胡桃ちゃんはおかしかった 作:生タマゴ
振動は更に激しくなり、壁全体に罅が入って、何かが崩れるような音が断続的に響く。
「い、一体何が起こっているの」
「分からない、外で何か、あったのかも」
突然の出来事に狼狽えるアヤカに返答しながら扉を開こうとする。しかしいくら力を込めてもびくともしない。
蹴りつけると微かに聞こえるコンクリートの衝突音、地下通路が落盤しているのだろうか。
「…扉が、開かない?」
ごくりと喉を鳴らしてからドアノブを握らせる。
「嘘でしょ、これって」
「多分、生き埋めって、やつだ」
幸いにも天井が崩れて落ちるような事にはならずに済んだらしい、けれどいつ崩落するかも分からない。
どうしたらいいのだろうと考えを巡らし、一つ思い浮かんだ。
扉を固定している金具を壊してしまえば良いのではないかと。
シャベルを刺し込んで思い切り蹴りつけて破壊を試みる。しかし、鉄扉を支える為に溶接されている部品を破壊するには生半可な力では足りえなかったらしい。
にわかに痺れた拳を握り、再び穂先に渾身の力を振り絞った。
鉄同士の衝突音が激しく鳴り響き、ぐらつきを見せた。すかさず力を込めて蹴りつけるとシャベルがぽっきりと折れる、同時に下の蝶番が壊れる。
「よしっ!後は、浮いた部分を、使って…」
ノブを捻りながら木の柄でテコ入れし、扉を外した先には瓦礫の山。小さなものは払いのけ、大きな物は粉砕しながら進んでいると後ろから声が聞こえた。
「貴女今、素手で殴ってなかった?」
「…あれ?そういえば、そうだ」
指摘されて気付く。
アヤカを片手で持ち上げた怪力のみならず、コンクリも砕く鉄拳が身に付いているらしい。
「…っ」
すると、急激に赤みが深くなる視界、それはこの力を使う度に勢いを増す。
この力は感染の進行度を引き上げるらしい。
ともあれ悠長にやっている暇などない。
真っ直ぐに粉砕して脱出経路を確保し、アヤカと二人を外に運び出す。
「なかなかやるわね」
「ひゃっ!」
息を切らし、膝に手を当て肩で呼吸していると右頬に冷たい感触が当たる。
何かと思って振り向けば、アヤカが頬を緩ませてボトル水を押し当てていた。
「それだけでも飲んどきなさい」
「...ありがと」
酷く心温まる一幕だ、その背景がバラバラに崩れた学校でなければ。
さっきのあれは、一体何だったんだろうか。
辺り一面が見渡す限り瓦礫と焼け野原になっているので地震ではなさそう。むしろ爆発にでもあったみたいな有り様だ。
ふと聞こえて来る、ぽつりぽつりと降り注ぐ音。ただその色は多分今まで一度も見たことがない。黒。
重油のような粘り気のある...油泥とでも言えばいいだろうか、大粒のそれが絶え間なく降り注ぐ。
「これって、まさか…?」
地上が全部焼き払われてて、黒い汚泥が降るこの状況は一体何だろう。
何かに気付いたのか、アヤカは少し呟いた後に二人を連れて地下へと潜っていく。
取り敢えずそのあとをついていった。
寝室の中も天井の皹から染み出した雨漏りで所々黒く染まっていて、それを見たアヤカは酷い表情をする。
「…ゲホッ」
咳き込んだら血が出て、雨に濡れてる所はぜんぶ膿んで。じっと水ぶくれをみつめていると、慌てて体を洗い始めて私にボトル水をあびせるアヤカ。そのまま二人を洗うようにいわれた。
そして、
それから四日間は特になにもなかったけれど、五日目の朝アヤカは血を吐いて倒れた。
水ぶくれが潰れて、黄茶色の液が溢れだす。
薬を打ったら起きてくれた。
よかった。
その次のつぎの日に美紀も血をはいたから、呼吸出来るように横をむかせる。
だめだった。つめたくなった。
つぎのひ、日課の墓参りを済ませて寝室に戻ると、めぐねえが吐血で窒息していた。慌てて気道を確保したけれど……
かなしかったけどきれいにした。
そしてつぎのつぎの日、撃たれた。
むねがいたい。
二回目で首が、三回目で鼻が。
だけど、四回目は私じゃなかった。
アヤカは何も言わずに一筋の滴を目尻から溢す。
空が裂けたような音、穴の空いた胸から弾けた血液。
たおれて、つめたくなって、何処からか蛆虫が涌いてきて。
ただ見ているしか出来ない。
たべたい、でも、動くのは目だけ。いや、食べちゃ駄目だ。
今彼女に手を伸ばせば、きっと私は...
