「喰物、狩り……?」
葵は男────────九十九が語った言葉を復唱し、訝し気な目を向ける。
それもそうだろう。
何せ、いきなりそんな専門用語じみた何かを告げられたのだ。
信じるにせよ信じないにせよ、説明不足にも程がある。
(けど、嘘を言ってる感じじゃないよね)
だが、適当な事を並べ立てているようには思えない。
普段であれば、ただの気狂いか怪しい男として近付きもしなかっただろう。
けれど今、この状況。
現実には有り得ない化け物が目の前にいて、この男はそれを迎撃して見せた。
少なくとも、この場に置いて有用な相手である事は間違いなさそうである。
「取り合えず、これだけ教えて。貴方、あの怪物を何とか出来る?」
「出来ますとも。それこそが、
「そう。ならお願い。報酬が必要なら後で払うから、あれをなんとかして」
わたしには、無理だったから、と葵は何処か悔しそうに呟いた。
葵にとって、初めてだったのだ。
自分の力が、通用しない相手なんて。
幼い頃から、葵がその膂力を振るえば大抵の事はなんとか出来た。
街で評判の不良も。
酒癖の悪い友人のクズ親も。
果ては野生の獣でさえ、彼女がその力を見せつければどんな通りでも貫けた。
だが、あの怪異は違う。
ただ力が強いだけでは、あの怪異は倒せない。
だから、要るのだ。
あれを倒せる、超常の力を持った存在が。
この男は、間違いなくそれを持っている。
故に、多少気に食わない所があろうと、頼み込むしかない。
この場での強者は自分ではなく、この九十九という男の方なのだから。
「承りました。では、あの怪異────────
九十九はそう告げ、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
それは人の皮を脱ぎ捨てた、獣の笑み。
「──────────捕食展招、『管狐・焔』」
九十九の右腕が赤熱し、内部から無数の炎が吹き上がる。
その炎は形を変え、狐の姿を形取る。
炎の化身した狐の群れが、その眼光を目の前の怪異に向けた。
その眼は、同じだ。
その狐を展開した、九十九が見せた獣の眼。
それと同じものが、その焔狐の眼に宿っていた。
「クダよ、クダよ。焔となりて、喰らい尽くせ」
九十九の声と共に、焔狐たちは一斉に怪異へ飛び掛かった。
その速度は、先ほどの怪異のそれの比ではない。
あっという間に三体の怪異全てに喰らいつき、その炎で化け物の巨躯を燃やし喰らった。
炎は焔狐が触れた箇所から一気に全身へと燃え広がり、その巨体を包み込む。
その様は何処かかがり火にも似て、けれどゴミが焼けるような不快な匂いがこれはそんなものではないと否定する。
『熱e痛e熱e痛e痛e痛e助:6母xy助:!』
断末魔の叫びを上げ、三体の怪異は燃え尽きる。
牙を立てる炎の狐に、その燃え殻が食われていく。
それは、この場の絶対者を見誤った獣の末路。
自分を喰らうものを、
「────────捕食完了。クダよ、戻れ」
男の声と共に、焔狐たちは九十九の腕へと戻っていく。
怪異を喰らい、力を増した炎の狐が主の下へ舞い戻る。
全ての狐が男の腕へ、管へと戻り、九十九の腕は異形のそれから人のそれへと変わっていった。
「なに、今のは……?」
その光景を何も言えずに見ていた葵が、ぼそりと呟く。
最初の一撃で炎を使うのは想像出来ていたが、その規模は段違いだった。
あの焔狐が怪異へ接触した瞬間、まるで予めガソリンでもかけていたかのように化け物が燃焼したのだ。
燃え尽きるまでの時間も、ほんの数秒。
自然界の炎では、あんな事は出来やしない。
山火事とて、広範囲を焼くには相応の時間がかかるのだ。
風の強さ等で多少変動する事はあるが、あの炎はそんな常識の括りでは片付けられない。
先程までは命の危機が迫っていた為棚上げしていた疑問が、今となって湧いてくる。
あの怪異は、何なのか。
そして、それを倒してのけたこの男は、何なのか。
喰物とは、喰物狩りとは何なのか。
疑心暗鬼と、未知への興味が葵の心を突き動かす。
何が何でも聞きだしてやる、と意気込んでいた。
「教えて、あれは────」
「────残念ながら、それは出来ませんね。貴方には、今からそれを忘れて貰うんですから」
「え……?」
