りきってきた。
「実は、曲や太鼓の音も無視している。そうしないとやばい」
音痴というのは、こういうところにも影響してくるということだ。
「わかりました! 心と体を弾ませながらリズミカルに踊る楽しさ、私が教え込んであげます!」
御行はかぐやさんにボディータッチされながら、動きを1つ1つ修正されている。それでもなお、まだ動きがガチガチで、そして必死すぎて、動きが崩れてしまう。だから、再び、ボディータッチされる。
あんな風に、手取り足取りか。
楽しみだ。
「まずはお二人に、引っ張られる網の気持ちを理解させます!」
「……網?」
まず、網を演劇部に取りに行った。
****
ダンスというのは意外にも疲れる。
全身の筋肉を使う踊りであって、ソーラン節は特に足や腰に負担がかかる。御行は人一倍体力があるとはいえ、柔軟から始まった練習で全身の筋肉が悲鳴を上げることになった。
そのため、今日は早めの帰宅となった。
「あっ……おかえり……」
「お兄ぃ!?」
お風呂上りの御行が、リビングの床に大の字になって天井を見上げている。帰宅した御行の妹さんは、何か怪我をしたのではないかと心配してしまったようだ。
いや、それよりはとうとう倒れたのかという感じ、なのだろうか?
「お邪魔しています。圭さん」
「えっと、確か、川田先輩ですよね」
白銀圭さんとは数回会ったことがあるとはいえ、中等部の彼女とはあまり関わりがない。俺と御行は中学の頃から親友とはいえ、基本的に学校内での付き合いだった。
「兄に、なにかありましたか……?」
「ソーラン節の練習で筋肉痛ですよ」
「床がきもちいいぞ」
その瞬間、圭さんの目が、兄に向けるようなではないものに変わった。どうやら反抗期と思春期が同時に訪れているようだ。
「そうだ。圭ちゃん、帰ったら手洗いうがいしないと」
「……わかってる」
ちらりと俺を気にして、洗面所へ向かった。
そして、荷物を置きに自室へ入ったようだ。
さて、ここまでの彼女の動きがどれも見えてしまう。それは、この家が3人家族では決して広くはない大きさだからだ。個室は1つしかなく、たぶん御行と圭さんは同じ部屋を2つに分けているのだろう。
「ちょっと待って!
なんでお客さんに料理させてんの!?」
ラフではない格好に着替えてきたようだ。
それにしても、ノリの良さが御行と似ている。
「お風呂にします?
ご飯にします?
それとも、妹さん?」
「なんで兄に向かって言ったんですか!?」
今、圭さんの中では最悪の答えが浮かび始めているのだろう。中学時代の御行は浮いた話が1つもなかったこともある。
「冗談です。俺には好きな人がいますよ。圭ちゃんも知っている人です」
「おいおい、圭ちゃんを揶揄うなって」
「……圭ちゃんって呼ばないでください」
そして、圭さんは何か思いついたような顔をした。
「あの、兄の学校での様子はどうですか?」
「いや、お兄ちゃん、ここにいるんだけど」
「それは、食べながらでも話しますよ」
圭さんはお皿を並べるのを手伝ってくれようとしたが、後は盛り付けるだけだ。テーブルの上に御行はもぞもぞと動き始め、3つしかないイスのうち1つに腰を落ち着けた。
「親子丼なんですね」
玉ねぎと鶏肉、その他調味料をフライパンにブチ込んでじっくりと煮て、仕上げに溶き卵をする。炊き立てのご飯にネギと共に乗せただけのお手軽さ(潜影蛇手)。
あとは、栄養バランス的にレタスでもちぎって、冷やしておけばいい。
全員で、いただきますした。
「傷心の心にも優しい味のどんぶりで、優勝したくなったので」
「はぁ……そうですか」
「筑紫は昔からこういうやつだ」
うーん、このネタが伝わらないとは。
「それで、御行の学校生活だったな」
「はい、そうですね」
何から話したものか。
「今日は女子と柔軟運動をしていたな」
「じゅっ!?」
「ああ、おかげで身体中が痛い」
「あとは、手取り足取り教え込まれて」
「手取り足取り!?」
「舞踊を嗜んでいると言っていたが、かなり上手かったな」
「ちなみに4人で」
「4人!?」
「藤原書記には叩きこまれたな」
「ソーラン節のこと、ですよ」
「そ、そうですよねー」
「明日も特訓しないとな」
こちらをジト目で見ながらお茶を飲む。
目を細めると、本当に御行とよく似ている。
「まあ、楽しく青春ラブコメやっているよ」
