胡桃ちゃんはおかしかった 作:生タマゴ
一週間後、私は校内の設備を見ていた。
皆の見解を疑っている訳じゃないけど、もしかしたら一つくらい無事なものは無いか、確認するために。
相変わらず左手は痺れっぱなしではある。二日目あたりで痛みが激しくなったりもした。
だが四日目の夜には痛みも収まり、肌の色も戻って来たため歩き回っても良いかと聞いてみたら、条件付きで許可された。
何でも、あの火事で殆どの奴らは死に、校門も閉じられているため今の学校は安全の確保が出来ているから、敷地内に居さえすればまず危険な目に会うことはないそうで。
だから校内限定だと。
「あの」
まずは地下の浄水設備をチェックする。
万が一にも直す手立てが見つかるかもしれない。
…ダメだ。
本体は無事みたいだけど、ポンプが壊れているので水を出すことが出来ない。これじゃ貯水槽としても使えないだろう。
次に二階へ行き図書室を見ると、本棚は全焼していて。隣の職員室は一部のロッカーの中身が残っているくらいで目ぼしい資料は全て燃えてしまっていた。
最後に屋上の貯水槽を見に行くと、パイプが溶けて使い物にならなくなっていて、水関係は全滅だと分かった。
そして同じく屋上にある発電機も壊れていた。配線関係が出鱈目に溶けていて修復は無理そう。
「見れば見るほど酷いな...」
「胡桃?」
結局どうにもならないのが分かっただけ。二階へと降りた私は職員室の前の廊下で扉に背を預けながら溜め息を零す。
この様子じゃ当分暖かい湯に浸かるのは無理らしい、ボトル水を染み込ませたタオルで体を拭くのが関の山だろう。
現にこの一週間はそうしていたのだけれど、やはり辛い。
私に温水設備を直せる訳もなく、かと言ってそれ以外に何か出来る事があるのかと言われれば、そんなものは全く思い付けなかった。
つまり出来ることなどない。私はとても暇になってしまったようだ。
皆はモールに行っていて居ないし、かといって特にアイデアが浮かぶ訳でもなく。
普段はもう少しいろいろ思い付くのだが、他人の意見という物は存外、頭の回転を良くさせているらしい。
一人で妙案を出すことは終ぞ出来なかった。
「ほら、遊び相手がいるじゃないですか」
頭に響く声。それは、聞こえているのに無音という矛盾を孕んだ音。探る限り、奴らも残ってはいない。
だから今、この学校には誰もいる筈がない。
「…さっきから何で無視しているんです?」
「なぁ、何で居るんだよ」
背後で存在感を発しているやつを除いて。
「釈明ナシで質問ですか、ふてぶてしくなりましたね」
ふてぶてしくなったのはおまえもじゃないかと思う。
遠慮が無くなって、俗っぽさが増しているようだ。
「…」
数秒程口をきかないでやると、あいつは寂しそうに声を震わせながら私の手を握った。
やはり何故かこの手はとても心地よくて、気分が少し良くなると共に一抹の罪悪感を抱く。
「本当に無視だけは止めて下さい、凄い辛いです」
振り返って見ると、アイツの姿は背丈が少し伸びて色鮮やかになっていた。
瞳もてらてら光るプラ玉というよりかは人間の物に近づいているし、口調もフランクだ。
「なんか、前より雄弁だな」
「気付いてくれましたか」
何よりも大きな変化はその表情。
仕草はそれほど大きくないものの、眉を顰めたり、その反面笑顔にもなり。
機敏が分かりやすくなったという印象を受ける。
「ああ。それに人間味があるっていうのかな、表情も明るいし。どうしたんだ?」
するとあいつは腰に左手を当てて、窓枠に腰かける。
これがゆきなら危ないと言って降ろす所だけど、どうせ幻覚。落ちても死にはしないだろう。
それに、背景に空が映る構図はやけに綺麗に見えて、どうにも手をかけるのが無粋に思えた。
「胡桃が変わったからですよ」
ゆっくりと左目を閉じ、開いた右目と視線が交わると、あいつは人好きのする柔和な笑みを零し、私の手を離す。
「抽象的過ぎるだろ…」
「感覚ですし、私も良く分かりません。いや、言ってしまえばこうして現れた原因すらも」
そういえばこれまでこいつが出てきた時は必ず何かしら話していた。今度は何か言いたい事があって出てきたんじゃないらしい。
余った右手を顎に当てて首を捻っている。
「本当にないのか?」
「いえ、一つだけ。あるにはありますが」
「あるんじゃないか、ならすぐ話してくれよ。」
「話したくありません。まだ別れたくないんです」
「そうは言ってもさ、おまえから聞かない分にはどうにもならないだろ」
苦虫を噛み潰したような表情で顎を暫く擦ってから、あいつは慌てたように口を開く。
「あ、あの、しりとりでもしません?懐かしいと思いますよ」
「はぁ」
「終わったら話しますから、少し付き合って下さい」
「…少しだけだぞ?」
「ええ、約束します」
「よし。なら最初の言葉は―――」
「「み」」
被せられた。みかんって言おうと思っていたのに。
「…マジか」
「『実』ですね?さ、私の番です。『ミント』」
やけに答えやすい単語ばかりなのに、不思議と長く続くしりとり。だんだん飽きてきた頃にふと気になって空を見ると、一面がすっかり茜色に染まっていた。
