胡桃ちゃんはおかしかった   作:生タマゴ

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何だか、何故か、どういう訳なのか。凄く疲れている。

全然眠くなんてないのに、瞼がゆっくりと落ちてきて。

泥の中に沈み込んだみたいに、空気が重くて苦しかった。

 

「あれ、何で、アヤカが...」

 

目の前に居るのか。その理由に思い至った瞬間、私は冷や水を浴びたように意識を取り戻す。

ほんの一瞬だけ感じた、激しい飢餓の残り香。

 

 

 

「私...今何を、して」

 

両の肩へと伸びかけていた腕を枕に突き、口元から頬を引き離す。

 

まさか、昨日の今日だっていうのに…?

 

いや、納得は出来る。予想より早かっただけ。

大学での戦闘は正しく捨て身の強行、そのせいで体はボロボロになっていた。感染が間違いなく昨日一日で相当進行しているのは明白。警戒しておくべきだった、手錠で体を拘束しておけば良かった。

 

そう考えている最中にも体は何かを訴え続ける。口寂しさを解消しなければと、目の前の熱を頬張れと。

自然、腕から力が抜けて肘を突く。

 

駄目だ、このままでは。

そう思って視線を逸らそうとするも、どういう訳か逸らすことが出来ない。

さっきはあんなに重かった瞼が、今は限界以上に開こうとして目が乾く。呼吸は浅くて早い。

じわじわと深みを増す視界。滲み出て来る紅色に掻き消されて表情を、認識するのが難しくなる。

 

もう駄目だと思ったその時。眼前の瞳はゆっくりと開いてくれた。

 

寝起きだっていうのに、不機嫌そうな眼差しで目と鼻の先の私を見つめてくる。

その焦点がしかと定まった時、視界の変色は停止した。

 

「…何してるの、胡桃」

「ア...、えっと、プランク…?」

 

ぼんやりとした頭で適当な言い訳をする。

殆ど体の上に覆いかぶさるような姿勢でプランクをしている理由の説明には全くなっていなかった。

 

「体幹トレーニングの?」

「そう、そのブランクをやってたんだよ。人の上でやったらモチベーション上がるかな―って」

 

ゆっくりと顔を離し、だんだん自由が戻ってきた体を立ち上がらせて取り繕うと、アヤカはより一層目を細める。

 

「貴女、頭おかしいんじゃない?」

 

かと思えばすぐに頬を緩め、半笑い。

 

「アヤカには、言われたくない、な」

「でしょうね」

「自覚あるのかよ」

「多少はあるわ」

 

その後『私は特別なの、普通の貴女から変に見えるのは当然よ』と付け足して寝室から出て行った。

 

時刻は午前九時丁度、少し遅いけど朝食にしようと思い地下倉庫に足を運ぶ。

 

ただ、あまり食欲が湧かない。コーンビーフの缶を取り出し、食パンを皿に置いたところで手を止めてしまう。なにかそそられるモノはないかと暫く缶詰を漁っていたら、アヤカが呆れ顔で入り口に立っていた。

 

「貴女は犬か何か、こんなに散らかして」

「食べたい物が、なくってさ。何か無いかと、探してたんだ」

「有るものしか食べれないわよ。例えば、そこに放置されてるパン、とかね?」

 

そう言うと、おもむろにコーンビーフとケチャップのサンドイッチを作り。

半分に割って手渡してくれた。

 

「ほら、私もあまり食欲がないの。半分なら丁度いいから残りは食べなさい」

 

胸を張り右肘に左手を添えた状態でぱくつくアヤカ。

時折此方を見ているのは何故なのだろうと思いながら、私もサンドイッチを食べようとするが…

 

「…っ!げほっ!げほっ!」

 

呑み込もうとすると、喉が引き攣ったように動きを止めてしまい。盛大にむせてしまう。

この感覚は以前死肉を食んだ時と同じ。

 

倉庫の中一杯に響き渡るような咳、それなりに広い空間を埋め尽くすような大きい音だ。苦しい、食道が緩んでくれないからいくら咳込んでも解消されない。

 

「わ、悪い、水だけで、勘弁してくれ」

 

もはや気道に入るのもお構いなしに水をあおる。

せっかく作ってもらったものをまともに食べられないのは、体とはまた別の場所にも苦しかった。

 

暫く静かに水を飲み、コップが空になった辺りで美紀とめぐねえに抗生物質を打ちに行こうと思い、寝室へ行き薬箱の中から注射器を取り出す。

 

「何それ」

 

ついてきたアヤカが不思議そうに小首を傾げて、私に尋ねる。そういえばマニュアルの事は話したのに、抗生物質の事はまだ話していなかった。

 

「一応これの、治療薬?...らしい。効果はある。けど、あてに、ならないな」

「そんなものまであるの、一体この学校ってなんなのかしら」

「知らね。アヤカも打っとく?予防にはなるぞ」

「…それじゃ、お願い」

 

注射針を刺しながら、今後の展望を考えた。

注射は二十本以上残っている。

症状の進行を防ぐことはできるのだから、三人が二日毎に投与しても二週間はもつだろう。

僅かとはいえ回復しないこともないようだし、アヤカは完治する可能性も十分にある。

何故アヤカだけなのか、その理由はアヤカの耐性の強さにある。彼女はいつ感染したのかは知らないが症状の進行が最も遅い。少なくとも空気感染に対しては私以上だ。

 

暫定的に並べてみると、最も症状が軽いアヤカ、昨日まで割と平気だった私、ゆきよりも発症が遅かったであろうりーさん、それより少し早く発症した美紀とめぐねえとゆき。この順番で抗体があると推測できる。

 

