本当の恐怖というものを、久々に感じたかもしれない。
『T-06-i30』*1への作業は、そう言えるほどの恐ろしさであった。
決して晴れることの無い暗闇の中での作業、そこにいるのにいない何かへの注意、そして常に注意をしなければ何かをしようとしてくるのに、見つけようとすればそれはそれで何かをしようとしてくる。
『T-06-i30』への作業は、それはそれは神経を使う作業であった。
「あれ、ジョシュア先輩どうしたんですか?」
ようやく精神汚染中和ガスが効いてきたところで、さらに精神的に疲れる輩がやってきた。俺は絡まれたくないので無視して休憩室から出て行くことにする。
「ちょっとひどくないですか!? 何で無視しようとしてるんですか!!」
さっさと撤退しようとしたらパンドラに捕まってしまった。くそっ、こうなったら無視した方が面倒な事になってしまう。
「あぁ、ちょっと休んでたんだ。じゃあな!」
「なんで逃げようとしてるんですかぁ!!」
「……はぁ」
「やめてください普通に傷つきますよぉ」
面倒なので露骨にため息をついてしまうと、パンドラはわりかしショックを受けていた。こいつに限ってそんなに繊細なことは無いだろう。
「別に逃げようとなんてしてないぞ、ただ次の作業に行こうとしただけだ」
「次の作業って何ですか?」
「確か次は『T-09-i91』だな」
「ならツール型ですよね、私も行きますよ!」
あぁ、どうやってもこいつからは逃げられないのか。もうこうなったら仕方が無い、あきらめて一緒に向かうことにしよう。はぁ……
「面倒事は起こすなよ」
「えっ、そんな事したこと無いですよ?」
「……もう何も言わないよ」
ガックリと肩を落としながら『T-09-i91』の収容室へと向かう。隣ではパンドラが鼻歌を歌っているがこちらにはそんなげんきはない。
「さあさあ、今回はどんな奴が来ますかね!」
「変なのじゃ無ければ何でも良いよ」
ようやく『T-09-i91』の収容室の前にたどり着き、いつものように雑に扉を開こうとすると、我先にとパンドラが扉を開けてしまった。もう突っ込む気力も無いが、とりあえずパンドラと一緒に収容室の中に入る。
収容室の中にあったのは、七色の液体が入った瓶だった。ただ、七色の液体とは言っても、それは美しい色では無かった。黒、灰色、茶色、赤褐色、玄、鈍色、白、おおよそ綺麗とは言えないような色ばかりが入り交じり、決して混じること無くマーブル模様を描いている。
正直これの用途はある程度わかる、だがそれをする勇気は俺には無い。そんな事を考えていると、パンドラは躊躇せずにそれを手にとって飲み干した。
「ぶえぇ、まっずぃ」
「……なんというか、お前のそういうところが結構うらやましいよ」
瓶の中の液体を全て飲み干したパンドラは、すごくまずそうな顔をしていた。いや、そもそもその色でおいしいわけが無いだろう。
「おいおい、大丈夫か? 爆発しないか?」
「なんか前も言ってましたけど、そんなに爆発して欲しいですか?」
「いや、こういう系では真っ先に警戒すべきだぞ?」
「そんなの嫌すぎるんですけど!?」
なぜか驚くパンドラは放っておく、お前は樹液の恐怖を知らないからな。
「それで、何か変わったところはあるか?」
「そんな、可愛い後輩が爆発するかもしれないですよ?」
「いいから、早く」
「うぅ、先輩が冷たい……」
なんか小芝居を始めたので釘を刺すと、パンドラは少し考え始めた。すると、何かを思いついたように口を開いた。
「よくわからないのでもう一回飲みますね!」
「いや、どんな思考回路をしてるんだよ」
俺の話なんて聞く耳も持たず、いつの間にか補充されていた『T-09-i91』をもう一度飲み干した。こいつってなんか思い切りが良いよな。
「ぷはぁ、まずい!」
「それで、本当に大丈夫か?」
「はい、ってジョシュア先輩ちょっと顔色悪いですか?」
「もしも悪いならお前のせいだ」
「いや、そうじゃなくて本当に…… あれ? もしかして色が……」
なにやらパンドラの様子がおかしい、もしかしたら色が少し抜けてきているのかもしれない。少しまずいかもしれないな。
「どうした、目がおかしいか?」
「おかしいと言いますか、なんか少し色褪せて見えるようになってます。でもその代わりにちょっと周りがよく見えるような気がします」
「ううむ、念のため『T-09-i97』*2を利用しておけ。変なことが起こっても困るからな」
飲み過ぎれば効果が発動するか、しばらくしてから効果が発動か、それともダメージか。どれかはよくわからんが、少なくても体に影響が出ているのなら早めに対処はするべきだろう。パンドラの話的に一回くらいなら大丈夫かもしれない。
「でもまだ大丈夫そうですけどね、ジョシュア先輩も早くのんでくださいよ」
「いや、今の話を聞いて飲もうとは思えないんだけど……」
飲ませようと瓶を押しつけてくるパンドラに文句を言うと、何を思ったのかもう一度瓶を飲み干した。完全に予想外の行動だったので、その光景を呆然と見ているしか無かった。
「いやいやいや、何を考えているんだよ! 明らかにやばそうだっただろ、ってなんか俺から見てもおかしな事になっているんだけど!?」
「いやぁ、なんかまだ大丈夫そうですね。私が実験台になったんですから、ジョシュア先輩も一緒にしましょうよ」
パンドラはあっけらかんと言っているが、彼女の持つE.G.O.は黒いオーラを纏っていた。美しい白色の信仰が見るも無惨な状態だ。そんな状態だというのに、パンドラは意にも介せず話を続ける。
「なんか色以外に異常は見つからないですね、E.G.O.がちょっと変な感じですけどね」
「いやいや、ちょっとどころじゃ無いんだが」
「そこまで言うなら今日私が一日何も無ければ大丈夫って事ですよね」
「なんでそんなに頑固なんだよ、そんな事でお前を失いたくは無いんだが」
さすがにあきれて苦言を漏らすと、意外にもパンドラは驚いたような顔をしていた。そして嬉しそうにしながらモジモジしている。
「そ、そこまで言うなら『T-09-i97』を使ってきますね。なるべく無茶はしないようにしますね」
「お、おう、そうか、わかってくれたなら良いんだが」
唐突に聞き分けの良くなったパンドラに戸惑うが、俺を置いてパンドラは『T-09-i97』の収容室に向かって走って行った。こいつは本当に行動が早いな。
「……俺も飲んでみるか」
仕方が無いので一口くらいは飲んでみることにする。
味についてはノーコメントでお願いしたい。
このままではどうしようもない
奴に勝つために、少しでも出来る事をしなければならない
藁にも縋る思いで『T-09-i91』を飲み干す
二度、三度と飲み干す毎に世界は移り変わり……
そして、色褪せた世界が広がる
T-09-i91 『七色の瓶』