────────だが、それに男が応じるかどうかは、別の話。
いつの間にか九十九は右腕を再び管へと変えており、その先を葵に向けていた。
「捕食展招────────『管狐・獏』」
「あ……?」
その腕筒から出た、霧のような透明が狐。
それが顎を開き、葵の頭に喰らいついた。
途端、葵の意識は遠ざかり、身体は力を失い倒れ伏した。
九十九は彼女の身体が地面に激突しないよう、そっと抱きかかえる。
そして彼女の頭に喰らいついていた透明な狐を腕筒に戻し、ほっと息を吐いた。
「やれやれ、この作業はいつになっても慣れませんね。しかし、悪く思わないで下さいよ。耐性のない一般人が下手に喰物の事を知れば、憑かれ易くなるんですから」
何処か自分に言い聞かせるように呟いた九十九は、さて、と周囲を見回した。
「下手に此処に置いて言ったら後味の悪い事になりそうですし、家まで送り届けてあげますかね。さて、何か住所が分かるものがあればいいんですが」
多少の気が咎めながらも、九十九は少女のバッグに手を伸ばす。
意識のない少女の荷物を漁るのは少々気が引けるが、背に腹は代えられない。
そう考えながら、九十九は手を伸ばした。
「え……?」
「────勝手な事、言わないで貰えます?」
────────だが、その腕は他ならぬ少女の手によって掴まれた。
自身の術により、記憶を「喰らった」筈の少女がである。
通常、あの『獏』で記憶を喰らった対象は、その時のショックで意識を失う。
暫くの間は意識が戻らず、戻ったとしてもそれまでの事は忘れている。
その筈だ。
その筈なのに、少女は記憶を失った風もなく、男を睨みつけている。
有り得ない。
そんな事が、目の前で起こっていた。
「君は、一体……?」
「それは、こちらの台詞ですよ。なんなんですか? 助けてくれたと思ったら、変なのにわたしを襲わせて。これ、訴えたら有罪勝ち取れるんじゃないですか?」
痴漢で訴えてもいいんですよ、とドスの利いた目で少女は九十九を睨みつける。
腕を掴む力は想像以上に強く、間違っても年頃の少女の膂力ではない。
そういえば、と九十九は想起する。
路地の奥にある、壁の凹み。
最初はあの喰物が暴れて作ったのだろうと考えていたが、それにしては凹みの大きさが小さ過ぎる。
まるであれは、人間代の物体が叩き付けられて出来たような跡だった。
路地に残る血痕から、この場には少女以外に複数名の人間がいた事は分かる。
喰物の口の周りに付着していた血液からも、誰かがこの場で食い殺されたのは明らかだ。
そして、こんな人気のない路地裏に、一人の少女と共にいる人間。
どう考えても、碌な人間ではない。
もしや、あの壁の凹みは。
あの喰物ではなく、この少女が作ったものではないのか。
今になって、九十九はその可能性に思い至った。
何より、この少女は『管狐・獏』による記憶消去が効いていない。
一般人に、そんな芸当は出来ない。
ならば、この少女は────。
「────────まさか君は、『獣憑き』か……?」
「え……?」
九十九の言葉に、少女は狼狽える。
これは、見当違いの事を言われた者の反応ではない。
逆だ。
心当たりがあるからこそ、それを言い当てられた事に驚いている。
そんな、顔であった。
「どうして、うちが獣憑きだって……?」
「まあ、あれが効かない相手で尚且つ喰物の事を知らないとなるとね。それくらいしか思い至らないんだよ」
────────日本には古来より、『獣憑き』、もしくは『憑きもの』と呼ばれる家系が存在する。
これは人に獣の霊が憑依し、その性根や姿形を変えるものだが、中には家系そのものに憑く場合もある。
家系に憑くタイプの獣憑きはその家系に恩恵を与える代わりに、粗末に扱えば相応の報いを受けさせる。
更には、自分の家系が獣憑きだと知らないまま、先祖返りのようにそれが発現してしまうケースもある。
そして葵は、その家系の出身だった。
葵は、幼い頃から人並み外れた膂力を発揮していた。
それが異常な事であると、葵は周囲の人間の反応から気付いていた。
だから、調べたのだ。
祖父の書斎にあった本を片っ端から調べ尽くし、そして至った。
自分の家が、『獣憑き』という家系に属するものである事を。
正確には空巻の本家がその本流なのだそうだが、稀に分家筋にも憑き物が出る場合があるらしい。
