思いだs……
いや知らないよこんな記憶!
なんだこれ!
彼女の前には愛しの彼がいる。
皆が恐れる自分に対して、その恐怖を押し殺しながらも一個の存在として認めてくれる男性が。
彼女の奏でる曲を最後まで聞き、彼女の音に向き合い、彼女の頭を撫でてあやし、素敵な音楽を奏でる笑顔の素敵な彼。
そのエージェントは彼女のにとってかけがえのない存在だ。
そんな彼が今、目の前で目から棘を出して血を流している。
何者かによって傷つけられ、そしてこれから起こる何かに嘆き悲しみ、その結末を変えようと足掻こうとしている。目も見えないボロボロの体で。
そんなの、だめだ。
無茶をしようとした彼の姿を見て、彼女は決心する。彼の代わりに、私がやろうと。
蹲りながらも藻掻く彼の頭をいつもしてもらっているように撫でて、曲を奏でる。
勇猛で、優しくて、美しく、自信に満ち溢れた音。
それこそが彼女の決意だ。
気分は上々、機材は万全。
今日の曲は決まった、オーディエンスもばっちりだ。
歩く姿に迷いなし、その表情は晴れやかだ。
七色に輝く銀髪を靡かせ、音色を奏でて部屋を出る。
破滅の音色を奏でし銀色の乙女。人を求めながら人を拒絶する儚き存在。
その名も、『O-01-i37』。またの名を『儚きハーモニクス』
これからの演奏に胸を昂らせ、
今ここに、2体のALEPHが激突する。
「ア゛ア゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛!!!!」
「きゃあぁぁぁ!!」
この部屋の、最後の肉の潰れる音がする。
下手人は怪物、それも特別醜悪な。
上半身は人の形をした筋肉に、所々腐った肉塊が装飾されている。六本の腕のうちの四本は虫の足のように体を支え、残りの二本は人間のように配置されている。
しかしその左薬指だけは大きく肥大化しており、根本には指輪がはめ込まれている。
下半身は千切られたかのように無くなっており、内部から出た内臓がドレスのスカートのように広がっている。
そして頭部は、一つの大きな目玉があるだけで他には何も存在しない。何も存在しないにもかかわらず叫び声をあげ、憎しみを轟かせる。
『T-05-i11』、またの名を『盲目の愛』
その名の通り愛に狂い、瞳の輝きを失った哀れな存在。
その肉で作られた出来損ないのカマキリのような怪物は、女性のみを執拗に襲う。
それは純粋な嫉妬、自分以外の女が憎い、醜い、妬ましい、悍ましい、恐ろしい。
それにとって女とは、自分の幸せを妨害する障害でしかないのだ。
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!」
だから潰す、徹底的に、ぐちゃぐちゃに、跡形もなく、徹底的に、容姿も、性別も、原形も、人であったかも判らないくらい完全につぶす。
そして誰もいなくなった収容室をそれは見まわす。周囲の女は殲滅した、もうこの部屋には何も残っていない。
最初は男性のエージェントが『T-05-i11』を止めようとした。しかし怪物はどれほど己の身が傷つこうとも決して歩みを止めようとはしなかった。
全ての男性エージェントを恐ろしいほどの速さで振り切り、己の求める女性のもとへと向かっていった。
不運にも、この日は新人の女性エージェントが固まっていた。そして育成のために女性の中堅エージェントがチーフを担当していたのもまずかった。
結果チーフは不意を突かれて一瞬で命を落とし、あとは哀れな子羊たちが起こったのだ。
結果は言うまでもないだろう。哀れな床のシミが増えただけだ。
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛……」
怪物は次の獲物を探すために次の場所へと向かおうとする。
その時、勇猛な音楽とともに怪物の体が引き裂かれた。
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!」
怪物は痛みに喘ぐ、いや憎しみに咆哮する。
目の前にはまた女だ。しかも、愛しい彼の視界に入った女だ。
その女、『儚きハーモニクス』は自身の髪を床に突き刺し、髪を手で束ねてギターのように掻き鳴らす。
