少し時は遡る。
奉心祭といえば、「この期間中にハート型の物を贈ると永遠の愛がもたらされる」とされ、愛の告白と同義に捉えられる。世間でいうところの文化祭マジック以上に告白成功率は高く、かくいう御行も決着をつけるために密かに大がかりな準備を始めた。
そして俺は、御行を手伝いそうになる衝動を抑えながら、普段より溜まっていく生徒会業務を事務的に行い続けていた。
***
ちょっとムカムカする。
かぐやさんはクラスの人と最近仲が良いみたいだし。
つくしくんが2人きりなのにずっと仕事してるんだもん。
しかも、恋する乙女みたいにたまに窓の外を見るんです。
夕日に照らされた姿は絵画のように綺麗で、キリッとした目がカッコよくて、2人そろって明るい茶髪もとにかくずるい。御行くんもつくしくんもモテモテなのを猛省してください、ぷんぷん。
でも私たちにしか分からない変化だと思いますが、これでも柔らかい笑顔を浮かべるようになったんです。ちゃんと、私もつくしくんも変われているんです。
初めて出会った時、お恥ずかしながら周知院学園の2大女神とされる私に、彼は全く興味がなかったと思います。しかもほとんど表情が読み取れないのに、本気の目で『誰かの生首が沈んだままだったらかわいそう』って、冗談抜きで言うんだから、思わず顔が熱くなっちゃった。
本気で優しい人なんだって分かった。
ピアニストを実質引退してから、1人の女の子として恋に恋していたけど、お父様が認めてくれるか分からないし、遊びじゃなくて本気の恋愛がしたかったし、そしてなんならかぐやさんみたいな人がいいって思っていました。だからあの時、この人なら結構アリなんじゃないかと、そう思えたんです。
知的で品行方正な清純派アイドルですが、恋をしたいと思っているんですよ。まあ私って普段から男子ともよく話しますけどね。実は男子の手を握ったのも、相合傘を提案したのも、バレンタインデーに手作りチョコは渡したのも初めてなんです。
フッ、この頭脳明セキな私が、お母様にアドバイスをもらいながらアタックして、ようやく意識してくれるくらいの難敵でしたよ。
カップルっぽいこと全部が初めてでした。手汗や心臓の鼓動でつくしくんもドキドキしているのが分かるのが楽しくて、彼との時間は温泉にも浸かっているかのようにポカポカする。ずっとずっと一緒にいたいって思う。
でもつくしくんも、ヒーローだから。
いつも周りを見渡していて、助けを呼ばれたらすぐに助けにいく。つくしくんのお姉さんが愚痴っていたような赤い風来坊さん程ではないけど、1つの場所に留まることは珍しいと思う。たぶん、御行くんがいたから、最初は私たちの生徒会に入ったのでしょう。
悔しいなって思うけど、最初はかぐやさんも、私がいないと入ってなかっただろうから、そういうとこも2人は似ているのかもしれません。かぐやさんとつくしくんって気が合うのか、私たちの生徒会が始まった直後から驚くくらいによくしゃべるし、私と御行くんが置いてきぼりになることは何度もあった。
だから、いつか離れていくかもしれないのが怖くて、その一度だけは私は彼に嘘をついてしまった。自分では意外でしたが、束縛したいし、何よりも束縛されたい欲があるようです。
あのホワイトデーの時、彼は本気の目で『好きです』って伝えてくれたのに、私はありふれた『好きだよ』を返して誤魔化してしまいました。
恋愛は告白した方が負けって誰かが言っていましたけど、私は本気の違いを思いしらされたみたいで、敗北感がすごかったです。
それ以来、つくしくんはできる限り側にいるようになってくれて、そして私の返事を待ってくれている。ラブ探偵チカからすれば、彼が私のためにいろんなアプローチをしてくれているのが分かるし、お父様にも気に入られたみたいで嬉しい。
ともかく、彼も私のためにちょっとずつ変わっていて、私も彼のためにもっと本気で恋愛について考えてきました。
決めてました。
この奉心祭で、私は―――
ポケットの中の、携帯が揺れた。
「あっ、電話です。 もしもし?」
『あ、もしもし、その、蓬莱……
