ジャンケンで負けて、一夏君を呼び捨てにする順番が最初になってしまった……普段なら絶対にこの場面で負けるはず無いのに、何故だか今日は負けてしまった……何でこうなるのか、神様を怨みたい気持ちでいっぱいよ……
「ハァ……何か気が進まないなぁ~」
自分が言い出した事なんだけど、何でかその場面になったら急に気が乗らなくなっちゃったのだ……でもそんな事言い出したら虚ちゃんにも碧さんにも怒られるだろうし、何より今一夏君を呼び捨てに出来なければ、次の機会は何時になるか分からないのだ……
「きっと簪ちゃんは『何時でも出来るでしょ?』とか思うんだけど、私たちにとっては勢いでも無い限り呼べないんだよ……」
同い年で最初から呼び捨てに出来ていた簪ちゃんとは違い、私たちは一夏君と年齢が違う。そんなに離れては無いけれども、その違いは意外と大きな意味を持っているのだ。
年下の男の子との付き合いが無かった私や虚ちゃんは、初めて会った時にそれぞれ君付けとさん付けで呼び始めたのだ。それがもう三年も続いていたら、今更呼び捨てに変えるのは難しくなってくる。だがら私はまだそれほど時間の経ってない碧さんに最初にしてもらおうと思ってたんだけど、ジャンケンに負けてしまったのだ。
「一夏君はよく変えられたよなぁ……私たちが強要したにしても、違和感無く出来てるし」
ここ二,三日だが、一夏君は私たちしか周りに居ない時には私と虚ちゃんを呼び捨てにしてくれている。始めは抵抗してたけど、慣れたらそうでもないようで、今では自然に呼べているように見える……元々適応力が高い一夏君なら、そう難しくなかったのかしら?
「でも、いざ呼び捨てにしようとすると、変な緊張するのね……知らなかったなぁ~」
背筋に汗が流れている……昔から緊張すると流れるのだけど、此処最近ではあまり流れなくなったので緊張癖が治ったのかと思ってたけど、如何やら一夏君と出合ってから並大抵の事では緊張しなくなってただけのようだった。
「一夏君が居るだけで、それなりに緊張してたからな……今では自然に付き合えてるはず」
一夏君が居るだけで場の空気が違うのだ。何故だかしっかりとしなければいけないような感じになってしまうので、普段から緊張してたんだろうなぁ。でもその緊張感に慣れたからこそ、背筋に汗を流す事が減ったのも確かなのよね……
「て言う事は、一夏君を呼び捨てにする事の緊張感は、普段の一夏君と一緒に居る時の緊張感とは比べ物にならないって事よね……ますます気が重くなってきたわ」
程よい緊張感を持って生活してきてたのに、此処に来て今まで感じた事の無い緊張感を味わうなんて……しかもやっぱりその緊張感の原因は一夏君だなんて……
「せめて一夏君が見つからなくって無かった事にならないかなぁ~なんて」
私が淡い期待を口にした途端、その期待は崩れ去った。
「呼んだか?」
「い、一夏君!? 何で此処に!!?」
「何でって、此処は俺の部屋の前だが」
「あ、あれ? そうだっけ?」
考え事をしながらも、キチンと足は一夏君の部屋に向かっていたようだった。無意識とは言え一夏君の事を考えていたら自然と此処に来ちゃうんだ……やっぱり私の中で一夏君の存在は大きいんだ。
「それで、何か用があってきたんだろ?」
「そ、そんな事無いよ?」
「嘘付け。用が無ければこんな離れに来ないだろ」
「離れってほど離れてないでしょ?」
「刀奈の部屋から此処までだと、大分距離があると思うんだが」
私の部屋はこの屋敷の最奥、安全面を考慮して当主の部屋は入り口から最も遠い場所にあり、虚ちゃんとか当主の警護とかを仕事にしてる人の部屋もあるのだが、一夏君の部屋はその反対。入り口から遠いのは一緒だけど、コッチは別に守りが堅い訳でも妙に入り組んでるわけでもなく、更識に住み込みで働いてる人たちが使ってる部屋が多いのだ。だから一夏君がこの場所を離れと表現してもあながち間違ってはいないのだ。
「それで、何か用か?」
「えっと……入っても良いかな?」
「どうぞ。何時も勝手に入ってるくせに、今日は妙に律儀だな」
そう言って一夏君は部屋のドアを開けてくれた。普段は確かに一夏君の部屋に集まって騒いでるけど、今日はそんな気分では無いのだ。
「お茶くらいしか出せないが、それで良いか?」
「お構いなく」
「……熱でもあるのか?」
「ヒャッ!?」
さりげなく私の額に手をやり、自分の額との温度差を計る一夏君。こう言う事を自然に出来るのが一夏君の良さなんだけど、急にやられるとビックリするのよね……昔は額と額をくっつけてたけど、さすがにそれはやらなくなったようでちょっと残念だなぁ。
「特に熱は無さそうだな」
「誰もそんな事言ってないでしょ!」
