胡桃ちゃんはおかしかった 作:生タマゴ
痛い。
意識を取り戻した時、真っ先に感じた感覚はただそれだけで。
アヤカは既におらず、ベッド脇のテーブルには二つに折られた紙が置かれていた。
中身を読む。
『右の拳は砕けて、左の足は骨が潰れているわ。次に私が来るまでおとなしく寝ていなさい』
布団を上げ、足元の先にある姿見に映る私の姿は包帯と湿布まみれ。
足にはアルミ合金板とウレタンフォームのクッション材が一つになった副木が固定され、拳についている副子は...アルフェンスシーネだろう。何度か救急箱で見かけたことがある。
手で形を簡単に変えられるから、素人が使ってもそれなりに患部をしっかり固定出来る優れものだ。
...寝ている間に処置されたにしては随分と上手い。
アヤカは何をしているのだろう。
ポケットから携帯を取り出したが、電源がつかない。まぁ型落ちでバッテリーも随分弱ってきていたし、寝ている間に切れたのだろう。
しかし、連絡手段がないのは少し困ったな。
寝すぎたせいか目も冴えているし、早い所戻ってきてほしいのだが。
体を起こして部屋の中を見渡すと、枕元の本が目についた。
「…何だろう」
暖かな日差しの入る洋室で、分厚いそれをめくってみる。
洋書なのか、中身が全て英語で書かれていた。
正直読むのが面倒くさくなり、途中で閉じる。
「うーん、やることないな」
本を元の位置に戻してベッドから抜け出そうとした、その時。
ガシャ、と。以前も聞いたような音がして。
ゆっくりその源を見てみれば、足に鉄で出来た手錠が嵌められていた。
「…へ?」
いくら動かしても変わらない。そこにただただ鎮座する鉄。
そして気付く。全身に施された治療…αの発症者特有の赤黒い発疹…
…もしかして、監禁されたのか、と。
いやまぁ、怪力を使えばベッドの木枠の方を壊して脱出するのは容易だが。
そういえば、アヤカにαとβの性質について詳しくは話していなかった。
なら、今アヤカが持っている情報から判断すると…私は末期の感染者と思われているのだろうか。
恐らくは昨日の感染者との戦闘で、やられたんだと。
私とアヤカはβに感染していない分には問題無いのだが、耐性についても話していない。
…誤解を解くにも電話が死んでる。もし今アヤカが電話を掛けてきていたとしたら、電話に出れない状態になっていると思われてしまう可能性が高い。
仕方なく怪力で木枠を壊して廊下に出ると、花瓶の置かれた机の下でアヤカが眠りこけていた。
「アアアアぁぁぁぁあぁ!」
誤解とはいえ監禁されかかったので、ほんの少し悪戯をする。
奴ら化したことはあるので声真似くらいは簡単だ。
そもそもそんなに難しくもない。普通にゾンビ鳴きをすればいい。
「…っ!!っ!」
わざとらしく花瓶の側をうろつくと、近寄る度にアヤカは震え。私が地面を這いずり出すといよいよ涙を滲ませたので、さすがに止めた。
「…え」
震えてるアヤカの両脇を持ち上げて廊下に立たせてやり、出来るだけ自然に振る舞う。
「悪いな、ちょっとした冗談だ」
ったんだ、と言う前に張り手が飛んで来た。
寸でのところで回避する。
「うわ!危ない」
「…ふざけないで!今のは、やり過ぎよ!」
予想以上の怖がり方をしたと思いきや、私が大丈夫だと判断するやいなや、アヤカは凄い剣幕で怒りだした。
「あれ、そっちでも似たような事って無かった?」
「あった、わよ、あんたの悪戯は」
「それじゃ、どうしてそんなに怒るんだよ」
「…言った、でしょ。私は、夢なんだって」
目元を薄紅色に染めながら、アヤカはポツポツと語りだした。
昨日連絡がなくて、すごく頭にきたことや。
怪我だらけで冷たくなった私を見て、本当に怖かったこと。
身体の所々に広がった発疹を見て、悲しかったこと。
そして何よりも、
「悪夢の中の化け物が、現実に出てきたみたいで、本当に怖かった……」
事件の話から、ようやく現実味を感じ始めた事が。
何よりも怖かったのだと。
…私は、何を勘違いしていたのだろうか。
この神持アヤカは、つい先週まで普通に過ごしていただけの女子大生に過ぎないと言う単純なことが、すっかり頭から抜け落ちていた。
