胡桃ちゃんはおかしかった 作:生タマゴ
「―――――」
理解できない。
コレの紡ぐ言葉はまるでノイズと規制音をスピーカーから垂れ流しているようで、どんなに聞こえていても意味が聞き取れなかった。
「止めろ...頭が割れそうだ!」
開くたびに不快感を増す口。塞ぎこんでも声が漏れる。
「――――――」
「っ、!お前、黙れって言ってるのが聞こえないのか!」
息が出来なくなれば流石に話せまいと思い、両手で体が浮く程強く首を締め上げる。
そうして、やっと五月蝿い声を消すことが出来た。
「...耳障りの悪い言葉は嫌いですか」
「そういう事じゃないって...頼むから話すなら普通に話してくれよ」
首から手を離して廊下に降ろしてやると、あいつは能面のような無表情を張り付けたまま小首を傾げ、数回頷いてから再び口を開いた。
「成程、
「ああ」
「では質問。胡桃は何か負い目を感じている事がありますよね」
「...」
めぐねえの事だろうか。
それなら確かに手遅れになったことに対しての罪悪感自体は少しだけ持っているが...
「他ならぬ私です」
返答に困っていると、あいつは私の肩を両手で掴み、目と鼻の先に顔を近づけてきた。
「胡桃、人に対する根底の信頼感を、築き上げることが出来ない赤子はどうなると思いますか」
至近距離で目と目が合う。
その表面はてらてらとしていて、人形に嵌められているプラ玉のようだ。
「さっきの質問は?」
「アレは検閲されるかのチェックなので」
「?…それで、信頼感だっけ?」
こくりと頷くとさらに顔は近づき、ついには鼻と鼻が触れる。
「そりゃ、人間不信にでもなるしかないんじゃないか」
「ええ、それが正解です」
「母の食事を疑い、父の愛を欺瞞と睨み。誰も信じることが出来なくなった」
目の前にいるのはただの幻覚だと理解しているのに。
やけに抽象的な言い回しが多いのもそれっぽくて、何より根拠のない確信がある。
何故か目を逸らすことが出来ない。
視線が物理的な物だったら、互いに結びつけられているよう。
「...気付きました?」
「何にだ」
「まだ、分からないんですね」
眼前の存在が一瞬、悲しげに眉を顰めたような...
そんな気がしてならない。
「ええ。ただ、それを悪い事とは思いません。内に抱えた病を、内で割り切り逃避するというのはとても合理的です」
数歩ほど私から距離を取ったあいつは、後ろを向いて歩きだした。
だんだんと姿が遠ざかり、輪郭が朧気に歪んで。
「いえ、不信感を掘り返す原因になりかねないのに、こうして再び私と向き合ってくれたのは―――」
次の瞬間、響き渡るエンジン音であいつは掻き消える。
後ろを振り向き、窓から校庭を覗くと、りーさんとゆきが車から降りてくるところだ。
ぱんぱんに膨れ上がったリュックと、制服を着た人を背負って。
...内に抱えた病。
何かなかっただろうかと、小さい頃を思い返す。
幼稚園に入る前、確か私はよく本を読んでいたような。
一人で勝手に外出するのはダメだったから、家に一人きりで。
三歳の誕生日は辛うじて覚えているが、二歳の誕生日は流石に覚えていない。
この間、一年であいつが形成されたなら、あいつは思い出せるかどうかの境界線に居るんだが...
覚えている限りで大きな病気もしたことがないし、あいつとの出来事は何もなかった筈。
そんな事を考えて校庭を眺めていると、三人が校舎に入った後。
小さな影がふよふよと揺れていた。
鳩だ。
何にも考える事のなさそうな顔で降り立ち、校庭の砂粒をつついている。
「鳩…」
口に出した言葉だけだとまるで脈絡が無い。自分で言っていて少し可笑しい。
すると、階段の方からどたどたとせわしない足音が響いてくる。
続いて耳に入るのは奴らの呻き声。
まさか校内に奴らを侵入させてしまったのか?
