明日方舟 短編集 作:すきゃーいふれあ
いつまで経っても怖いものは怖い。未だに寝るときは震えているし、夢見は最悪だ。悪夢を見ない日は無く、魘されない日は無い。
けれどようやく今は一歩ずつ進めている。どんなに小さい歩幅だろうと確実に前進している。私にとってそれは明確に大きい変化だ。何時たどり着くはわからない。感染者はいまだに怖い。
けれど私は知っている。非感染者だろうが感染者であろうが結局大きな差など無いということに。それを知るにはずいぶん時間がかかった気がする。…けれどもそれを理解できたのはアーミヤと…あんたのお陰よ、ドクター。
―――――――
グレースロートは非常に気が難しいオペレーターである。彼女はもともと一人を好むし大抵のことをひとりで完遂してしまうためなれ合いを好みはしない。必要ならば協調はするが積極的には関わろうとはしない。しかしそんな彼女とも任務をある程度ともにしてある程度お互いに信頼関係が何とか築けてきた。
アーミヤはグレースロートにとって貴重な同年代だ。一時期の拒絶が酷かった時期でも距離は取っていたこそあるが、それでも普通に話せていた。
「アーミヤ。」
「グレースロートさん、はい、何でしょうか。」
「一応報告しておこうと思って。大したことじゃないけど…」
アーミヤとグレースロートが話をしているのを視界に納めている人物がいた。ロドスの執行責任者ドクターである。ドクターはグレースロートのような気の難しい人物にはよりいっそう注意を払っており、気にかけている。あとたまたま遭遇したようだ。
「そう…わかった。目は離さないようにしておく。不安分子は何時だって排除するべきだろうし。」
「お願いします。グレースロートさん…あの、ですが物騒なことはなしで、お願いしますよ…?」
「わかってる。アーミヤが嫌うことは何かは理解してるつもり。それに片っ端から排除していったらロドスの理念に反するから、でしょ?」
「は、はい…すいません。難しい注文をしてしまって。どのような思惑があれロドスに加入してくださった皆さんを信じるのが私の責務だと思っています…だから疑わしいと思っていても表で堂々とやるのは難しくて…」
「皆まで言わなくていいから。アーミヤの姿勢に共感する人は多いんだからあんたは迷っちゃダメ。そういう裏のことは適役がいるから。役割分担だと思って。」
「そう…ですね。ありがとうございます。グレースロートさん。」
「別に、お礼はいいから。言われるようなことはしていないから。」
「あなたはそう思ってなくても…私は感謝してますよ、グレースロートさん。」
アーミヤの言葉は誠意が籠っていて聞くものに実直さを感じさせるものが多い。まだ若いという理由で軽視されることはあるがそれでも彼女の信念は間違いなく本物だと伝わる人も多いだろう。グレースロートもそのうちの一人というわけだった。
「それよりそろそろ行った方がいいと思うけど。あんただって暇じゃないでしょ。」
「あ、そうですね。それじゃあ失礼しますね、グレースロートさん。」
アーミヤがペコリと頭をさげてそのまま立ち去っていった。やがてグレースロートは一息ついて適当なベンチに座ると明後日の方向に声をかけた。
「出てくれば?あんたがそこに居るのはわかってるから。」
おとなしくドクターが壁から出現した。特に隠れる理由もないからだろう。
「やはり気づいていたか、まあ気づかない方がおかしいとは思うがな。」
ドクターも気づかれていたことに対して動揺はない。ドクターは戦場で指揮する存在、グレースロートの腕前や狙撃手の素質も詳しいだろう。だからこそ気づいているということも分かった。
「私は…」
ドクターは近くに座りながら話を始めた。グレースロートは特に不快感を示すわけでもなく話を聞き始めた、初対面では棘のある彼女だったが今では少しは気を許せる関係になったようだ。
「私は極端な話、リスクを嫌う。それは人であろうと誰もが同じことかもしれないが…だがそれでも不穏分子を泳がせておくのにはリスクが高すぎる。疑惑の種子は早めに摘んでおくべきだとは思う。」
「それは私も同感。けれどあの子がいる手前そんなことは言えない…言えるわけがない…って、あんたもそれは分かってるでしょ。」
「勿論だ。あの子の理念や思想は痛いほど理解しているさ。甘いと言われるだろうが間違いなく彼女の美徳だ。こんな世界だ、誰かしらが理想論を語らなければ希望も見えない。足りない部分は周囲が補えばいいさ。」
アーミヤはロドスのリーダーである。リーダーである以上先導しなければならない時もある。彼女はまだ年若く未熟な面も見受けられる。
「確かに彼女はまだ将としては未熟だろう。だがそれでもいつかは成熟する時が来る。その時が来るまで庇護し、支えるのが私の役目だと思っているよ。」
「…まぁ好きなようにすれば?多分アーミヤはあんたを支えたいと思ってるだろうけど。」
「確かにその傾向はある。それに彼女の気持ちは嬉しくはあるが…ただ、私はやはり表に出るべき存在ではないよ。裏方で十分だ。」
「…それが許されたらいいんだけど。」