なまじ記憶を認識しているから、問題解決に動く意志が多少なりとも見て取れたから、勘違いした。
この人は、あの世界で何ヵ月も殺し合いの生存競争を生き残ってきた『アヤカ』じゃない。
命が危険に晒されるなんて無縁の世界しか知らなかった人なんだと。
そう考え至った瞬間。
自分の軽率な悪戯が、アヤカにとってどれほど恐ろしいものだったのかを漸く理解して。
胸の底から罪悪感が滲み出てきた。
しかし、アヤカが私を末期症状だと判断したのなら。なぜ廊下で眠りこけていたのだろう。
それも隠れるようにして。
「…さすがにやりすぎた、ほんとに悪い。だけどなんだって私を手錠でつなぐような真似をしたんだ…?」
そう尋ねてみると、肩がびくりと震える。
「っ!どうでもいいでしょ、そんなこと!」
帰ってきた返答は、ひどく理不尽なものだった。
そりゃ、私にしてみれば大したものでもなかったけれど。
寝て起きたらいつ戻るかも知らされない状態で鎖と繋がれてる方の気持ちも考えてほしかったが。
「あんたなんか、簡単に死ぬのよ。運が悪ければ!」
握り締めた右の拳を見つめながらそうこぼすアヤカの姿を見て、私は喉元まで出かかった不満を飲み下した。
絞り出すように発せられた声に滲む色、それは深い後悔の色をしているように見える。
彼女の記憶の中の、私じゃない私。それがどんな道を歩んだのか私にはさっぱり分からない。
「あまり聞かれたくないこと…だよな、その理由って」
「…ええ」
けれど、『神持朱夏』という人間にこれほど意識される『ソレ』が、今の私には羨ましく思えた。
「……まあー、うん、それじゃ、私が何で平気なのかと、今後起きうる災害への情報共有を本格的にしようと思うんだけど…何か質問ある?」
「全部片っ端から話しなさい、質問はそのあとに必要だったらするわ」
この場で唯一の質問者は全てを話せと言ってきた。
妥当すぎて反論の余地が見当たらない。
こほん、と一つ咳払いをして。
細菌について私の知っている詳細の全てと、関係していそうな組織、事件について全てを話した。
いくらか以前の説明と重複する部分もあるが、飛ばそうとすると指摘が入るので順番通りに話していく。
「…あんた、要約する才能が絶望的にないわね」
たっぷり三十分掛けて話終えた私へ掛けられた第一声は、なんというかとってもアヤカらしいストレートな罵倒だった。
うん、しおらしくされるよりはよっぽど良い。
「それで、その怪力でベッドを破壊してきた、と」
唯一言葉だけだと信じてもらえなさそうなこの力も、実演した痕跡が丁度あったので問題なし。
アヤカは使えないみたいで、ベッドのふちを折れずに悔しがってた。
力は有るに越したことはないし、その悔しさは分からなくもない。
「はぁ、それの条件とかって無いの?」
「特には思い当たらないな…」
「…そう」
「いや、でも最初の時は使えなかったな。もしかしたら死ぬ事がトリガーになっているのかも」
「馬鹿なこと言わないで…どっち道今のところはあんた専用の力みたいね」
「そう、なるな」
腕を曲げ伸ばししていると、アヤカから手帳が投げて寄越された。
「何だ?」
「書き起こしなさい」
「何を」
「今話した内容、全部」
「え」
「後で他の人に説明する時役に立つでしょ。また今日みたいな行き違いを味わいたいのなら、無理にとは言わないけど?」
三十分で話した内容。要約ではなく、全部。
…見守られながら、たっぷり時間を掛けて完成させた。
時々出来をチェックされつつ、なるべく読みやすくて完璧になるように校正を重ねて。
アヤカからOKをもらえたのは、すっかり陽が頭上に上った頃。
「ぐあああ…慣れないことはするもんじゃないな…」
「あんたの筆が遅すぎるのよ」
「私の右拳バキバキに折れてるんだぞ?左手で何度も書き直しさせられる身にもなってくれよ」
私が抗議の声を上げるも、アヤカはどこか上の空に質問を投げかけてきた。
「…あんた、これからの方針は決まってるの?」
「方針?」
「暫くは療養に努めるしかないと思うけれど、その怪我が治った後の事」
落ち着き払った様子でそう話してくるけれど…
まるで、見当外れだった。
「何を言ってるんだ?」
