「……なぁ後輩、いったいどうしたんだ?」
先輩にしては珍しい、本気で心配している言葉。
「それは……」
その問いの答えに詰まっていると、先輩が再び口を開きました。
「アブノーマリティによくわからないことをしたり、鎮圧時に意味不明なことをしたり」
「……」
……いや、我慢だ。ここで反論してはだめだ。
「今までこんなことしてなかったじゃないか、いったいどうしたんだよ?」
「……」
……いや、さすがに我慢の限界です。ジョークじゃなくて本気で言っているのがたちが悪いですよね。
「おい、どうしたんだ?」
何も言わない私を心配したのか先輩が顔をのぞき込んできました。
そんなにお望みなら私の思っていること全てを全部答えてあげますね。
「……んぶ」
「うん?」
「これ全部いままで先輩がやってたことじゃないですか!?」
Menu 8 ドリンク ~琥珀のワイン~
「つまりあれか? 俺が今までの奇行をしなくなったから、代わりにやろうとしたと」
「……まぁ、簡潔に言えばそうですね」
結局私はなぜこんなことをしたのかを先輩に言わなければならなくなりました。
そう、簡潔に言えばそうなのですが、なんだか誤解を生みそうで嫌ですねこれ。
「でもさ、正直後輩だって俺の奇行に辟易していたじゃないか。どうしてこんなことを?」
「それは……」
……正直、これを本人に言っていいのかわかりませんが、これ以上先輩を心配させるのは本意ではありません。
気は乗りませんが、いうしかないですね。
「……その、今まで先輩が変なことをしていたのはなんでですか?」
「えっ、それは……」
私の質問に、先輩は考え込んでしまいました。その表情はどこか焦っているようにも、青ざめているように感じました。
……やっぱり、覚えていないんだ。
「先輩、先輩は昔教えてくれましたよね。どうしてあんな変なことをするのかって」
「……」
「あの時の先輩は言ってましたよ、皆が笑顔になってくれたらそれで十分だって。そのためなら道化にでもなんでもなってやるって」
「こんな暗い職場なんだから、誰か一人くらいそんなやつがいてもいいじゃないかって」
「……」
先輩はうつむいて何も言いません。
……正直、こんなつらそうな先輩を見ていられませんでした。でも、言わなければきっと先輩は取り返しのつかないことになってしまう。そんな気がしてならないんです。
「やっぱり、わたしのせいですか?」
「!? 違う! あれは俺が勝手に……」
「やっぱり、図星じゃないですか」
先輩はひょうひょうとしているようで、意外とわかりやすいところがあります。
だから、何度なく先輩の隠したいこととか、わかってしまうんです。
「先輩は待っていてくれって言ってましたけど、待っている間に先輩が取り返しのつかないことになるのなら、私は待ちません」
「あのルーレットのこと、チーフから聞きました。それにあの蒼い星のときもそうです」
「私のために、力を使ってしまったんですよね」
「……後輩、いったいそれをどこで?」
「例のアブノーマリティからです」
彼女はなぜか普通は知りえないことをいくつも知っています。
彼女の言うことを鵜呑みにするのは危険だとわかってはいますが、それでもこの反応を見れば先輩に関することは真実だったようです。
「彼女は言っていました、先輩が力を使うたびに大切なものがなくなっていくって」
「……」
「先輩、約束してください。もう二度とその力を使わないって。たとえ私に何があろうとも」
「……後輩」
その瞳を見た瞬間、私は悟ってしまいました。
私がどれほど願っても、先輩は自分の信じる道を行くのだと。
「悪いが、それはできない」
「……先輩」
「きっと俺は、これからもお前に何かあったらこの力を使ってしまうと思う」
「でもっ」
「だけど!」
「もうこれ以上お前を危ない目には合わせない、俺が絶対に守ってやる」
「それじゃあダメか?」
……この人は、なんて耳触りのいいことを言うのでしょうか。
そんなことこの会社にいてできるわけがありません。私どころか先輩だって明日生きているのかもわからないのですから。
「……はぁ、何言ってるんですか」
でも、そんなこと言われたら、どうしようもないじゃないですか。
「……そうだよな、でも」
「いいですよ」
「……えっ?」
その時の先輩の間抜けな表情は、きっと一生忘れられないと思います。
「それじゃあ私のこと、一生守ってくださいね」
「約束ですよ」
「……さて、いったいどんなゲテモノが来るのでしょうか?」
今回の実験は、いきなり先輩が試したいものがあるというので私はいつもの部屋で待機中です。
正直、ちょっと嬉しく感じています。
先輩が変わってしまってから初めて、この実験に積極的になってくれたのですから。
「悪い後輩! 待たせちまったな」
「別に気にしてませんよ、待つ側っていうのも新鮮でしたし。……その手に持ってる瓶は?」
「あぁ、これか?」
先輩が手に持っていたのはラベルの貼られていないワインボトルでした。
それを指摘されると、先輩は嬉しそうにそのボトルを見せびらかしました。
「おう、これか? 実はここに来る前に買っていたT社製の大なべをちょっと工夫して使ってな」
「……もしかして密造酒ですか?」
「大丈夫、こんなところまで出張ってはこねぇよ」
いやいや、そういう問題じゃないでしょう!?
