明日方舟 短編集   作:すきゃーいふれあ

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背中の温もり

「…ドクター。」

 

それはもう夜も深まった遅い時間の事、身辺警護に当たっていてくれた彼女は何かを唐突に思いついたのか私にへと声をかけて来た。普段あまり口数が多くなく必要以外の事を口にしない彼女が、だ。いそいそと後ろへ回って来た彼女は私に背を預けるようにもたれ掛かって来た。そして一言尋ねた。

 

 

 

「済まない、少し背中を借りて良いか。」

 

 

既に借りられているが彼女からの滅多にない願いを断る理由もなかった。了承の意を示すと。

 

 

「ありがとう。感謝する…」

 

 

それから数分、彼女は背中を合わせると何かを懺悔するかのように静かに語り始めた。教会で聖職者へ己の罪を告白し懺悔する、そんな状況かと錯覚させた。

 

 

 

「…私は復讐が全てだ。」

 

漏れるのは彼女の心よりの渇望。それこそ彼女の行動原理、それこそがあの日、彼女から全てを奪われてしまった時の彼女に唯一残された感情だった。

 

 

「私には家族がいた。仲間がいた。友人がいた。戦友と呼べるものがいて、故郷と呼べるものがあった。」

 

 

一つ一つ何か大切なものを思い起こしているのか思い出を噛みしめるように語っていく。

 

 

「だが全てが失われた。あの日、喪ったんだ。」

 

 

 

かつて居たという裏切り者。その裏切り者が反乱軍を誘い込み、彼女の故郷を壊滅させた。そして彼女はわずか数名の戦友たち以外全てを失った。それはメテオリーテから聞いた顛末と同じだった。

 

 

「それからは貴方も知っているとおり、私は憎しみを糧に、復讐を為すためだけに生きて来た。」

 

 

ロドスで初めて会った彼女はひどく哀しみに満ち溢れていた、と思う。だが彼女に悲壮さを感じさせることはなくむしろ強い怒りを感じた。

 

 

「ああ、確かに私を支配している感情は裏切り者への憎しみ、故郷が滅ぼされたことへの怒り、そして故郷の同志達を弔ってやるものも居なかった哀しみ…それらの負の感情ばかりだ。」

 

 

恐らく、彼女も負の側面に囚われていることも知っているだろう。そして知っているうえでその憎しみを受け入れてた筈だ。その感情を利用し、生きて来た。

 

 

「だが…」

 

 

彼女はそこで一度言葉を切った。私に彼女の顔は見えないがおそらく彼女は目を閉じているだろう。そして何を言うべきか、何が正しいかをしっかりと精査しているはずだ。

 

 

「ロドスは…いい場所だ。」

 

 

彼女は話の方向を変えた。まだ本題を語るべきではないと判断したのか。私は黙って聞き役に徹する。それが彼女への手助けに一番なるはずだから。

 

 

「鉱石病というどうしようもないほど困難のある問題に対して正面から挑み、それらを取り巻く困難を越えようとしている。」

 

 

彼女は感染者ではない。彼女がロドスに加入したのはロドスの情報網が何かを調べるのに優位だったからに過ぎない。彼女自身ロドスに戦力を提供するのみでその理想に共感をしたわけではなかった。だが彼女にも何か心境の変化があったらしい。

 

 

「私にはそれほど高潔な目的もあるわけでもなく、ただ個人の復讐を完遂するためにここに来た。…だが少し思い出した。」

 

 

それからまた彼女は一度言葉を切った。それから数秒間沈黙し、言葉をつづけた。

 

 

「仲間と共に戦う…という事だ。私もかつては…仲間と共に戦っていたことを思い出した。」

 

 

ロドスは他企業や移動都市などと契約を結び、様々な人員が派遣される。それだけでなくロドスへ就職したり患者として受け入れられ本人の意志でオペレーターとなるものもいる。能力はあるが個性的な面々が揃っておりその中では物静かな彼女に怯みもせず話しかけに行く者も居た。

 

 

「なんだか懐かしい感覚だった。こうして誰かと共に戦場で肩を並べて戦うというのは…」

 

 

ファイヤーウォッチは何処か感慨深く呟いた。

 

 

「…そして、こういった『大義』を持った戦いというのは怨恨も生むがそれ以上に未来を切り開くという意味を持っていると考える…私も少し誇らしかった。」

 

 

そう語る彼女の声音は柔らかかった。復讐を忘れたとは言えないだろうが、素の彼女という側面なのだろうか。

 

 

「だが…同時に不安にもなった。」

 

柔らかかった声はまた憂いを帯びた。その声が私の耳にのしかかるように聞こえる。

 

 

 

「私のこの復讐心が…ここにいると薄れ、錆びつくのではないか。…そう、思ってしまった。」

 

