胡桃ちゃんはおかしかった 作:生タマゴ
まずは皆がモールに来ている事を確認するべくめぐねえの車を探すと、五分も経たずに発見することができた。
その中には横になって荒い息を吐く美紀の姿があったので、窓を軽く叩いて声をかける。
「美紀、大丈夫か!」
「ア...」
体を起こした姿を見て息を飲む。すっかり広がりきった赤黒い斑点、絶え間なく流れている汗。そして何よりも、近付いたから分かる心音の違い。そのどれも既視感のあるものだった。
「アアアア...」
焦点を失い左右バラバラの方向を向いている瞳、カサカサに乾ききった唇。人のものとは思えないうめき声。
間違いない、美紀は発症している。なのに私に襲い掛かるような素振りは見られず。それどころか、ただその場で真っ直ぐに私を見つめる視線には、確かな理性が宿っているようにすら思えた。
「胡桃と同じで、自我は残っているんじゃないですか」
頭上から響く声、見上げてみればあいつが車の上に立っていた。白い月を背景にして、所々赤黒い斑点が出ている姿はどこか空恐ろしく見える。
「あの時の私と同じ...?なら、治療は可能なのか?」
「分かりません、死にましたから。確かめたかったらそのシャベルでフロントガラスを叩き割り、美紀に注射してやれば良いじゃないですか」
心底どうでも良さそうに吐き捨ててから、姿が消える。泥人形にでもなったみたいに崩れ落ちて。
言う通りに動くのも癪だったけれど、取り敢えず美紀に抗生物質を投与して、他の皆を探しに行く。
一階のホールを見渡すと所々に血痕が残っていた。嫌になるほど見てきたモノだが、この状況で発見すると嫌な予感しかしない。自然と顎に力が入る。
音を探って一階と二階には奴らしかいないことを確認し、三階へと上がったが、そこにも皆の音はなく、いるのは奴らだけだ。
「アアアア...」
何で誰も助からなかったのかなんて、考えればすぐに答えは思い浮かぶ。
私が火事の時に逃げたからだ。怪我をして皆の足を引っ張ったからだ。あのまま死んでいれば本当に今頃皆大学にでも居たのかもしれないのに。
「...なんで、こうなるんだよ」
音が近づいてくる。ひたひたと、足音も全くの別物で誰なのか判別がつかない。
視界に入り込んできた人影は私を見つめたまま動きを止めた。
あの服装は、めぐねえだ。
「アアアアッッッ」
一際大きく叫んだあと、めぐねえはすぐ後ろのドアノブに手をかける。
開けられてはいないけれど、恐らくめぐねえも意識が。
抗生物質を打つとめぐねえはその場に座り込んだので、私が代わりにドアを開ける。
すると、そこには手錠で拘束されたまま息絶えているゆきと、首に包丁を刺したりーさんがいた。
大体何が起こったのかは察することが出来る。けれど、一つだけ不可解な点があった。
それは感染経路。りーさんもゆきも奴らに噛まれたような形跡はなく、外傷はどちらも刃物によって付けられたとしか思えないものだ。りーさんはともかくとして、ゆきに噛み傷が無いのはどう考えてもおかしい。ゆきが噛まれていないのなら手錠で拘束されている理由が無くなることになる。
―――いや、違う。
何かズレている、拘束されたのは発症の兆候が見られたからだ。ならばゆきは接触以外の方法で感染した?