その名前を聞いて、私はゆっくりとソファから立ち上がって、生徒会室の大きな扉へ向かう。温かい生徒会室から出ると、秋の風が少し冷たく感じた。
『久しぶり。僕のこと、お、憶えていますか?』
「はい、もちろんですよ♪ ご活躍はかねがね!」
ウィーンの高校へ留学していて、今でもたくさんのコンクールで受賞し続けている。テレビにだってよく出る有名人だ。日本にいた頃は顔を合わせることも多く、音楽家として彼の実直なピアノは好きだし尊敬もしていた。
天才ピアニストとして無茶をしていた頃に、親切に優しい言葉をかけてくれた男の子なんです。
『その、ピアノは、やめたのですか?』
「いえ、趣味としては続けていますよ」
そこからはお互いの近況報告でした。
私は蓬莱君の活躍を聞いて、なんとなく想像がついていたけど、そういえば私の近況って伝わっていなかったみたい。彼も天才だけど、少し奥手なところがあるから、電話するのってすごく勇気がいることだったのかも。
昔の私と同じく、ピアノの練習を毎日続けているみたいで、凄いなって尊敬するし、私はもうその生活には戻れないとも思った。だって、世界は様々な楽しいことであふれていますから。
「でねでね! 最近あの駅の近くのラーメンが」
「なんだか、変わりましたね」
その言葉に、頬が緩む。
「はい♪ 友達もたくさんいて毎日が楽しいです!」
「……そっか」
疲れたような声で、彼はそう呟いた。
「僕、藤原さんのピアノが聴きたいんだ。藤原さんの音色は綺麗で、完璧で、努力の証だから。いつまでもずっと聴いていたいって、思っていた。だから、その、ウィーンに……」
彼はそう想いを伝えてくれた。
かなり早口の告白はちゃんと伝わってますよ。
「そうですね。蓬莱君が日本に帰ってきたときにでも、聴かせてあげますよ」
私は告白の返事をした。
天才として努力を続ける彼にとって、趣味として続ける私のピアノをどう思うんだろう。楽譜通りに、完璧に演奏って、できなくもないけど、それよりは最近アレンジを加えて弾くほうが多い。
ていうか、つくしくん御行くんという音痴コンビへ、楽しく音楽を教えるには、原曲のままのテンポだとハードルが高すぎますから。この前なんてカラオケの特訓に付き合わされたし、いきなりラップをやりたいなんていうし。
だから今の私を、ありのままの私を伝えよう。
「私、今は学校の音楽の先生を目指しているんです」
「えっ……」
そりゃあ驚きですよね。
世界一のピアニストになるって言ってましたものね。まあ去年まではお父様みたいな政治家になって、そこから総理大臣も目指してましたけど。
「ドレミの音程も分かってない人たちへ、音楽を教えるのって結構大変なんですよ」
「そ、そこまで?」
正直、最初は私もビックリした。
「彼らって怒られ続けて ず~っと! 音楽の楽しさを知らないまま過ごしてきたんですよ! だから私が伝えないとって思ったんです!」
私は恋愛も人生も、過程を楽しんでいきたいから。
遠回りばっかするくらいがちょうどいいんです。
「だから。音楽の楽しさをみんなに伝える、私はそんなヒーローになるつもりなんです♪」
「そっか」
今度の蓬莱君の相槌は、少し明るい声だった。
「また何かあれば連絡くださいね。あ、正直言うと、私って筋肉フェチなんで! それじゃあお元気で!」
「あ、うん、また……え?」
蓬莱君は音楽家としては好意的に見れるけど、恋愛対象としては細すぎるんだよね。この前見た写真でも変わらないままでした。
ともかく。
私は目の前にいる細マッチョさんをもう少しがっしりさせたいです。目標は力士さんです。
ほら、大きな腕で抱きしめてほしいじゃないですか?
「つくしくん、ラーメン屋へ寄って帰りましょう!」
「ああ、そろそろ帰ろうか」
清純派アイドルとして彼氏は持たないと思われているでしょう。しかし私は、スーパーミステリアス美少女として、親友のかぐやさんにすら恋心を隠してきたんです。
「今日はどこのラーメンなんだ?」
「ニンニク背油マシマシな気分です!」
この奉心祭で、今度は私が告白するつもりなんです。