「……そうですか」
どうやら、この言葉で満足してくれたようだ。普段はツンツンしてしまうみたいだが、辛い時も3人で乗り越えてきた仲の良い家族なのだろう。その仲の良さは、俺の家族も決して負けていないけれど。
ごちそうさま、と告げる。
「御行、今日はバイトないなら早めに休んだらどうだ? 皿洗いもしておくし」
「だが、食べてすぐ寝たらいかんだろう」
そんなことしているから、常に睡眠不足なのだ。体育祭の練習や準備で最近疲れていることくらい、親友ならすぐにわかる。それが御行のことが気になる女性からすれば、尚更だろう。
今日だって、特訓後にはマッサージをしてもらっていた。
「横になるだけなら、むしろ消化にいいらしいぞ。向きは忘れたけれど」
「おい、やめろ」
その身体を羽交い締めで、運び出す。
いつもの御行と違って抵抗する力はない。
「やめて、くれ!」
「待って!川田さん!!」
別に、男の親友相手に隠すほどのものなんか。
「……おい」
その狭い部屋は『人間ここまで死ぬ気になれるのか』と、一目でわかる地獄だった。
御行自身与える強迫観念が紙に書き殴られた『文字』として現れており、天井にまで達している。こんな地獄ができるくらい、毎晩勉強していれば、急激に成績が伸びることも頷ける。
これならば、いつも睡眠不足なことは当たり前だ。
「……バカかよ、お前」
「……俺は馬鹿だ」
こいつは死ぬ気で『できる』ようになっただけだ。高校3年間、ほとんど休むことなく受験勉強しているようなものだ。もう強くなったと思いこんでいたけれど、秘密特訓を重ねていたように、俺たちにさえこの弱さだけは隠していたらしい。
御行はまだ臆病なままだった。
「馬鹿なんてこと、俺は嫌でもわかってるさ!」
「勉強ができるできないの問題じゃないだろ!」
「川田さん、やめて!」
圭さんの声で、ハッとする。
御行に怒りをぶつけて無意味だ。
俺は、胸ぐらを掴んでいた手をそっと放した。
「……ごめん」
気づいてしまって、ごめん。
気づいてやれなくて、ごめん。
止めなくて、ごめん。
「……俺の方こそ、すまん」
四宮かぐやの隣に立てるように応援してきたことは、そして御行に期待することは、親友を危うく殺すような感情だった。もし中途半端に止めてしまっていれば、その精神が壊れてしまうほどだった。
親友が初恋したときに、最初から止めるべきだった。
「誰にも言わないでくれ。
あいつにだけは、絶対に……」
「……でも、いつか、自分の口で伝えてあげろよ」
この光景を、あの優しいかぐやさんが見たら、耐えられるわけがない。それに、かぐやさんの前で強がってばかりの御行が、今の段階で弱さを見せてしまえば、精神が壊れてしまうかもしれない。
「推薦状、早速使うらしいな」
「……ああ」
そして、スタンフォード大学への関係書類が目に入った。つまり、今期の生徒会が終わる頃には、御行は海外へと進学してしまう。そこで、また、この地獄の生活を続けるのだろう。海外に行ってしまえば、その身体を気遣ってくれる家族はいない。更には、かぐやさんを数年間日本に待たせることになる。
俺はまた、頑張れって、伝えればいいのだろうか。
いや、それよりも。
「これは、自分の意志で?」
「……俺は、行きたい、と思っている」
死なないように、止めるのが正義なのだろう。
御行はいつか限界を迎えることになる。
「……まあ、親友の夢は、応援するしかないだろう?」
震えている御行の肩に触れて、俺はそう告げる。
「もし受かれば焼肉食べ放題の店で奢る」
「……何を、急に」
「もし落ちたら、この家で焼肉ヤケ食い、1週間は臭いが染み付くだろうな」
「……ああ、それはきついな」
御行は震える顔を覆った。
親友にくらい、弱さを見せてほしかった。
「よくがんばっています」
「あり がとう……」
御行に必要だったのは、こんな単純な言葉と感情、そして親愛だったのだろう。
素直に褒めてくれる人がいることが、御行の心の支えだ。かぐやさんに告らせたいという想いは、その差を埋める自信になる。それでようやく気兼ねなく付き合うことができる。いつか、強さも弱さも好きになってくれるかぐやさんに、その想いを伝えてもらうことができるだろう。
それまでは、俺が支えてやる。
「大丈夫。みんなも受け止めてくれるから」
『四宮の横に立てる』、その夢は叶うから。