正体不明なのは、当然だ。
まさか科学の発達した現代社会で、そんな古臭いものが残っているとは誰も思うまい。
もしも葵が少し交通の便が悪いだけの田舎ではなく、信心深い者達が集まる山奥の寒村などで暮らしていれば、迫害を受けていたとしても不思議はない。
事実、葵の先祖はどうやらそういった迫害から逃れてあの街へ行き着いたそうだ。
この力は、隠さなければ。
そう思って都会に出て来たのが、葵である。
まかり間違っても、この力の出どころがバレてはならない。
そう思って生きて来たのに、まさかこんな所で初対面の相手に看破されるとは誰が思おう。
呆然とする葵を見て、九十九はしばし逡巡し────────全てを話す事を、決めた。
「分かるのは当然です。なにしろ、私も似たようなものですからね」
「え……?」
「私達喰物狩りは、そういった者達の集まりです。正確には、その性質を利用したのが私達なのですから」
では、ご説明しましょう、と前置きし、九十九は話を始めた。
「あの怪異────────
食物連鎖は、自然界に置ける被食者と捕食者の関係図であり、植物が原点とされ肉食動物が上位となる。
被食者は捕食者に食われ、その捕食者もまた上位の捕食者に食われ、最後には捕食者の死体が土に還り原点である植物を育む。
それが、食物連鎖である。
その過程で、淘汰されて来た生き物は多い。
自然界は、弱肉強食。
環境に適応出来ない弱者は、淘汰されるより道はないのだから。
「彼等は、捕食者を憎みそれを喰らってやろうという行動原理で動いています。お嬢さん、食物連鎖の頂点────────最も多くのモノを喰らった生き物は、なんだと思いますか?」
「え、それは……」
「────────人です、人間ですよ。古来より、人間ほど数多くの動植物を喰らって来た生き物はいません。人間こそが、最も強欲な捕食者なんですよ」
九十九の言は極端だが、間違ってはいない。
自然界における肉食動物の肉さえ、人間は食料にしてしまう。
小魚にとって恐るべき捕食者であるマグロも、人間にとってはただの食材だ。
人間ほど貪欲に、数多くの動植物を食べて来た生き物はいない。
それは、限りなく的を得た真実であった。
「だからこそ、
葵は、あの怪異の────────鮫型の喰物の視線を、想起した。
あの視線に込められていたのは、食欲だけではなかった。
溢れて尽きぬ程の、底知れない
それが、あの怪異から漏れ出ていた。
いや、漏れ出るなどというものではない。
その全身に血液のように、憎悪という感情を巡らせていた。
あれは、捕食者に対する被食者の憎悪。
だからこそ、あの怪物は人間を狙っていたのだ。
捕食対象として、そして────────復讐相手として。
ぶるりと、葵の全身が総気立つ。
それはあの視線を思い出したから、ではない。
あの時と同じ、視線。
それが、路地の奥から葵達に向けられていたからだ。
「これは……っ!」
その事に、九十九も気付いたのだろう。
葵を強引に抱き起こしながら、その腕を再び筒に変える。
そして、路地の先を────────その地面に広がる、巨大な水溜まりを睨みつけた。
「もしかして、またさっきのが……っ!?」
「ええ、ですがさっきのような
その言葉が、引き金だったのか。
路地の奥の水溜まりが膨張し、一瞬にして路地を────────否、世界を包み込んだ。
周囲の景色が、変貌する。
何の変哲もない路地であった場所が、果てのない血の池のような場所に置き換わる。
周囲には何もない、見渡す限りの赤黒い大海。
それが、彼らの引き込まれた異界領域。
それは、世界の浸食。
常識そのものを塗り替える、侵略行為。
世界そのものに対する、捕食行為に他ならない。
「なに、これ……っ!?」
「不味いですね。『捕食結界』に取り込まれましたか」
九十九の額に、冷や汗が滲む。
その視線は、赤黒い海の底を見据えていた。
そして、気付く。
この領域の主は。
恐るべき怪異は。
既に、自分達の真下に存在している事に。
『9hm、我t@子oを66666666666666666666666666666666666666666666!!!』
怪物の咆哮が、木霊する。
まだ、怪異は。
異常の顛末は、終わってなどいかなかった。