グレースロートは一人が好きである。あまり社交的ではない。だがロドスの、もといアーミヤの信念に協力する以上、裏方に完全に徹することは許されないだろう。
「アーミヤは…アーミヤは君にとってどういう存在かな。グレースロート、率直な意見を教えてほしい。」
ドクターは話題を変えた。それはアーミヤについての話題だった。
「言葉…言葉にしにくいけれど…恩人、だと思っている。アーミヤは、私を少しずつでも変えてくれた。私は、正直に言えば未だに感染者も、鉱石病も怖い。けど、感染者だって、私たちと何一つ差はないって教えてくれたのはアーミヤだった。ただ難病に罹っているか罹っていないかの差。それだけしか差がないのに…私は…」
「いや、君の気持ちも理解できる。グレースロート、実際今の世界において鉱石病の感染者というのは感染者というだけで厳しい境遇に立たされている。ウルサスを始めとして世界で排斥する動きが高まっている。だがそれでも人間は鉱石病の原因となる源石を使うことを止めはしない。それはなぜだと思うかな。」
「…考えたこともなかった。私が生まれてからオリジニウムがあるのは当たり前だったから…。」
「そう、誰ももう
「…被害者。」
「そう、被害者だ、便利さに胡坐をかき、改善をしようともしない社会が生み出した被害者だ。しかしそんな被害者をまるで悪鬼を見る如く差別し、排斥する。それが今のこの世界の現状なんだ。鉱石病患者は忌み嫌うものという認識はね、グレースロート。君が生まれる以前遥か前にあったものなんだ。当たり前の常識として定着してしまったものを抜け出すのは意識したとしても難しい。」
そんな中ドクターはグレースロートを横目に見ながら言葉を続けた。ふざけた様子はない、真剣な声音で。
「グレースロート、君は感染者に偏見を持っていたね?」
「…ええ。今の自分が誇れるとか成長したとかそんなことを言うつもりはないけれど…あの時の私は本当に子どもだった。」
グレースロートは後悔を滲ませる声でそれを言った。実に悔いているように聞こえた。
「いや…君はある種当たり前だよ、グレースロート。先ほども言った通りまだまだ感染者への差別や偏見は解消されないし当たり前という認識も多い。自発的にそれについて疑問に感じる人も多くはない。けれども君は気づけた。しかし、それで一つだけわからないことがあるんだ。グレースロート。」
「…わからないこと?」
そこで質問をされるとは思ってもいなかったのかグレースロートは首を傾げながら聞き返した。
「そうだ、感染者への偏見や差別は各地に呪いのような形で残り続けている。ただ君は感染者への偏見を自力で解いて見せた。半ば呪縛のようなものをね。…どのようにして君はその呪縛を解いたのだい?」
自分から過ちに気づくものは多くない。特にそれが周囲で当たり前と受け入れられた場合自分から気が付くのは不可能と言ってもいいかもしれない。ただしグレースロートは自らその過ちを認めた。どのようにしてそれを行ったのか。その疑問がドクターの心を捉えて離そうとしないである。
「…。」
グレースロートはわずかに沈黙しているがやがて覚悟を決めたように口を開いた。
「私は…ロドスに来てからずいぶん時間が経った気がする。今も壁を一枚隔てれば感染者は普通にいる。けど感染者はその壁一枚向こうで非感染者と何一つ変わらず暮らしている。…当然差異があるのはわかってる…けれど、アーミヤにその光景を見せられて、ようやく理解した…彼らはただ生きたいだけ。そこに感染者も非感染者も差なんてないって…ようやくわかった。」
グレースロートは一度言葉を切り、目を閉じた。その時の光景を思い出しているのだろうか。
「それを理解するのに随分と時間をかけてしまったけれど…理解ができたのはアーミヤと…あんたのお陰よ、ドクター。」
「…私の?」
ドクターはやや虚を突かれたように声を出した。まさかここで自分の名前が出てくるとは思わなかったのだろう。
「アーミヤに言われたのよ。 『感染者に対してすべてを受け入れてくれ、とは言いません、けれどもこうして生きる人に感染者も非感染者も関係ないんです。受け入れるのは難しいかもしれないですが…どうか、ちょっとの勇気を持って貰えませんか、グレースロートさん』って…後から聞いたけれどもこの言葉あんたの教えらしいよ、ドクター。」
「いやしかしそれは以前の私であり今の私では…」
「私は昔のあんたを知らないから。だからドクターに昔も今もない…とにかく、私は理解できた。元を辿ればあんたのお陰でね…だから、ありがとう、ドクター。」
「私に礼は不要だよ、君を説得したのはアーミヤさ…だが、世界を君のような人間で埋め尽くすにはまだまだ道のりが長い。我々が目指すのは感染者は差別や偏見を持つものという常識を壊す世界だ。だから…これからも力を貸してほしい、グレースロート。」
「私の力で…少しでも何か変わる…っていうなら喜んで協力させてもらうわ。」
グレースロートは自ら手を差し出し、握手を求めた。ドクターはそれに応じ、握手で答えた。グレースロートはそのまま言葉を続けた。
「それに…今はここが私の家よ、まだ恩返しは何も済んでない…付いていくことにするわ…どんなに道でも、ね。」