「いやな、刀奈の口からお構いなくなんて言葉が出てくるとは思って無かったから」
「それってすっごく失礼じゃないかしら?」
「気のせいだろ」
あっさりと私の追及をかわした一夏君は、簡易コンロで沸かしていたお湯を使いお茶を淹れてくれた。普段はこの部屋で勝手に淹れてるんだけど、同じお茶でも一夏君の淹れてくれた方が美味しいから不思議だ。
「それで、本当に何の用だ? 用事が無いなら俺は碧さんに話しがあるから部屋から居なくなるんだが……」
「えっと、もうちょっと付き合ってほしいかな……なんて」
「……まぁ夜に話すって言ったからもう少しくらいは時間あるが、何か言い難い事でもあるのか?」
「そ、そんな事は無いような、あるような……」
「どっちだよ……」
いよいよ一夏君も私が何か言い難い事を考えてるって事が分かってしまったようだ……一夏君ならそれくらいすぐに分かってもしょうがないけど、これでますます退路が無くなってしまった。
「一夏君はさ、私や虚ちゃんの事を呼び捨てにする事に抵抗は無かったの?」
「何だいきなり……あったに決まってるだろ。元々さん付けで敬語だったのを、急に敬称無しのタメ口で話せって言われたんだぞ」
「そ、そうだよね……あはははは」
「で、それが何か関係してるのか?」
「ちょっと聞きたかっただけだよ」
「ふーん……しかし何で急にそんな事を」
一夏君のいぶかしむような目が私を射抜く。この目で見られたら何もかも見られてるような錯覚に陥るから気をつけないといけないんだ。気を強く持たないと何もかも話してしまうから……
「またしょうもない事で悩んでるんじゃないだろうな」
「しょうもないことって、料理の腕が上達しないのはしょうもないことじゃなかったでしょうが!」
「大体刀奈は普通に料理上手の部類なんだから、気にするだけ無駄だったって事だ」
「そんな事無いもん。一夏君と比べたら私なんて……」
「だから、何で俺と比べるんだよ」
「だって愛しの彼氏には美味しいものを食べてもらいたいじゃない!」
「愛しのって……言ってて恥ずかしくないのか?」
「……実はちょっとだけ」
聞いてる一夏君も恥ずかしそうだけど、私はそれ以上に恥ずかしいよ……こう言う事は意外とあっさり言えるのに、如何して呼び捨てにだけは出来ないんだろう?
「簪や虚も気にしすぎなんだと思うんだよな、虚だって普通くらいには出来るようになったし、簪だって十分上手いと思うんだが」
「あの二人も基準が一夏君になっちゃってるからね。本音も一夏君相手に奮闘しようとしてたけど、やる前に諦めたみたい」
「なんとも本音らしい……」
一夏君は呆れながらも納得したように頷き、そしてお茶を飲んだ。如何やら一夏君も口の中が乾いてるようなのだ。
「一夏君も何か私に言い難い事でもあるの?」
「いや? 如何してそう思うんだ」
「何時もよりお茶を飲むペースが速いから、口が乾いてるのかな~って」
「別に変わらないだろ。それに『一夏君も』って事は、やはり何か言い難い事があるんだな」
「あっ!」
あっさりと墓穴を掘ってしまったようだった……無意識の内に私は自分が言い難い事がありますと自白してしまったのだ。
「白状しちまった方が楽になれるぞ?」
「そ、そんな事言われても……一夏君って本当にドSだよね」
「別に自分がSでもMでも如何でも良いんだが、周りからは良くドSだと言われるな……何でだろう?」
「………」
もしかして自覚してないんだろうか。誰が如何見ても一夏君の行動はドSだと判断せざるを得ないのだけれど、本人は無意識にやってるのかしら……それってつまりは天然のドSって事よね。ますます怖いわね……
「さてと、それじゃあ何を隠してるのか話してもらおうか」
「べ、別に隠してる訳じゃ無いんだけど……」
「でも、言い難いんだろ?」
「それは……」
やっぱり一夏君はドSだった……笑顔で私の事を追い詰めてくる一夏君は、ドSとしか表現しようが無かったのだ。
「さっさと言った方が傷は浅く済むと思うが?」
「別に傷を負う訳じゃ無いんだけど……言わなきゃ駄目かな?」
「それは俺が判断する事じゃ無いだろ。自分で決めなきゃ意味は無い」
私が言わないって決めても、虚ちゃんや碧さんに怒られるだけだろうな……だから一夏君に判断してもらおうと思ったのに、一夏君はそんな私の気持ちを汲み取ってはくれなかったのだ。
「更識の当主が煮えきらない態度で良いのか?」
「これは更識の当主としてじゃなく、一人の女の子としての事だもん!」
「自分で女の子って……まぁ別におかしくは無い歳だから別に良いが」
「一夏君!」
「何だよ?」
こうなったら勢いだけで言ってしまおう!
