明日方舟 短編集 作:すきゃーいふれあ
一般的に鉱石病に感染してしまうのは源石が血中に数多く入ってしまうことにより、鉱石病の症状は出てくるという。故に感染者と身体的な接触をしたとしても鉱石病になることはないと言われているのだが…。
「………。」
一人のリーベリ族の少女が気難しそうな表情で自分の手のひらを見ていた。ボウガンを撃ち、その癖がすっかりと付いてしまった自身の手。この手は何の対象か、少女…グレースロートはただ無言で自分の手を、掌を見つめていた。
「………。」
そしてずっと見つめていても答えは出ず、彼女は息を吐いた。そして自身の手を見て、何をやってるんだと独りごちた。彼女は自身の掌に赤い鮮血が染まっている錯覚を覚えていた。それは気のせいだ。だが、その両手を以てグレースロートは幾つかの死を齎してきたのもまた事実だ。彼らにとってグレースロートはどう映っただろう、死神か、それとも悪魔か。死んでしまったものの答えを聞くことなどできはしない。しないが、それでも彼女は自問自答を繰り返す。
「感染者を救うために感染者を殺す…。」
勿論レユニオンを断つという有用性も彼女は理解している。ロドスの理念は彼女も理解しておりそれ故にその作戦行動に不満はない。『感染者の問題を感染者が解決する』。…それが感染者が虐げられない世界の第一歩だとアーミヤは語る。だがそれでも彼女は己の手に疑問を抱かざるを得なかった。そうして自問自答を繰り返し、答えのない問いを繰り返していた。
「やっほ、燕ちゃん。」
そんな自問自答を繰り返すグレースロートの背中をドンと押した存在が居た。…フェリーン族のオペレーター、ブレイズだ。
「何するのよ…馬鹿猫。」
自問自答を一度中断した彼女は悪態を吐いた。強く寄せられていた眉が少しだけ解け、グレースロートの纏っていた緊張感が僅かだが緩んだ、その変化はブレイズが登場したことによる物というのは誰の目から見ても明らかだった。
「何って大した用はないわよ。ただ小鳥ちゃんがずっと壁に向かってブツブツ言ってるから何言ってるか気になっちゃって。」
「…あんたには関係ない事よ。」
はぁとグレースロートはため息をついた。彼女と居るとグレースロートはペースを乱される…が、正直に言えば彼女はそれが今は助かった気持ちだった。ナーバスな気持ちになってしまっている彼女は今は流されている方がむしろ気が紛れて丁度いい。勿論口が裂けてもブレイズに対して言いはしないだろうが。
グレースロートはまだ年若い。普段彼女の周りに居る人間は大人ばかりだ、勿論アーミヤのような例外もあるが、それでも意志が強く、そして精神的にも落ち着いた大人ばかりだ。ドクターは彼女にとっても尊敬するべき人物であり、そもそもドクターなくしてロドスの発展は無かったと言われる傑物だ。彼女にとってドクターは、純然に尊敬する人物だった。ただその精神性は真似できるものではないと思っているため、彼女は己の精神の弱さを卑屈に思っていた。
「……。」
沈黙してしまったグレースロート。彼女はまだ感染者になることは怖い。そもそも進んでなりたがる人物はいないだろうが。
「…………。」
ちらりとブレイズを一瞥する。彼女は感染者だ。それも結構病状が進行してしまってる類の。以前のグレースロートならば全力で拒否して、そしてブレイズがその差別的な発言にキレて、悲惨な現場になっただろう。…とはいえ彼女は成長する。確かに感染者は怖いが、それでもこのように隣に居るだけで感染することはないことは理解している。
「それで、今日はどうしたの?」
普段騒がしいブレイズからは考えられないほど、穏やかでそして気遣いに満ち溢れた声、その声にグレースロートは意外さを隠しきれなかった。
「…珍しいわね、あんたが私を気遣うなんて。」
「本当…この小鳥ちゃんは言葉に棘が多いわねぇ…。」
とはいえ彼女の物言いに悪気はない。彼女は物言いこそ冷たく感じることがあるかもしれないがそれでも、正論を言う。ブレイズにも自身が似合わないことをやっていることの自覚はある。誰かのメンタルケアなど彼女の不得意とすることだ。
「…本当に珍しい。初対面じゃあんな事を言っていたのに。」
「あ、その話はもう無しでしょ…確かにあの時は私はグレースロートに苛立っていたから酷い言葉をぶつけちゃったけどさ。」
この二人の出会いは龍門でのレユニオン排除作戦の時だった。その時、ブレイズはグレースロートが感染者に対して差別的な発言をしたことで怒り心頭であり、出会い様にブレイズはグレースロートを罵倒した。グレースロートも感染者に対して恐怖を抱いていることは否定できないため、その罵倒を受け入れざるを得なかった。グレースロートには既に感染者に対しての見方はその時に変わってはいたが、それでもブレイズがその怒りを収めるには十分な情報にはならなかった。その場はドクターが間に割って入ったお陰で何とか収まりはした…が。
ブレイズがグレースロートを見直したのはそれから間もなくの事だった。確かにグレースロートは感染者を恐れるような素振りを見せはした…が、それでも彼女は真摯に向き合おうとしていた。疲労困憊のブレイズの手を取り、肩を貸したのは他ならないグレースロートだった。
戦場を駆けて、互いの最悪な第一印象を超えて、二人は奇妙な関係に収まった。それは友人というには遠くて、他人と呼ぶには近すぎる。そんな絶妙な距離感での関係。