密造酒とか大丈夫なんですか!! この人本当にわかっているんですか!?
「まぁまぁ、そんな細かいことは気にすんなって」
「あぁもう、どうなっても知りませんからね!!」
……あぁ、なんだかこの感じ、とっても懐かしく感じます。
正直ダメな感じですけど、やっぱり先輩は先輩なんだって安心してしまいました。
「ほら、グラスも用意したし、さっそく飲もうぜ」
「ちょっと待ってください、まさかおつまみもなしに呑むつもりですか?」
そう問いかけると、先輩はきょとんとした表情を向けてきました。
まったく、何も考えていなかったんですね。
「ちょっと待っててください、軽くおつまみを用意しますから」
「いやいや、さすがに申し訳ないし別にいいって」
「私が嫌なんですよ、おつまみのない晩酌なんて」
「いや、一応勤務中……」
先輩が何か言っていましたが聞こえないふりをして厨房へ向かいます。
まぁ、そんなに手間のかからない簡単なものでいいでしょう。
「はい先輩、モッツァレラチーズとスライストマトです」
「おぉー、うまそう」
せっかくなのでおつまみにはワインに合うものを用意しました。
これなら用意も簡単ですし、先輩も文句はないでしょう。
「さて、それじゃあそろそろ乾杯と行くか」
「ちょっと待ってくださいよ、その前にそのワインが何なのか教えてくれてもいいんじゃないですか?」
「あ、すっかり忘れてた」
いや、大事なところでしょう!? まったく、ほんとに気が抜けない人ですね。
「こいつは琥珀の黎明を使ってワインにしたんだ、ブドウ味だったしいけるだろう」
「えぇ、一気に飲む気が失せました」
「いやいや、絶対うまいって。試しに飲んでみろよ」
「わかりましたって、それじゃあ」
「あぁ」
「「乾杯」」
互いのグラスをぶつけ、気持ち良い音を響かせて一口いただきます。
一番最初に感じたのは口の中に広がる爽快感とすっきりしたブドウの風味でした。
さらに今までと同じように、感情そのものに訴えかけるような心揺さぶられる感覚も訪れてきました。
……正直、舐めていました。
これは、今までで一番おいしいワインかもしれません。
「それにしても本当においしいな、これもワインにすごい合うし」
「ほんとですねぇ…… って、何一人で一気に食べているんですか!? あぁもう半分しかない……」
ホントこの人は、ちょっとくらい遠慮してくれてもいいじゃないですか!!
食べ物のことになるとほんとに見境がなくなるんですから……
「ほら後輩も早く食えよ、早くしないと無くなるぞ?」
「誰のせいですか!? あぁもうちゃんと残してくださいね!」
こうして二人きりの晩酌は、あっという間に終わってしまうのでした。
「さて、それじゃあ」
「「ごちそうさまでした」」
「あっ、そうだ。ちょっと話があるんだがいいか?」
「はい、何ですか?」
「もしよかったらさ、これから毎日俺に料理を作ってくれないか?」
「……別にいいですけど、なんでそんなに照れてるんですか?」
「別にいいだろ!?」
「というか、それって普段とそんなに変わりませんよね」
「……ははっ、確かにそうだな!」
「そうですよ、これからもずっと一緒にいてあげますから。約束ですよ」
「ありがとう、パンドラ。さて、それじゃあ一般人が脱走したみたいだし鎮圧に行くぞ」
「はいはい、わかりましたよ先輩」
「………………あれ? ちょっと待ってください先輩! 今私のこと名前で呼びましたよね!? 待ってくださいよジョシュア先輩!!」
「あーあ、ずっと一緒にいるって約束したのになぁ」
屋台が立ち並び、賑やかな声や音楽の聞こえる雑踏の中で、私は倒れ伏していました。
空からは欲望の雨が降り、あたりから愚かな人々の争う声が聞こえる。
少女たちの賑やかなおしゃべり声と元気に駆け回る音が響き、哀れな供物たちが化け物たちの餌となるために歩き回る。
刺激的な旋律が響き渡り、その音を糧に灰色の結晶が成長し、人々に襲い掛かる。
食欲にとりつかれた人間が人間を襲い、風船が歩き回る。
死者の呼び声が木霊し、人々の傷口から植物が生え森が広がる。
灼熱の太陽がすべてを焼き尽くし、無価値なものが這いずり回る。
暗闇で永遠の追いかけっこが始まり、胎児は安らかに眠っている。
あぁ、ここが、これこそが地獄なのだろう。
私はもうだめだ、もう体の半分も感覚がない。
体を抱き起される。だんだん目も霞んできた。
「せん…… ぱい……」
「もう、約束、守れそうにありません」
「ごめんなさい、約束破ったことないって、絶対守るって、言ったのに……」
「あなたに、嘘をついてしまいました……」
「でも、もしもこんな私を許してくれるのなら、一つだけ、お願いがあります」
「お願いだから、私の代わりに……」
それはきっと、呪いの言葉
でも、大切な、約束
「……大丈夫、絶対に守りますから」
これは、崩れ行く世界と、未知の恐怖と出会う物語。
その、前日譚だ。
「なるほど、これはいい拾い物をしましたね」
冷たい彼女の手には、古びたスクロールが握られていた。
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