イタリア=二重帝国戦争
1948年、旧両シチリア王国は、イタリア半島を“限定的”に統一したため、ドイツ帝国の確認を得て、イタリア王国と改名した。
諸君は思うだろう、、、
“限定的”とは、、、?と、、、、
その辺りの事情を説明しつつ、話を進めよう。
イタリア王国はサルデーニャ王国、イタリア社会主義共和国を下し、半島の南北は打通したが、まだ、オーストリア=ハンガリー二重帝国の傀儡たるイタリア連邦、未回収のイタリアが残っており、国民は完全なる統一を望んで止まなかった。
第二次大戦は終結し、国民の関心は完全なる統一に移った。
イタリア王国政府は、友好国ドイツ帝国の二重帝国に対する態度を見て、反対的だったが。ある事件が発生した。余りに下らない事件だが、二重帝国は自身の首を絞めてしまった。
『ドイツ帝国挑発事件』、、、
ドイツ帝国と二重帝国の仲は、ドイツ帝国建国時から、険悪だったが、第一次大戦を通し、友好国になっていった。簡潔に言えば、従来の間柄になったのだ。そして、この事件はその発露である。
イタリア王国政府は、この事件を利用した。いや、国民に押された。
数ヶ月後
イタリア王国政府は、二重帝国に戦争を布告した。
開戦当初から、イタリア王国政府は、敗北する、と考えられていた。何故なら、国力の差が圧倒的なように思われたから。
、、、しかし、結果は、イタリア王国軍の連戦連勝、ドイツ帝国が参戦したのか、、、?
、、、いいえ違います。
イタリア王国は、自力でヴィーンを陥落させたのです。世界中が『ネオ日露戦争』と、呼びました。
スイス軍人の日記には、いや、世界中の軍人は、
『日露戦争と、同じような例を初めて見た。』と、遺しています。
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あの事件から一年後の東京 米内邸
「妙川馨君がいればなぁ、、、」
続く溜め息、賛同する複数の声
「近衛殿は、彼の知り合いですかな?」
現総理大臣の米内は、先程の発言者に質問する。
返ってきたのは、それ以上です。と言う解答。
「彼を失ったのは惜しい。」
嘗ての陸軍大臣の石原莞爾の言葉だ。
あの事件がなければ、妙川自身の『内閣解体から、20年は政治に参加しない』、あの約束を反故にしてでも、政治家として、続投させたかった。
、、、話は続く
「イタリア=二重帝国戦争の先行きは、どうするか。妙川に聞きたかった、奴になら、、、」
、、、そう、彼なら。
いや、彼の示した戦後の世界、我々は、あれに頼りきっている、、、。
、、、彼は地図だった。彼はコンパスである。彼の亡霊に頼りきっている。
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一年後、イタリア=二重帝国戦争は、イタリア王国の勝利に終わった。