胡桃ちゃんはおかしかった 作:生タマゴ
二階迄が安全圏、先は不確定。
バリケードを乗り越えスコップを構えて奴らを探す。
階段のすぐ先の廊下から呻き声が聞こえる、音源は二つだ。
音を殺して忍び寄り、奴らを直視する。
おかしなことに、視界へ入ってきた象は重なって見えた。
いつもの死人擬きと真っ黒な人型が同じ位置に存在していて、点滅する。片眼を閉じているみたいに。
「…黒い?」
今の呟きを拾ったようで、二人と目が合う。
音からは判別出来なかったが、男と女だ。
「ガアアア!!!」
すると、女の方が走って来た。
動作が全体的に速く、元とは比べ物にならない。反応出来なくはないが、小走り程度なら追い付かれる位には機敏だ。
走って来る女を回し蹴りで一階に落とし、追って階段の上からシャベルを振り下ろすと頸がぐちゃりと千切れ、女は活動を停止させる。
すかさずクリアリングをし、二階の男を殺す為に階段を上がった。
「アアアアア……」
男は女を蹴り落とした辺りでフラフラとしていて、此方へ向かって来るものの動作は鈍い。シャベルを肩に構えて、射程距離に入った途端に振り下ろす。
「ガッ…」
「…まだ、生きているのか」
そう、生きている。今踏みつけている男の傷口からは血が流れていた。
少なくとも何らかの生命活動はしているだろう。
一体どんな原理で成り立っているのか等を今更気にするつもりはないけど。
ぼんやりと考えていると足元が騒がしくなってきたので。
「…おやすみ」
一息に首を断った。
やはり振り下ろしは力が乗りやすい、
重力が下に向かっている以上、上に居ると言うのはそのままアドバンテージになるというのは自明の理だ、何せただの学生が腐りかけとはいえ首を切り潰せるのだから。
まあ、上の有利は何も私の特権という訳ではない。奴らだって相応の重さを持っているので、上に乗られるとドミノ倒しに詰むだろう。
そんな事を考えながら、男の制服のポケットを探る。
見つかったのは生徒手帳とガラケー。電源は辛うじて点いていた。中のフォルダを覗いてみると、さっきの女の生前と思しき人物が写っている。
一階にいる女の死体からも同じ物が手に入った。
二人の生徒手帳と写真を見て、該当しそうな席に遺品を置いておく。
その後、一階も隈無く殺して、同様に遺品を配置した。
ふと思う。
私は走る奴らを初めて見たな、と。
…最後にバリケードの様子を確認し、朝の見回りは終わり。
教室へと戻る。
「ただいま」
「おかえり、大丈夫だった?」
りーさんがペンの動きを止めて心配そうに此方を覗き込む。
「特に問題は無かった。...ただ、安心はできない。あんな脆いバリケードじゃいつか突破されると思う」
「ええ、分かってはいるんだけど...」
「作業音でかれらを呼び寄せる危険性がありますから、実用に問題が無ければ急いで対処する必要は無いです」
記憶の中で前の雨の時、一度バリケードは破られていた。その後作り直されたあれはあれでも前に比べれば耐久性を考慮しているのは分かるが。
「でも、あれじゃ」
「かれらと戦えるのは美紀さんだけだもの、無理は言えないわ」
「...え?」
「そうだよくるみちゃん、きっと大丈夫だから、バリケードの事はみーくんに任せようよ」
戦えるのは美紀だけ...?
それは何の冗談、いや、此方ではそういう認識なのか?
