明日方舟 短編集 作:すきゃーいふれあ
その日、彼女は、イフリータは珍しく大人しかった。普段の彼女は興味の赴くままに暴れ回り、気分の赴くままに動き回る、そんな暴れん坊なイフリータが今日は何かをするでもなくただ雨の降る窓を座って見続けている。
時折何かを思い出すような仕草をしてそのまま、また窓に視線を向け物憂げにため息などを吐いている。はっきり言ってしまえば彼女の普段を知っている人間からすれば今の彼女の様子は異常だった。もちろん暴れ回って損害を出すのよりは全然いいのだが元気のない彼女、というのも調子を狂わせる一因だった。さて、そんな中、彼女の後見人であるサイレンスは現在臨床実験中、彼女が懐くフィリ姉ことフィリオプシスは業務中。
「隣、いいかなイフリータ。」
そんな彼女に声をかけたのは彼女の動向に気を配っている人物の一人。ロドスの中でも特に多忙なその人物は珍しく手持ち無沙汰らしく彼女の隣に座った。
「…ドクターか…別に良いぜ。」
そしてイフリータは覇気のない声で返した。今の彼女にとってはあまり興味の対象とはなり得ないらしい。普段は声が覇気やら怒気やらが籠りすぎた声だが今日に限って覇気も怒気もない。
「今日は雨だね、見ての通り良い天気とは到底言えない。君は確か雨は嫌いだったかな?」
「…雨か…別に嫌いではねェよ。苦手だけどな。」
彼女が扱うアーツは炎である、その火力は凄まじく彼女自身が炎、とも呼べるほどまで強力だが、炎自身であるが故に雨の日は力が出ないらしい。
「…はァ。」
そしてイフリータはまた物憂げにため息を吐き、机に伏せた。確かに妙なものだとドクターは納得した。朝にサイレンスに「イフリータが元気がないみたい、私は離れられないけれどもしドクターに時間があったらあの子を気にかけておしてほしい」と言われ、実際に心配になり見に来たドクターは納得し、確信した。彼女は確かに様子が妙だ、と。ここはいっそと思いドクターは踏み切った質問に移った。
「イフリータ、聞いても良いかな?」
「…………何をだよ。」
間の空いた場はあったがそれでも彼女は質問に対して応じた。これぞ好機と見たドクターは余計な話題を振らずに本題を切り出す。
「今の君は元気がない、と皆、心配しているよ。君がもし答えたくないのならば構わないが…何か悩んでるのかな。もし話せるならば私に話してほしい。少しは力になれるかもしれない。」
イフリータは突っ伏したまま顔だけ動かし、視線をドクターに向けた。
「……。」
しばらく見続けて沈黙を保っている。ドクターも何も言わずに見返し、そして答えを待っている。数秒の沈黙の後、イフリータはまたため息を吐き、まァいいか…とつぶやき話し始めた。
「未練、あるんだよ。」
そして起き上がったイフリータは胸部で隠していた写真を取り出し、ドクターに見せた。それは古い年月の経った写真に見える。
「これは…」
「オレサマとサイレンスと…サリアの写真だ。」
これ以外無いんだよと付け加えた。聞く分にこれは彼女たち三人が一緒に写った唯一の写真であり、イフリータはそれを絶対に焦がさないように慎重に扱うほど彼女にとっては大事なものだった。
「端、焦げてるだろ?間違ってやっちまってもう二度と焼きはしねぇって誓ったんだよ。」
現在のサリア、サイレンスの関係は非常に悪化しており、今のイフリータが喧嘩している二人に板挟みになっているという現状だ。かつて仲の良かった頃が未練があるのだろうか。ドクターはそう思いイフリータに聞こうとし…
「未練ってのは昔した約束のことだ…いやそんなに昔じゃねぇけどよ。サイレンスとサリアとオレサマ、三人で外に出て一緒に飯を食おうって約束だったんだよ。結局その約束が果たされる前にサリアはオレサマたちの前から消えたからやってねぇんだけれどよ…。」