「は?」
瞳が、私を真っ直ぐに貫く。
まるで信じられないものを見つけたといわんばかりに。
私からしたらそっちの方が信じられない。
「『今夜も私は、あの化け物を殺しに行く』」
別に、自分を何でも出来る無敵のヒーローだなんて思っちゃいないし、憧れてもいないけれど
「今度はもっとうまくやれる、そしてあの『謎の人影』と話してみたい」
犠牲者が無戸籍者で、どこの誰とも知れない誰かだとしても。
既に殺されるかもしれないのを我が身可愛さで放っておきたくはない。
「なんとなくだけど…それが真相に近づくための一番の近道に思えるんだ」
「罠よ」
「…なんの根拠が?」
「まともに考えなさい」
―――たったの一年で百五十人以上の人間が死んで、それが今も続いている
「それ自体が異常でしょ、どう考えても」
その言葉を聞いた瞬間。
私は自分がとんでもない思い違いをしているのだと悟った。
そうだ、冷静になって見ればどう考えてもおかしい。
だってそんな危険な状態だというのに、夜更けにも関わらずコンビニへ行くまでの道でパトロールをする警官なんて一人も見かけなかったし、パトカーの到着までのタイムラグだってありすぎる。
さらに言えば、あの警官は『話が通じすぎた』。自慢じゃないけれど、私は年相応に見られる自信がある。あんな時間に一人で出歩く女子高生にして話す内容としてアレは『深入りしすぎていた』。
そもそもこの町にも青少年保護育成条例が存在している。
保護者は、18歳未満の者を深夜に外出させてはならない。
何人も、保護者の承諾を得ないで青少年を深夜に外出させてはいけない。
ごくごく当たり前の事しか書かれていない条文。
言い換えてしまえば。『普通』。
それから逸脱した若者がいれば、『かれら』はそれを補導する。
つまるところほぼ間違いなく、私は十分に補導するべき対象としてまだら髭の警官の目に映ったはずだ。
だというのに彼は検死の真似事をする私を咎めることもなく、事情を話してくれた。
それまでの経緯、状況から矛盾を孕むであろう情報を私に与えた。
『普通に暮らしてる分には何も心配しなくていいんだから』
思い出したのは、警官の一言。
その『普通』とは…何だ?
違和感。
『被害者が一般人じゃない性質上、マスコミに取り上げられる事も少ない』
そんなことがあり得るか!
未だに人が夜な夜な『殺されている』のに、それがまるで知られていないなんて、どう考えてもおかしい。
それにこの言い方じゃまるで…一般人が殺されることはないと思っているような…
「まさか、警察も信用できない、なんて、陰謀論染みたことを言い出さないよな…?」
それは、最悪の想定。
「三日に一人、人が死ぬ夜にあんたが警官と接触して何もなかった」
―――それが答えよ、バカ
そう告げるアヤカの目は、確信をしていた。
信じがたい結論が生まれてしまったことを。
ならもっと早くに…
そう言いかけた口を噤む。
そうだ、アヤカが連続殺人事件がいまだに続いてるのを知ったのは今日私の話を聞いたからだった。
過去のものだと思っていたはずの事件が未だに続いているなんて普通は思いもしないだろう。
例え解決したという報道がなくても、凶行自体はとっくに終わったものと思っていても無理はない。
それが、『普通』なんだ。
「…人死にに慣れすぎてたんだな、私は」
私は、知らず知らずのうちに『おかしく』なってしまっていたらしい。
考えてみれば、あそこに感染者の死体が残ったままだったらそれこそ大事になっていた。すっかり人の死体を放置することに違和感を持っていなかった自分に驚く。
あの謎の人影が死体を持ち去ってくれていなければ、しっかりと私が殺した証拠塗れの状態で警察の手に渡っていただろう。
…ならアレは、味方なのだろうか
何もかもが疑わしく思えてきている。
特に、正常な倫理観、感性、判断力を失ってしまっている自分が。
証拠隠滅をしてくれた味方ととらえることもできる。
だが、アレがピンポイントに私の殺人だけの痕跡を消しているとは考えづらい。
それ以外の…連続殺人事件の証拠も消している…かもしれない。
憶測の域を出る答えを今の私に出すことは、できなかった。