「ア゛ア゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛!!!!」
許すわけにはいかない、生かすわけにはいかない。
それが私の邪魔をする、だから潰さなくては、徹底的に。
―“見 つ け た”―
怪物、『盲目の愛』は目にもとまらぬ速さで少女に接近し、己の腕を叩きつようとする。
しかし『儚きハーモニクス』は回避行動をとらずに、ただ音楽を奏でる。
―うるさい、“アクセント”―
旋律とともに周囲に音の斬撃が生まれる、しかし動きは鈍くなったものの『盲目の愛』は『儚きハーモニクス』に接近し、腕を叩きつける。
―邪魔、“カノン”―
そこに、極大の音楽が『盲目の愛』にたたきつけられる。怪物は吹き飛ばされるも体勢をすぐに立て直し、次の行動に移る。
「ア゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!」
『盲目の愛』は壁を走り撹乱しながら狙いを定める。それに対して『儚きハーモニクス』はその場で怪物を見据えながら演奏を続ける。
―“逃 が さ な い”―
―無駄よ、“スタッカート”―
怪物は爪を飛ばし、少女は音で防ぎ、反撃する。
だが怪物は己が傷つくことを構わない、なぜなら最後に目の前の醜女を殺すことができればいいのだから。
いくら爪による遠距離攻撃を防がれようとも、いずれは綻びが生まれる。ましてや怪物は、この施設内における『最速』の怪物なのだ、それに目の前の少女がいつまでも対応できるだろうか?
―いい加減に…… くっ!―
そしてついに怪物の爪が少女を傷つける。さほど大きくない、かすり傷のような小さいもの。しかしその一瞬できた小さな隙を怪物は見逃さなかった。
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛!!!!」
壁を走り回っていた怪物が、急に壁が陥没するほどの速度で少女へと方向転換する。床に散らばった肉が飛び散り赤いカーテンができる。
それに対して少女はすぐに床に突き刺した髪を抜いて、いざというときのために用意していた天井に突き刺した髪を引き寄せて上に逃げる。
そして天井に残りの髪を突き刺して反撃しようとした少女の目の前には、すでに怪物の腕が迫っていた。
「~~~っ」
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛♪♪」
怪物の攻撃を直撃した『儚きハーモニクス』は、とっさに己の体に髪を突き刺して音の防壁を発生させた。
そして壁に衝突した衝撃を和らげてすぐに体勢を立て直すも、『盲目の愛』はすでに目の前にいた。
「~~~!!」
「ア゛ハ゛ッ゛♪」
愉悦の声とともに放たれる暴力の嵐を、『儚きハーモニクス』は全力で避けながら反撃する。
髪をすべて床に突き刺す時間はない、ゆえに一本だけでも突き刺し少し音を奏でてまた逃げる。
『盲目の愛』の腕による攻撃を避けれても、それによって生まれる瓦礫の礫までは避け切れず、徐々に傷が増えていく。
相手も徐々に傷は増えるものも異様にタフで、いまだに勢いが収まる気配はない。このままではじり貧だ。
―もう、やるしかない―
そこで彼女は賭けに出ることにした、たとえリスクがあったとしても、そうしなければこの怪物には勝てないと判断したのだ。
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ァ゛ッ゛♪ ア゛ア゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛!!!!」
『盲目の愛』の攻撃を己の身で受け、その腕を自分の髪で拘束する。そしてそのまま怪物の内部に音を響かせようとしたが、危険を察知したのか怪物は拘束された己の右腕を切断してすぐに距離をとった。
残された右腕はそれでもなお彼女を害しようと暴れまわるが、体内に鳴り響いた音楽とともに楽器となって曲を彩った。
―失敗した、でもこれなら―
床に髪の毛をすべて突き刺した『儚きハーモニクス』は、鼻血を腕で拭って再び演奏を始める。次こそ絶対に、演奏を止めないために。