そろそろ止めないと話を聞く時間がなくなってしまう、中断を切り出すべきかと思った時。
「『キリン』これで終わりです」
示し合わせたようにあいつはしりとりを終わらせ、私に尋ねた。
「どうでしたか?懐かしかったりしました?」
首をかしげて顔を除きこんでくる。
その色は期待半分不安半分といったところか。残念だけどその期待には答えられそうにない。
だって私は何も思い出せなかったのだから。最中、朧げな輪郭を知る事は出来たが、それ止まりだった。
「変な感じはしたけど、こうはっきりしたイメージは沸かなかった」
そう言うとあいつは掌を胸の高さに当て、じっと私の目を見つめる。微かに頬を緩ませて。
「…そうですか、でも安心しました。これに何かを感じてくれたのなら、きっといつか思い出せますから」
「良く分かんないけど、ほら、約束通りしりとりに付き合ったぞ。話してくれ」
催促しないと煙に巻かれそうな気がしたので、続きを促す。
すると数秒間腕を組んで中空を眺めたかと思えば、窓枠からぴょんと飛び降りて私の右隣に体をピッタリとくっつけてきた。
「では、最初の質問。クラウドって何でしょう」
「クラウド?あのバックアップとかに使うやつか?」
「…抽象的ですが、まぁ支障はありません。では次の質問です」
「今の巡ヶ丘にそれが構築されていると言ったら、信じます?」
「されていた、じゃなくて、されている?」
「はい」
「あり得ないだろ。電子機器なんて殆ど使い物にならなくなってると思うぞ」
「では電子情報でなく、記憶のクラウドが生体ネットワークに存在するとしたら」
「私は妄言を聞くためにしりとりに付き合ったんじゃないんだ。何が言いたい」
するとあいつは呆れたように肩を竦めつつ、口を開いた。
「あるんですよ、それが驚くほど近くに」
「はあ?」
「私が知ってて胡桃が知らない事なんてありません、本当は心当たりがある筈です」
「...そういえば最近、記憶の混濁や意識障害があった、それと関係があるのか?」
「これはあくまで推論でしかないのですが、胡桃に起こっている一連の異常はこのクラウドが起こしているのではないかと、私は考えています」
「そのクラウドと私は何の関係もないぞ」
「関係ありますよ。胡桃も感じた筈です、意識が溶けて広がる感覚を」
「前に死んだ時の事か」
「ええ、その時に記憶と意識のコンバートが行われていたのではないでしょうか」
「でしょうかって、お前...」
あいつは私の目の前に跳ねた後、探偵でも気取ったように私の胸に人差し指を突き立てた。勢い良く刺さった筈の指は制服のスレスレで見事に停止している。
そして数秒ほど動きを止めていたが、外を見て何かに気付いたように目を見開き。ピンと立てた指を私の左小指に絡ませて、窓際に引っ張られた。
「お、おい、いきなりどうしたんだよ」
「あの、胡桃」
視線を辿り空を見れば既に微かな星の光が浮かんでいる。
「話は変わるのですが、皆の帰りが遅くありません?」
「確かに遅いな、今何時か分かるか」
「私は一度胡桃が見たものを知っている体で話す事はできますが、胡桃の知らない情報は持っていないんです」
校内で生きている時計は…こないだゆきがモールから持ってきた腕時計だけだ。確か今は地下の寝室に予備が置いてある筈。
職員室から階段を駆け降りて寝室へと向かい、時計を確認すると時刻は十九時三十分を示していた。
「どう考えても遅すぎる、いつもなら十八時には戻ってきている筈なのに」
「胡桃、きっと大丈夫ですよ。外出はダメですし、待っていましょう」
「遅くなっても十八時三十分だ、何か無いと考える方がおかしいだろ」
「もしかして置いてきぼりにされたんじゃないですか?皆は今頃大学の中、とか」
「そんな訳ない、だって今の私を独りにするって事は」
「見「見捨てられたんですよ。だからここに居ましょう、胡桃。君が危険を侵す必要なんてない」
「いい加減にしろ、もしも誰か噛まれてしまったのなら手遅れになるかもしれないんだぞ」
「前のように独りで何でも解決出来ると思っているんですか?もし噛まれてしまったら次は無いかも知れないんですよ?」
「…おまえは!次が無いかもしれないから見捨てろって言うのか!」
「言いますよ、私は胡桃さえ無事ならそれで良い。最初に彼女らを助けたのも胡桃が望んだからに他ならない」
「なら何故あの時自衛隊基地に行くのを引き留めなかったんだよ。私が危険を侵しに行っただろ」
「言いましたよ!…それこそ基地に入ってからだって…私は」
「嘘だ、おまえの声なんか聞こえなかった」
「胡桃が聞いてくれなかったんです!信じて下さい!」
「…もういい、私は行く」
「待ってください!その赤黒い斑点は――」
「待たない。早くしないと皆が手遅れになる』
あいつの指を振りほどき、寝室の薬箱から抗生物質を四本持ってから一階の窓から飛び出して自転車置場へ向かい、無事な自転車を見繕ってペダルに力を込める。
途中で何度か意識が飛んで転んだり、道をど忘れした所で奴らと遭遇したりと散々だったが、何とか噛まれずに私はモールへと到着した。