「…別に、大したことじゃない。何時もの自己嫌悪。」
「そっか…。」
一方、グレースロートが非常に強いトラウマを感染者に対して持っているということをブレイズが知ったのは最悪な第一印象を超えてからの事だった。彼女に対しての見方があると知ると同時にそれまでの態度を謝罪すると同時に妙に態度が軟化した。とはいえ殺気が飛び交うような関係だったことを考えると大分進歩したと周囲は喜んだ。…元々ブレイズが一方的にグレースロートを敵視していただけではあったが。
グレースロートは思うところがあったのかぽつりと言葉を漏らし始めた。
「ブレイズ。」
「うん、言ってみなよ。」
現在、ブレイズはグレースロートに対して悪感情はない。彼女が感染者と平等に接しようとしてることを知ったブレイズはもう彼女に対して罵倒するような事は選択肢に無かった。彼女が言うには「私だってそこまで意地悪じゃない」とのことだった。ともあれ悪感情を捨て去ったブレイズは彼女の事を何かと気に掛けていた。こうして話を聞くのもその一環だった。
「アンタも…アンタも自分の手で感染者を殺したことはあるのよね。」
「…うん、あるよ。」
ブレイズは肯定する。彼女は強襲オペレーター。最前線の矢面に立ち、荒事に身を投じる彼女は相手の命を奪い去ってしまうことも一度や二度ではない。ましてや彼女の得物はチェーンソーだ。相手の命を切り裂くのは容易い道具。そして何よりもロドスと敵対するレユニオンは止まらない。
「感染者を救うために戦ってる筈なのに、私たちは感染者を殺してる。そのたびに思う…私は一体何のために戦ってるのって。…どうしてこの手を感染者の血に染めてるのって。」
「………」
ブレイズは己の掌を見つめるグレースロートを見て、少し考えて、そして口を開いた。
「ねぇ、グレースロート。手を見せて。」
「…何で?」
「良いから。」
彼女は半ば強引に押し切るように言葉を進めた。そしてグレースロートの手を見て、言った。
「グレースロートは自分の手が怖い?」
その投げかける質問にグレースロートはこくりと頷いた。
「…怖い。こうやって相手に死を与え続ければ、私は何時か手が真っ赤に染まって取れないんじゃないかって…。」
グレースロートは不安を漏らす。彼女の年若さで人を殺すのは一体どれほどの人間が経験するだろうか。ああ、だがそんなことは結局切欠に過ぎす、彼女の不安を加速させるだけだった。
「それはないよ。」
しかしブレイズは面と向かってグレースロートの不安を否定した。その目がしっかりとリーベリの少女の不安を否定し、彼女の目を見据えた。
「本当に殺しを楽しむような人は血も冷たい。…良く、手が冷たいは人は心が温かいというけれど。…そんなものは関係ない。」
ブレイズが首を横に振り、否定する。彼女の手が、グレースロートの手に触れられた。思わずグレースロートはビクッとなった。そしてブレイズが尋ねる。
「感染者に触れられるのは、まだ怖い?」
…一瞬沈黙したグレースロートは少しだけ逡巡し、そしてその手を受け入れた。
「この程度の接触で感染することがないのは知ってる…だから大丈夫。」
それはグレースロートからすれば大進歩。かつて彼女は工業用源石機械に触れてしまった際に、業務用やすりで血が出るほど擦り続けたということがあった。…それほどまで感染者やひいては源石との接触を恐れた彼女からすれば感染者と触れ合う、それだけでとても勇気のいることだった。だが彼女は知っている。
「…ほら、何も変わらない。…感染者だって非感染者だって…ただの手なんだから。」
「うんうん、よく出来たね。」
ブレイズは満足そうに、グレースロートの頭を撫でた。彼女の進歩を褒め称えていた。
「…だからと言って撫でるのはなし。子供扱いしないで。」
その手は直ぐに跳ね除けられてしまったが…。再びグレースロートの手を握り、ブレイズが言葉を続ける。
「…グレースロートが血塗れになることはない。それは私が保証する。」
「…どうしてそう言い切れるの?」
グレースロートの訝し気な目線がブレイズと交差した。まるで理由を求める様に彼女はおずおずとブレイズに答えを求める。
「…だって、燕ちゃんの手はこんなに暖かいだから…血の通ってない化け物じゃない君は他人の痛みがちゃんと分かる子だから、君の手は血を忘れて冷たくなんかなりやしない。」
…それは果たして理由と言えるのか。確かにブレイズは理論派ではなく感覚で生きるタイプだがこの場合悪手であるとは考えなかった…などど色々と言えるがグレースロートにはそれが面白おかしく感じられた。
「…何それ…もっとマシな理由なかったの…?」
可笑しく感じられ、グレースロートは破顔した。厳しい表情だった彼女の表情は柔らかいものになり、笑顔が浮かんだ…とはいえ僅かに笑っているだけだが。
「…むっ、酷いね、これでも頭を結構使ったのに…。」
「口下手…っていうより本当、頭を使うの下手ね。」
だがそれでもグレースロートは笑った。…少なくとも先まで悩んでいたものは消し飛ばせていたようだ。グレースロートはブレイズの手を握り返した。
「…燕ちゃん?」
「…あんたの手も暖かい。…感染者だって血の通った人間だから当たり前だけれど…。」
その顔色に恐怖はもうない。彼女はやがて恐怖心を克服するだろう。そしてブレイズと目があったリーベリの少女は面と向かって告げた。
「…これでもあんたには感謝してるのよ…馬鹿猫。」