対する『盲目の愛』は、爪を飛ばして牽制し、そのまま接近して残りの腕で連撃を加える。いくら腕を一本失い先ほどまでの連撃を出せなくなったとはいえ、その速度は油断できるものではなかった。
戦況は『儚きハーモニクス』のほうが優勢に見えるが、彼女も『盲目の愛』の強烈な一撃を受けている。
現状では、どちらが勝ってもおかしくなかった。
―あぁ、これほどの障害、貴方の為なら乗り越えて見せるわ―
―絶対に負けない、彼の為にも、ここで止める―
そして、ついに決着の時は訪れる。
―あぁ、貴方を“ア イ シ テ ル”―
―これで終わりよ、“グランドフィナーレ”―
赤き旋風と銀色の旋律がぶつかり合い、施設を揺さぶるほどの衝撃が生まれる。
「ア゛ア゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛!!!! ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛……」
そして最後までその場に立っていたのは、銀髪の少女だけであった。
―やっと終わった……―
『儚きハーモニクス』は戦いに勝利したことで、思わず力が抜けそうになっていた。
しかし、自分が何者かに囲まれていることに気が付き、何とか踏ん張って体勢を保った。
男女入り混じった大勢の人と、なにやら無粋な巨大なカニまで。
「やあ『O-01-i37』、お疲れのところ悪いがアンコールを願おうか」
周囲をエージェントに囲まれ、その中心の男が『儚きハーモニクス』に話しかける。その男は、彼女がギフトを与えたもう一人の男であった。
そんな彼に望まれたのなら、無碍にはできない。痛み血の流れる体を無理やりいうことを聞かせて演奏の準備をする。
―さあ奏でよう、今度はみんなを楽しませるために―
彼女が演奏を始めると、周りの人々も楽器をもって演奏に参加した。
音を奏でながら飛んでくる銃弾やボウガンを音楽で阻み、弾き、時に避け。
その音に合わせながら曲調を変え、振り下ろされる武器の剣戟に耳を傾ける。
そして無粋なカニに音撃を叩きつけながら、みんなで一緒に演奏を楽しむ。
―あぁ、やっぱりみんなで演奏するのは楽しいな―
―いつもみたいに彼に静かに聞いてもらうのもいいけど、こうやってみんなに合わせるのも大好きだ―
部屋中に音楽を響かせ、至福の時間を過ごしていく。しかし、そんな時間も長くは続かない。
曲を奏でながら攻撃を阻み、避ける『儚きハーモニクス』も、どうしても避け切れない攻撃が出てくる。
中でも星を抱く大剣を振るうあの男の攻撃は鋭く、的確で徐々に彼女も追いやられていく。
―それでも最後までいっぱいいっぱい楽しもうよ―
ボウガンの矢を音ではじき、髪を抜いて振るわれる鎌から距離をとってその場でまた演奏をはじめ、無粋なカニを音の斬撃で解体する。こうすれば彼も食べやすいだろうと考えて。
的確な銃撃が肩を穿ち、死の気配を纏う斬撃が体を掠め、星の大剣が体を抉る。
そして会場のボルテージも上がっていき、演奏もフィナーレへと向かったその時、ついに終わりはやってきた。
「……悪いな」
―あぁ、もう終わりか……―
止めを刺したのは、急いでここに向かってきた愛しい彼であった。いつも作業をしている時とは似ても似つかない、かつて自分を止めたときのような冷たい表情。
しかしその瞳には、ほんの少しの罪悪感が存在していた。
―そっか、なんだかうれしいな―
傷だらけだった彼が、自分の演奏の最後に駆けつけてくれた。それが彼女にはたまらなくうれしかった。
―よかった、だけど、今度は……―
今回の演奏は満足だった。
最初こそ邪悪な乱入者に会場を荒らされたけど、最終的には観客のみんなで一緒に演奏をすることができた。
少し邪魔者も混じっていたけど、それもあまり気にならないくらい楽しかった。
それに彼を悲しませる邪魔者は、ちゃんとこの手で退場させられた。もしかしたら今度会った時に褒めてくれるかもしれない。
しかし欲を言うならば……
―最初からみんなで一緒に演奏したいな―
次は邪魔されずに演奏したいものだと、少女は思って目を閉じた。