イフリータはまた物憂げに顔を伏せた。声にならない呟きで「行きたかったな」と言ったのをドクターは読み取った。それからまたため息を吐いて机に突っ伏した。それからの経緯を彼女は語る。
「最近は忘れてたけれどよ、失くしてたと思ったその写真が昨日、出てきた…それで…まぁ、な。」
どうやらイフリータは郷愁に襲われたようだ。何がきっかけで過去の記憶を呼び寄せるかは人それぞれだがイフリータの場合は大切な思い出である写真を見てフラッシュバックしたのだろう。
ドクターはしばらく考え込むような動作をし、沈黙していた。だがやがて何かを思いついたのかはたと考える動作をやめ、机に突っ伏したままのイフリータに声をかけた。
「イフリータにとってこの写真を撮った時は一番の瞬間だったかな?」
「いちばん?どういうことだよ。」
「そうだね…この写真を撮った時、君は最高に幸せだったかい?」
「…まァ、そりゃ…な。サイレンスとサリアは喧嘩してねぇし、フィリ姉とかも居るし…最高だったよ。…でも白衣の連中は…」
「うん、どんな形であれ君はこの写真を撮った時は幸せだったんだろうね。ただ、同時に不幸でもあった。」
イフリータ、その身を形成した出自はお世辞にもまともには言い難いし、何よりその出生に付きまとう要素は悲惨という言葉があり、本人はあまり気にしてはいないが彼女の過去は同情にも値するものだ。間違えて同情でもしたら彼女は容赦なく燃やしてくるだろうが。
ドクターはイフリータにいつも教えるような視線を向け、話を続ける。
「さて、イフリータ、少しだけ難しい話をする…頑張って理解してほしい。」
「…オレサマ、ドクターの難しい話苦手なんだよ…」
顔は見えないが恐らくイフリータは露骨に嫌な顔をしているだろう、最近はめきめき上達こそしているがそれでもまだ本質的にはイフリータは頭脳労働を嫌う。そして何よりもドクターの婉曲的な表現は苦手だった。
「なるべく分かりやすいように話すから、聞いてくれるかな?」
ドクターは諭すような口調で話すとイフリータは渋々といった感じだがうなずいた。
「…分かったよ。」
分かったとこそ言ったが完全に不貞腐れてるだろうなとドクターは苦笑した、これ以上不興を買わないためにもドクターは慎重に言葉を選ばなければなかった。
「イフリータ、君はこの写真を撮った時、一番幸せだったって答えたね。」
「…ああ。」
「けれども、その時君は…ええと…。」
「…言っていいよ、オマエになら別に…良い。」
「…ありがとう。君はその時に治験…いや、人体実験を受けていた。これは幸せ、とは言えないだろう?」
「……まァ…な。」
イフリータの顔がゆがむ、当時受けた散々な仕打ちを思い出してしまったのだろうか。ドクターは落ち着かせるように頭に手をのせた。
「って、オイ!」
「良いから。…すまないね、イフリータ。君の嫌なことを思い出させてしまう。」
歪んだ顔が徐々に戻っていきしかめっ面も少しずつ解けてきた。やがて一つだけ言葉を漏らす。
「…別に、いいぜ。オレサマにとってあんなこと何でもねェ…続けてくれよ。」
先ほどの言葉の続きを言うようにとイフリータは言外でドクターに促した。その意図を察してドクターは頷き、一言「ありがとう」と言い、話を続けた。優しく読み聞かせをするかのような調子でイフリータに語り掛ける。
「イフリータ、ロドスは良い所、だろう?」
「…あァ。」
投げやり気味に、しかし先ほどよりも感情のこもった声でイフリータはドクターの問いかけに返事をした。イフリータがロドスに来てからそこそこの月日がたつが彼女にとってこのロドスは良い場所、という認識までには上がっていた。
「ここでは君を実験しようと思うものは居ない。そういう意味では君は前に居たところよりは全然いいと思う。それに…今、このロドスには君が親しい人が多くいるだろう?もともと連れ添ってきたサイレンスやサリア、フィリオプシス…それに君自身もこのロドスで友達が出来たと思う。」