「…分かったよ」
それから数週間、私は未だ矛盾を抱える記憶に翻弄されながらもだんだんと此方での生活に順応していった。
戦闘参加もするようになり、だんだんと頼りにされ始めたある日のこと。
夜の巡回を終えてカレンダーを見る、その日は前の世界で私が自衛隊基地へ向かった次の日。
あの男がヘリで巡ヶ丘高校に来た筈の日。
前の世界では私の連絡で一日早くしていた様子だったが、此方のでは連絡をしていない。
「先輩、お疲れ様でした」
「お疲れ、後は頼む」
交代の時間ぴったりに美紀が来たので、後ろ手に手を振りながら部室を出る。
そして屋上に行き、鍵をかけた。
空を見て、ヘリが来るのを待つ。
一つの雲が三つに分かれるのを見届ける程に。
しかしヘリはなかなか現れなかった。
暇なのでスコップを洗う事にする。汚れたまま放置しておくのは良くないだろう。
蛇口から水を流しながら雑巾で全体を強く擦り、粗方汚れが落ちきった辺りで乾拭きしてやると、すっかり綺麗に。
...いざ洗い終わると本当にやることがなくなった。屋上菜園は午後からだし、暫く眠ってしまおうかと横になる。
今日は夜番をしたので本来ならまだ寝室で寝ている時間だし。
だんだんと温かくなる日差しもより一層私の眠気を誘い、私の意識はゆっくりと落ちていった。
―――――――――
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――――
―――――――――熱い。
寝苦しくなって目を開くと、火の粉が屋上のフェンスから舞い上がっている。
頭がぼーっとしてて何が何やらさっぱり分からない。
「そうだ、ヘリは...」
横になったまま空をきょろきょろと見渡すが影も形もなく。
自然と視線は校庭を向いていた。
見やればそこにあったのは見るも無残なヘリの残骸、そして学校まで伸びている炎のラインだった。
「...嘘、だろ」
火はもう三階まで上がってきているようで、黒煙が視界を濁らせ、心臓が早鐘を打つ。
どうして、たった一日遅いだけでこんなことになるんだ。
頭が痛い。脱力し足から崩れ落ちて四つん這いになる。いや、足だけじゃなくて四肢が痺れて酸化しているような。
滲んだ視界に紅い雫が零れ落ちる、鼻に手を当てればやけに黒みがかった血が付着する。
その時脳裏に一酸化炭素中毒という単語が浮かんだ。
無色無臭で酸素の吸収を阻害し、人を殺せる気体。
...嫌だ、死にたくない。
まだやり残した事があるのだから。
ロープか何かがあればここから脱出できると考えて周囲を見渡すと、ロッカーが目に入った。確かあれには水やりに使っていたホースが入っていた筈だ。
これを手摺りに括り付けてやればと思い、がくがくと震えながら這いずり寄る。
進んでいるのにちっとも距離が縮まらないけれど、今動かなければ待っているのは死のみ。
何とかホースを取り出して手摺りに結べたが、一階まで行くには長さが足りない。しかし二階までは降りられそうなのでそこから飛び降りることになるだろう。下には向日葵の花壇が見えた。
慎重に力を込めて降りてゆくが、痺れっぱなしの手は時々言う事を聞いてくれず。
何とか三階を通過した瞬間に熱せられたホースが溶けてしまい、重力に従って落下してしまった。
「ぐ...ぁ...」
下の柔らかい土と向日葵がクッションとなってくれたが、背中から叩きつけられて息が出来なくなる。
暫く咳込んだ後に左肩から激痛が走った。見てみると花壇の横幅が足りなかったらしく、奇妙に変形してレンガの上でだらんと脱力していた。
ああ、ただでさえ力が足りないっていうのに。片腕でシャベルを振り回すなんて...不可能じゃないけどかなりきつい。
幸いにも利き腕ではなかったが、片手一本使えないハンデは大きな物だ。
「痛っ、いなあ、くそっ」
息も絶え絶えだが視界は開けて、徐々に感覚も明瞭になる。
さっきまで感じなかった軽いやけども今は鋭利な痛覚となって体を刺していた。
「先輩!大丈夫ですか!」
少しマシな空気を吸い、両足で立ち上がると20メートル程離れた玄関の方から声が聞こえる。
振り返ると駆け寄ってくる一つの影。美紀だった。
「お、大声出すとマズイだろ...」