水感染?確かに、火事で学校の水道は使い物にならなくなってしまって以降ボトル水しか飲んでいないが、それなら私が発症していないことの説明がつかない。
それともモールの食料に病原体が付着していた?いや、それも違う。皆同じ食事をとっていた筈だ。
最後に考えうる残された感染ルートは。
まさかと思い右手を見ると、そこには
「...ははは、そうだよな」
考えてみれば、粘膜接触でしか感染しなかったらこんなパンデミックはそもそも起こる訳がない。精々数十人が捕縛されて、ただの奇病として処理されていただろう。
救助も遅く、国のセーフティネットが一時的にマヒするほどの大規模感染を起こすには空気感染でもしない限り不可能だった。
そんな簡単な事にも気付かなかったのかと後悔する。いや、後悔しても意味は無い。発症者が現れた時点で既に手遅れだったんだから。
「何で気付けなかったんだよ、くそ」
私も感染している。いや、とっくに発症しているんだろう。
それなのにここまで鮮明に意識を保てている理由は、きっと。
「おまえか」
既に詰んでいる事を悟ったから、私を行かせまいと引きとめた。初めから詰んでいると知ったから投げやりになっていた。
なんだ。分かってしまえば人間くさいどころじゃない。すごく素直な奴だったんじゃないか、あいつは。
「お陰様でおなかが空いて空いて、しかたありませんよ」
めぐねえの傍らであいつはしゃがみ込んでいた。
寂しそうな目でじっと見つめながら。
「実は、火事の日からなんです」
「何がだ?」
「胡桃の症状が進行しだしたのが」
「...偶然だろ」
「そうかもしれません。だけど、私たちだけが今まで発症を避けられてきた理由と繋がるんです。例えば、胡桃達は発症を抑える何かを、火事の前までは摂取していた、とか」
「火事の前後で変わったのは飲み水だけだ」
「ならその水が、何らかの抗体を有していたのでは?」
「そうは言っても、もう水道は使い物にならないしな…確かめようがない」
「ええ、そして私もそう長くは持たない。あと数日のうちに胡桃は、おかしくなってしまう」
「それはつまり、抗生物質は」
「症状を一時的に停滞させることはできても、治療薬としては気休め程度かと」
「...そうか」
「察しが良くて助かります。以心伝心ってやつですかね」
「本当に心を読む奴に言われたくはないな」
「...それじゃ、今度こそお別れです。
「おう、さよなら」
「さようなら」
あいつが消えて、やけに赤黒い視界だけが残った。
ゆきとりーさんの死体を担いで車へと運び、再び三階からめぐねえを背負って車に乗せてから、私は学校へと車を走らせる。
その途中で見慣れた表札が目に入った。
恵比寿沢と刻まれたそれが張り付いているのは、私の家。
此方だと家の中も変わっているのだろうかと思い、中に入る。扉は開きっぱなしだ。
「...何も変わってない」
自分の部屋を見た結果は拍子抜けだった。
驚くほど何も変化がなく、記憶が正しければ最後に見たままの状態で残っている。
他の部屋を巡ってみると、流石にリビングや一階の寝室は多少汚れていたが、想像よりは綺麗だ。
正直このまま住み着きたいけれど、学校と違って此処はあまりに危険すぎるだろう。尾を引かれるような思いで自宅を後にする。
学校に持って行っていなかった教科書と使っていないノートを数冊ばかり小脇に抱えて玄関を出ると、鈍くなった聴覚も相まって普通に登校するかのような気分になった。
それも車の中を見たら吹き飛んでしまったのだが。
なんせ人の死体が二つだ。一度気分が落ち着くと恐ろしくなってくる。早く埋葬してやろうとは思うのだが、ゆきはパンデミックになってから知り合ったので家の場所なんて知らないし、りーさんの家までガソリンを使う訳にもいかない。学校に着いたら桜の木の下にでも埋めるのがベターだろう。
意識がいつ切れても良いように車を走らせた結果、学校に着いたのは午前零時。
眠気が来ないあたりやはり発症しているんだと実感しながら、一番大きな桜の根元にシャベルで大きな穴を掘って二人を埋めた。
校庭に落ちていた木材で作った十字架にりーさんのヘアピンとゆきのネコミミ帽子を括り付けて簡素な墓標にする。
校門を閉めれば此処は絶対安全だから。短い間だろうけど、毎日拝みに来よう。
美紀とめぐねえを地下の寝室に寝かせて、布団の中に入りながらそう思った。