「ちょっと、いつまで針を刺しっぱなしにしてるのよ」

「あ、悪い。ちょっと、考え事してて」

「貴女本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ、安心しろって」

 

ゆっくりとプランジャを押し込んで薬液を流し、注射針を抜いてガーゼを当てた。

何も言わずともアヤカは穴を抑える。

止血が済んだのを見計らってから二人にも注射を行い、私がめぐねえを、アヤカが美紀のガーゼを抑えた。

 

「腑に落ちないわ」

「何が?」

「どう見ても胡桃の方が症状は進行しているのに、何で意識を保てているのよ」

「今更、気付いたのか」

「明るい所でちゃんと見たのは初めてだもの、ここまで酷いとは思って無かったわ」

「あ、確かに。私もアヤカのこと、目つき以外、まともに、見てなかった」

 

改めて顔を見ると、相変わらずふくれっ面をしているけれどかなり整っている容姿だ。

目元に薄っすらとクマがあるくらいで、私とは大違い。

 

そんな感想を抱きながらじっと顔を眺めていると視線を逸らされてしまった。

 

「あ、そうだ。アヤカって、拳銃使えるか?」

「何よいきなり」

「いいから」

「撃てないことはないと思うけれど、どうしたの...!?」

 

懐から拳銃を取り出して手渡すと、アヤカの表情が変わる。

 

「これってまさか」

「さすがに、倉庫の中身、じゃない」

「じゃあ一体何処から手に入れたのよ」

「校庭に、落ちてた。多分ヘリの、操縦者の遺品だと思う」

「…これ動く?」

「昨日、試し撃ちした時は、一応」

「そう。なら―――」

 

直後、突き飛ばされて尻餅をつく。

視線を上げればおもむろに銃口が私を向き、安全装置が外れる。

 

「―――今すぐ薬を打ちなさい、胡桃。じゃないと、感染者として殺すわ」

 

そう言って引き金に指を掛けるアヤカが見えた。

いきなり突き飛ばされたのは少し面食らったが、銃で私を撃ってくれるのなら大歓迎だ。

既にやれることはやり尽くしたと思うし、完全に発症してしまう前に死ねるのなら撃たれる以上に楽なモノはない。

ぼんやり銃口を眺めていると、注射が投げてよこされる。

 

「早く」

 

だから私は額に銃口を押し当てて、言った。

 

()()()()()()()()()()()。だから、薬は打たない。三人で使ってくれ」

「...あの二人はどう見ても手遅れよ。その分を貴女が使った方が合理的」

「そういうのじゃないんだ。仲間を、見捨てるわけには、いかない」

 

私には死んでも次がある。だけど、みんなに次はない。

私は時間を遡っているわけじゃない、全く別の舞台から再スタートしているだけ。私以外の全ては取り返しがつかない事を私は知っている。

だから。だからこそ、自分が生き残る可能性で救える命があるのなら、それに命を賭けるべきだ。

 

「貴女、ついさっき私を襲いかけてたでしょ。あれで誤魔化せたつもり?」

「...正直な、話さ、意識が途絶するってのは、これが初めてじゃない。わかってる」

 

「なら!」

「だからといって、薬を打つ訳にもいかない。自分で言ってたよな!私の方が酷い状態だって」

 

さっきアヤカは言っていた、私は二人より症状が進行していると。根拠は経験からくるものだろうが、そう大きく外れているとも思えない。アヤカはあの態度に嘘を含ませられるような人間には見えなかったから。

その見立ては、多分正しい。

ならば、既に手遅れと断じた二人より、さらに治る見込みの薄い私が薬を打つべきではないのは理解している筈だ。

 

「延命にしか、ならないんだろ?それなら、私は、使いたくない」

「...物資調達の為に人手が必要なのよ」

 

それには一理あるように思える、だがそれは、私だけが持つ知識で容易に崩せる話。

 

「物資調達って、必要だから、するんだよな」

「当たり前じゃない」

 

私は知っている、救助する者達が存在するということを。

今回は墜落事故を起こし、災いをもたらしただけだったけれど。

 

「それは、じきに必要、なくなる。何故なら、世界は、滅んだ訳じゃ、ないからだ」

 

あの男。

最初の世界では、恐らく空気感染による症状が顕在化する寸前に学校で抗生物質を投与されたのだろう。

今回は僅かにそれが間に合わなかった。

しかしだ。

ヘリを駆り出した辺り、国かそれなりに大きな組織が動いていると考えられる。

多少死んだくらいで、この未曽有の災害への対処を放棄できる筈がない。

組織とは、その規模と権限に比例して責任を負わなければならないんだから。

絶対に助けが来る、そう遠くない内に。

 

「墜落した、ヘリ。あれは、国かそれなりに大きな組織が、関与していると、思う」

 

「人が一人、死んだ。それだけで、この惨状を、無視出来ると、思うか?」

「思わない。一つの市が壊滅状態なんだから」

「そうだ、その通りだ。だから、絶対に助けは、来る。防護服を着てでも、必ずさ」

「助けが来ると分かってるなら尚更よ!どうして貴女も延命しようとしないの!」

 

「…アヤカが、五本使う、として。残り、十数本、三日に一本で、使うと考えた、ときに、三で割るか、二で割るかの差って、大きいだろ」

 

十二日で十二本と、十二日で八本。五十%の差は、日が進むほどに重みを増す。

 

「私は治らない、から、アヤカと、違って、本数の、仮定も、できない。もしかしたら、二人が先に、治るかも、しれない」

 

そう、私が言い終わった瞬間。

 

 

意識の外側から聞こえてくる地響き。

強大な爆発音が鳴ると同時に地面が激しく揺れた。

 

 

 

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