「いえ、かれらの殆どが先程の爆発でやられてるので大丈夫だと思います」
「ですが...」
美紀の表情が曇る。
「なぁ、他の皆は何処に」
まさか
「...まだ、中に居ます」
その言葉を聞いた瞬間、私の足は動く。
三人がまだ中に残っているのなら、行かなくちゃならない。
だって私は――
「だけど、三人ともきっと無事です!」
「こんな火の中で無事な訳が...」
「今シェルターに入っていくのを見ました、だから火が収まってからにしてください!」
その言葉が正しければ、確かに無事だろう。
走り出した勢いを徐々に緩めて立ち止まる。
「...そうだったのか、私はてっきり部室あたりに閉じ込められたのかと」
「言い方も悪かったです、とりあえず待ちましょう。それからどうするか話し合うべきです」
燃え盛る校舎を眩しそうに見つめながら、美紀は私を諭した。
「分かった、そうするよ」
取り敢えず校庭のベンチに腰掛けて、辺りを俯瞰した。
やっぱりこっちの方が汚れている、走る奴も居るみたいだし当然か。
「いや~。恥ずかしいな、早とちりしちゃってさ」
右手で指を鳴らしながら話しかける。
何もすることがないから。
「凄いですね、先輩」
「ん?何がだ?」
「屋上から降りるとこ見ていたんですけど、良くあんな事出来るな、と」
あ ん な こ と
見ていたのか、あの情けない落下事故を。
火事場からホースで脱出とか、今にしてみれば酸欠で頭が回っていなかったんだと思う。あんな狂気の沙汰を覚えられるのは勘弁してほしい。
「あ、それかっこ悪いから忘れてくれ」
「いえ、かっこ悪くなんかないですよ。…きっと私じゃ出来ませんでしたから」
「出来ない?」
気になる。何か理由があるわけでもないが、一瞬だけ表情が落ち込んだのが気がかりで、ついつい追及してみたくなってしまった。
「わ、忘れてください」
「気になるじゃんか、何があったのか聞かせてくれよ」
「...大した話じゃないですよ、良いんですか?」
視線が交わると、美紀は手を組んで此方を見据えていた。
目が気だるげに細められて、呆れているようにも見える。
私は首を縦に揺らし、ゆっくり止めた。すると美紀は息をほう、と吐き出して目を瞑り、口を開く。
「圭の事は前に話しましたよね」
「一緒に暮らしてたって子の事だろ、一応知ってる」
「ある日圭が出て行ったっていうのは」
自然と好奇心が湧き上がる。
それはこっちに来て初めて得た情報だった。
「初耳。仲違いでもしたのか?」
「ある意味そうとも言えますね」
まるで困った友人の思い出話をするみたいに穏やかな口調。だけど、心臓は激しく動いていた。
「引きこもって生活しているうち圭はにだんだんと不満を募らせていたみたいで」
それが哀愁を漂わせて、徐々に燃え盛っていた炎が収まるのも相まり、何処か物寂しげな雰囲気になる。
「そしてある日、ついに外に出るべきだ、と。生きているだけで良いのか、って言われて」
「外に出るのが怖かったから、私は...」
「...断ったのか」
美紀はこくりと首を縦に振る。
酷い後悔の色が表情に浮かび上がり、一際大きく息を吸い込んでからため息を吐いた。
「自信がないんです。私がもしあの時みたいな選択を迫られたとしたら、きっと引きとめることも、一緒に行くことも選べない」
「...その子はきっと、美紀に付いてきて欲しくなかったと思うぞ?」
「それは、どうしてですか」
「私がその子の立場だったら、美紀を連れて行こうなんて思わないからな」
「圭の立場だったら?」
「この安全な空間で過ごせる日数は、一人の方が長くなる。なら一旦外に出て、ある程度安全を確保できたら迎えに来ればいい」
「...」
「別にその子の意見を代弁しようってつもりじゃないけどさ。生きてるだけで良いのかっていうのは、美紀が付いてこない確信があっての発言なんじゃないか?」
「圭が一人で出ていくつもりだったのは、そうですけど...」
「ま、どんな理由があるにせよ選択したのはその子の意志だ。それを尊重したと思えば、肩の荷も下りると思うぜ」
完全に火が視界から消え去り。
やや薄暗くなった視界の中で、美紀は目を閉じたまま再び大きな息を吐いた。