言い聞かせて耐える。
それからどれ程の時間が経っただろうか。
もっとずっと、なんにちもたってから、この地下への来訪者が現れた。
「アアアア…」
私を銃口が狙う、止めようと手をのばす。
けど、すぐ私に大量の銃弾が突き刺さり、止まった。
撃った人の服装は、最初の世界で私を殺したあの男と同じ。
...ランダルの人間なのか。
「アァ……」
「……ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアッッッ!!!」
肢体に命令を下すが、動いてくれない。頭を蹴られて、這いつくばった背から骨の折れる音がする。
そして響く炸裂音。
私は床に散る脳髄を眺めながら、息を止めた。
―――――――――
――――
――――
―――――――――
徐々に、頭がすっきりと晴れ。
嫌に澄み渡った思考で自らの死を悟る。
結局、ランダルコーポレーションの立ち位置は分からずじまい。
あの時寝室に居たのはどう考えても奴らと化した私達なのだから撃つのは当然、治療が出来るとしてもアヤカと私に関しては細菌の影響下から抜け出した時点で助かる見込み無し。
めぐねえと美紀を撃ったのは手遅れだったから、私とアヤカを撃ったのも手遅れだったから。それで辻褄が合う。
怪しくはあるけれど、決定的ではない。
次に思い浮かべたのは、あの雨だ。
落ち着いて考えてみると、あの黒い泥雨が何かとても危険な物なのではないか。
そもそも地上がいきなり壊滅していたのも原因不明で、それこそ核爆弾でも落とされたような有り様。
流石に日本でそれはあり得ないだろう。
…これってアヤカも言っていたような?
いやまさか、本当に核が使われる筈がない。
この国で、大企業だからって核兵器を法人団体ごときが保有出来るわけがないだろう。
でも、念のため。念のために、次の世界で図書室が無事だったら黒い雨と突然の吐血、そして異常な膿について調べてみることに決めた。
あれの特徴は、爆発、振動、黒い雨、吐血、血便下痢嘔吐。
この条件を全て満たすもの、それこそが正解だと当たりを付ける。
そして数舜の後、意識がバラバラに散らばり。
打ち捨てられた氷片のように溶けて―――――
――――
――――
――――――――
目を開いた時、天井の証明に既視感を覚えた。
蛍光灯でもない、白熱球でもないこの光は確か、自室以外では一度もお目にかかる機会の無いもの。
布団を上げて時計から読み取った時刻は午前二時。
カレンダーから今がいつ頃なのかを確認すると、こう記されていた。
高校三年生の新学期初日、四月十九日と。
パンデミックの二か月前。
開けっ放しの窓、風に吹かれてチリンチリンと小気味良い音を奏でる風鈴。
誘われるように外を見渡してみれば、満月が浮かんでいる。
起きるには早いので、記憶の統合を行うべく二度寝でもしようかとベットに潜り込んだが、何か忘れているような気がして落ち着かない。
…そうだ、あの力が使えるのか試しておくべきじゃないか。
まず指を鳴らす。特に硬い感触はなく、手のひらは柔らかいまま。
手を握らなければいけないのかと思い。拳を作ってクッションをぼすんと殴るが、特に変化はなく。
硬いものでないといけないのかと机を小突くと普通に痛かった。
硬化の方は駄目らしい。
では怪力はどうだろうかと寝具の縁を掴んでみれば、かなり重いものの持ち上げることに成功した。
無茶な持ち方をしているからか、関節から軋むような痛みが走る。
末期と比べると効果は低い。反動もあるが、怪力は使えるみたいだ。
そう、使えた。
なので次は視界の侵食が来る筈だが。
視界が赤く染まらない。
何故だろうと不思議に思っていたら、コンクリートを殴る度に侵食されていた事を思い出し、症状を大きく進行させていたのは硬化のみであったと気付く。
二つのうち、硬化だけが使えない理由は何なのだろうか?
マニュアルから推測すると。
感染力は強いが致死性は低いとされるα、これが空気感染の原因で、感染力は弱いが致死性は高いとさせるβが接触感染の原因だ。
当て嵌めるなら怪力がαで、硬化がβ。よって、噛まれていないからβを使うことが出来ない。
理学部棟の人からもっと詳しく聞かせて貰えなかったのが惜しい。
椅子に座り頭を抱えていると、時計の鳴る音が聞こえ、目を向ければ七時二十分を針が指している。
もう起きる時間だ。
アラームを止め、毛布を整えた後に朝食を摂って学校へ行く。
そして始業式の終わった後。
皆がそれぞれの部活動をするべく移動を始めたタイミングで職員室を訪ねた。
目的はいくつかある。
学校の鍵の写真を撮る事がまず一つ。鍵番号が分かれば合鍵を作って、深夜の内に地下倉庫へ出入り出来るようになる。
そして次、めぐねえから緊急避難マニュアルについて聞く。
あれにΩの事が書かれていたら、この世界でもパンデミックが発生する可能性が高い。要するに、此処は奴らが発生するのかどうかの確認だ。
起きるのなら、それとなくあれの存在を認知させておけばパンデミック発生にいち早く気付けるかもしれない。
やるべき事を確認し、引き戸に甲を当ててノックする。
「三年の恵比寿沢です、■■先生に用事があって来ました」
「あら、陸上部の子?ごめんね、今■■先生居ないのよ」
入り口近くで作業をしていた先生が気付き、申し訳なさそうに顔を向ける。
大丈夫。■■先生自体には何も用がない、鍵を取りに来る方便の布石だ。
「そうですか…あの、倉庫の鍵を借りることって出来ますか?」
「部活で使うの?」
「はい、今日の練習で使いたい道具があるので」
「使い終わった後に、先生に渡しに来るのなら貸せるけれど…」
「分かりました。必ず返しに来ます」
先生がポケットから鍵の陳列されている棚の鍵を渡してきた。
「それじゃ、これから会議があるから。その鍵は机の上に置いておいてね」
先生が居なくなり、職員室には私一人だけが取り残される。
堂々と携帯を取り出して番号撮影を行い、第一目標は拍子抜けしそうなほどあっさり達成だ。
...次はめぐねえ。
会議が終わるまで待っていれば自ずと会える。
鍵を机に置き、廊下へ出て暫く目を閉じて待った。