「おかわり貰っても良いかな?」
「別に構わないが」
うわ~ん! 私の馬鹿ー! せっかく勢いつけたって言うのに、何でお茶のおかわりなんてしてるのよ!
「ほい」
「あ、ありがとう」
「?」
一夏君が不思議そうに私の事を見ている。そりゃそうよね、急にテンションが上がったかと思ったら、今度は下がっちゃったんだから……
「本当に如何したんだ?」
「うん、ちょっと自己嫌悪中……」
「はぁ……?」
ますます不思議そうな目をして私の事を見てくる一夏君、そう言えば私、心の中でも一夏君の事を呼び捨てに出来てない!? こんなんじゃ声にだして呼び捨てなんて出来る訳無いじゃない!
「そう言えば更識当主として意見を聞きたいんだが」
「な、何?」
「IS学園を探ってる亡国企業に対して碧さんの部隊を……」
「何それ!?」
「何だ、気付いて無かったのか?」
「気付く訳無いじゃないの! だって相手はプロだよ!?」
「虚も誰かが探ってるとしか気付いて無かったし、刀奈も気付いて無いとなると、学園で気付いてるのは俺とマドカと須佐乃男くらいか」
「全員一夏君の関係者じゃない!? てか本人もだし!」
「そうだな」
一夏君は言うまでも無いが、須佐乃男もマドカちゃんも気配を探るのが得意なのだ。それに最近須佐乃男は気配察知の可能範囲が広がったとかで、学園内ならもちろん、学園外までも探れるようになったとか……何処までの距離かは分からないけど、気付いていても不思議では無いのだ。
「それでその亡国企業に対して、碧さんの部隊を数人動かしたいと思ってるんだが如何思うか聞かせてくれ」
「如何思うも何も、衝撃が大きすぎて何が何だか……とりあえず本人が大丈夫なら良いけど、予算あるの?」
悲しい事に、更識の経済事情は余裕がある訳では無いのだ。碧さんたちに頼むと言う事はそれだけ予算が掛かると言う事で、その状況次第では動かせないんじゃないだろうか?
「それは学園側が少し援助してくれるそうだし、費用は俺が出すから気にしなくて良い。後碧さんはIS学園の臨時教師としての枠も確保してあるから部屋は俺たちと同じで良いだろう。残り数人も近くのホテルか何かに滞在してもらえば報告もスムーズに進むだろうしな」
「何時の間に……て言うか、良くそんな枠を確保出来たわね。それってもう学園経営の問題よね?」
「学長に許可させた。俺に丸投げしてるんだから、それくらいは協力しろって言ってな」
「何か一夏君らしいわね」
てか轡木学長、そんな事まで一夏君に押し付けてるんだ……学園のピンチかも知れないんだから、自分で対処すれば良いのに……
「でも一夏君が出すって言ってもそんなに予算は出せないでしょ?」
「個人資産から出すから心配するな。それなりに稼いでるんだから」
「それなりって……どれくらい?」
「ん? ほれ」
一夏君に手渡された預金通帳を開いてすぐ、私は桁の多さに驚いて通帳を閉じた。これなら確かに予算の心配をしなくて済むけど、いったい如何やって稼いだのかしら……
「別に罪に問われるような事はしてないし、ちゃんと税金も納めてるから心配する事は無いぞ」
「そ、そうよね……でも凄い額ね」
「更識の資産を増やす前からやってたからな。積もりつもってあそこまで膨れ上がったんだよ」
「それじゃあそっちの事は一夏君に任すとして、後は碧さんの気持ちね。当主としては許可します」
予算の事を気にしなくて良いのなら、いくらでも部隊を動かしてくれて構わないわよ。実戦の機会なんてそうそう無いんだし、経験を積む上でも今回の一夏君の提案は良いものだった。
「それじゃあ後で虚を交えて話すとするか」
「何で虚ちゃん? 予算の事は一夏君が何とかしてくれるんでしょ?」
「それ以外の事で虚には同席してもらうんだ。碧さんのやってた仕事の後任を決めるのは俺じゃ出来ないからな」
「そっか……人事は虚ちゃんの仕事だったわね」
「本当なら刀奈の仕事なんだけどな」
「そ、そうだったっけ?」
家でも仕事を一夏君と虚ちゃんに任せっきりにしてる事が多いので、自分の仕事が何なのかイマイチ良く分かってないのだ。
「少しは当主らしくしたら如何だ? 俺たちは兎も角、内部に不満を抱えた集団でも出来たら厄介だぞ」
「だって……」
「ただでさえ中央が若手ばっかりになった事を面白く思って無い人だって居るんだから、それで当主が仕事してないとバレたら如何なる事か……」
「うぅぅ……」
そんな事言われたって、私だって好きで当主をやってる訳じゃ無いのに……そりゃ何時かは継がなきゃとは思ってたけど、お父さんが急に死んじゃって良く分からないまま当主を継いだんだもん! 少しくらい仕事が出来なくても仕方ないじゃない!
