胡桃ちゃんはおかしかった 作:生タマゴ
目覚め。
時刻は十七時、太陽が既に西へと偏り始めた夕暮れに私は起きた。
取り敢えず皆に朝の挨拶兼墓参り兼水差しを終えて地下寝室のベットに寝転がる。
「…どうするかな」
一応備蓄食糧とボトル水は数日分あるから一人で調達しに行く必要はない。寝たきりの二人に水を飲ませても一週間は持つだろう。
そこで、この病原体について考えることにした。
人を理性なき化け物にしてしまう恐ろしい奇病、その性質について。
まずマニュアルに書いてあった情報から三種類存在するということが分かっている、
あくまで憶測ではあるが、空気感染するタイプは女性限定で稀に能力を維持する性質があるのではないかと考えられる。
希望的観測だと自分ながら思うけれど、走る個体は決して多くはなかった。殆どは女性であっても走りはしない。ならば感染力の低いタイプが該当すると考えるのが自然だろう。
これで二種類。今把握できているのはそれだけだ。
三種類目の見当をさっばり付けられない。
それこそ極端に感染力が低い代わりにミュータントでも生み出すようなものでなければいいんだけど。
...嫌な想像ばかりが捗って気分が落ち込む。
相変わらず赤い視界で朝食を用意すると、それはさらに加速した。
寝ている時は誰かしら一緒に食事を摂ってくれる人がいたのに、今は誰もいない。本当に一人ぼっちになったのだという実感が、胸にぽっかりと風穴を空けて。
行きどころを失った涙が今更になって流れだす。
数分ほど電球の明かりを眺めた後、私は直に正気を失ってしまうから、それまでに次に備えて情報を集めるべきだと思い直す。
何もせずに黄昏ている暇は無いと自分を鼓舞し、一日分の水と食料を持って大学へと向かった。
暫くめぐねえの車を走らせ、大学が遠くに見えて、何とか無事故で到着しそうだと思った時。道路でやけに奴らが群がっている車が視界に入る。
「まさか」
音で中の存在を判断することは出来ないし、必死に目を細めても視界が滲んでいて明瞭ではない。それでも生存者が居るかもしれないという希望は今の私にとってとても魅力的に映った。
「...やらない後悔より、やる後悔って言うもんな」
ハンドルを切り、車線を変えて奴らを轢き潰し。シャベルでフロントガラスを叩き割って中の人物を確認すると、その人はやけにふてぶてしく見える、恰好つけているのにびっしりと滝のように流れる汗が台無しにしていて何だかおかしくって、少し変な奴だった。
「外部の生存者...?ふふ、やっぱり私は選ばれ―――」
「良いから乗れ!今の音で奴らはもっと寄ってくる!」
グローブをつけた手を取り、片腕の力で引きずり上げた。
自分でも予想外の怪力で少し面食らったが、都合が良いのでそのまま彼女を助手席に乗せて走り去る。
「…助かったわ。貴女は何処の誰?」
「それは質問した側が先に答えるのがセオリーだろ?」
「
「恵比寿沢胡桃だ。ついさっきまでってことは、生存者がいたのか」
「ええ、ま、何故か全員発症して私に襲い掛かって来たけど。シノウの尊い犠牲で全員撒けたの」
「シノウ?」
「ライダースーツにアイスピックを持った子よ。途中でやられたけどね」
「何で発症したのか、分からないのか」
「...一応空気感染だって話は耳に入れてるけど、眉唾」
「それはたぶん正しい。私の所も空気感染で壊滅したんだ」
「なら貴女も私も」
「感染自体はとっくにしてる、発症までのカウントダウンを待っている身だ」
「そう」
「随分と反応が薄いな、怖くないのか?」
「だって私が死ぬはずないもの。人が居なくなれば新しい人員が、車が駄目になれば新しい車が出てきた。私は選ばれたのよ、貴方とは違ってね」
自己紹介から状況説明、自然な流れで情報交換に持ち込んだは良いのだけど、この人かなり精神的にやられているみたいだ。
自分だけは死なないなんて絶対にありえないのに、やけに自信満々の表情でこっちを見ている。そんな顔されたって反応に困るな。
「そ、そうなのか。すごいな、うん」
「ええ、すごいのよ」
少し引き気味で話しても全く気にしてないみたいだ。腕と足を組んでふんぞり返っている。
「なあ、大学って聖イシドロスか」
「何故分かるの?」
「職員専用マニュアルっていうのが私の学校にあって、そこの避難先に一つだけあった大学の名前がな」
「...そんな物、大学には無かったわ。もしかしてやけに設備が整っていたのは」
「恐らく、ある程度生活することを前提に作られていたからだと思う」
そう言うとアヤカは足元を向いてから少し静かになって、何か考え事をしている様子に。
それも数秒で終わり、アヤカは口を開く。