 

確かに、ロドスの環境は彼女にいい影響を与えていた。だがそれと同時に彼女の負の側面を少しずつ癒していった。それが彼女の不安の原因だった。

 

 

 

「憎しみと怒りを糧に生きて来た私は…この感情を失うわけにはいかない。復讐は果たさなければいけない。そうでなければ彼らへの手向けが出来ない。」

 

 

彼女が穏やかになったとしてもその復讐心は消えるわけでもない。今だ彼女の中にはその怨嗟の炎が燃えているだろう。

 

 

 

「だが…心を乱す。」

 

 

そして彼女は他の誰でもない私に向けてそう言った。

 

 

「ドクター、貴方は…鉱石病の治療技術をここまで発展させた。今は記憶を失っているが、貴方もまた理想を持って戦っていたはずだ。貴方の以前を知るオペレーターを見れば分かる。貴方は彼らに慕われ、彼らを導いていた。…もっとも私が貴方の以前を知るオペレーターなど数名ほどしか見たことはないが…それでもアーミヤを見て居れば分かる。貴方の理想や思想、夢…それらは高潔な物だったという事は。」

 

 

そして彼女は恐らく顔を伏せた。途端に弱い声で言った。

 

 

「…そして何よりもあなたの存在は…私を乱す。」

 

そこから彼女は饒舌に語りだした。

 

 

 

「貴方は優しい。兵というのはあくまでも使い捨ての駒にすることも出来る。犠牲を割り切って勝利をもたらすことなど戦争ではよくあることだ。味方の犠牲よりも敵の犠牲が多ければそれで勝ちだ。戦争というのはどれだけ犠牲を出すかだけで勝ち負けが決まる…けれどもあなたは誰一人の犠牲も許しはしなかった。勿論、私でさえも死ぬのは許さなかった。」

 

 

戦場に立つ以上誰でも死ぬ可能性はある。相手も命を奪いに来ているのだ。こちらが躊躇していれば命を無為に奪われるだけだ。

 

 

 

「…久しぶり、なんだ。」

 

 

ぽつりと彼女は呟いた。

 

 

「『死ぬな』と言ってくれた人間は…貴方が久しぶりなんだ。…いや、初めてかもしれない。かつての仲間たちは健闘を祈りはしてくれたが、死ぬなということは言わなかった。そうだ…死んでしまうのは戦士として戦場に立ったからには仕方ない。だから敬意をもって送ろう。私たちの間にはそういう認識があった。だから、貴方が初めてなのだろう…私に『死ぬな』と言ったのは。」

 

 

——————名誉の戦死という考え方もあるのかもしれない。指揮官としては間違えている考えなのかもしれないは…それでもやはり私はこのロドスの上に立つ者として、仲間が失われるのは耐えられない。

 

 

 

 

「…ああ、やはりあなたは優しい。…だからあなたは私の心を乱す…貴方の傍に居れば居るほど私は復讐心を忘れてしまう。」

 

 

彼女は安堵しながらも恐れていた。このままロドスに居れば安寧に身を任せ平穏に生きれるかもしれない。しかしそれでは死んでいった故郷の仲間たちはあまりに報われない。そのためには復讐を果たす他ない。けれども…

 

 

「…このままでは私は、幸せになってしまう。」

 

 

それは二つの感情に板挟みされたただ一人の女性の苦悩に過ぎなかった。

 

 

 

——————良いんじゃないかな。

 

 

「…ドクター?」

 

 

——————幸せになることに資格なんてない。だから幸せになる権利は君にもある。

 

 

 

「…だが、それでは私の復讐が…」

 

 

——————ロドスに居る以上私たちは君との契約に従う。君たちの故郷の裏切り者も順次調べ続ける。それに必要な戦力も提供するだろう。…だからまずは少し待ってみてくれないか?

 

 

「…待つ?」

 

 

——————そうだ、待っていてくれ。復讐の対象を見つけ出し、その時にも憎しみが君を動かすのならその引き金を引くと良い。

 

 

「…だが私は…復讐心を失いたくは…ない。」

 

 

——————忘れる必要はない。忘れるのが恐ろしいのならば、私が君のその復讐心をしっかりと覚えていよう。

 

 

 

「…全く…貴方には勝てないな。」

 

 

 

——————君は幸せになってはいけないわけがない。人が幸せになるのは理由もいらないことだ。

 

 

 

 

彼女の体重が背にかかって来た。そして彼女は恐らく目を閉じながら言った。

 

 

 

「少し背中を借りる…」

 

 

 

そして消えてしまうほど小さな声で呟いた。

 

 

 

 

「暖かいな。…よく居眠りをしていた木の上を思い出す。」

 

 

 

 

おやすみ、ファイヤーウォッチ。

 

 


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