急ぎ足で見てみよう。協商の終焉を。カイザーライヒの凋落を。
1946年9月
一応の講話が終わり、協商参戦国の国々が、主権剥奪の屈辱を受けていた。ポルトガルもその一国だ。ただ、この戦争はポルトガル無しには終戦しなかった。
ポルトガル領アゾレス諸島
協商の残党がが奪取しようと必死になっていた所である。無駄だったが。
そこから、ドイツ帝国は艦隊を西インド諸島連邦に上陸。西インド諸島連邦の国力では、太刀打ちできず、降服。
1947年3月
飛行機の墓場で有名な諸島を攻略
1947年8月
カナダに初上陸成功。『大掃除作戦』開始。ただし、上陸位置からのカナダ本土攻略はできなかった。
この失態よりチャーチルは辞職を試みた。彼が進めていた講和も破綻した。カナダは必死の抵抗に、泥沼の本土決戦を開始した。
1947年9月
ついに本土上陸を許す事に。
海軍大臣が自殺。広場では、飲んだくれと麻薬を吸う者で溢れ帰った。
1947年10月
オタワ攻防戦、カナダ軍は玉砕。エドワード8世は脱出。
1947年11月
臨時首都バンクーバーに逃亡中のエドワード8世を拘束。
ここに戦争は終わった。
勝者による分割と制裁が始まった。
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この機体、寝心地いいな。とか寝ながら考えていたら、講和条約締結予定地についた。
ミッドウェー諸島、国営ホテル“太平洋第一帝国ホテル”
日章旗とドイツ帝国国旗がひらめいている。
、、、さて、中々大変そうだな。
実際大変だった。講和内容は、南アメリカ領ガイアナをヴィルヘルム3世の厚意で、ガイアナ以外は、ドイツ帝国施政下に。
この後が大変であった。
まず戦争指導者に対する求刑。
議論百出した。
結果として、旧第三インターナショナル指導者は、一律『五年間の禁固又は、国外追放(資産は保証)、並びに公職追放、群衆指導禁止』、まぁ、協商も似ているのだが。
イギリスやポルトガルの王家をどうするかで揉めに揉めた。
ある者は、処刑を。
また、ある者は、謹慎を。
ある者は、貴族に降下を。
訴え、議論は進まない。
除名嘆願文が届く、届く、とにかく届く。
この間なんて、チャーチルさん直々にお願いされてしまったし。
中々大変だよ。ドイツ帝国の要望、敗戦国の国民の要望、我々の国民の要望。
頭が痛くなりそう。
苛斂誅求な要求はいいことがないし、甘過ぎると、避難を浴びるし。
禍根は残るだろうな、なるべく少なくしないと。
話を変えると、カイザーはカイザーで大変そうだった。慣れていないんだろうな。
講和条約、戦争裁判は何話にか分けます。