「胡桃、今から大学に行くつもりなの」
「そうだけど、何かまずい事でもあるのか?」
「物資を目当てに行くのは得策じゃないわ。私達の混乱に乗じて殆どが奪われてしまったから」
「それは本当か!?一体どんな奴が」
「全く戦闘に協力しなかったり、やる気はあっても使えない人が集まっていた『自堕落同好会』っていうグループの連中よ」
「自堕落同好会...」
「だから大学に行くのは止めなさい。奴らも他の場所とは比べ物見ならない程多い。リスクとリターンが見合ってないわ」
「実は物資目当てじゃないんだ、情報収集のために動いてる」
「情報?」
「ああ、それもこのパンデミックの謎を解明できるような、とびきりの情報を」
「馬鹿馬鹿しいわ、今の大学は本当に危険なの。絶対に行かないで」
今は運転中だっていうのに肩を掴んで揺すってきた。左肩を掴まれたが、痛みは既に無い。
「アヤカは死なないんだろ?もし死ぬとしても私だけさ」
私がガソリン残量を指さすと、アヤカは面白いくらいに顔を青ざめさせた。
眉を少し釣り上げていて、怒っているようにも見える。
「あなたねっ...!」
揺すりが激しくなってきたので、路肩に停車させるとアヤカは青い怒り顔で私の襟首を掴んで、ドアに叩きつける。
「一体どういうつもり!わざわざ火中の栗を拾いに行くような真似をして、帰るアテも無いなんて!」
「帰るアテならある。大学を制圧...とまではいかなくても安全圏を作ってから、自転車で帰る予定だ」
情報を十分集めながらな、と付け足してやると首が苦しくなってくる。
これ以上力を込められると流石に危ないだろう、腕を引っぺがすと、凄まじい目つきで睨まれた。
「別に車で待っていてくれても大丈夫だって。もうじき日も暮れるし」
「...胡桃はどうするの」
「さあ?生きてれば迎えに来るよ。絶対に」
再び車を走らせ、目的地に到着するまで会話はなく。
校門前に停めるとアヤカは身震いをした。
時刻は十九時を示している。
「それじゃ、行ってくる」
「...」
車に背を向け、音を立てないように歩き出すと、後ろからわざとらしい独り言が聞こえてきた。
「...理学部棟に、空気感染の事を教えてくれた人が居たわね」
中に入ってから念のために校門を閉める。これで校内の奴らがアヤカに向かう事は無いだろう。
「よし」
シャベルを強く握り込んで気合を入れる、此処が正念場だと。
明日のアヤカの無事と、次の世界での立ち回りが、今夜で全て決まるのだ。
...この満月の夜に。
とはいえ私は理学部棟なんて知らないし、どうしようかと思いながら歩いていると人影が現れる。
身構えて相手の出方を伺っていたら、それは私に話しかけてきた。
「あの、貴女は、だれ、ですか...?」
ほぼ意識を保っていないような状態、だがその服装には覚えがある。
ライダースーツにアイスピックを持った女性、恐らく彼女が途中でやられたって言う、シノウだ。
「私は、恵比寿沢胡桃って言います。理学部棟を探しているんですけど、知りませんか?」
「理学部棟...?えっと、あれ、思い出せない...?」
「...今、自分がどうなっているか分かりますか」
「あ、多分、それは、わかる。だから、こないで。こっちには、墓場しか、ないから」
荒い息を吐きながらシノウは私を遠ざけようとした。
一度成ったから分かる、あの状態で襲い掛からないのがどれだけ辛い事なのかも。
シノウに背を向けて走り出し、私は様々な棟のインターホンを片っ端から鳴らして行った。
時々やけに服装の整った個体が出てきたが、問答無用で叩き潰す。慈悲はない。
走ってくる個体に何度か噛みつかれる事はあったが、感染していると知った今では恐れるに足らない。どうせ数日の命なのだから動いてさえくれれば良いと、左腕は最早盾扱いだ。
そんな事を暫く続けていたら、インターホンの向こうから返事がある棟を引き当てた。
「...お前か、真夜中だってのにさっきからピンポンポンポン煩いのは」
「ここが、理学部棟、ですか!」
「そうだが、何の用事だ。私は感染者をわざわざ招き入れる趣味は無いぞ」
かなり息切れているので話し方も絶え絶えではあるが、何とか確認を取ることに成功する。
「今晩だけで良いんです、話を聞かせてください」
「話が終わったら静かに帰るんだな?」
「はい」
「お前が明日の朝まで正気で居られる保証がない。話すにしてもこのままだが、それでも良いか」
「わ、分かりました、それじゃこのまま質問します」
「ああ」
何回か深呼吸をして息を整えてから質問を考えた。
取り敢えず病原体が一体何なのかを聞いてみることにする。
「このパンデミックの原因は何ですか」
