明日方舟 短編集 作:すきゃーいふれあ
シルバーアッシュは傍目から見て完璧な存在である。
かなりの若さで軍閥、ひいてはイェラグを牛耳り、率いるトップであり、人心掌握に長け、莫大な勢力を持ち、そして自身も優れた剣士であり指揮官でもある。まさに完璧、雲の上の存在と称されている。だからこそロドス内に滞在する彼は近寄りがたい存在で対等に話せる人物がなかなかいないのだが…数少ない対等に話せる人物ことドクターは件の彼に関心していた。
「空陰りなば、そは雪舞う兆しなり――。」
これから先のカランド貿易とロドス・アイランド製薬の打ち合わせを終えその資料をドクターが纏めていた時シルバーアッシュは手持ち無沙汰で空を見詰めながら独り言のように呟いていた。事実それは独り言だろう。だが無意識のうちに呟いていたのかシルバーアッシュも意図していなかったようだ。
「驚いたな、君は詩的なことにも長があるのか。どこまでも万能なのだな。」
「いや…これは元々私のではない。」
シルバーアッシュは否定するように首を横に振った。目を閉じて何かを思い出しているように見えた。そして再びゆっくりと語り始めた。
「これは元々ある人物から教わったものだ。私は所詮それの借り物に過ぎん——————」
彼の記憶は遠い昔の日に戻って行った。
「空陰りなば、そは雪舞う兆しなり」
フードを被った人物が紙に読み上げながら絵を描いていた。そんなデッサンの様子を見詰めながらエンシオは何処か呆れたような視線を送りつつも関心をしていた。
「それで、お前は何を言いながら何を描いているんだ?」
「ああ、エンシオか。何、言ったこともない見たことすらない景色を私の知識と偏見と想像で描いているだけだ。」
見事な色彩でそこには景色が描かれていた。エンシオはその絵を見て感想を述べていた。
「…故郷に似ているな。」
その景色は雪景色であり、雪山の僅かな晴れ間から太陽が照っているというものだった。それはエンシオの故郷であるイェラグでよく見れる光景だった。
「故郷、というのはイェラグの事かな。私はイェラグの景色をこれっぽちも知らないがそんな景色に似たものなのだね。」
「ああ…似ている。今よりもっと幼かった時妹たちと良く、雪山を踏破した。その頂上で見た景色によく似ている。先ほど呟いていたことは何だ?」
「詩的な意味もあるけれど普通の意味で言うのなら『空が曇って来た、雪が降るぞ』ってことかな。」
フードは嬉々として楽しそうに語る。エンシオは思う。此奴は何事も楽しんでやる奴だと。
「普通の意味か…詩的な意味というのは?」
「解釈の次第で色々とあるよ。別に深い意味で色々考えていたわけではない。けれど…そうだね、強いて言うならば『貴方という空が隠れた、それは私にとって止まない雪の始まりです』とかそういう解釈も出来ると思う。」
「…なるほどな。しかし意外だったのはお前が詩という造詣に深いことだ。てっきりそのうような事には興味がないと思っていたが…」
「私がこの世で興味のないことは二つ。話を聞こうとしない人間と権力に目が眩んだ人間だけだよ。どのことにも一定以上の興味はあるつもりだ。まあ、でも詩文に関してはケルシー…私の師匠が好きでね。良く付き合わされたものだ。だからこうやってある程度は造詣があるっていうことだ。」
フードを被った彼は少し懐かしそうに語った。だがエンシオはそれよりも少々気になったことがあった。
「お前の師匠…か。それもまた意外だ。誰にも師事していないと思っていたが…。」
「まさか。私だって師の導きが無かったわけじゃない。お世辞にもあの師匠はまともな師匠とは言い難いがそれでも私をここまで育て導いてくれたのは事実だ。感謝もしているし敬愛もしているよ。」
「…少し興味があるな。お前にそこまで尊敬される人間か。」