「…ともだち、…あれを友達ってのか?」
イフリータの脳内に浮かぶのは近い年頃のオペレーターたちだ。少し考えた後友達判定をしていいのかと疑問に思ったようだ。
「ああ、友達さ。友達になることにタイミング何て無いんだよ。さて、君の好きな人は今、君の周りにいる…まぁサイレンスとサリアはずっと喧嘩してるが…」
そのドクターの言葉にイフリータはさらに表情を曇らせた。二人が大事なイフリータにとって二人が喧嘩していることは彼女の心に暗い影を落とすことになる。それの理由が彼女自身であるということも彼女はわかってしまっているためにさらにその陰に拍車がかかってしまう。
「けれどね、イフリータ…そう悲観することはないよ?」
「……ひかん?」
「ああ、ごめんね。少し難しかったね、ええと悲観というのは後ろ向きな考えのことだよ。」
つい難しい表現をしてしまったことにドクターは謝罪を入れつつ、イフリータにへと諭すように話すのを続ける。
「この写真を撮った時、君は『一番』幸せだったかもしれない。けれどねイフリータ、思い出というのは過去のものだ。懐かしがることは悪くはないけれど、やはり過去に囚われすぎているのも良くないんだ。」
「…確かにロドスは好きだ…けどよ、今サイレンスとサリアは喧嘩してるんだ。オレサマにとって…それがある限りは…一番とは言えねえよ。」
同意を示しつつもイフリータは肝心のところを否定した。確かにお気に入りであったとしてもサリアとサイレンスの二人の問題が解決しなければ彼女に真の幸せはないだろう。
「私が思うにね、彼女たちの喧嘩というのは実に些細なすれ違いからなんだ。もう後に退けなくなってお互いに意地になっているだけ。イフリータ、君は二人が仲直りしてほしい、って思うかな?」
「…当たり前だろ。」
その返答はイフリータにとってごく自然なものだ。ドクターもまたその返答が来るものだと分かったいたのか頷き、話を続けている。
「君の一番がこの写真の時で止まるというのは良くないことだと思うし、私としてはこれからも一番の思い出をどんどん書き換えてほしいと思うんだ。…だからね、イフリータ、二人を仲直り、させてみないか?」
「…オレサマが?」
「ああ。君にしかむしろできないことだよ。これはね、そのためには私はどんなことでも君を手伝うよ。」
「…良いのかよ、迷惑…じゃねェのかよ。」
「ああ、迷惑じゃない。それにこの話を提案したのは私だからね、ここで君を助けなければ大人としても名折れだからね。…イフリータ、君にとってこの写真は大切な一番な思い出だと思う。けれど、新しい一番の思い出を君は作るべきだよ。そのためには私はどんな努力も惜しまない、頼ってくれ。」
その言葉を聞き届けるとイフリータは顔を上げた。先ほどまでの陰鬱な表情はもう無く、屈託のない笑みが浮かんでいた。イヒヒと笑いながら立ち上がりイフリータはドクターに向かって話しかけた。
「まァ、それだけ言われたらしょうがねェな。やってやるよ、オマエの言うとおりにさ…『あの時の一番を超えて』、作ってやるよ。新しい一番をな。だから…お前が根を上げんなよ?」
「……ああ。望むところさ、イフリータ。どこまでも付き合うよ。」
一方、物陰
「イフリータの機嫌の上昇を検知。…しかし、サイレンスさん、良かったのですか?」
「ん?何が、かな。フィリオプシス。」
「いえ。彼女を説得する役回りはドクターではなく恐らく貴女でも十分だったと思います。しかしそれが出来たにも関わらずドクターにその役割を託した。その疑問がフィリオプシスの脳内に残り続けています。」
「…ああ、それのことだね…確かに私でもできたかもしれない…けれどイフリータの…あの子の悩みの一因に私はなっている。だからそういう意味ではドクターが一番の適任だった、と思っているよ。…それに…私もそろそろ向き合わなければいけない…からね。」