焦いた思いで階段を駆け下りて二階を見ると、三人が捕まりかけている場面だった。
「っ!やらせるか!」
階段を丸ごとすっ飛ばして飛び蹴りを浴びせる。
映画みたいに頭が弾け飛んだりこそしなかったが、潰された奴は活動を止めていた。
だらだらと流れる体液を見る。
着地がうまくいったので靴が汚れる程度で済んだが、万が一倒れこんだりした日には制服が酷い事になるだろう。
「りーさん、早く屋上へ!」
二人の手を取って、階段を上り。
屋上へ三人を移動させたら後ろ手に扉を閉めてから、万が一取り残しが屋上へ行くことも考え鍵をかけた。
りーさんに渡し損ねた学校の鍵束で。
「胡桃!?」
「悪い、奴らを片付けてくるまで待っててくれ!」
三階へ降りながら、考える。
何故奴らの侵入を許してしまったのか。
あの時の封鎖はそう易々と突破されない程度の強度は持っていた筈なのに。
答えを出せないまま三階の階段を見据えると、既に奴らが数体上がってきている。
意識を切り替えなければ。
階段を登って来た奴らを蹴り落とすと、下の連中もドミノ倒しになったので、そのままうつ伏せも仰向けも関係なく頭をシャベルで叩き割る。
三階の奴らを全員倒し終わったら、二階の奴らを階段に誘導して何度も殴り落とした。
...不意打ちを喰らい少しだけ噛まれたが、一階も同様の手順で掃討を済ませる。
後は一階の封鎖をしなおしてから屋上の鍵を開けるだけだ。
手始めに巡回すると、玄関の一か所だけ不完全なバリケードがあった。
見る限り閉じるのに失敗したようで、下駄箱が八十センチほどだけ記憶とズレている。
私の音に寄せられてきたのだろう、奴らがゆっくり近づいてきているが、遅い。
手早く下駄箱に回り込み、思い切り押し込んで隙間を閉じる。
ガリガリと引っ掻かれてこそいるが、奴らに腰を落として物を押すような真似は出来ないと思うので、もう大丈夫だろう。
これで完了だ。
階段を駆け上り屋上の鍵を開けると、手持ち無沙汰そうに畑に水やりをしている由紀。
寝かされている女生徒と、膝を抱えて体育座りしているりーさんがいた。
「りーさん?バリケードの修復と掃除を済ませて来たぜ」
何だか近寄りがたい雰囲気を醸し出しており、どう声をかけたものかと悩んだ結果。
少しだけ笑みを浮かべ、右手を腰の高さで彷徨わせる。
りーさんが勢い良く此方を見据え…
「胡桃、今すぐ抗生物質を持って来て!」
私が戻ってきたことを認識したのだろう、空気が一瞬で変わった。
しかし、抗生物質?もしかしてその子は噛まれているのだろうか。
せわしなく頭を働かせて出した結論は、とにかく早く持ってくるということだけ。
「わ、分かった!」
今来た道を戻り、生徒会室の中に入り、抗生物質を探す。
それほど取り出しづらい処にはないだろうと思い、少し視線を彷徨わせてみれば薬箱が目に入る。
中身を確認すると、抗生物質が入っていた。
それをそのまま掴んで屋上へと走り、到着。
横になっている子へ注射を刺し、中の薬液を流し込む。
注射の打ち方なんて良く分からないし、一刻の猶予を争うので適当に二の腕へ。
痛かったのだろうか、瞑っている瞼が一層固く閉じられて。
腕がぶるりと震える。
注射を打ち終えた後、その子を生徒会室へ背負って運んだ。
―――――――――――――――
机を挟んで向かい合った席に座った私とりーさん。
すぐ隣で夕食のカップめんを啜る由紀。
夕陽が差す生徒会室で、遠足の経緯をざっくりと教えてもらう。
あの子は直樹美紀という名前で、ショッピングモールの生存者グループで唯一生き残ったらしい。
もう帰ろうかと思っていた時、奴らに追いかけられながら二人を呼んでいて、それを無視できなかったと。
しかし、美紀は残念ながら既に噛まれてしまっていた。
学校に帰ってきてからも、人一人背負っているプレッシャーと機動力の低下で冷静さを欠き、
そのせいか物陰に隠れていた『奴ら』に動揺してしまい。
三重に焦ったりーさんは、バリケードを元に戻し損ねてしまったようだ。
「それで…あの子を助けて来たって訳か」
「あのまま放っておいたら、確実に死んでいたもの」
「まぁ、助けられる命を助けるのは当然だよな...」
既に噛まれている以上、助けるならば急がなければならない。
その決断を即座に下せるのは流石と思う。
「流石りーさ、ん…?」
そこまで話し終わった途端、視界が急に半回転した。
上下感覚が狂い、天井に向かって落ちているような錯覚に襲われる。
目の前に浮かび上がってきた影。
ぐるぐると回転し続ける視界の中で、唯一くっきりと見えるもの。
「また、お前か...一体何の用があって出てきたんだ」
「胡桃が、無茶をし過ぎている様子だったので」
「私が?」
相変わらずの無表情ではあったが、どう見ても傷だらけのボロボロだ。
昼に見た時よりもひどくなっている。
「...駄目ですよ。痛くなくとも、体力は確かに削られている」
痛くなくても?
怪訝に思い体を見ると、その発言の真意に気付かされる。
全身の傷がなく、激痛もない。
全く感じないという訳ではなく、蚊に刺されたような熱っぽい痛痒さを感じはするが...
ヒトの噛み傷から発せられるべきものとしてはあまりに弱かった。
「これは、一体どうなって...?」
その一言を最後に、視界が完全に暗転した。