「あまり良いものではないよ。優れた人物なのは間違いないが性根はまともなモノとは言い切れないし出来るならば遭わない方が幸せな人生を送れるよ。」
警告めいたことを言う。普段フードの彼はそこまで忠告染みたことは言わない。それは彼の師匠が本気でやばいということであろうとエンシオは理解した。
「まあケルシーのことは今は良いよ。そんな師の影響で私も詩に関して造詣が詳しくなりたまに呟いているのさ。」
あっけらかんに彼は語る。だがエンシオは畏敬の念を向けるとともに嫉妬の炎が一筋灯った。
「…お前は凄いのだな。どの事にも一定以上の才能を示してしまう…万能の天才か。」
エンシオは考える、少し前の自分がそれほど才に溢れていたら果たしてシルバーアッシュ家は取り潰しになりはしなかったのではないかと。だがフードの彼は否定した。
「それは違うね。少なくとも私にも出来ない分野はあるし君が勝ることもあるよエンシオ。」
「…それは謙遜だろう。」
「いいや、謙遜じゃないさ。少なくとも私は戦闘に関してはからっきしだ。剣は振り回すことすらままならない。そういう意味では君は私に勝っている。」
「…知っていたか。」
「私自身は剣を振ることはないが優秀な剣士は山ほど見て来たからね。君のそれは剣を振るう人間のマメさ。」
確かに上回るかもしれないがそれでもまた違う面で優れているという事を彼は見せつけていく、先ほどの観察力や洞察力の鋭さも今のエンシオには無いものだ。彼にはある炎が燃え滾っていた。
「…お前に一つ頼みがある。」
「いいよ、よっぽど無茶ぶりじゃなければ聞くよ。」
「詩を教えてくれ。」
エンシオは真っ直ぐとした視線で彼を見た。その瞳は至って真剣だろう。
「私が、エンシオにかい?」
確認するような問いかけにエンシオは神妙に頷いた。
「構わないけれど、良いのかい?詩じゃなくてもっと他に有益なことを教えられると思うけれど。」
「それでは意味がない。お前に与えられた物でお前を超えても超えたという気はしない。其方は何れ自分で積み上げる…だがこの詩に関してはそこに純然たる優越など関係ない。」
エンシオが言うには詩を学ぶことはエンシオがフードの彼を超えることには関係がないと。しかし何かまだ言い淀んていた。
「言いたいことは伝えておいた方が良いと思うよ。」
その言葉にエンシオはため息を吐き、観念したように言葉を続けた。
「…興味がある。」
「それは詩にかな?」
「勿論それもあるが…お前が教えることには…興味がある。」
そのエンシオの顔は非常に複雑そうに見えた。いや、実際に彼の心境はかなり複雑だったのだろう…
「忘れない方が良いよ、エンシオ。この世において無意味な学びは殆どない。だからこれも何かしらの糧にはなる筈さ。」
そんなエンシオの心境を見透かすようにまた彼は言った。その教えが未来にどんな影響を及ぼすかはその当時の彼らは与り知らぬことだろう。
「…ああ、色々と過去にあった。この詩もそれの借りものに過ぎない。」
シルバーアッシュは長く閉じていた瞳を開けた。そして重い口を開いた。何かを感慨深げに思い出していたようだ。
「成程。それでこれはどういった意味なんだ?」
ドクターは先ほどシルバーアッシュが呟いた詩の意味が気になっているようだ。シルバーアッシュは顎に手を当て少し考え込んだ。
「解釈によっては様々だが…私が言った意味で答えるならば。」
シルバーアッシュの鷹の瞳がドクターと交差した。そして最適なものを思いついたというシルバーアッシュの顔がドクターには目に入った。
「空陰りなば、そは雪舞う兆しなり――天が曇り、日が遮られた。それは雪が舞い散る予兆だ。…ああ、だがその雪はもう既に晴れ間に変わった。」
シルバーアッシュの視線が再びドクターを突き抜ける。そしてシルバーアッシュは獰猛な笑みを浮かべていた。
「既に太陽は出ている…今、私の目の前にな。」