「まぁそれが狙いだった輩も居るかもだけどな」
「如何言う事?」
「傀儡政権を狙ってたって事だ。刀奈を裏で操って自分の思う通りに進めようとしたんだろうが、虚が目を光らせてたからな」
「虚ちゃんだって若いわよ? それこそ操られてもおかしく無いくらいには」
「責任感が強いからな。刀奈を守る為に必死になれる虚は、手駒には向かなかっただろうしな。計画が成功してたら虚は遠ざけられてただろうな」
「……かなり怖いわね、そんな人が居るかもって思うと」
実際には如何なのかは分からないけど、一夏君が言ってる事はもしかしたらありえたかも知れないのだ。若い当主を気に入らない人だって確かに居るだろうし、そう言う悪い事を考える人だって確かに居るのだろう。
でもそうならなかったのは虚ちゃんと、何より一夏君が私の事を守ってくれてたからだ。
「ありがとね」
「何だ、いきなり?」
「私を守ってくれて」
「お礼を言われるような事はしてないが」
「それでも、ありがと」
「ん」
私が素直にお礼を言ったから、一夏君は恥ずかしそうに短い返事をしただけで何も言ってくれなかった。このタイミングならいけるかも!
「い、い、い……」
「い?」
「一夏ッ!」
「何だ?」
「あ、あれ? 反応薄い……」
意を決して呼び捨てにしたのに、一夏君の反応は思ってたものと違ってた……想像ではもっと驚くはずだったんだけどなぁ……
「呼び捨てにした事にか?」
「だってずっと君付けだったし」
「確かにそうだが、何を思って呼び捨てにしたんだ?」
「何をって……一夏君が私たちの事を呼び捨てにしてくれたのに、私たちは敬称付きのままじゃちょっと距離を感じるかなって……」
「距離? そんなものはつめれば良いだけだろ?」
「だから呼び捨てに……あ、あの?」
無言で一夏君が近付いてきて、私はちょっと恐怖を感じていた。殴られる? それとも怒られる? マイナスな事ばかり考えていた私にとって、一夏君の行動は予想外だった。
「こうやって抱きしめれば、距離は無くなるだろ」
「えっと、私が言ってるのは心の距離で……」
「そんなものは気にするな。今更敬称云々で距離なんて感じねぇよ」
「で、でも……」
「呼ぶたびにあんなに噛んでたら大変だろ? それこそ呼んでもらえなくなって距離を感じるぞ」
「ゴメンなさい……」
「……謝らなくて良いよ」
そう言って一夏君は私の頭を優しく撫でてくれた。あぁ、私は馬鹿だったんだなぁ……敬称だけで一夏君が私たちと距離を感じる訳無かったのに、そんな事を心配しちゃって……
「ねぇ一夏君」
「何だ?」
「これからも不安になったら抱きしめてくれる?」
「それだけで良いなら」
「後キスも!」
「はいはい」
一夏君は呆れたような笑みを浮かべて私にキスをしてくれた。余計な事なんか考えなくても、一夏君は私たちの事をちゃんと想ってくれていたんだ。
「私は馬鹿だね」
「ん?」
「一夏君が私たちとの距離を感じてると勝手に思っちゃって」
「呼びたいのなら呼び捨てでも構わないが」
「ううん! 一夏君は一夏君! 私はずっとこう呼ぶから!」
私の笑顔と共にした宣言に一夏君は頷いてくれた。これからもよろしくね、一夏君!
次回如何しよう……