「私の仮説だと、巡ヶ丘の土着菌...私は勝手にΩと呼んでいる、それがこのパンデミックを引き起こした細菌の筈だ」
「症状を緩和させるようなものは何かありますか」
「...あったらとっくに使ってる。そんなものは一度も発見できていない」
「そうですか...」
「ただ、アテが無い訳でもない。少し、というかかなり怪しい会社がある」
「怪しい会社?」
「ランダルコーポレーションという製薬会社だ」
「その会社は私も怪しいと思ってました」
「ほう?どうしてそう思った」
「職員用の緊急避難マニュアルという物があって。それの中にはパンデミックの際の行動、病原体の種類、地下の抗生物質といった具合に、この状況を想定していたかのような記述がされていました」
「種類って言うと、具体的に何種だ」
「α、β、Ωの三種です。それで、避難先が学校や病院、自衛隊基地と並んでいる中、唯一民間製薬企業であるランダルコーポレーションがあって、違和感を覚えたんです」
「なるほどな、本当にそのマニュアルとやらがあるのなら話は通る。私の疑念も確信に変わるだろう...それは今持ってきているのか?」
「...持ってきてないです」
「なら残念だが、これ以上話す事は無い。治す手立ても黒幕も、今の私は知らないからな。情報はやった、後は自分で勝手に捜査なり何なりしろ」
「...ありがとうございました」
「頑張れよ」
プツリと音声が途切れて、周囲が静まりかえったのを確認してから私は車へと戻った。
「ふっ」
アヤカが車の下で眠っていてついつい笑ってしまう。言動は高圧的なのに、行動はまるで小動物か何かみたい。
まあ、寝ている間に噛まれていたなんて洒落にならない。そうするのは正しい、けれどアヤカなら後部座席あたりで横になっているものだとばかり思っていたので、不意打ちだった。
「...!」
息を飲む音が聞こえる、恐らく起こしてしまったのか。元々安心して眠れるような状態でもないだろうし当然だ。
安心させようと思い車の下を覗き込むと、一瞬この世の終わりみたいな表情をした後、私の顔を認識したアヤカはだんだんと血色を良くさせていった。
「ただいま、ちょっと早くなりすぎた」
「驚かせないで。ただでさえ貴女の我儘でこんなところに居るんだから」
「...別に車の中で寝ていても良かったんだぞ?」
「...ッ!」
少し茶化すように喋ったらかなり強めのデコピンをされた。大げさに痛がってみる。
「ぃっ...」
「あ、えっ、怪我でもあるの?」
「はは、冗談冗だ」
思い切り殴られた。
痛みはない。
「...アヤカ、眠くないだろ」
「あんまりね」
「感染するとそうなるんだ。私はかなり進行してるから全く眠くない」
「それでも疲れはするわ」
「ああ。だからちゃんと休んでおいた方が良いぞ、もう少ししたら自転車に乗るんだからな」
シャベルで後部座席を破壊するという荒業を駆使し、自転車を二台積み込んで高校へと車を走らせる。
三分の二程進んだところでついにガソリンが切れ、自転車に切り替えた。
学校に着いたのは三時四十五分。
太陽が顔を出す前、暁の空はまだまだ暗く。
アヤカは半分寝ているような状態だったので、校門をよじ登ってからはおんぶして地下の寝室に寝かせてやった。
その途中、校庭の隅で金属光沢を放つ『何か』に視線が釘付けになる。
変則的なチョキを黒く染め上げたような、拳銃。
見覚えがある。一度コレでトドメを刺された。
「これって...ヘリから飛んできたのか?」
少し弄ると、セーフティを解除できた。残弾は五発、打てるかどうかを試すくらいなら良いかもしれないと引き金を引く。
瞬間、炸裂音と共に放たれた銃弾は地面を抉り、大量の砂埃を上げて停止する。
下駄箱に座り込んで、日の出を眺めながら万感の意を込めて息を吐いた。
「いい物拾っちゃった、まだ使えるじゃん」
他にも何か残ってないだろうかと思い辺りを見渡してみると、ヘリの残骸に見覚えのないアタッシュケースが煤まみれで埋まっているのが見えた。
期待を込めて中身を検めたが、中に入っていたのは冊子のみ。
ランダルの職員用マニュアルと、ヘリの操縦法が書かれたもの。
つまりヘリの操縦士はランダルの職員ということか。
ランダルの意図が不明ではあるものの、有益な情報はちゃんと得られたし、思いがけず生存者の確保にも成功した。おまけに拳銃まで手に入ったとあっては文句のつけようがない。今日の成果は上々だ。
身体を見てみると左腕はぐちゃぐちゃだし、手の平は皮膚が所々剥がれて何ともホラーテイストな見た目になっていて。
鏡を見れば、左頬が少し千切れていた。唇も罅だらけ、目も赤黒くて気味が悪い。
これが今の自分の姿だと思うと泣けてくるが。
後悔はなかった。